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仮・王子さまを拾いました  作者: ゴロゴロごろた
1/1

その1

心地いい風と桜の花が咲き始めた三月の中旬、大学の後輩と泥酔するまで呑んだ浦和 千秋はマンションの駐輪場で眠っていた。

人の気配はなく虫の音と千秋の寝息だけが聞こえる。

トートバッグを枕がわりにして居心地良さそうに眠る千秋は遠目から見れば駐輪場に溶け込んでいたーー。




深夜の二時ーー川崎春太は小腹が空いて眠れなかった。

大学の最寄り駅から二駅離れたマンションの一室を借りて二年が経つ。

楽しいことも辛いことも無い、青春からかけ離れた世界で生きている。

春太自身はその世界を居心地よく思い外部からの刺激を嫌った。

友と言える者は片手で数えるほどだが春太のことを理解している者の数でもある。

部屋は一人で生活するにはやや広くもう一人住んでも狭くはない。

リビングにはソファ、机とテレビ以外の物はほとんど置いていない。昔から物欲がない春太は必要最低限の家具だけで満足なのだ。

キッチンにある二段式の冷蔵庫を覗くと数少ない友から貰った缶ビールと実家から届いた黒豆の煮物だけだった。

「ーーコンビニだな」寂しい冷蔵庫を閉じて外に出る準備を始めた。

コンビニはマンションを出て数分で着く。

三月の夜はまだ寒くシャツと短パンで外には出られない。ソファにかけたジャージを着て短パンはスエットパンツに履き替えた。

部屋を出るとひんやりとした夜風が頬を撫でる。

空を見上げると月は殆ど欠けていて細く今にも消えそうである。

欠けた月を見て夏目漱石の話を思い出す。

英語教師をしていた頃の夏目漱石が「I love you」を「我君を愛す」と翻訳した教え子を見て「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですねとでも訳しておけ」なんて言ったという話である。実際にそう言ったという文献や証拠はどこにも残ってはいない。

春太は本当かどうかは置いてその話をロマンチックに思う。二人が月を見上げて「綺麗」を共有し合う、それは愛の確認であり美しい。

「寒いな……やっぱり」外の気温と自分の感情の両方を寒く感じマンションの駐輪場に向かう。

深夜の二時は人の気配が消え、昼の明るい雰囲気から暗く怪しい雰囲気へと変わっていた。

昔から丑三つ刻はあの世とこの世が繋がって霊や妖が現れると言う。春太は霊感などの類は無く怪談やホラー映画は現実世界と分けて見聞きするため霊や妖を信じていないし怖くない。

