九十七話 少女の最後
暗くなった街道を月の光が照らす。
その光のおかげで、多少は明るくなっているが、人間からしてみれば暗く見える。
そんな中、イアン達はグリン森林を目指して歩いていた。
「♪~」
アルネーデがくるくると回りながら、道を進んでいく。
彼女は、暇さえあればこうして踊っていた。
時折、イアンに視線を向け、自分の踊りに対する評価を求めてくる。
「……」
イアンは、それに反応しなかった。
アルネーデの視線に気づかなかったわけではない。
反応したら詰め寄り、踊りについてあれこれ言ってくるからだ。
少し前にイアンは――
「真面目にやれ」
と、踊りやめるように言ったのだが――
「なっ……私の熱意が伝わらないと……ど、どのへんがいけなかったのでしょうか!? 手先が真っ直ぐ伸びてませんでしたか!? ジャンプした時によろめいていましたか!? 」
「うるさい、そういうことじゃない。離れろ、近い」
と自分の踊りについて指摘していると勘違いし、詰め寄ってきたのだ。
イアンはそれでうんざりしてしまい、もう反応すらしないのである。
「……ん? 魔物がこちらに来ますね」
ふと、アルネーデが声を出した。
「何体だ? ミーク、魔物が来たようだぞ」
「へい」
このような時だけ反応するイアンであった。
ミークは魔物に備え、腰で巻かれている鞭に手を伸ばすが――
「いえ、少数でございます。私一人で充分」
アルネーデが武器を取り出すのを制した。
「そうですかい。じゃあ、姉さんに任せようかね」
ミークは、伸ばした手を引っ込める。
「ふふっ……では、これから戦人の舞を披露しましょう」
アルネーデは、そう言いながら礼をする。
チャキ! チャキ!
それと同時に、袖の中にある剣を抜いた。
折った腰を戻した彼女の両手には、細い両刃の剣が握られていた。
「♪~」
そして、くるくる回ったり、飛び跳ねながら、イアン達が歩いていた進行方向に進んでいく。
「ギャ―!? 」
「ギィ―!? 」
「ガァ―!? 」
アルネーデが暗闇に消えた後、魔物達の断末魔が聞こえた。
「ふぅ…終わりです。いかがでした? 」
暗闇から戻ってきたアルネーデが感想を聞いてくる。
「と言われてもな」
暗闇で、アルネーデの姿が見えなかったため、感想の言いようがなかった。
「まぁ、先程から言っているように……モノリユスといい、おまえ達聖獣は強いのだな」
歩いていたイアンの前に、必要最低限に切り裂かれた魔物の死体が複数が現れた。
「お褒めに預かり、光栄の極み」
アルネーデがイアンに向けて礼をする。
彼女は、二本の剣を用いて戦う二刀剣術の使い手で、モノリユスに匹敵するほどの実力を持っていた。
「それで、舞いの感想を」
顔を上げたアルネーデがニッコリと微笑む。
「……」
イアンは、これさえなければと叶うはずもないことを考えていた。
フォーン平原の夜道を進むイアン達は、ようやくグリン森林の奥、泉に辿り着いた。
「では、イアン様、儀式について説明します」
アルネーデが泉を背にして、イアンに言った。
「あのぅ…俺はここにいてもいいのでしょうか? 」
ミークが、おずおずとアルネーデに訊ねた。
「構いません…が、このことは他言無用でお願いします。さもなくば……」
アルネーデが袖から剣を抜こうとする。
「うわわっ! 誰にも言わない! 誰にも絶対に言いませんから! 」
彼女の実力を目にしているミークは、必死にアルネーデにすがりつく。
「誓いますね? 破った時はどうなるか…」
「ひぃーっ!」
「その辺にしとけ、こいつが嘘をついていないことぐらい、最初から分かっているだろう」
イアンがアルネーデを諌める。
「えへへ…ちょっと、からかっただけですよ。ごめんね~」
アルネーデは、ミークを脅すふりをして遊んでいた。
「で、説明か……オレにする必要あるのか? 」
イアンは、アルネーデに問いかける。
ファトム山で儀式について、アルネーデに訊ねたイアンだったが、自分が聞いてもどうにもならないことにきづいた。
「申し訳ありませんが、イアン様に手伝ってもらうことになります」
アルネーデが申し訳なさそうに言った。
「オレに? オレは何をするんだ? 」
「私の力で、イアン様の……心の中と言えばいいのでしょうか…とりあえず、気づいたら少女と魔物が目の前に出てくると思うので……なんかいい感じにしてください」
「おい、説明が雑すぎるぞ」
アルネーデの説明が雑であったため、イアンが指摘する。
「だ、だって、色々言っちゃいけないことがあるし…」
そっちが素であるのか、砕けたものいいでイアンに言い訳をするアルネーデ。
「わかった。最終的にどうなるか…それを教えてくれ」
「それなら何とか。儀式がうまくいけば、この娘が妖精になります」
アルネーデが、イアンの腕の中で眠る魔物を指さした。
