騎士団長は求婚を受ける
全身を小刻みに震わせたあとヨルナスは
──バターンッ!
「ヨルナス君?!」
突然倒れた。
「だっ大丈夫か?!」
「申し訳ございません……緊張からの歓喜のあまり貧血が……」
「なんか大変だな?!」
人より常に健康体の自分には想像すらつかない状態に、駆け寄り彼を抱き起こすと、蒼白だったヨルナスの顔がみるみる赤くなる。
「あっ……アマリアさん、大丈夫ですからっ……」
「そ、そうか……もう血色は悪くないし、大丈夫というなら……」
まだ若干赤い顔のまま、咳をひとつ。
仕切り直した風のヨルナスは真面目な顔でシャツのポケットから、紙とペンを取り出しテーブルに置いた。
「サインをお願いします」
「え」
「婚姻届です」
「ええ?!」
この国では、婚姻届を出してしまえば夫婦である。
貴族間の婚姻については多少の制限があるが、婚姻が直接的な相続(領地など)の差し障りがない場合において、男性30、女性は26から当人の自由意思で婚姻を結ぶことが可能。
ヨルナスもアマリアも、自由意思で結婚ができる身だ。
「気が変わらないうちに出しに行きましょう。 馬車は手配済みなので、もう行けます」
「よっ……用意がいいな……?」
あまりの用意のよさに少し怯んだものの、勘違いの内容が内容である。
(余程結婚したいのだな……別に口約束とはいえ反故にするつもりはないのだが……それで安心するならばまあ良いだろう)
アマリアは特に疑問を抱くこともなく、あっさりサインをした。
「よし、わかった。 ……これでよし。 行こうか」
「ありがとうございます……」
ヨルナスは婚姻届のアマリアのサインをうっとりと眺め感嘆の息を漏らすと、それは丁寧に……且つ素早くポケットに戻す。
使用したペンはテーブルにあった紙ナプキンで、大事に包んでから。
記念にするつもりなのだ。
憧れの先輩にペンを貸した乙女学生の如く。
そんな彼の胸中など知らないアマリア。
馬車に乗る途中ロビーに映った自分達の姿を見て、『本当にこれで良かったのか?』という、非常に今更なことが頭に過ぎった。
胸元の大きく開いたマーメイドラインのドレスは深紅で、アマリアの豊満な胸(※確かにそれなりにあるが、実際は胸筋からの鳩胸がかなり関係している)と鎖骨の美しさを際立たせていた。
太腿まで大きく入ったスリットから覗く、スラリとした長い脚。(※主に内側にしなやかな筋肉がついているので一見すると筋肉質であるようには見えない)
身長の高い彼女は今日、ドレスに合わせたハイヒールで更に高くなっている。
そんなアマリアに対し、彼女をエスコートする小柄なヨルナスの身長は大分下。
少しグレー味がかったサックスブルーのコート下に、色とりどりの花々の刺繍が美しい、アイボリーのウエストコート。 赤いリボン。
黒のブリーチズ(※膝丈程の半ズボン)に白い靴下が眩しい、見た目は紛れもない美少年(※に見える、30男)である。
(……恋人というより、金持ちマダムの若いツバメだな……)
途端に我に返る。
急激に訪れる、不安。
(そもそもこんな美少年、周りがほっとかない筈だ……そういえば昔『弟は人間嫌いだ』とメイベルが言っていたような? ……一般女性よりは兄の友人である私の方がマシだということなんだろうか。 『他に考えられる相手はいないのか?』と聞いてみるべきか)
──アマリアはヨルナスに好意を抱いている。
最初から見た目が好みだったのもあるが、実際に会ってみたらもっと可愛いと思った。
会ったばかりで人となりをわかっている訳では無いが、お付き合いできたら嬉しい。
それ故に、にわかに我に返ってしまったアマリアは『釣り合わないのでは』という本来持つ卑屈さと、散々普段から妹に対してしているようなカッコつけを取り戻してしまっていた。
それが混ざり合った結果……
今や、完全に腰が引けている。
そもそも彼女は恋愛初心者なのである。
大体にして、いきなり結婚とか……考えてみればハードルが高い。流されすぎだ。
今更といえば今更ではあるが……まだ辛うじて間に合う。
──だが
「アマリアさん」
「……!」
ふわり、と肩になにか。
それは、ヨルナスの上着。
「これ……?」
「あの……その服、凄く似合ってます。 でも、その……
他の人には見せたくなくて……」
顔を赤くしながらそう言うヨルナス
「──!!」
に、噴死しかけたアマリア。
彼の幸せの為には、もっと若くて可愛い誰かを勧めた方がいいのではないのか。
(だが……)
そんな葛藤の先にある気持ち。
(………………嫌だ)
「……アマリアさん?」
心配そうに覗き込むヨルナスの、八の字に下がった眉毛、うるうるした上目遣いの大きな瞳、若干のアヒル口……
あざとさというあざとさをギュッと丸めて思いっきり叩き込んだかのようなその可愛さたるや。
(ああもう……)
いっそ結婚して萌え死のう。
いや萌えでは死なない。
きっと私はヨルナス君の嫁として、のうのうと生き長らえ萌え続けるに違いない。
──それはアマリアの思考をおかしくさせた。
「アマリアさん?」
「くっ…………殺せ!」
「アマリアさんッ?!」
そして、最終的に停止させた。
★★★
ぼうっとしたまま役所に届けを提出し、ヨルナスと別れて家に着くまで、ずっと夢を見てるような気分だったが……
家に帰ると結婚の報せを既に聞いていた両親がバタバタと迎えに出て、再び我に返った。
──ヨルナスが届けと同時に、家にも報せを送っていたのである。
しかもその日のうちに、ヨルナスが挨拶にやってきた。
曰く、
「私のような若輩者の、一魔導師団員風情が貴女のような人気高き方を手に入れるのですから、当然のことです」
──とのこと。
騎士団本部にも連絡はしたそうで、既に軽く挨拶には行ったらしい。その言葉や礼を尽くした諸々に、急なことながら両親は気を良くし、ヨルナスは大変気に入られた。
とにかく囲い込むのに必死のヨルナス。
アマリアは素早い彼の行動を、夢現な気分のまま、こう思った。
(はっ! これはもしや……噂に聞く『スパダリ』というやつなのだろうか?!)
残念。
どちらかというと、『ヤンデレ』が正解。
──尚、終始夢現なアマリアに対し、妹ナタリアはまだ夢の中であった。