不審者あらわる:2
午後10時。ようやく仕事から解放された。
美咲は風呂につかりながらボンヤリと天井を眺めた。
明日は早めに帰ろう。旅館の仕事も楽しいけれど、やはり弟と猫達に会いたい。
そういえばお隣の親子を招待しようという話になっていたのに、全然日程が決まっていない。なんだか忙しそうで、メールをしたけれど、まだ返信がない。
いったいどんな仕事をしているのだろう?
風呂から上がって美咲は従業員専用寮に戻った。それは旅館のすぐ裏手にある。
彼女は仕事で戻ってきた時も『実家』ではなく、従業員用の部屋に寝泊まりすることにしている。
経営者で総支配人である伯父と顔を合わせるのがとにかく嫌だからだ。
伯父の寒河江俊之と言う人は口を開けば美咲の両親である弟夫婦のことを悪く言う。
いくら被害者とは言え父の事件は大スキャンダルには間違いなく、その上、美咲の母もかつて大きな問題を起こした。
夫婦が二人で揃って旅館のイメージを大きく傷つけたと伯父は言うのだ。それは間違いないが美咲自身に罪はない。
そもそも伯父は昔から弟と折り合いが悪かった。だから実家に戻っても、できる限り関わり合いにならないよう気を遣っている。
寮は二人部屋だが、今のところ一人で利用することができる。
美咲が手提げ袋から部屋の鍵を取り出し、鍵穴に挿そうとした時だ。
人の気配を感じた。続いてガタン、と何かが倒れるような音。
まわりに人はいない。その上、辺りは暗い。
どうしよう。
そういえば昨夜女将が言っていた。不審者が出るから気をつけてって、駐在さんから連絡があったと。
美咲は全身が震えるのを感じた。
「……ぅ……」
呻くような声が聞こえた。
どうやら男性のようだ。
とにかく、駐在さんに連絡をしなければ!!
美咲は携帯電話を取り出そうとした。
しかし、にゅっと伸びてきた手に手首を掴まれた。悲鳴を上げてしまう。
その時「サキちゃん?!」と、後ろから孝太の声が。
「孝ちゃん!!」
仕事は終わったのだろう。普通の服に着替えていた彼は、男性用従業員専用寮に帰るところだったらしい。
自転車を道端に停めて慌てて駆け寄ってくれる。
「どうしたんだ?! 何があった!」
暗いので相手の顔はよく見えない。
しかし、掴んだ手を離すまいと必死なのはわかる。
孝太は美咲の手を掴んでいる相手を身体ごと引き摺り、薄暗い街灯の光が届く範囲まで移動させた。
そしてアスファルトの地面の上に人が倒れているのが確認できた。
灯りに照らされて浮かび上がったのは、髪を金色に染めた若い少年。周と同じぐらいの年代だろうか。腕に鎖のようなアクセサリーを巻き付け、耳にはたくさんピアスが刺さっている。どう見ても堅気の少年ではない。
「……ず、水……」少年の口から掠れた声が漏れた。
「わかったわ、持ってくるから手を離して」
少年はようやく手を離してくれた。
孝太に見張っているよう頼み、美咲は急いで部屋の中に入った。
コップに水を汲んで元の場所に戻る。金色の髪をした少年は奪うようにしてコップを受け取り、一気に飲み干す。だいぶ衰弱しているようだった。
「なんだ、ガキじゃないか」
さっと少年の目に怒りの色が走った。しかし孝太はひるまない。
何しろ彼は今の旅館に就職する前、広島県内で少しは名の知られた暴走族の一団を率いていたのだ。
「お前、こんなところで何しょうるんじゃ。親は?」
「……」
返事はない。不貞腐れている訳ではなく、もしかして空腹なのではないだろうか。
「ねぇ、孝ちゃん。もしかしてお腹が空いているんじゃないかしら?」
そうなのか? と孝太が訊ねると少年は頷いたようだった。
「厨房になんかあったかな……」
「私、見てくるわ。孝ちゃん、私の部屋に入ってて」
美咲は部屋の鍵を孝太に渡し、それから急いで旅館に戻った。




