九十八話 水魔精 セアレウス
泉から出たイアンは、抱えていた少女を横に寝かせる。
裸であったため、ミークにイアンの家から毛布を持ってこさせる。
「ううむ…どうなったのだ? 」
毛布に包まれた少女を見ながら、イアンが呟く。
魔物となったはずだが、その姿は少女であった。
水色の髪は長く、イアンの髪の水色より、少し緑がかっていた。
「……魔物…の気配…いや、妖精の気配も……うーん…」
イアンよりも、こういったことに詳しいアルネーデも頭を悩ませていた。
「うっ…」
すると、少女が目を開けた。
「お、目を覚ました」
「…! イアン様、お下がりください」
アルネーデがイアンの前に身を乗り出す。
どういう存在か分からない少女に警戒していた。
「あ、あれ? ここは……」
少女は、体を起こすと周りを見回す。
「ううっ…何だか、体が……って、ええ!? 右腕が!? 」
少女は、右腕が人間のものであると気づき、その青い目を大きく見開かせる。
腰を触り、尻尾が無いことを確認し――
「か、顔も青くない…髪も水色に…」
泉の前に行き、水面に映る自分の顔を確認した。
「……うまく…いったようだな」
「ええ、どうやら、魔物と妖精…その二つをかけ合わした存在になったようです」
イアンの呟きに、アルネーデが答えた。
「この新しい種族に名前を付けるとしたら、水魔精…になりますか…」
「水魔精か…」
イアンは、水面に映る自分の顔を見続ける少女を見る。
少女は、魔物化してしまったが、イアンの協力により、魔物と妖精が融合した存在となった。
見た目は、人間と変わらず、少女の精神が体を動かしているようなので、今のところ問題はなかった。
「なにはともあれ、上手くいったようだな。どうする? 連れて行くのか? 」
イアンが、隣にいるアルネーデに訊ねた。
「はい。とても、特殊な存在になったことですし、我々で保護したいと思います」
アルネーデは、そうイアンに答えると、少女の元へ歩いて行った。
「……これで一件落着だな。ここは、あいつに任せて、オレ達は行くとしよう」
「へい…しかし、今日は疲れましたな」
ミークがイアンに近寄る。
「ああ…今日はオレの家で休むとしよう」
「それがいいですよ。へへっ…」
「なんで嬉しそうなんだ、おまえは」
笑うミークに、顔をしかめさせるイアン。
「待って! 待ってください! 」
泉を後にしようとしたイアンだが、少女が声で足を止める。
振り向くと、毛布に包まれた少女がこちらに向かって走っていた。
体が慣れていないのか、よろよろと転びそうな走り方をしていた。
「どうした? 」
イアンは少女に体を向ける。
「わたしを…あなたに仕えさせてください! 」
少女は片膝をついて、跪いた。
イアンは、少女の後方に経つアルネーデを見る。
(断られちゃっました~)
アルネーデの声がイアンの頭の中に響いた。
断られたというのに、何故か微笑みを浮かべていた。
「何故だ。アルネーデ…あいつと一緒に行けば良かろう」
「わたしは……あなたと共に冒険がしたいのです。ずっと…夢に見ていたかのように……」
少女は、儀式の最中のことを全く覚えていなかった。
しかし、その中で話を聞き、イアンに憧れた気持ちは、心の中に残っていた。
「……勝手にしろ…と言いたいが、仕えるか……オレは部下を持つつもりは無い」
「……なっ…! 」
少女が絶望に打ちひしがれたような顔をする。
「では、別の関係ならばよろしいのですね? 」
アルネーデが近づき、少女に助け船を出す。
「いや、関係とか別にどうでも……むぐっ!? 」
近づいてきたアルネーデがイアンの口を手で塞ぐ。
アルネーデが微笑みながら、少女を見る。
「どうでしょう…仕えるのではなく、この方の妹になられては」
「い、妹ですか!? 」
アルネーデを見る少女の顔は、驚愕の色に染まっていた。
「むぐ…ぐぐぐ」
(おまえ、どういうつもりなのだ? )
イアンが、アルネーデに向けて念じる。
(まぁまぁ…この娘、イアン様にとって何か重要な存在になる予感がするのです。近くに置いておいたほうがよろしいかと)
(だが、妹はないだろう。ロロット達のように勝手にすればいいのだ)
(いえ……もうそんなことは言っていられない状況になるかもしれません。イアン様には、固い絆で結ばれた存在が必要になる…と思います)
イアンの頭の中に、神妙なアルネーデの声が響く。
(……また、それか)
(すみません)
アルネーデの申し訳なさそうな声が、イアンの頭の中に響く。
(…………手を離してくれ、これから妹となりうる存在か試す。オレがダメだと判断したら、おまえが連れて行けよ)
(分かりました。それでいきましょう)
アルネーデの手がイアンの口から離される。
イアンは、自分の顔をみる少女の目を見据えた。
「この日まで、オレは何度も死にかけたことがある。他の冒険者達よりも、危険な状況にあってきた自信がある。これからも、それは変わらないだろう。それでも、おまえはついてくるのか? 」
「はい! どんなに厳しい状況でもあなたについていきます! 」
間を置かず、少女が答えた。
少女の瞳は揺れることなく、真っ直ぐイアンを見つめ続ける。
「そうか……」
イアンはそう呟くと歩き出し、少女の横を通り過ぎる。
「……? ……? 」
少女は疑問に思いながらも、跪いた状態でイアンの後ろをついていく。
すると、イアンが立ち止まり、腰のホルダーから戦斧を取り出した。
「では、この戦斧を何とかしてみろ。それができなければ、おまえを妹とは認めんぞ! 」
イアンが振り向き、その手に持った戦斧を振りかぶった。
「……!? 」
少女は、突然のことに驚愕し硬直してしまう。
そのうちに、戦斧が振り下ろされ始めた。
狙いは少女の頭。
今の少女に武器など無く、頭を真っ二つにされるのは避けようが無かった。
「……! 」
しかし、少女は諦めず、その表情が引き締まる。
この絶望的な状況を打開しようというのだ。
「はっ――!? 」
戦斧の刃を受け止めようと、手を動かした瞬間、少女は地面についていた自分の手に、固い何かが触れた気がした。
戦斧が少女の頭に迫る。
ガキィン!
