不審者あらわる
この頃は日の出が早くなった。
翌日の早朝、新聞配達のバイクとすれ違いながら、美咲は旅館からほど近い、小高い丘の上に立っていた。観光客もまったく足を踏み入れないこの場所は幼い頃から美咲のお気に入りだった。
眼下に潮の穏やかな瀬戸内海が広がり、天気の良い日は江田島、四国の方まで見える。
彼女は昔から何かあると、必ずそこへ行って海を眺めた。
日が昇るのをいつまでも見守ることもあれば、沈むのをじっと見つめたこともある。
そろそろ帰らないと。旅館の仕事は早朝から始まるのだ。
美咲が足早に坂道を降りていると、曲がり角のところで危うく自転車とぶつかりそうになった。
「ご、ごめんなさい!!」
「はぁー、びっくりした……って、サキちゃんか」
相手は駐在さんと呼ばれる、宮島唯一の駐在所に勤務する警察官である。美咲のことを幼い頃から知っている人だ。
そろそろ定年を迎えるであろう巡査部長は制帽をかぶり直すと、
「元気にしとるかね? 毎日、忙しそうじゃのぅ」
「ええ、まぁ」美咲は曖昧に微笑み返す。それから「そういえば昨日、女将から聞きました。不審者が島に入り込んだっていう話。どんな人なんですか?」
駐在さんは少し悩んだ顔を見せた後、
「……それがのぅ、詳しいことは言えんのじゃ……」
「どうしてですか?」
「まぁ、いろいろあってな。でも、あんたも島の人間なら、観光客かそうでないかぐらい見分けはつくじゃろ?」
それじゃ、と駐在さんは再び自転車に跨って走って行く。
不審者なんてあの人がいたら、きっとすぐに見つけ出して捕まえてしまうだろう。
美咲はふとそんなことを考えて首を横に振った。
考えても仕方がない。忘れなければならないのだ。
宿泊客の朝食が済むと順次チェックアウトが始まる。
その後片付けと部屋の清掃、今日の予約客のために出迎えの準備をする。団体客の予約は入っていないが、個人客で部屋は埋まっている。
準備に追われていたらチェックインの時間になってしまった。
チェックインは午後3時から。その客は午後3時を待っていたかのように旅館へやってきた。
「サキちゃん、ご指名よ」
女将の里美に声をかけられて美咲は驚いた。
「ご指名って……」ホステスじゃあるまいし。
「冗談よ。でも、どうしてもサキちゃんがいいってお客様が言うのよ」
誰だろう? 自分を名指ししてくる客に思い当たる人などいない。
不思議に思いながら美咲がロビーへ向かうと、スーツを着た中年男性が一人でソファに腰掛けていた。
お待たせいたしました、と声をかけると男性が振り返る。やはり知らない顔だ。
「それでは、お部屋にご案内いたします」
美咲は男性のボストンバッグを手に歩き出した。
用意した部屋に案内し、一通りの説明をする。男性客は黙って聞いていた。
彼は他に連れのない1人旅のようだった。
今でこそ一人旅はごく普通の、女性でも気軽に楽しめるものとなったが、やはり旅館側としては少し警戒してしまう。それというのも自殺の恐れがあるからだ。
自殺者が出た部屋は当然値打ちが下がってしまう。
しかし、この男性にはそのような兆候は今のところ見られない。




