詩織先輩の今日の一言
「……告白、しないの?」
「――っ!?」
急に声を掛けられて、僕は声にならない声をあげる。
後ろを振り向けば、お隣さんにして同じ学校の先輩――しかも僕の所属する文芸部の先輩でもある――詩織先輩が文庫本を片手持ちながら、僕の肩越しに窓の外に広がる景色を眺めていた。
うちの学校は校舎の東側に結構立派な桜並木があって、始業式から1週間経った今日は満開一歩手前といった咲き具合。僕が今さっきまで覗き込んでいた窓からは、そんな春爛漫の桜並木と――その桜の木の下で女友達と楽しげにお喋りしている牧野あゆみの姿が見える。
かわいいなぁ……。
ついつい窓の外に意識を向けてしまう。すると詩織先輩に文庫本で頭を叩かれた。
――パンッ
「痛っ!」
「人が問いかけているのに、無視するのがいけないんじゃない。……もう一目ぼれして1年でしょう? 告白、しないの?」
「……この桜が満開になったら……しようと思ってます……」
1つ年上の部活の先輩にして、お隣さんにして、幼馴染である詩織先輩に僕は頭が上がらない。
自我が目覚める前から一緒にいたらしいから、お互い相手の癖や行動パターンは完璧に把握している。嘘をついてもすぐばれるし、下手なことをいうと後が恐いことを僕はこの13年の人生で身をもって知っているので、恥ずかしさを我慢しながら、素直に答えた。
「――へ? 何で満開になったら?」
僕の気持ちなんて露知らず、詩織先輩は目をぱちくりさせながらアホっぽい声を出す。
「何でって……そんなの……」
――満開の桜の下で彼女が僕だけに微笑んでくれたら、どんなに幸せだろう。
桜の木の下で談笑する彼女を見ていたら、そう思ってしまったのだ。
けど、そんなことを馬鹿正直に言ったら爆笑されるに決まってる。かといって、心にもないことを言えばすぐ嘘だってばれる。だから――
「……女の子は、そういうシチュエーション、好きだって聞いたから」
……嘘ではない。たしかにこれはつい先日同じクラスの友達に聞いたのだから。
「……まぁ、たしかに女の子はそういうの好きな子多いだろうけど」
どうやら、うまく誤魔化せたらしい。僕がそう胸を撫でおろしたのも束の間、詩織先輩が不穏な言葉を口にした。
「――仇桜にならなきゃいいけど」
「仇……桜? あ、告白する前に桜が散らなきゃいいけどってことですか? 不吉なこと言わないで下さいよ……。大丈夫です、天気予報確認しましたけど、今週いっぱいは安定したお天気で風も弱いから、明日明後日には満開宣言、今週末はお花見にピッタリだって言ってましたから!」
僕はぐっと親指を立ててポーズをとる。それを見た詩織先輩は、はいはいわかったわかった、とでも言うかのように手をひらひらと振り、席に戻ると「この話はもういいわ」と言って文庫本に視線を戻した。
……自分で言い出したくせに。
そう思いながら窓の外に視線を戻せば、彼女はいつの間にか帰宅してしまったらしい。先程まで彼女が座っていたベンチには数枚の桜の花びらだけが残されていた。
「あぁ……」
落胆の声と共に窓に項垂れる。
「詩織先輩が不吉なこと言うから帰っちゃったじゃん……」
なかば八つ当たりのように独り言を呟く。残念過ぎて、学校では意識して使ってる敬語が抜けた。
「それはご愁傷様。あと、学校では敬語使いなさい、って言ってるでしょ。……さ、私達ももう帰りましょ」
詩織先輩は文庫本を鞄にしまい、すたすたと文芸部の部室から出ていく。部室の鍵は部長である詩織先輩が管理しているので、詩織先輩が帰るなら僕も帰らざるをえない。
「ま、待ってください!」
僕は急いで鞄を手に取ると、詩織先輩の背中を追って部室を後にした。
☆☆☆
恋に落ちたきっかけこそ、1年前桜の木の下で笑う彼女を見つけた一目ぼれだったけれど、何も1年間ただ眺めていたわけじゃない。
何とかして彼女と仲良くなりたかった僕は、クラスの友人数人に協力してもらって、彼女とお近づきになる努力をしてきたのだ。
僕はその努力の証であるグループチャットを開き、メッセージを送る。
伊藤和樹>桜、だいぶ咲いてきたよね。今度みんなでお花見いかない?
みんなで、と加えることで一緒に出掛けるハードルを下げてお花見に誘い、友人に協力してもらって2人きりになったところで告白する――ありきたりな手かもしれないが、これが僕にできる最善手だと思ったのだ。
もちろん、協力者である友人2名にはすでに作戦は共有済みだ。すぐに既読が2になり、その協力者たちから返信がくる。
林優斗>いいね、花見! みんなでお菓子持ち寄ったら超楽しそう!
瀬川琴音>私もさんせーい!
