九十五話 襲いかかる水流 迫り来る牙
魔物と対峙するイアンは、目の前の魔物をどう倒すかを考える。
倒すと言っても、相手は魔物化している少女である。
魔物を殺すことは、少女を殺すことになり、それは全力で避けるべきことであった。
従って、冒険者のジャモンとイオウには手を出させないよう、ミークに命令したのである。
しかし、肝心の魔物を倒す方法が思いつかなかった。
「シャアアアア! 」
倒す方法が思いつかないまま、魔物の攻撃が始まる。
イアン目掛けて跳躍し、その巨体で押しつぶそうとしてきた。
「ちっ! 」
イアンは、横に走って魔物の巨体を躱す。
そのまま、魔物の背後に回り込み、背びれに一撃をいれるべく、戦斧を振りかぶりながら跳躍した。
バチッ!
しかし、魔物の尻尾に叩かれ、イアンは大きく弾き飛ばされてしまった。
「くそっ! 」
イアンは、尻尾が当たる直前、戦斧で防御をしたため、致命傷を負うことはなかった。
ザザザザッ!
戦斧で地面を削り、飛ばされた勢いを殺しながら着地する。
次の攻撃を行うため、イアンが顔を上げた時――
パシャアアアア!
水流が槍となってイアンに襲いかかった。
槍の数は三本、それらが順番にイアンを貫こうと迫る。
一本、二本と躱すことができたが、最後の三本目は躱せそうになかった。
そのため、イアンは戦斧で水流の槍を叩き落とそうと試みる。
パシャ! シュウウウウ…
「なっ――!? 」
水流の槍は弾けたが、形を崩しながらもイアンの右腕に絡みついた。
絡みついた水流は、振り払うことができず、イアンは、魔物の元へと引きずられていく。
「イ、イアンさま…! 」
ミークは、イアンが劣勢であることに気づき、焦りの表情を浮かべる。
「おい! お前の仲間がピンチだぞ! 」
「早く、そこをどけ! 助けに行かなくていいのか」
ジャモンとイオウが、ミークにイアンを助けるよう促す。
この二人は、イアンのことなど心配していなかった。
魔物を倒したいがために、こうして訴えかけているだけであった。
「今……いや、俺はイアンさまを信じるぜ…おう、おめぇら! 絶対にイアンさまの戦いを邪魔させないぜ! 」
バシッ! バシィ!
「ぐっ!? こいつ、正気か!? 」
「わわっ!? この状況で…意味が分からない! 」
ジャモンとイオウは、ミークの鞭を受け、苦悶の表情を浮かべる。
こうして、二人の足止めが上手くいっているが、少し油断をしてしまえば、簡単に突破されてしまう際どい状況である。
「へへっ…」
ミークは、そんな状況でも、笑みを浮かべていた。
水流に引きずられているイアンは、逃れることなく魔物に近づいていく。
左手で、水流を振り払おうとするが、バシャバシャとする抜けるばかりで、イアンと魔物の距離はどんどん縮まっていく。
そして、イアンはとうとう魔物の元まできてしまい――
「シャアア…」
水流に持ち上げられたイアンを喰らおうと、魔物の口が開かれた。
「やむおえん。リュリュスパーク! 」
右手に持っていた戦斧を左手に持ち替え、イアンは迫っていた魔物の顔、その鼻先を右手で触れてリュリュスパークを放った。
「…!? ギャアアアアアア! 」
手加減無しのリュリュスパークを受け、魔物は大きくよろめいた。
そのせいか、イアンの右腕に絡みついた水流はただの水になって、地面に落ちた。
自由になったイアンは着地した後、戦斧の柄を両手で持ち、振りかぶりながら跳躍。
魔物の頭に目掛けて全力で戦斧を振り下ろした。
ガッ! バキッ!
