食えない男
マンションに戻り5階の共用廊下を歩いている時だ。
がちゃ、と隣室のドアが開いて中から男性が出てきた。
こっちの人が『高岡さん』だ。年齢はたぶん自分の父親ぐらいだろう。
生きていれば、の話だけど。
周が挨拶すると微笑んで挨拶を返してくれる。
が、和泉を見た途端、なぜか険しい表情になった。
「どこに行ってた?」
「病院です」
「病院? お前、どこか具合悪いのか……?」
眉間の皺はすっと消えて、代わりに心配そうな表情に代わる。
「いえ、具合悪いのはこの捨てられてた子猫ちゃんです」
和泉は周の持っている段ボールの中を指差す。
ぶちっ、と何かの切れる音がしたような気がした。
「彰彦、俺の血圧を上げてそんなに楽しいか?」
そりゃ怒るのも無理ないよな……周は父親の方に同情した。
「だって、どこに行ってたかって聞かれたから正直に答えただけじゃないですか。なんでそんなに怒るんです?」
「動物病院って答えろ!!」
確かに。和泉さんて人をくったような受け答えをする人だなぁ、と周は思った。
「あ、あの!」思わず周は二人の間に割って入った。「和泉さんは、俺が拾ってきた子猫を助けるために、動物病院に連れて行ってくれたんです」
「聡さん。彼は周君っていうんですけど、僕がこの寒い中外に閉め出されて、凍えそうになってたところ、自分の家に上げてくれたんですよ?」
「すまないね、このバカ息子が迷惑をかけて」
どうやらお互いに本当の親子のように思っているようだ。
「ところで、僕はまだ中に入れてもらえないんですか?」和泉は言った。
『高岡さん』は少しだけ間を置いてから、
「……反省したか?」
「反省だけなら猿でもできますって」
和泉はヘラヘラと笑って答える。
「今夜一晩、そこの廊下で寝ろ。言っておくが彼に迷惑はかけるな」
この人って……周は珍獣を見る思いで、和泉の横顔を見つめた。ドアが閉まる。
「周君が迷惑だって思わなければ問題ないのかな?」
そういう展開になるのか? と思ったら、
「ぐぇっ……! そ、聡さん! ぐるじい!!」
ドアが再び開いたかと思うと、和泉は父親に襟首を掴まれ部屋の中に引き摺り込まれようとしていた。
「変更だ。お前は今夜一晩、ベランダで寝てろ」
「ひどい! 幼児虐待だ!! 児童相談所に訴えてやる!!」
「安心しろ、お前はもう立派な中年だ。幼児じゃない」
ぽかん、と周は父子の遣り取りを見つめた。
ごそごそと腕の中に抱えていた段ボールが揺れて我に帰る。
周は急いで自分の家に戻り、まず子猫を風呂場に連れて行った。
風呂桶にお湯を張り子猫を中に入れる。嫌がってミィミィ鳴くが仕方がない。
薬品を全身に塗って汚れを落とすと、実は三毛だったことが発覚する。
身体を洗ってタオルで拭き、ドライヤーで乾かすとふかふかの柔らかい毛並が戻ってきた。
それからリビングに連れて行ってスポイトで子猫用のミルクをやると、ものすごい勢いで飲んだ。
お腹が満たされたら眠くなったようだ。子猫は周の膝の上で丸まって目を閉じた。
「よしよし、ゆっくり休めよ」
子猫の頭を撫でながらふと周が目を上げると、柱の影から先住猫のメイがじとーっと穏やかならぬ視線をこちらに送っている。
どんな動物でもそうだろうが縄張り意識がある。しかしよくインターネットの動画投稿サイトでは、後から拾ってきた子猫と先住猫が仲良くしている映像が見られるから、きっと大丈夫だと思っていた。
「メイ。今日からお前の妹……いや、弟かな? 仲良くしてやってくれよ」
まだ子猫の性別確認はしていない。
メイはゆっくりと周と子猫に近付き、臭いを嗅いだかと思えば、いきなり飛びのいて全身の毛を逆立てた。
まずい。シャーと威嚇する音。
「おい……いてっ!!」周は伸ばした手を噛まれた。
メイはかなり興奮した状態でそろそろと子猫に近付くと、猫パンチを喰らわせようと後ろ足で立ち上がる。
その時だった。