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おもてなし

 昔は社員旅行や新人研修で旅館を利用する客も多かったが、今はほとんどない。

 バブル景気が弾けた後は、円高の影響で多くの日本人が海外旅行に流れてしまった。

 

 かつて新婚旅行と言えば熱海だったが、栄華を誇ったそこの温泉旅館も数多くが経営難で倒産したと聞く。

 この『御柳亭』もこのままではきっといつかそうなる。

 経営者である藤江美咲の伯父の寒河江俊之はワンマン社長で、他人の意見に一切耳を貸さない人間だった。

 古い経営体制に加えて、時代の流れを読めないサービス不足、何よりも利益重視で、もてなしの気持ちがほとんどない。

 

 その内、経営状態はすっかり傾き銀行からの融資もついに断られるようになった。

 大幅な人員削減、コストカット。そうなると従業員達も黙っていない、

 どうにも身動きが取れなくなった時に、突然舞い込んできたあの話を受け入れて、どうにか旅館の経営は持ち直した。

 

 今では宮島が世界遺産に登録されたことで、観光客がぐっと増えたせいもあり、突然旅館は忙しくなってかつての繁栄を取り戻した。

 最近ではツアーの団体客が利用してくれることも多くなり、その中からリピーターができるという好循環も見られている。

 今日も団体客の予約が入っている。

 ゴールデンウィークから夏休みシーズンにかけては旅館にとって稼ぎ時である。

 

 藤江賢司との結婚を機に一旦『御柳亭』を退職した美咲だったが、繁忙期にはどうしても手伝いを頼まれることとなる。

 客室の準備を終え、大浴場の掃除に取りかかる。

 身体中に汗をかくほど一生懸命に掃除をしてから、美咲は従業員用の控室に戻った。

 今の内に少し休憩を取っておかないと。夜は息をつく暇もないほど忙しくなるのだ。

 

 冷たいペットボトルのお茶を買って椅子に座ると、

「忙しいわねぇ、ほんとに」

 古くからこの『御柳亭』で仲居として働いている荒木淑恵あらきとしえが話しかけてきた。

 そうね、と美咲は返事をする。

「けど、忙しいのはありがたいわよね。商売繁盛してるってことだから」

 彼女は仲居歴20年以上になるベテランだ。美咲にとって親しい仲間でもある。

「……サキちゃんのおかげね。ありがとう」

 淑恵はそう言ってまた仕事に戻った。

 

 団体客の夕食は午後6時半から。

 約100人を収容できる大広間に椅子とテーブルを並べ、料理と飲み物を運ぶ。客の食事が終わったら今度は後片付けが始まる。

 仕事を終えて、気がつけばもう午後9時を回っていた。

 

 今からならまだ本土に戻るフェリーが運航している。

 実家であるこの旅館にいるよりも、周のいる広島市内のマンションに戻りたい。

 

 先日、弟は少し様子がおかしかった。

 あの子は基本的に内面がすぐに表に出る。もっともすぐに元に戻ったようだが。

 何も言わないから、何が原因なのかわからない。

 原因がわかれば対処のしようもあるというのに。

「え、サキちゃん。今から帰るの?!」

 女将である寒河江里美が驚いて言った。

「うん。だって、周君のことが心配だから……」

 女将の里美と美咲はまったく血の繋がりはない。

 が、互いに実の母子よりも強い絆で結ばれている。

 だから美咲は隣室の男性二人が、まるで顔立ちは違うのに親子だと言っていた時、何も不思議には思わなかった。

「心配なのはあなたの方よ、こんな遅い時間に」

 大丈夫よ、と言いかけた時、電話が鳴った。

「はい、あら、駐在さん……え、そうなんですか? わかりました」

 通話を終えた女将の里美は美咲を見つめると、

「やっぱりダメよ、サキちゃん。今夜はこっちに泊まりなさい」

「どうして?」

「今、駐在さんから連絡があったの。昨日から島に不審者が入り込んだらしいわ」

 

 里美に背中を押される感じで、美咲はその夜結局、実家に泊まることになった。

 周に連絡をすると『ふーん』とだけ返事があった。少し拗ねているようだ。

「寂しいなら、和泉さんに泊まってもらったら?」

 冗談のつもりで美咲が言うと、しばらくの沈黙の後に電話が切れた。

 余計なことを言ったかしら? 美咲は早くも後悔していた。

 

そうだ、賢司にも連絡をしておかなければ。

 向こうが気付くかどうかは問題じゃない。ちゃんと連絡をしたという事実が一番大切なのだ。

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