2人がそう書き込んでくれる間に、僕の最初の書き込みの既読が3になった。牧野さんも見てくれたらしい。
牧野あゆみ>私もいいと思う!
瀬川琴音>じゃあけってーい! 今週末皆空いてる? あたしはどっちでも大丈夫!
伊藤和樹>僕もどっちでも。
牧野あゆみ>あ、私土曜日は塾があるから……日曜日でもいいかな?
林優斗>じゃあ日曜日にしよう。場所はどこにする?
曜日が決まったあとは、時間と場所が決まるのはあっという間だった。僕と優斗が朝場所取りをして、瀬川さんと牧野さんの2人が軽食とお菓子と飲み物を分担して持って来るという役割分担まですんなり決まって、今日のグループチャットはお開きになった。
☆☆☆
待ち遠しかった日曜日は、気づけばあっという間にやってきた。
約束の公園に向かうと桜はそれはもう見事な満開で、すでにちらほら場所取りをしている人たちがいた。
「よっ! 和樹! こっちこっち!」
まだ朝5時にも関わらず、優斗が元気に僕の名前を呼んでくる。さすが野球部、朝練で普段から早起きしてるから、朝は強いらしい。
「おはよう、優斗。場所取りサンキュ」
「おう! なんてったって、親友の一世一代の大舞台だからな! 一番いいところ取っといた。もっと褒めてもいいんだぞ?」
「マジ偉い。超偉い。さすが優斗」
僕は棒読み気味に早口で褒め称える。「もっと心を込めろよな~」という声が聞こえた気がするけど、優斗はすぐ調子に乗るからこのくらいが丁度いい。
「和樹朝弱いから死んだような顔で来るんじゃないかと思ったけど、思ったより元気そうだな?」
優斗が僕の顔を覗き込みながら、失礼なことを言ってくる。僕はしっしっ、と手で優斗を払いながら、
「こ、告白するのに死んだ顔なんて晒すわけにいかないだろ……朝イチ冷水で顔洗って、ブラックコーヒーで気合入れてきたんだよ」
「おぉ。そいつはすげぇ。気合十分だな! 応援してるぞー。ところで、女子2人がくるのって昼前だろ? それまでどーするよ?」
優斗が「バット持ってくりゃ良かったかな」とかいいながらビニールシートに仰向けになって寝そべる。僕はその鼻先に持ってきた玩具をぶら下げて見せた。
「ちゃんと暇つぶしの玩具なら持ってきたよ」
「暇つぶしの玩具って、これトランプじゃん……」
「外に手軽に持ち運べて複数人でも遊べるもの、っていったらこれくらいしか思いつかなかったんだよ。それにトランプなら色んなゲームできるし、充電気にしなくていいし」
「さいで。まぁトランプなんてもうそうそうやる機会もないし、たまにはいいかもな。んじゃ、何やるよ?」
「2人だし……とりあえずスピード?」
「お、言ったな? 反射神経で俺に勝てると思うなよ?」
「優斗こそ、インドア派を甘く見ないでよね」
☆☆☆
「あ、いたいた! おーい、伊藤君、林君、お待たせー!」
「待たせてごめんね、2人とも。場所取り、ありがとう」
11時を少し過ぎた頃。瀬川さんと牧野さんが2人揃って公園に到着した。
「よっ! 和樹とトランプで遊んでて、全然待った感じしないから大丈夫だよ、な! 和樹」
「うん。思ったより白熱したよね」
「わぁ、トランプで遊ぶのなんて小学校以来かも! 私もいい?」
瀬川さんがしゃがんだ状態で僕に問いかけてくる。
うわっ、上目遣いの破壊力はんぱない……っ。トランプ持ってきた僕、グッジョブ!
「も、もちろん! みんなで遊べるように持ってきたからさ! お昼食べたらみんなで神経衰弱とかババ抜きとかしよう」
心の中では自分で自分を褒め称えつつ、顔が赤くなったのを隠すために、僕は俯いてカードを集めながらそう言った。
「そうだぞー! まずはお昼ご飯! 春とはいえまだ朝は寒い中、場所取りしてくれた男子諸君の為に、私達が作ってきたお弁当を食べるがいいっ!」
「え、まじで!? 瀬川さんと牧野さんが作ってくれたの!?」
「……ほんとに?」
優斗に続けて、僕も確かめるように小さくそう呟いた。それに気づいたのか、牧野さんが「お口に合えばいいんだけど……」と控えめに呟く。
そんなの、牧野さんが作ってくれたものならなんだって美味しいに決まってるじゃないかっ!!
即答で口から出かかった言葉を僕が必死に飲み込むと、優斗が僕の言葉を代弁してくれる。
「牧野さんが作ったものなら美味しいに決まってんじゃん! なぁ和樹!」
「うん、そうだね」
ナイス、優斗! ……あとでなんか奢るな!
