九十六話 踊り好きな聖獣
太陽が真上を通り過ぎ、数時間の時が過ぎた。
魔物を背負うイアンは、カジアルに続く街道を歩いていた。
途中、魔物が暴れだし、まともに歩くことが出来なくなることがあった。
その時は、魔物が落ち着くまで、腰を下ろしてじっとするしかなかった。
「ふぅ……やっとここまでこれたな」
イアンが、南の方に体を向ける。
その方向には、ファトム山が見えた。
ここを真っ直ぐ進めば、ファトム山に辿り着き、頂上まで上ることができる。
「もう昼過ぎか……どうします? 町まで走って何か買ってきましょうか? 」
ミークがカジアルの方に指を差す。
「……帰ってくるまで、どれくらいかかるか? 」
「走って来るんで、そんなに時間はかからないと思います」
「ふむ…」
イアンは、考える。
ファトム山は、魔物を引き寄せる場所で、多くの危険な魔物が生息する。
そのため、夜に山を上ることは控えたかったのだが――
(リュリュを呼べばいいか…)
という考えが浮かび上がり――
「頼む。その間にオレは、山のふもとの前まで行き、そこで休憩する。近くに来たら声を上げてくれ」
ミークに食べ物の買い出しを頼んだ。
イアンが休憩場所に定めた山のふもとに辿り着いて、しばらく時間が経ち、食料を買ってきたミークと合流した。
ミークが買ってきたのは、パンであった。
イアンとミークはパンを頬張る。
魔物は最初、パンに口を付けることを拒んでいたのだが、空腹には勝てなかったのか、イアンの置いたパンを囓り始めた。
「やっと食い始めたか」
「ふぅ…パンが無駄にならなくて良かったぜ」
イアンとミークは、ようやく魔物がパンを食べてくれたため、安心する。
「よし、こいつがパンを食べ終わったら出発だ」
「へい」
イアンとミークは、パンを食べる魔物を見ながら、食べ終わるのを待った。
(……そういえばこいつ、元は人間の子供だったな。しかも女…)
イアンは、地面に置かれたパンを犬のように食べる魔物を見て、そう思った。
(…………今は魔物の姿だし、まぁ、いいだろう…うむ)
一瞬、世間体を気にしたイアンだが、今の彼女の姿を理由に、もう気にしないことにした。
その後、魔物がパンを食べ終えるのを見届けると、イアンは魔物を背負い、ファトム山の頂上を目指して出発した。
山を登り始めて数時間。
イアン達は山の中腹付近に辿り着いた。
辺りは夕日によって、赤く照らされる。
魔物を背負うイアンの歩く速度は、普段より遅いため、数時間で山頂に辿り着くのは不可能だった。
この頃になると、魔物は暴れることはなくなった。
「ギャウ……ギャウ…」
むしろ、申し訳なそさな鳴き声をしていた。
「ふっ…さっきまでは暴れていたくせに」
それに気づいたイアンは、魔物に向かって意地の悪い笑みを浮かべる。
「ギャ、ギャウ…ギャウ…」
イアンが怒っていると思ったのか、魔物の声は更に申し訳なくなり、目からポロポロと涙を流しだした。
「イアンさま、可哀想ですよ」
「うっ…悪かった。ほれ、オレが悪かったから泣き止んでくれ」
イアンは、体を揺すって魔物をあやす。
その時――
「……! ギャウ! 」
魔物が泣くのを止め、前方に向かって吠えだした。
「なんだ? 」
「イ、イアンさま、魔物です! 」
ミークが前方に指を差した。
イアンがその方向に目を向けると、そこにはかつてイアンとプリュディスを苦しめたスィルンと――
「伏せろ! ミーク」
「うわわっ! 」
伏せたイアンとミークの頭上を通過したファトムデビルであった。
地面に伏せているイアン目掛けて、スィルンの鋭い爪が迫る。
「あぶねぇ! 」
素早く立ち上がったミークが、鞭を放って、スィルンの爪を弾いた。
スィルンは体勢を崩すことなく、伸ばした前足を自分の体の下に下ろす。
「助かったぞ、ミーク」
「いえ…しかし、空を飛ぶあいつはどうにもできませんぜ! 」
再び接近してきたファトムデビルに、ミークが鞭を放つが、体を傾けて躱してしまう。
「くっ…リュリュを……くそっ! 」
リュリュを呼ぶために、通信に集中しようとしたが、スィルンが爪を伸ばし、イアンの通信の妨害をする。
「これでは、リュリュを呼ぶことが出来ない! 」
イアンは、魔物を背負っているため、武器が振れず、攻撃を避けることしかできなかった。
「このっ! どっちかを早く倒さねぇと」
ミークは、空から迫り来るファトムデビルとイアンを襲うスィルンを交互に見ながら、鞭を振る。
スィルンに放った鞭はイアンへの攻撃を防ぎ、ファトムデビルに放った鞭は当たらなかった。
ミーク一人では、二体はおろか一体も倒せそうになかった。
「ギャウ! ギャウ! 」
突然、イアンに背負われていた魔物が鳴き声を上げた。
そして、ファトムデビルが舞う上空に顔を向けると――
「ギャーウッ! 」
ピュー!
口から水を吐き出した。
水は細長く伸びながら、ファトムデビル目掛けて飛んでいき――
「ガアッ! 」
ファトムデビルの頭を貫いた。
頭を貫かれたファトムデビルは羽ばたくことができず、地面に落下する。
確認するまでもなく、ファトムデビルは絶命していた。
「今のは…魔物の力か! 何はともあれ、よくやった。ミーク! 今だ! 」
「分かりましたーっ! 」
ミークは大声で返事をすると、両手に持つ二つの鞭をスィルンの爪に目掛けて振るった。
鞭はそれぞれ、スィルンの右前足と左前足に絡みつく。
「おりゃああああああ!! 」
ミークは、そのまま鞭を振り上げ、スィルンを上空へ投げ出した。
彼は、そのまま鞭を下ろし、スィルンを地面に叩きつけようと思っていた。
しかし――
チャキ! チャキ!