それに霊や妖は人が作ったもので結局は人が一番ではないかと自分なりの答えを導き出した。

霊や妖を信じない春太は駐輪場の前で足を止めた。

ーー嫌な気がする。霊感などは無くても直感がここから先は行っては駄目だと警報を鳴らしている。

直感は駄目だと警報を鳴らしているが腹は食料を求めて音を立て訴え始めている。

人間が猿から進化して行く上で忘れていけない危機察知能力と空腹感が春太を苦しめる。

「あー、ダメだ腹減った」危機察知能力が空腹感に呆気なく負け、春太は自分の自転車を取りに行く。

自転車は駐輪場の奥にあり襲われないように周りを警戒しながら進む。

春太は目が良くない。視力は年々落ちていき今ではコンタクトか眼鏡がないと人間社会を生きて行けないほどに悪い。

今現在、コンタクトも眼鏡もしていないボヤけた視界で周りを警戒しているが、足元まで見ていなかった春太は何かにつまずき顔面からコケた。

「イテェ……スゲェ痛い」鈍痛に耐えながら自転車のサドルをつかみ起き上がる。右鼻からドロっとした感覚が来るとそのまま血が流れ唇を伝う。

何で倒れたか検討のつかない春太は足元に目をやる。

足。細く長い足が横に倒れていた。目は自然と足首から腰、胸へ移り顔で止まった。

「……王子だ」

春太はこの男を知っている。通っている大学で群を抜いてイケメンで、男の周りには常に女がついて回っている。

男女問わず口を揃えて言う。

「王子さま」

何故、王子がマンションの駐輪場で眠っているのかは皆目検討もつかない。

「おーい、ここは外だぞ。 起きれるか?」春太は王子の肩を揺する。

起きる気配はなく気持ちよさそうに寝息を立てている。

春太は男である王子とはいえ三月の寒い夜にこのまま駐輪場で放ってはおけなかった。

コンビニは王子を部屋に置いてから行けばいいとして、どう持ち運ぶかが問題である。

おんぶは横になった王子を起こす必要があり面倒でお姫様抱っこが最適だと結論が出た。

ーー右の鼻血は王子の服に着くが後で洗濯して渡せばいいか。

力には多少の自信があり王子をお姫様抱っこすることに成功した。

側から見れば何と思われるだろうか。鼻血を垂らした男が美男子をお姫様抱っこしている。

誰かに通報されそうだな。

春太は通報されないように周りを警戒しながら部屋に戻る。

深夜の三時ーー春太はどうにか王子を部屋に入れることに成功して寝室のベットに寝かせた。

コンビニに行く意欲はなくなり冷蔵庫から黒豆の煮物と缶ビールを出してソファに座った。

ーー夢先生はビール好きだっけ?机の上に置いた缶ビールを見て思い出す。

夢先生。春太にとってかけがえのない存在で、この世にはもういない者。

春太はビールより奥に置いてある煙草と年季の入ったジッポーライターを手に取った。

煙草を一本くわえて火を付ける。

吸い始めて一年が経つ。最初は苦くて何が良いのか心の底から分からなかった。

やめたらいいのに吸えば夢先生を感じられる気がしたのだ。

咽ながらも吸い続け今では美味いとも感じる。

川崎春太にとって夢先生の存在は大きく、そしてーー。

春太は缶ビールの口を開けて飲み始めた。

煙草は美味く感じるが酒は不味い。父も母も下戸で飲めなかったので遺伝子として春太に受け継がれたのだろう。

ビールと違い実家から届いた黒豆の煮物は美味い。 程よい甘みと食感が一時間前のイレギュラーな事態を忘れさせてくれる。

一時間前のイレギュラー、大学の王子を拾い部屋に入れるとは夢にも思っていなかった。

こんな漫画みたいな青春はいらない。色鮮やかな青春の世界にいると心身ともに疲労が蓄積され潰れてしまいそうになる。

それと比べて色がない平凡な世界は目立とう色を放つ必要はない。ただ、存在すればいい。

四日後には大学が始まる。

強く色を放つ王子とは関わりたくない。それ以上に相手にされないだろう。

王子が起きたら冷静に説明しよう。理解のある人間かどうかは分からないがーー。

春太の瞼はいつの間にか半分以上落ちていた。時刻は三時と四十五分が経過した。

春太がソファで眠ったのはその一分後であるーー。

浦和千秋はカーテンの隙間から漏れる陽の光で目を覚ました。

昨夜、女と記憶が無くなるほど酒を飲んだ。

居酒屋に入ってから先の記憶さえ怪しく何を何杯飲んだか覚えていない。

まだ、頭は重く身体を起こすのに一苦労する。今、見知らぬ部屋にいるが昨夜一緒に飲んだ女の部屋に違いないーー。

「それにしても何もないな」部屋はベットを除けば何もなく、一緒にいた女の部屋とは考えにくい。

ベットから出て立ち上がる。足元に昨夜着ていた汚れたシャツと無地のシ白ャツとジーンズのパンツが畳んで置いている。

誰かは分からないが気は利く、千秋は汚れたシャツは取らず無地の白シャツとジーンズパンツだけを手に取り部屋を出た。

 寝室が何もないならこの部屋も一緒で必要最低限の家具しか置いていない。ソファ、テーブル、テレビ以外の物は見当たらず物欲が無いのにもほどがある。

部屋を探索しようと右足を出すと同時にキッチンの近くにある扉が開いた。

「おう、起きたか。 どっか変なところはないか?」

ーー男だった。しかも、大学で見覚えのある男だ。

千秋は先まで重たかった頭も今では軽く冴え渡っている。襲われるのか?千秋は男である川崎春太を刺すように睨んだ。

「私をどうするつもり?」

春太は想像通りの展開に苦笑いで応えた。

「襲うつもりはないから落ちつてくれ。 あんたは昨日、マンションの駐輪場で泥酔して眠っていたから風邪を引くと思って俺の部屋に入れた」ここで春太は一呼吸を入れて話を続ける。

「俺は静かに大学を卒業したい。今日のことはお互い何も無かったことにして終わってくれないか?」

「うーん」と千秋は腕を組む。警戒心が解けていることに春太は安堵の息を漏らした。

「ーー私、汗臭くない?」

汗?春太の頭に漢字一文字が駆け回る。先まで襲われるのではないかと警戒していた人間が今はケロッとして自分の体臭を気にしている。

「…いや、臭くはない」春太は感じたことをそのまま口にする。

「そっか。けど、乙女はいつでも綺麗を心がけないとね。シャワー借りていい?」

私? 乙女? 春太は千秋の高い声と話の中での単語に引っかかる。

本当に大学の王子さまなのか?人違いで泥酔した女を部屋に入れたなんてーー捕まってもおかしくない。

トラウマになる恥ずかしい勘違い。それは体の内側から熱として放出されて行く。

「ねえ、聞いてる?」千秋の顔も女として見ると、大きい瞳、スッと綺麗に通った鼻筋に艶のある唇。春太はほんの少し見惚れてしまった。

「見惚れてないで聞いてよ」

「あ、ああ! 使って行ってくれ」

春太から余裕は消え、千秋から余裕が生まれた。

「自己紹介遅れたね。私、青野学院大学の浦和千秋で二十一歳の四日後には四年生です。よろしくね」

千秋は春太のひと学年上の歳上で女だった。

昨日の夜に誤解を招かないように考えたのに、蓋を開ければ誤解をしていたのは春太自身だった。

全部ーー夢ならいいのに。

「お、俺は青野学院大学の川崎春太です。よっ…四日後に三年生になります。二十歳です」

「えぇー! 後輩じゃん! 改めてよろしく!」

千秋は春太の前まで近づくと抱きしめた。

「本当によろしく…ね」耳元で千秋は囁く。艶めかしく男の心を奪うには十分だった。

春太も男であり心臓の鼓動は限界の手前まで来た。それでも、脳裏には笑顔の先生が思い浮かぶ。

「ーーすんません、離してください」

春太は千秋の手を振り解いた。目には感情が消えている。

「ごーめんごめん! 情熱的な挨拶は苦手なんだ。次からは気をつけるから許して」

千秋はニコッと白い歯を見せた。冗談で抱きついて着たのかは春太には分からなかった。

「ふふん。じゃあシャワー借りるよ」

シャワーはどこ?と言われて春太は廊下を指差した。

「オッケー!」

千秋は春太に背を向けて足取り軽く廊下へ行った。


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