「…か、硬い! 」
魔物の顔は黒い鱗に覆われており、戦斧を弾くばかりか、折れてしまうほど硬かった。
折れて弾けとんだ戦斧の刃の部分が、イアンの後方に落ちる。
「オレの…戦斧が……」
イアンは、右手に持つ柄の部分の木の棒を見てから、後ろに落ちた刃を見て愕然としていた。
その戦斧は、冒険者になると決め、旅立った日からずっと使ってきた戦斧であった。
「グッ…ギャオオオ…」
その時、魔物が苦しそうに身を悶えさせる。
「…! 効いたのか? 硬い鱗に弾かれたはずだが……待てよ。奴には打撃が効くのか? 」
イアンは、魔物に打撃が効くのではないかと思った。
斧は、その刃で切り裂くこともでき、槌のような破壊力を持つ打撃を与えられることもできた。
実際、魔物の硬い鱗は、斧による切断を防ぐことができたが、打撃によるダメージを防ぐことができなかった。
そのため、鱗の下にある肉まで打撃のダメージが伝わり、こうして魔物はよろめいているのである。
「今は考えている時間は無い」
イアンは、この魔物が痛がっている隙を無駄にしないため、動き出した。
ただの木の棒になった戦斧の柄を投げ捨てると、鎖を伸ばしながら鎖斧を取り出す。
鎖を両手に持ち、頭の上でグルグルと鎖斧を振り回す。
充分勢いがついた後、魔物に向かって鎖斧を投げた。
「グギャアア…!? 」
鎖斧が魔物の周りグルグルと回り、魔物に鎖が巻きついていく。
主に体の部分に巻きついていき、魔物の腕を拘束してしまう。
「ギ……!? ……! 」
鎖斧は、とうとう魔物の顔にさえ巻き付き、その大きな口を塞いでしまった。
イアンは、鎖で拘束された魔物の首の部分に飛び乗り――
「さて、このままこいつで叩きのめしてやろう。昏倒するまで殴り続けてやる」
ショートホークを右手で握り、その打撃部を魔物の頭に殴りつけ始めた。
「……! ギッ! …グッ! 」
イアンに、頭を殴りつけられ、魔物は苦しみ出す。
自分に乗るイアンを振り下ろそうとするが、彼は巻き付いた鎖に掴まり、一向に落ちる気配がない。
かといって、水流を操ろうにも、頭を殴りつけられて集中できず、為す術が無かった。
しかし、泉が魔物の視界に入り、魔物はそこに向かって飛び込んだ。
「なっ…こいつ! 泉にオレを引きずり込むつもりか! 」
魔物は泉に入り、大きな水しぶきが上がる。
泉に逃げた魔物であったが、鎖で体を拘束されているせいでうまく泳げないのか、バシャバシャと水面で暴れるだけであった。
それだけでも、イアンの攻撃を妨害するには充分で、彼は、魔物にショートホークを振れずにいた。
「くそっ……ぷはっ! これでは攻撃ができん! 」
イアンは、暴れる魔物にしがみつきながら呻く。
このままでは、やがてイアンの体力が底をつき、魔物と共に泉に沈んでしまう。
イアンは窮地に陥っていた。
(…ニゲテ……)
そんなイアンを案じているのか、魔物化しか少女の声がイアンの頭の中に響く。
(ニゲテ……モウヤメテ……シンジャウ……ニゲテ……)
その声は、イアンの頭の中に何度も響いた。
イアンは、少女の声を無視し続けていたが――
「いい加減にしろ! 逃げて逃げてと、それしか言うことしかできんのか! オレを助けたかったら、おまえも何か手伝え! 」
と、カチンと来たイアンが、声を荒らげて言い放った。
「これでいいのか、おまえは! 」
イアンの怒号は続く。
(……! ……ウウッ…)
しかし、イアンの怒号は少女に響いたようで、彼女の声から悔しさと――
(ウウアアああああああ!! )
不屈の意思が感じられた。
その少女の心の叫びが、イアンの頭の中で響いた時、魔物の体が大きく仰け反り、固まったかのように硬直した。
「……! やれば、できるではないか…! 」
イアンは、足で魔物の首の部分に掴まり、左手にもショートホークを持った。
「うおおおお! 」
そして、右と左のショートホークを交互に何度も、魔物の頭に打ち下ろす。
「……! ……! ……ギッ! 」
やがて、魔物の口の鎖が解かれていき――
「ギャアアアアアアアアア! 」
とうとう、魔物の口は開かれてしまったが、その魔物の口から出てきたのは、拘束を解いた喜びの声ではなく、敗北を象徴する絶叫であった。
ザッパーン!!
