第三話
数日後、私は完全に淑女と化したミヒャエル殿下を連れてルートリーマを出発し、カステルラントへ入った。
対外的には、貴族令嬢を護衛する女剣士の体で行く。
この異世界ヴァンデルガルドには、最近の異世界もののフィクションでとてもメジャーな冒険者ギルドというものが、やっぱり世界規模で展開しており、元の世界で言うなんでも屋のような内容の業務を一手に引き受けて行っている。
カステルラントやルートリーマといった国も、自前の軍隊を持っているのだが、その実は各領主軍の集合体で、とにかく召集してから集まってくるのに時間と金が掛かる。
そのため、細々とした日常の依頼や緊急の依頼の受け皿として、ヴァンデルガルドでは冒険者ギルドが発達しているのだ。
ちなみに今回の盗賊ギルドが回してきた依頼をこなすに当たり、私はもう一つ指名で入っていたカステルラント行きの乗り合い馬車の護衛依頼を回してもらった。
本命である第五王子の護衛依頼でカステルラントに向かうための足を探しており、タイミング的にちょうど良かったのだ。
私は冒険者ギルドにも籍を置いていて、賞金首やモンスターの討伐依頼とか街から街への護衛依頼とかをよくこなしているので、時々こんな風に私を指名して依頼が来ることがある。
その場合はまず私ではなく盗賊ギルドに依頼が回され、中抜きする報酬額を決めてから、改めてマッドベアが私に回してくれるシステムになっている。
実際に私が受け取れる手取りは少なくなるものの。ちゃんとピンハネ分もギルドへの上がりとして計算されるので、私としては文句はない。
それに路地裏で人斬りを繰り返すのも悪くはないのだが、たまには外の空気も吸いたくなるので、ちょうどいい気分転換になる。
「お姉さま、しっかり私を守ってくださいね」
乗り合い馬車から軽やかな声で私に声をかけたミヒャエル王子殿下は、性別が迷子になって完全に貴族令嬢にしか見えない。
今も馬車の窓から、穏やかな笑顔でたおやかな手を私に向けて振っている。
料金を払ったのはミヒャエル殿下だけで、私は乗り合い馬車の護衛の一人として此処にいる。
客は今のところ殿下を入れて三人で、馬車の護衛は私の他にもう一人いる。
後は御者が一人だ。
ミヒャエル殿下以外の客は、途中のカステルラント領の村で乗り込んだ出稼ぎに行くらしい青年と、巡礼の旅の途中だというシスターが一人。
ヴァンデルガルドでは異教徒に対して全体的に寛容な宗教が多く、どの宗教でも平時ならば他教の巡礼を容認し便宜を図っている。
巡礼するシスターは基本的に自分が信仰する宗教の教会を宿とするのだが、街や村によっては当然教会が無い宗教もある。
そんな時、宗教が違っても同じ巡礼者ならば、教会の宿を借りられるのだ。
美しき助け合いの精神である。
「ええ。しっかり守ってあげる。ミシュエラは心配しなくていいのよ?」
ちなみにミシュエラというのは、第五王子ミヒャエル殿下の偽名だ。ミヒャエルという名前をルートリーマ語に直すとミシュエルになり、それをさらに女性形である人名ミシュエラに変化させたもの。
「嬢ちゃんはむしろ俺に守ってもらう側じゃないのか? ははははっ!」
私とミヒャエル殿下のやり取りを見ていたもう一人の護衛が笑い声を上げる。
この護衛は私と同じ第三王子の依頼を受けた男で、名をトルニスという。
本名かどうか知らないけれど、自己紹介ではそう名乗っている。
当然、依頼を受けたというのも本人の自己申告だ。本当かどうかは知らない。
でもまあ、冒険者としては私でも知っているくらい名の通った人物なので、ある程度身元ははっきりとしている。この場合の身元っていうのは、本当にトルニスという名の人物が、冒険者として存在し活動していることを確認できるという意味での身元だ。
