第二話
私が異世界であるこの世界、ヴァンデルガルドへ召喚されたのは、三年前のこと。
中学時代に起こした殺人事件が原因で医療少年院に送られていた私は、極めて模範的な態度で生活を送っていたために、高校への進学に合わせ特別な計らいで仮出所することができていた。
お世話になった教官たちには今でも感謝している。私が外面だけでも真人間になれたのは、彼らのお陰だ。生憎、私がサイコパスであるという一点だけは変わらなかったけれど、それは仕方ない。サイコパスはサイコパスなりに、他人に迷惑を掛けないようにひっそりと生きていくしかない。
進学した高校はよくも悪くもそれなりのレベルで、生徒の種類も優等生から不良までピンキリ。私は優等生の方に属していた。
サイコパスで殺人経験持ちな私が品行方正な優等生というのもおかしな話だけれど、保護監察中だったので当然だ。そうでなくても理由なく非行に走るつもりなんて当時の私にはなかった。
苛められている同級生を庇ったり、それが原因で苛めの標的になったり、いつかを彷彿とさせる出来事が重なって衝動的にクラスメートを殺したくなることもあったけれど、幸い私を担当する保護司が良い人で、頻繁に面接の時間を設けてその度に相談に乗ってくれていたから、中学の時と違って致命的に暴発することは無かった。
これは我ながら良い傾向だったと思う。かつて加害者だった私も、これから被害者になるかもしれなかった彼らも、つまらないことで人生を滅茶苦茶にされずに済んだのだから。
しかしある日、私はクラスごと異世界ヴァンデルガルドへ召喚されてしまった。
私たちを召喚した国はカステルラントという国で、魔法技術が他国より発達していたものの国土自体は狭く、領土の全てが拡大政策を取っている四つの強国に隣接していて、常に他国の侵略に怯えている状態だった。
そんなカステルラントが侵略への対抗策として打ち出したのが、発達した魔法技術による、勇者召喚だ。
大人数を一度に召喚し、その中で選別を行い、選ばれた者を勇者として戦力とする。言うことを聞かせるのは、物欲や色欲を満たすことによる勧誘、魔法や薬物による洗脳と様々な方法があり、割とどうにでもなる。
選別の方法は、一言で言えば蠱毒だ。
クラスメートを一つの空間に閉じ込め、全員分の武器とわざと全員が食い繋ぐには少ない食料を配給して飢えさせ、殺し合いをさせる。
召喚された私たちは、身体能力強化などの効果を付与するオーラを全身に纏うことができた。
オーラの特徴として挙げられるのが、直接手を下して殺した人数が多ければ多いほど、オーラが強化されるということ。まさに蠱毒そのものだ。
当然私もそれに巻き込まれ、初日に全員を斬殺した。
いや、全員というには語弊がある。少なくとも、最初の一人は私の箍を外す切欠になりはしたが、別の人間に殺された。大事な小太刀を保護司に預けていた私は、小太刀と引き離されて気が立っており、そんな中、配られた武器に一振りの刀があった。
最初の一人が、私の友人だった。高校で作れた唯一の友人が殺された。ただそれだけで、私は殺人欲求を抑え切れなかった。本質が変わらなかった私は、結局爆発するトリガーも変わっていなかったのだ。
殺したい理由が三つもあり、殺すことが許可されている以上、手を止める理由は無かった。
三年後の今、そんな懐かしい国の名前を聞いて当時のことを思い出した。
連絡をくれたのは、現在籍を置いている盗賊ギルドのギルド幹部だ。
紆余曲折あってカステルラントを出奔した私は現在カステルラントを囲む強国のうちの一つ、カステルラント西方のルートリーマに潜伏している。
勇者召喚を命じたカステルラントの王を脱出のドサクサに紛れてついうっかり斬殺してしまった私は、カステルラントの周辺国にも手配書が回されており、大手を振って外を出歩けない身だ。
そんな私を受け入れてくれたのが、ルートリーマの盗賊ギルドであり、幹部の通称マッドベアである。
本名は知らない。ただ、悪人ではあるけれど外道ではないということだけは知っている。
ギルドにやってきた私に、マッドベアが封筒を放って寄越した。
「おい、お前宛に指名依頼が来てるぜ」
空中でその封筒を掴み取った私は、差出人を見て、うげと顔を顰める。
「カステルラントの盗賊ギルド経由で王宮からじゃない。内容は……げ。勇者の選別監督依頼かー。嫌な事思い出すわね。胸糞悪くなる。っていうか、私お尋ね者なのに受けられるの?」
「受けるならカステルラントが指名手配を解除してくれるらしいぞ」
椅子に腰掛け、もう一つの椅子の背もたれに足を投げ出し、リンゴを噛み砕きながらマッドベアが私に意味有り気な視線を寄越す。
「マジ? 先王を殺した犯人なのに許してくれるの?」