「妖精? 人間には戻せないのか? 」
イアンの顔が青くなる。
元の人間が戻れない少女を気の毒に思ったのだ・
「ええ…そうならなければ、この娘はずっと魔物のまま。そのうち、人間であったことも完全に忘れて、本物の魔物になってしまうでしょう」
「……」
イアンは、黙ってアルネーデの声に耳を傾ける。
「しかし、妖精ならば魔物の力を抑えることができるでしょう。そうなれば、この娘は種族は妖精になりますが、姿は人間と変わりません。普通の人のように振る舞えるでしょう」
「そうか。妖精になったほうが、魔物になるよりはマシか……分かった。色々分からんことがあるが、やるだけやってみよう」
「ありがとうございます。では、そのまま少女と一緒に泉に入ってください」
イアンは、魔物を抱き抱えながら泉に入っていく。
夜の泉は、一段と冷たくなっている。
イアンは、その冷たさに顔を歪ませる。
魔物も水に浸かるが、起きることはなかった。
「これでいいか? 」
二の腕まで水に浸かったイアンが、アルネーデに問いかける。
「はい。では、儀式を始めます」
アルネーデはそう言った後、泉の前で踊りだした。
普段の彼女は、踊っている時に笑みを浮かべていたが、今の彼女は笑みを浮かべることなく、神妙な面持ちをしている。
アルネーデの踊りを見ていたイアンは、次第に眠くなり――
「……ん? 」
何故か、泉の前にいた。
目の前には、自分が入っていたはずの泉が広がっている。
「ああ、ここか」
イアンは、すぐに自分が別の空間にいることが分かった。
今の彼のいる空間は、雲も無ければ太陽もない空間で、昼間のように明るかったからだ。
「いつもは死にそうになったら、ここに来れるが…これも儀式とやらのおかげか」
イアンが動き出そうとすると――
(どうです? ちゃんと入れましたか? )
頭の中に、アルネーデの声が響いた。
(ああ、謎の…泉がある空間にいる。この状態でも通信ができるのだな)
(はい、このとおりちゃんと繋がります。それで、イアン様、少女と魔物の姿は見えませんか? )
アルネーデにそう言われ、イアンは周りを見回す。
すると――
(いたぞ……しかし、どっちか分からない)
イアンは、何かを見つけた。
それは、イアンから少し離れたところで腰を下ろし、ぼんやりと泉を眺めていた。
(……もしかして)
思い当たることがあるのか、アルネーデの声が頭に響く。
イアンは、その声に焦りが含まれていた気がした。
(ああ、少女の姿をしているが、いたるところが魔物のようになっている)
泉を眺める者は、少女の姿をしているが、顔の半分は青く、右手は異形のもので、腰のあたりから尻尾が生えていた。
それは、少女と魔物の精神が混ざりあっていることを意味していた。
(そう…ですか。そこまで魔物化が進んでいましたか。すみません、私がファトム山にいなければ…)
この少女の状態では、もう助けることができないらしく、アルネーデが自分を責め出す。
(いや……そう…だな。だだ、今は悔やむ時ではない。まだ、オレにできることはないか? )
イアンは、彼女を責めることなく、どうにかできないかアルネーデに訊ねる。
(もうあの娘の魔物化はどうすることもできません。せめて、まだ少女の部分があるのなら、完全に魔物化するまで話相手を…お願いします)
(分かった)
イアンは、腰を下ろす少女の元へ歩いて行った。
少女はイアンが近づいているのに気づいていないのか、泉を眺め続けている。
少女の隣まで、イアンは来たが、彼女は何も反応しない。
掛ける言葉が思いつかないイアンは――
「隣、いいか」
と少女に訊ねて、腰を下ろした。
そして、少女のようにイアンも泉を眺める。
「綺麗な…泉があると聞いてので、それを見に来たのです」
おもむろに少女の口が開かれた。
イアンが、泉で魔物と戦っている時に聞こえた声と同じであった。
「長い間、眠っていたのでしょうか。いつの間にかここにいて、こうして泉を眺めていました」
「そうか」
イアンはこちらから訊ねることなく、少女に相槌をうつ。
「本当に綺麗な所です。なんだか、ワクワクしてきました」
「……ワクワク? なぜ、そう思う? 」
訊ねることはしないつもりであったが、思わず少女にどういうことか聞いてしまった。
「ふふっ…何か…物語が始まる感じ…というのでしょうか。そういう雰囲気がありませんか? 」
「そう…だな」
自分が魔物化しつつあるのに、楽しそうに喋る少女。
イアンは、何とも言えない気持ちになる。
「来てよかった……生きてる間に、この光景を見ることができて…」
少女はため息を吐き出すかのように、声を出した。
自分が魔物化し、人間ではなくなるのに気づいているようだった。
そして、立ち上がろうとする。