十中八九、こいつも第三王子派の息が掛かっているだろう。
あの依頼を受けたと話すということは、少なくとも第三王子につこうとしている人間。そういうことだ。
敢えて依頼を受けながら、裏切って第五王子に付く気満々の私の方が異常なのである。
人斬りサイコパス殺人鬼を舐めてはいけない。
大量殺人をやらかす大義名分のためなら自ら死地に飛び込むくらいは平気でする。
手加減する余裕が無かったとか殺した言い訳も簡単に効くしね。
「君、可愛いね。何処から来たの?」
ミヒャエル王子に出稼ぎの青年が絡んでいる。
元から変装すれば可憐な美少女にしか見えなかったミヒャエル王子は、さらに奴隷市場で女装男娼として調教を受けたために、匂い立つ女としての色香すら纏うようになった。
性別を勘違いするのも無理はない。
「今までルートリーマの叔母を訪ねに行っておりまして。カステルラントに帰るところですわ」
笑顔のまま、ミヒャエル王子はすらすらと嘘八百を並べる。
最初の方こそ生真面目な性格が目に付き、態度に余裕が見られなかったミヒャエル王子も、出発する頃にはすっかりふてぶてしい態度を取るようになっていた。
「もうちょっと可愛げが残れば良かったんだけどねぇ」
「ホホホホ。マガツ様ちょっと黙ってくれませんこと? わたくし今でも貴女にされた仕打ちを根に持っていますのよ?」
あくまで笑顔で、でもちょっぴり額に青筋を浮かべて私に文句を言ってくるミヒャエルは、あくまで淑女らしく清楚に振舞っている。
これでもマッドベアに「今すぐにでもルートリーマの路地裏で娼婦として働けるな!」と爆笑させた逸材なのだが、本人の努力もあって色っぽさはあれども開花してしまった淫猥さは上手く隠されているようだ。
「いえ、今でもミシュエラ殿はとても可愛らしいです!」
完全に真っ赤になった顔でミヒャエル王子を褒める青年は、自分が話しかけているのが少年とはいえ女装した男だとは微塵も思っている様子がない。
あ、ちなみにマガツっていうのは私の名前ね。もちろん偽名だ。
そもそも私は本名を誰にも話していない。カステルラントの人間にも、ルートリーマの人間にも。もちろんマッドベアにもだ。
この世界での私はサイコパス殺人鬼のマガツ。それ以上でもそれ以下でもない。
偽名の由来は日本の神様だ。禍津日神とか、そういうの。御利益あるかな。
「護衛の冒険者様方。残りの道中、引き続きよろしくお願いいたします」
巡礼のシスターが私たちに声をかけてきた。
「報酬分の働きはきっちりするよー」
「おう、任せとけ」
へらりと笑った私から見て、馬車の反対側で馬を駆る護衛の男、トルニスも人相が悪い顔を歪めて笑みを浮かべた。
でもまあ、こいつはいざ事が起きれば裏切るんだろうなぁ。
「おいアンタ、アンタもこの依頼の裏を知ってるんだよな?」
思った側からトルニスが持ち場を放棄してこっちにやってきて内緒話を持ちかけてきた。
いきなり持ち場を放棄するなよ……。
襲撃が八百長とはいえ、緊張感が無い奴だ。
「知ってるよ、もちろん」
「じゃあ、目撃者も全員始末することになってるのも知ってるな?」
「当然」
死者は語らず、何も聞かず、何も見ず。ただしアンデッドを除く。
死人に口なしとはよく言ったもので、第三王子側の刺客の襲撃の際は、恐らくミヒャエル王子だけでなく、出稼ぎの青年と巡礼中のシスターも殺されるだろう。
どうせ死ぬならドサクサに紛れて私が殺したい。二人とも強そうには見えないし斬ってもつまらなさそうだから、助けられるなら助けてもいいけど。
「なら話は早い。あの変態してる女装王子はともかく……おい、何笑ってるんだ」
「ああ、いや、ごめん。変態してる女装王子っていう言葉の破壊力が思ってたより強くて。続けて」