「ちなみに炙り出しで裏面にもう一つ依頼が出てくる。確認してみな」
「は? どうしてそんな面倒くさい作りに……」
言われた通りに暖炉に依頼書を近付けて炙ると、確かにもう一つの依頼が浮かび上がった。
「んんん? カステルラント第五王子ミヒャエル殿下の似顔絵?」
「行方不明らしいぞ。噂ではこのルートリーマに潜伏してるらしいが」
描かれているのは、赤髪金眼の男の子。
髪の毛が違うけど、どこかで似た顔の子を助けたような気がする。
少し記憶を探って、すぐに分かった。
女装してた子だ。髪は染料で誤魔化せる。見事に訳有りだったようである。
「……最近見たことあるわ。この子」
「何だと? 何処でだ?」
「路地裏で偶然ね。ねえ、この王子の依頼はどっちから? 助ければいい? 殺せばいい?」
一応一度はこの手で助けた子だ。
私が三度の飯よりセックスより殺人が大好きな人斬りサイコパス殺人鬼とはいえ、助けたその手ですぐ殺すというのはもったいない。
別れた後で劇的に強くなってるとかそういうとんでも展開があるならホイホイ喜んで殺しに行くんだけどなぁ。
王族だし期待は薄そう。
「勇者選別依頼が第三王子派で、炙り出しの方の捜索及び護衛依頼が第五王子派だな。で、カステルラントの盗賊ギルドは日和見だ。依頼が成功さえすれば向こうとしてはどちらでもいいらしい。お前が選んだ方に肩入れするっていうのが向こうのギルドマスターの判断だ」
「……両派閥の力関係はどうなってる?」
「わざわざ片方が炙り出しになっていることから見ても、第三王子が優勢だな。第五王子派はそもそも第五王子自身が公務で辺境を回っている最中襲撃されて行方不明になっているから、ろくな動きが取れん」
「あー、だからルートリーマに居たのか。国境越えれば第三王子派も簡単には手出しできないものね」
得心する私に、マッドベアは口を歪めた。
「で、ここだけの情報だが王子が行方不明になっている間に第五王子派の貴族の大部分が離間工作を受けて第三王子派に既に鞍替え済みだ。つまり片方が第五王子派の依頼と見せかけて、両方とも第三王子派の依頼っていことだな」
「うわぁ、悪辣。ほとんど詰みじゃないそれ」
これはあれだ。
途中で第五王子をぶっ殺すから、護衛は名目上だけにして手出しするなよっていう。
個人的には、こういうのは好きじゃない。
弱いものいじめは好きじゃないし、どちらかといえばここで敢えて乗ったフリをして裏で第五王子に肩入れし、終盤に盤面を全部引っ繰り返す方が断然好みだ。
その際に好き放題斬り殺して回れるならなお良し。
「受けるか?」
「まあね。趣味と実益を兼ねてるし。好きに殺す相手を選んでいいのは気が楽だわ」
「どっちを受けるんだ?」
「決まってるでしょ。両方よ」
依頼書を見ても、マッドベアの話を聞いても、私はどちらかの王子に肩入れしなければならないみたいだけれど、どちらかの依頼しか受けてはいけないとは言われていないし、そんなことが書かれた一文も無ければ話も聞いていない。
つまり裁量は全て私に委ねられた。
私は人斬りサイコパス殺人鬼。ならばするべきことは、殺人だと相場が決まっている。
でも、その合間に少しばかり慈善事業を挟んでも、別に構わないと思うのだ。
■ □ ■
数日後。私は奴隷市に来ていた。
「やあ少年。五日振りだね。まさか奴隷になっているとは思わなかったよ。お陰で探し回って路地裏に無駄に死体を量産してしまったじゃないか」
目の前の檻の向こうでは、美しく女装した可憐なミヒャエル殿下が虚ろな目で男の調教師に身を預けている。
せっかくこんな目に遭わないように大通りに送り届けてあげたのに、君に何があったんだ。
ていうか、男だって知ってるのに少女にしか見えない。しかも凄く可愛い美少女だ。解せない。
「お客様、お目が高い! その奴隷は最近入荷したばかりでございまして、男娼として仕込んでいる最中でございます! 数日お時間を頂ければ、最高の状態に仕上げてみせますよ!」
「私は盗賊ギルドの使いとして来ている。この少年を引き取りたい。構わないね?」
寄ってきた奴隷商人に盗賊ギルドの引渡し状を見せて、少年の身柄を渡してもらう。
奴隷市は盗賊ギルドが全て取り仕切っている。
この市場の人間で、表立って盗賊ギルドに逆らう輩は居ない。そんな輩は、次の日には動物の餌にでもなっているからだ。
愛想笑いを引き攣らせた奴隷商人からミヒャエル王子殿下を回収した私は、とりあえず盗賊ギルドに戻ることにした。
女装しているミヒャエル殿下は激しい調教が施されたためか、仕草が完全に女性のものになっている。通りすがりのチンピラに尻を撫でられて、咄嗟に完璧な女声が出てしまうくらいの仕上がりだ。
これでまだ途中とかマジか。あの奴隷商人腕良いな。
