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お迎え兄さん

 翔と市ノ瀬は救急隊員によって担架に乗せられ下山した。

 美咲はやってきた地元の廿日市南署の婦人警官に付き添われて、山を降りていく。


 西崎は聡介と和泉が脇を固めて、周は不本意そうだが、駿河と一緒に下り坂を歩いた。

 平地に降り立つと規制線が張られていた。すっかり日は暮れ、報道関係者や野次馬がしきりにフラッシュを焚いている。

 無事に西崎を護送車に乗せた頃、野次馬達をかきわけてやってきた背の高い男性が一人いた。

「美咲!」

 彼は制服警官の制止も聞かず、黄色いロープをくぐると、真っ直ぐに美咲の元へ走り寄る。辺りは暗かったが、カメラのフラッシュで和泉はしっかりとその男性の顔を見た。


 初めて見る顔だ。

 整った端正な顔立ち。美咲と並んでいれば美男美女で似合いの夫婦であろう。

 もしや彼が藤江周の兄で、美咲の夫だろうか?

「無事で良かった……!」と、彼は美咲を抱きしめた。

 どうやら間違いないようだ。

 

 しかし、一瞬のことだったが和泉は見逃さなかった。

 夫の腕に抱かれた美咲の表情を。

 例えは悪いかもしれないが、痴漢にあった女性が恐怖のあまり声を出せずにいる、そんな困惑と動揺の入り交じった顔だった。

「やめろよ、みっともない」冷静な声で弟が言う。

 すると彼は妻を離して、それから和泉達の方を向く。

「警察の方ですか? 私は美咲の夫で藤江賢司と申します。これはいったい、何が起きたのですか? 教えてください」

「……いずれにしろ奥さんには詳しい話を聞かなければなりません。ご主人も同席なさってかまいませんので、我々と一緒にいらしてください」

 わかりました、と藤江賢司は答えた。

 最終便のフェリーで本土に戻り、廿日市南署に関係者が到着する。

 

 歩いている間ずっと、賢司は美咲の手を握って離さなかった。


 そしてどういう訳か周はずっと、苦い物を飲み下したような顔をしている。

 美咲はといえば、駿河に負けず劣らず能面のように無表情を貫いていた。

 

 警察の事情聴取に対し、藤江美咲は順を追って丁寧に説明してくれた。


 女将もそうだったが彼女もまた聡明な女性だ。恐怖に怯えてまともに話もできない、などということもなく、淡々とありのままの事実を話してくれた。

 そうして彼らを解放したのは午後9時を回った頃だ。



 警察車両ではなく覆面パトカーというのだろうか。

 警察が用意してくれたごく普通の乗用車に乗せてもらって自宅マンションに辿りついたのは午後10時近く。

 日常とはまったくかけ離れた出来事に周はぐったりと疲労感を覚えた。

 家の鍵を取り出してドアを開ける。すると二匹の猫達が揃って駆け寄ってきた。

「ごめんな、長い間留守にして」

 周は喉を鳴らして擦り寄って来るメイを抱き上げる。プリンの方は美咲の足元で切なげに、にゃ~と鳴き、スリスリと頭を擦りつける。


 その時だ。

 美咲が口元を手で押さえる。次いで嗚咽が漏れた。

「……義姉さん?」

 美咲は三毛の子猫を抱き上げると自分の部屋に駆け込む。

 

 やがて。ドアの向こうから激しく泣き叫ぶ声が聞こえてきた。


 周は義姉の泣くところなんて見たことがない。

 それどころかいつも無理をしてでも微笑んでいたような記憶しかない。

 

 いったいどうしたのだろう。

 今になって恐怖感が襲ってきたのだろうか?

 

 自分だって決して平気ではなかった。目の前で人が撃たれた。銃声が聞こえた。

 そんな光景は、いたって平穏に暮らしている人間にしてみれば、恐怖以外の何物でもない。今までじっと耐えていたのだろうか。

 

 こんな時ぐらいしっかり慰めてやれよ。

 そう兄の賢司に向かって言おうとした周は、信じられないものを見た。

「……どこ行くんだよ?」

 賢司が靴を履き、再び外に出ようとしていたのだ。

「決まっているだろう、仕事に戻るんだよ。実験を途中で放り出してきたんだ」

 空いた口が塞がらない。

「冗談だろ?」

「僕は冗談なんか言わない」

「……ふざけんなよ!!」

 周は賢司の手を掴んだ。

「離してくれないか」

「人前では優しい旦那を演じておいて、家に戻った途端これか?! 義姉さんは俺なんかよりもずっと、怖い目に遭ったんだよ!! 訳もわからないまま、あんな恐ろしい事件に巻き込まれて……こんな時、傍についててやらなくてどうするんだよ?!」

「君がいるだろう? 周。僕の代わりに」

「俺は義姉さんの夫じゃない、義弟だ! 代わりにはなれない!!」

「……大きな声を出さないでくれないか? 頭が痛くなる」

「絶対に行かせないからな!!」

 

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