全国26万人
「いいか、今度同じことしたら本当に追い出すからな?! ベランダ伝いに隣家に侵入するなんて、下手したら懲戒免職ものだぞ?!」
現役警察官が住居不法侵入で逮捕されました、なんて、目も当てられない。
「ごめんニャさい……」
こいつ、今年でいくつになるんだっけ? 聡介は眼の前が暗くなるのを覚えた。
いい歳をした大人の男が、猫で顔を隠して『ごめんニャさい』って……。
しかし和泉の方は本気で反省しているのかいないのか、子猫をあやして遊んでいる。
「まさかお前、その猫さらってきたんじゃないだろうな?」
「何言ってるんですか、預かってくれって頼まれたんですよ」
本当か? と聡介は思わず疑いの目で息子を見た。
「この子、妬いちゃってるんですよ。ご主人様が新しい猫ちゃんを拾ってきたものだから」
ね? と、和泉は子猫に向かって話しかける。
「わかるなぁ僕、この子の気持ち。新しい部署に異動したら、なんか弟みたいなのが増えちゃって……聡さんは僕だけのお父さんだと思ってたのに……あれ、なんでそんな顔してるんです?」
頭痛がする。
幼子や娘のファザコンなら、微笑ましくて頬も緩むというものだが。
「悪いことは言わない、彰彦。早く次の……」
お嫁さんを探せ、と聡介が言おうとするのを遮るように、和泉が口を挟んだ。
「葵ちゃんのことなんですけど」
「……駿河がどうかしたのか?」
「いえね、以前、着替えを取りにここに戻った時……なんだか様子がおかしかったんですよ。この近くで、探してる人に似た人を見かけたって」
「探している人?」
「詳しいことは教えてくれませんでしたよ。でも、気になるでしょう?」
確かに気になる。駿河は聡介の部下の中で唯一、そして一番真面目な人間だ。
和泉のことは言うまでもないが、駿河のこともまた実の息子のように思っている。
彼にとって同じ部署で同じ仕事をする仲間達はみな、本当の意味で『身内』なのだ。部下達がどう考えているかは謎だが。
「まさかとは思いますけど、彼、その為に警察に入った訳じゃないでしょうね。その気になれば全国26万人の『身内』に探してもらうことができるんだから」
警察に失踪届を提出して、果たしてどれほど真剣に探してもらえるものか。
中には自分の意志で蒸発する人間もいる。日本全国にいる警察官が約26万人いるとして、同じ警官仲間という『身内』の家族なら、少なくとも民間人の家族よりは親身になって探してくれるだろう。
和泉はそういうつもりで言ったに違いない。
「身内……か」
聡介は呟いてふと、かつて妻だった女性のことを思い出した。
あの時は県警中の警官が別の意味で必死になって彼女を『探した』ものだ。結局、今でもみつからないけれど。
失言だったと気づいた和泉は息を呑んだ。そして、
「すみません……」
聡介は何も答えなかった。
「それより、晩飯にするぞ」
食卓を整え、食事を始めると二人とも無言になった。
遊ぶのに疲れたらしい子猫はうろうろと家の中を歩き回った後、ソファの上に丸まって目を閉じた。
「ところで彰彦、お前本当に反省してるのか? 昼間のこと」
後片付けをしながら聡介は言った。
「してますよ、ちゃんと」
昼間のこととは和泉が聡介を怒らせた原因のことだ。