少女の頭に戦斧が振り下ろされることはなかった。
彼女は、手元にあった固い何かを咄嗟に掴み、それを両手に持って戦斧を防いだ。
その固い物は、魔物の鱗によって、折られた戦斧の刃の部分であった。
「ふっ…」
イアンの口から笑みがこぼれる。
そして、戦斧をゆっくり上げ、ホルダーに戻した。
「よくやった。オレはおまえを妹と認めよう」
「…やった…あ、ありがとうございます! 」
少女が、イアンに向けて頭を下げる。
「うむ……で、名前はなんというのだ? 」
イアンは、自分の妹の名を呼ぼうとしたが、彼女の名前を知らないことに気づいた。
「わたしの名前は……ありません」
少女は、しばらく間を置いた後、自分に名前が無いことをイアンに言った。
「なに? 」
「水魔精…でしたか、別の存在になってしまった以上、前の名前は名乗れません」
少女は自分の胸に手を当てる。
「だが、前のおまえを知る者がいるだろう。そいつらのことはいいのか? 」
「……」
少女の脳裏に、自分を拾い育てた人物の顔が浮かんだ。
(すみません、先生…あなたのくれた名前を捨てることになります。わたしはもう、ミディエスと名乗ることはできません。お許し下さい…)
少女は、俯きながら涙を流した。
「お願いします…あなたの妹として、兄であるあなたから名前をください」
顔を上げ、イアンを見ながら、少女は言った。
「……前の名を聞かせてくれ…どんな名であったか気になる」
「……ミディエスです」
少女は、言うのを躊躇ったが、見据えるイアンの目が、言わないと名前をあげないと言っている気がして、口を開いた。
「ミディエス…」
イアンは、少女の名前であった言葉を噛み締めるように呟いた。
「……決まった。おまえの名前は、セアレウスだ」
しばらく、考えていたイアンの口が開かれ、そこから少女の新しい名前が出された。
「セアレウス……ありがとうございます、兄さん! 」
セアレウスは、イアンに向けて頭を下げた。
「うんうん、これで良し」
アルネーデが、うんうんと顔を頷かせる。
「ふぅ……で、本当にいいのか? 連れて行かなくて」
「はい。本人の気持ちを尊重すべきです。あと、お兄さんらしく彼女達をちゃんと導いてくださいね」
「はぁ…人を導けるほど、立派な人間じゃないのだが……ん? 今…」
「さて、私はこれでお暇しましょうかね。ではイアン様、また会う日まで」
アルネーデは、跳躍すると夜空の闇の中に消えていった。
「なんて跳躍力…もう行ってしまったのか」
アルネーデの跳躍力に驚愕するイアン。
「……今日は本当に疲れた。早く家で休もう。セアレウス、ついてこい」
「あっ…はい! 兄さ――ううっ! 」
イアンに近づこうとしたセアレウスだったが、足をもつれさせて転んでしまった。
「……ああ、体にまだ慣れていないのか。仕方がない」
イアンは、セアレウスに背を向け、腰を下ろした。
「乗れ。おぶってやる」
「え、ええっ! いいですよ! 自分で歩けます! 」
しかし、セアレウスは遠慮して、自分の足で歩こうとする。
「兄の言うことを聞かんか、おまえは」
「わわっ!? 」
イアンは、無理やりセアレウスを抱え、背中に回した。
「ここで無理をしてどうする? 素直にオレを頼れ」
イアンは、背負ったセアレウスに向けて、言い聞かせる。
「はい…ありがとうございます」
セアレウスは、抵抗をやめ、素直にイアンに従った。
「ははっ…」
そんな二人を見ていたミークの口から笑みはこぼれる。
「なんだ? 何かおかしいか? 」
「いえ、何でもありません。それより、早く行きましょう。朝になっちまいますぜ」
「…? ああ、そのつもりだ」
イアンはセアレウスを背負いながら、泉を後にした。
ミークの目には、二人が本当の兄妹のように見えたのだった。