自分の存在を消すかのように、ここから立ち去ろうとしていた。
「待て」
そんな彼女をイアンが止める。
「オレの話も聞いてくれないか? 」
「はぁ…」
少女は、再び腰を下ろした。
イアンは、これまでの自分の冒険と戦いを少女に語った。
話し始めた当初、ぼんやりと聞いているだけの少女であったが――
「えっ!? それで、どうやってその窮地を脱したのですか!? 」
と目を輝かせながら、イアンの話しを聞くようになった。
イアンが話し始めてから、しばらくの時が経ち、イアンは話し終えた。
今日の出来事までを話し終えたのである。
「面白かったです! 特に、主人公が窮地に陥り、そこから大逆転するところが最高でした! 」
話し終えたイアンに感想を言う少女。
「主人公……オレのことか…」
本の感想を言うように言ってきた少女に、苦笑いを浮かべるイアン。
その後、少女は立ち上がることなく、泉を眺めだした。
イアンが話したおかげか、彼女に何かしらの変化があったようだった。
「……嫌だ」
しばらくすると、少女が顔を俯かせた。
イアンは、それに気づき、少女に顔を向ける。
「わたしは…死んでしまうのでしょう? 」
その問いはイアンに対して言ったものなのか、定かではないが――
「そう…とも言える。おまえは、完全な魔物になってしまうのだ」
イアンは、少女の問いに答えた。
「……死ぬのはいいです。でも、何もなせないまま死ぬのが嫌なんです! 」
少女は立ち上がり、泉の中に入っていく。
「なっ!? おい! 何をする気だ」
突然の少女の行動に、驚愕するイアン。
「どうせ死ぬのなら、最後まで抗って死にます! 」
少女はそう言うと、体に力を入れ――
「うわああああああ!! 」
と叫びだした。
「自暴自棄か? どうするべきか」
イアンが泉に入ろうとした瞬間――
ザアアアアアア!
少女から、禍々しい炎のようなものが溢れ出した。
「あああ…ギッ…アアアアア!! 」
少女の声も魔物のものへと変化する。
(アルネーデ!あいつが力みだしたら、体から何かが溢れ出し始めた! )
イアンは、アルネーデに状況を伝えた。
(えっ!? それは自分から魔物化を早める行為です! なんで、そんなことを…)
困惑するアルネーデ。
(もう止められないのか! くっ…アルネーデ、妖精化をさせるにはどうすればいい!? )
(イ、イアン様、もうこの時点では、あの娘を妖精化させることは……それより、儀式の中断――)
今の状況で、少女が魔物化してしまえば、イアンに被害が及ぶ危険があった。
そのため、アルネーデは儀式を中断しようとしたが――
(いいから、教えろ! )
イアンは、まだ続けるつもりであった。
(しかし……ぐ…危険になったらすぐ中断しますからね)
イアンの気迫に押され、アルネーデは妖精化について、説明する。
(今の状況では難しいと思いますが、あの娘に触れてください)
(その後は? )
(念じてください。内容は何でもいいです)
(分かった)
イアンは、叫び続ける少女に顔を向ける。
「最後まで抗うと言っていたな。オレもやれるだけやってやるぞ」
イアンは、少女の禍々しい炎に押されながらも、前に進む。
そして、少女の元に辿り着き、その肩に手を置いた。
(最後まで付き合おう。おまえの最後、このオレが見届けてやる)
イアンは、少女に向けて念じ始めた。
例え、もう助からないとしても、何もせずにはいられなかったのある。
(ありがとうございます。最後に、あなたの名前を聞いても? )
念じ続けるイアンの頭の中に、少女の声が響いた。
(オレは、イアン。イアン・ソマフだ)
イアンがそう念じた後、そこの空間での彼の意識は途絶えた。
「……!?…ぷはっ! 」
イアンは泉の中におり、息をするため、水面から顔を出した。
「イアンさま! 」
「ふぅ…無茶なことを…私が儀式を中断していなければ、あなたも危なかったのですよ」
ミークと、踊るのをやめたアルネーデが泉の前にやってくる。
「中断……そうか…」
イアンはその言葉で、少女が魔物になっていまったのだと知らされる。
当然、アルネーデもそのことを知っており、暗い顔をして顔を俯かせる。
「……ん? 魔物に…なった…よな? 」
何故か再確認するイアン。
「ええ、いずれ目を覚まし、暴れまわるでしょう。早く、その魔物から離れてください」
アルネーデがイアンに、魔物から離れるよう促す。
「う、うーむ? オレが今抱えているのは一体…」
イアンが、アルネーデに体を向ける。
「どうし……へ? 」
アルネーデが間の抜けたような声を出す。
「あれ? 儀式ってやつは、上手くいったんですかい? 」
イアンが抱えているものを見たミークが、アルネーデに問いかける。
イアンが抱えているのは、水色の髪をした少女であった。