何を勘違いしたか奴隷商人がサービスで飾り立ててくれたから、どこからどう見ても美しい深窓の令嬢にしか見えない。可愛い。駄目だ。笑っちゃいけない。
ちなみに王子の尻を触った不届き者はただのゴロツキだったので私が斬り殺した。数少ない殺人チャンスである。逃しはしない。
ルートリーマの路地裏では殺人は日常風景として闇に葬られる。浮浪者や犯罪者が屯している路地裏での出来事だ。殺人など真新しくもない。毎日とは言わずとも、頻繁に起きている。まあ、その二割くらいの犯人は私だが。
「ぶぁっはっは! 護衛対象の王子が依頼を受ける前にまさかの性奴隷落ちかよ! こりゃ面白い!」
報告を聞いたマッドベアは古傷だらけの厳つい凶相を歪めて大笑いした。
数日間とはいえ、奴隷の烙印を押され異例の女装男娼として仕込まれる羽目になったミヒャエル王子殿下はギルドの隅で体育座りで丸くなってこちらに背を向けている。
思いっきり背中が煤けていらっしゃる……。少年は一つ大人になったのだ……。
慰めてあげよう。
「まあ、元気出せ、少年。命があっただけでも儲けものだよ。死ななきゃ安い」
「……この数日間は形容し難き地獄であった。路地一本変わるだけであそこまで治安が下がるなど、今でも信じられぬ」
振り向いたミヒャエル殿下の小さな口から漏れるのは、あの中性的な少年の地声。
私が今日見つけた時は公開調教の真っ最中だったのだが、その時は地声よりやや高めの繊細な女声で喘いでいた。
軽やかで濁りの無い綺麗な声だった。男が出しているとは思えなかった。
どんな調教だったかはミヒャエル殿下の尊厳のために伏せておく。
性奴隷だったので内容はお察しだ。
「ま、大通りが華やかな分、路地裏には俺たちみたいな悪人がうようよ居るからな。堅気が路地裏に踏み込むもんじゃねえ。授業料だと思え」
「姿を隠すには、あそこが一番良いと聞いたのだ……」
「間違っちゃいないけど。自分の身を守れること前提の話よ、それ」
「殿下の格好で身を守れるとは思えねえから、間違いなく確信犯だなそいつは。まあ俺でもそうする。騙して売り飛ばす。出歩くにしても、こいつと知り合いなら護衛を頼めば良かったものを。路地裏を歩き回るなら、無報酬でも嬉々として死体を量産しながらついていくぞ。清楚な顔立ちのくせに、俺たちの中でもとびきりイカレた女だからな」
マッドベアとは付き合いが長いし、公私共に世話になっているのでお互い性格は良く知っている。
悪人であることに間違いはないが、こう見えてマッドベアは案外部下に対する面倒見が良いし、表の人間に対しては割と紳士だ。
ちなみにルートリーマの路地裏に潜む紳士淑女たちは、迷い込んできた堅気の人間を誘拐して身包みを剥ぎ、奴隷商人に売る。
出会い頭に殺したりしないので彼らは立派な紳士淑女なのである。
紳士淑女の基準低いな!
「ちょっとマッドベア。いきなり酷い言い草じゃない? 私そんなに殺人狂じゃないわよ?」
「殺人鬼を自称する女が何を言ってやがる。何より初対面でいきなり部下を皆殺しにされて殺されかけたことを俺は忘れてねーぞ。長い髪を振り乱してお前が笑いながら襲ってくる姿を、今でもたまに夢に見るんだ。どうしてくれる」
「それはお前らが先に襲ってきたのが悪いんだろ!」
「あーあー聞こえねえなぁ」
耳の穴を穿りしらばっくれるマッドベアにイラッとした。
当時、カステルラントから逃げてきたばかりで何も知らずにルートリーマの路地裏に迷い込んだ私を、こいつは盗賊ギルドのメンバーと共謀し誘拐して奴隷商人に売りつけようと襲い掛かってきたのだ。
まあ、マッドベア以外は全員私が斬り殺し、マッドベアまで殺しかけたところでお互いの立場と事情を知ったのだが。
結局この件はマッドベアが部下を殺されたことを不問に処すことを条件に、私がルートリーマ盗賊ギルドでマッドベア直属の部下となってマッドベアに賠償金を納めることで手打ちとなっている。
路地裏で家まで借りて暮らせるようになったし、私としては悪い条件じゃないので概ね満足だ。
「とりあえず、私が君のカステルラントに入って王都カステニアに着くまでの護衛を担当することになったから。短い付き合いだけれど、これからしばらくよろしくね」
「……ああ、よろしく頼む」
「じゃあ、もう一度奴隷市場に戻って調教を再開しましょう。全工程終了してから改めて女装すれば王子になんて見えなくなるわよ。変装に持ってこいだわ」
「な、何!? 私にあの場所へ戻れと言うのか!?」
「だっはっはっは! 頑張れよ坊主!」
嫌がるミヒャエル殿下を引き摺って盗賊ギルドを出て行く私の背後で、マッドベアが上機嫌に大笑いしていた。
え? 私の選択が酷過ぎる?
私は人斬りサイコパス殺人鬼なので、殺さない時点で十分配慮してあげてるんだけどなぁ。