「ああああ…へ? 」
「……!? な、なに! 」
鞘から剣を抜いた時の音が聞こえたかと思うと、上空に投げられていたスィルンの体に、十字状の光が灯った。
その後。スィルンは四つの肉片になって落ちてきた。
あまりにも奇怪な現象が起こり、硬直するミークとイアン。
「ふぅ…危なかったですねぇ~」
そんな二人の様子を気にすることなく、二本の剣を両手に持つ女性が近づいてきた。
その女性の髪は白く、長い髪は縛ることなくそのままである。
服装は全体的に白く、踊りやすくするためか、かなりの軽装で、色々な装飾が施されていた。
中でも目立つのは腕の部分であり、鳥の翼を表現しているのか、袖の部分が大きく、女性の腕の振りに合わせて、ゆらゆらと揺れていた。
イアンが、彼女の外見で受けた印象は、白くて大きいサラであった。
「それにしても良かったです。私があと少しでも遅れていたら、あなた達は死んでましたねぇ」
その女性は、スィルンの肉片を剣で突きながら言った。
イアンはふと、視線の奥に何かがいることに気づいた。
それは、リュリュであり、岩陰からゲンナリしたような顔で、この白い女性を見ている。
そのおかげでイアンは、この女性の正体が分かった。
「いや~来てよかった。で、よろしければ私の踊りを見て欲しいのですが」
「……色々言いたいことがあるが、一つだけ…一応聞いておく」
それまで黙っていたイアンが、ようやく口を開いた。
「…? 踊って欲しいのがあるのかな? 」
「いや…おまえが、アルネーデか? 」
「おおっ! 私のこと知ってるの~…って、その髪の色! あなたこそ、私達が探し求めていた少女! やはり、この山にいたのね! 」
急に態度を変えたアルネーデが、目をキラキラさせながら、イアンに迫る。
「違う。その少女は、オレが背負っているほうだ」
イアンが、魔物に顔を向ける。
「ギャウ? 」
魔物は状況が分からず、首を傾げた。
「……えっ……これ…が? 」
アルネーデは、瞬きをしながら魔物を見る。
「はぁ…説明すると長くなるが……」
イアンは、どこから話したらいいか分からず、モノリユスと会った時のことから話し始めた。
イアンが説明している間、出会った当初の雰囲気とは違い、神妙な表情で耳を傾けるアルネーデ。
そして、イアンが話し終わった瞬間――
「イアン様…お会いできて光栄です。まだ生きていると、モノリユスに聞かされた時に、どれほど喜んだことか…ううっ」
とイアンに跪きながら、涙を流した。
「こいつらこればっかだな」
一度見た光景を一言で一蹴するイアン。
イアンは、話を先に進めたかった。
「色々あるのだろうが、今はこいつが先だ。モノリユスは、おまえに会えと言っていたが、この次はどうするのだ? 」
「ううっ…あっ! はい」
アルネーデは袖で顔を拭い、イアンに向けて顔を上げた。
「何もなければ、このまま彼女を連れて行くのですが、まず呪いをどうにかしなければいけません」
「ふむ、呪いを解くのだな」
「いえ、この呪いはもう解けません」
「なにっ? 」
彼女の言葉にイアンは驚いた。
「……えっ? 何です? どういうこと? 」
イアンがアルネーデにした説明を聞いていたミークだが、よく理解していなかったため、イアンが驚く理由も分からなかった。
「見たところ、この呪いは長く彼女に染み付いたもので、もう彼女の体から引き剥がすことができません。ですが、ある儀式を行うことによって、どうにかなるかもしれません」
「どうにか…その方法…儀式とは? 」
「その話しは、儀式を行える場所に行った時にしましょう。イアン様の御自宅、その近くにある泉に」
アルネーデが、グリン森林の方に顔を向ける。
「はぁ…また戻るのか。おまえがこんなところにいなければ……で、おまえは何でここにいたんだ? 」
「へ? い、いやぁ、中々この娘が見つからないので、町や村にはいないのではと思って…」
アルネーデが申し訳なさそうにする。
傍から見れば、反省しているように見える。
「嘘つけ。おまえ踊っていただろう」
「ギクッ! 」
イアンの言葉に、アルネーデが体を震わせる。
リュリュから話しを聞いていたイアンには、お見通しだった。
アルネーデは、ただ踊っていただけである。
「はぁ…モノリユスも大変だな。さて、山を下りて、泉に向かうぞ」
「あ…い、いえ、ただ踊っていたわけではなくて、その…えと…」
「お? 話が終わったみたいですな」
イアンが魔物を背負いながら、山を下り始める。
彼に続いて、言い訳をし始めるアルネーデと、ミークが続く。
ふと、イアンが振り向くと、リュリュが岩陰から出てきて、こちらに向かって手を振っていた。
イアンは、片手を上げ、リュリュに手を振り返した後、前を向いて歩き出した。
その時イアンは、背負われた魔物が眠っていることに気が付く。
イアンの背中に慣れてきた様子である。
「アルネーデ、先程こいつが魔物らしき力を使ったのだが、いいのか? 」
イアンがアルネーデに訊ねた。
言い訳を言い続けていたアルネーデが背筋を伸ばす。
「あまり使わないほうがいいですね。まぁ、儀式がうまくいけば、その心配もなくなりますよ」
「そうか…」
イアンは空を見上げた。
夕焼けの赤はそこにはなく、既に夜が訪れていた。