思わず吹いてしまった私は、トルニスに話の先を促した。
いやあ、不意打ちで聞くと辛い。
変態してる女装王子。凄いパワーワードだ。
確かに、あの化けっぷりは変態的だ。事情を知っている私でも男の姿を忘れそうになる。
「……まあいいが。むざむざ若い女を死なせちまうのはもったいないからな。助けたい。手を貸せ」
「その心は?」
「犯して奴隷商に売り払う」
「良心的ね」
私が本心から言うと、トルニスは変な顔をした。
嘘じゃない。ルートリーマ路地裏で暮らしている者からすれば、殺されないだけで咽び泣いて喜ぶ。
その理由は、殺人鬼な私によく出会うからだが。
「とにかく、襲撃が起きたら何とかシスターだけは死守するぞ」
「ミヒャエル殿下はどうするの?」
「男だろ。どうでもいい。犯りたきゃ好きにしろ。だが最後には殺せよ」
トルニスの奴、完全にミヒャエル王子のことは見捨てること前提で話してるな。
私は返答の変わりに、トルニスに承諾の意を込めてひらひらと手を振った。
もちろん私はミヒャエル王子を殺すつもりなんてない。むしろトルニスを裏切る気満々である。だってこいつそこそこ強そうなんだもん。是非この手で殺したい。
親指を立てて、トルニスがニヤッと笑った。
私を含め、クズばかりである。
殺しやすい環境で幸せだなぁ。
■ □ ■
襲撃は、カステルラントの城下町まであと数日というところまで進んだ辺りで起こった。
馬車はその時森の真ん中を走る道を通っていて、出し抜けに森から矢が飛んできた。
真っ先に御者が狙われ、矢の直撃を受けて御者席から転げ落ちた。
私と馬車に当たりそうな矢のみを刀で斬り払っておく。
トルニスも自分に向かってきた矢を剣で危なげなく防いだ。
「御者がいない以上、馬車は持ちません。ミシュエラ、馬には乗れますか?」
「乗れますが、恥ずかしながら走らせるのは無理ですわ」
「私も乗馬の経験はあまり……」
馬車に身を寄せて尋ねると、中からミヒャエル王子と巡礼のシスターの頼りない返事が返ってくる。
この期に及んで演技を解かないとか、王子の胆力凄いな。
「僕は一応できます。村で馬を育ててましたから」
意外なことに、出稼ぎの青年は乗馬経験があるようだ。
じゃあ、彼については最初だけカバーして、後はある程度後回しでいいかな。
馬がある分逃げ回れるだろうし。
「そうですか。では馬の確保をお任せします。できるだけ急いで。飛んでくる矢は心配しないでください。全部斬りますから」
急かす私に頷き返し、緊張で強張った顔で、青年が馬車から馬を外して飛び乗る。
鞍も鐙も無いのに、青年は見事に馬を乗りこなした。
騎馬民族の出身なのだろうか。そういえば彼の身の上も、シスターの身の上も、ろくに聞いていない。
青年に注意が集まっている隙に、私はミヒャエル王子に囁いた。他の誰にも聞こえないように。
「貴方の味方はこの場に一人もいません。お気をつけください」
「なっ……」
「トルニス、私たちは殿下たちの護衛をしながら王都カステルラントへ向かいましょう。襲撃者を誘き出します」
「おう」
何か言いかけたミヒャエル王子の声を掻き消すように声を張り、トルニスに方針を伝える。
返事をするトルニスはいやらしい笑みを浮かべて不安そうにしているシスターを視姦していた。
これだから男って奴は……。
襲撃者はどう動くだろうか。
青年目掛けて狙撃された矢を無造作に斬り払う。
一発では駄目だと悟ったか、次々に矢が飛んできた。
その全てを叩き落す。
動体視力には自信がある。矢の風切り音だってもう覚えた。
私が居る限り、矢なんて何発射ろうが無駄だってことを教えてあげよう。
お手並み拝見といこうじゃないか。