僕は視線だけで優斗に感謝を伝える。優斗の目が細められたから、どうやら感謝は伝わったようだ。
「こら、そこの男子ども! 私も作ったんだけど!?」
「もちろん瀬川さんも。2人とも、ほんとにありがとう」
「最初からそういえばいいのよー! んじゃ、食べよ食べよ!」
瀬川さんはすぐ機嫌を戻したらしい。僕は好きな女の子が作ってくれたお弁当にわくわくしながら広げられたお弁当に手を伸ばした。
☆☆☆
「「ごちそうさまでしたっ!」」
「お粗末さまでした。すごい、2人とも残さず食べてくれた」
「もちろんだよ。2人とも料理上手だね! すごく美味しかった」
「よかったー! がんばったかいがあったね、あゆみ!」
「そうだね、琴ちゃん」
もう僕、今日死んでもいいかもしれない……。
好きな女の子が満開の桜の下で笑っていて、その子が作った手作りのお弁当を食べられるなんて、幸せすぎる……。
けど、その余韻は長くは続かなかった。瀬川さんに声を掛けられたのだ。
「……あ、飲み物足りないね。あたしちょっと買ってくる。……伊藤君、悪いけど手伝ってくれる?」
「う、うん、いいよ……」
あれ? こういう場合、優斗を連れてって僕と牧野さんを2人きりにしてくれる筈じゃ?
あぁでも、今のタイミングで告白して、もし振られでもしたら後が気まずいから、ひょっとして先に僕を連れ出して、後半の2度目の買い出しの時に2人きりにしてくれるとか?
僕は1人そんなことを思いながら、先を歩く瀬川さんの後を追った。
☆☆☆
「……それで? まさか本当にお花見しながらトランプで遊んでお菓子食べてお喋りしただけで帰ってきたの?」
「そのまさかです……」
お花見の翌日。
僕は部室で詩織先輩に昨日のお花見デートについて問いただされていた。
事前に告白することを宣言していた手前、話さないわけにもいかず、かといって失敗した告白について話すのは恥ずかしくて、僕は俯きがちにそう答えた。
失敗した、というか、告白できなかった、が正しいかな……。
僕は昨日のことを振り返る。瀬川さんの付き添いで買い出しに行った際に言われた一言が、今さっき言われた言葉のように耳にこびり付いている。
「あゆみ、昨日同じ塾の先輩に告白されて、付き合うことになったって……」
正直、この言葉を聞いた後の記憶はおぼろげだ。たぶん詩織先輩に話したようにトランプで遊んだりしたと思うけど、どんなことを話したかとかまで覚えてない。
はぁ……、と深い溜息と共に負の感情をまき散らす僕に、詩織先輩は憐れむような目線を寄越すと、小さく一言呟いた。
「だから言ったじゃない。『仇桜にならなきゃいいけど』って」
「……桜は散りませんでしたよ」
僕の恋心は散りましたけど。……とは、言えなかった。
「誰も『桜が散る』なんて言ってないでしょ。“明日ありと思う心の仇桜”——今日できることを明日に先延ばしにしていると、結局機会を逃してしまう、という言葉よ。日曜日、と先送りせずに、あの時さっさと告白してれば、成功したかもしれないのに」
「そうですけど……まさか前日に告白されるなんて思わないじゃないですか……」
「そうね。でも世の中なんてそういうことだらけよ。理不尽で、無常で……入学式の時にはまだ蕾の方が多かったのに、急に満開になったかと思えば、予想外の突風であっという間に散ってしまって花見の機会を失ってしまう桜のように、ね。だからこそ、チャンスがあるなら“その時”掴まなきゃいけないのよ」
詩織先輩の言いたいことはわかる気がするけれど、恋が実らず荒んだ僕の心はそれを受け入れるのを拒絶する。
僕は詩織先輩から目線をそらすことしかできなかった。
「……まぁ、時間が経てば良い経験と思えるようになるわ。今日はそうやって不貞腐れていてもいいけれど――明日もそうなら追い出すから。切り替えはしっかりね」
そういって、詩織先輩は鍵を置いて部室を出ていった。
しばらくぼーっと鍵を眺めていると、開いていた窓から風が強く吹きこんだ。風と一緒に、巻き上げられた桜の花びらが教室を飛び交う。
それを見た瞬間、昨日の幸せだった瞬間がフラッシュバックして――僕は手の平に舞い落ちた花びらを握り締めて、声を殺して涙した。
詩織先輩の今日の一言
「明日ありと思う心の仇桜」
意味
今日は美しく満開に咲き誇る桜を、明日もまた見られるだろうと思って安心していると、その日の夜のうちに強い風が吹き荒れて散ってしまうかもしれないということ。
また、明日をあてにしていると、せっかくの機会や貴重なチャンスを失うということ。
読んで頂き、ありがとうございました!
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また、普段は「ウルラの後継者~記憶を失った少女は、実は神の寵愛を受けた魔術的才能の持ち主でした~」という長編ハイファンタジー小説を投稿してます。
こちらとは真逆の世界観ですが、興味を持って頂けたら「ウルラの後継者」もご一読頂けると嬉しいです。