再び、大きな水しぶきが泉で起こる。
冒険者二人を相手に戦っていたミークが、水しぶきの音を聞き、そちらに視線を送る。
(イアンさま……終わったのか? )
一度目の水しぶきは、魔物が泉に飛び込んだものだが、今回の水しぶきは、何が起こったか分からなかった。
しかし、水しぶきがした後、魔物とイアンの姿が見えなくなり――
「はっはは! 魔物は倒されたぞ! イアンさまの手で魔物は倒された! もう、おめぇ達の仕事は終わりだぜ! 」
ミークは、イアンが勝利したのだと、対峙する二人に宣言した。
(うわぁ…どっちかわかんねぇけど…こう言うしか無い…イアンさま、無事でいてくれよ…)
内心は、どっちなのか分からず、不安の念を抱いていた。
「なにっ……くそっ! 泉の中でやりやがって! 倒した証を取ることができないじゃないか」
「俺達の邪魔をして……一体何を考えているんだ! 」
ジャモンとイオウは、泉に視線を向けながら、ミークに非難の声を上げる。
「ちっ! 腹いせにお前をボコボコにしてやりたいが……」
「今日は、やめだ! 行こう、兄貴」
そして、ジャモンとイオウは森林の外へ向かった。
二人の体のあちこちには、鞭で叩かれたような跡ができていた。
「へっ! さっさと行っちまえ! ……イ、イアンさま、イアンさまーっ! 」
ミークは、二人の背中が見えなくなったのを確認すると泉に向かって走り出す。
泉に目を向けると、先程の荒々しい戦闘の跡はどこにもなく、普段のように波打つことのない水面に自分の顔が映っているだけであった。
「イ、イアンさま、まさか負けたんじゃない…よな…」
その静けさが、ミークを余計に不安にさせる。
その時――
バシャア!
「ふぅ……」
イアンが泉から出てきた。
「イ、イアンさまーっ! 」
イアンの生還に、ミークは飛び上がりながら喜んだ後、彼の元へ駆けつける。
「ギャウ! ギャウ! 」
「って、うおっ! 魔物…? 」
ミークは、イアンに抱かれているものに目が入り、仰天して体を硬直させる。
イアンは、大型犬ほどの大きさの魔物を抱いていた。
小さい魔物は、イアンの腕の中で暴れている。
「ん? ああ、こいつか。殴っていたら小さくなった。凶暴ではなくなったが、逃げようとするのだ…こら、暴れるな」
魔物は逃げようとしているのか、イアンの腕の中で暴れ続ける。
「は、はぁ…とりあえず、これでいいんですかい? 」
「いや、まだ終わっていない。少し黙るぞ」
イアンは、ミークにそう言うと、モノリユスとの通信を試みた。
(モノリユス)
(はい、イアン様)
やはり、モノリユスはすぐに返事をした。
(おまえは、返事が早くて助かる)
(いえ、当然のことでございます)
モノリユス自信は、平然と言葉を返したつもりであるが、声が若干弾んでいた。
(魔物を倒したら、小さい魔物になった。どういうことだ? )
(倒しましたか。その小さくなった魔物は、少女が表に出た証でしょう)
(表? )
(少女の精神が体の主導権を握ったのです。さっき、イアン様が戦っていたのは、魔物の精神が体の主導権を握っていた姿でしょう)
(そういうことか )
イアンは、納得して頷く。
今の小さい魔物の姿は、本来の魔物化した少女の姿である。
(で、次はどうすればいいんだ? )
(少し待っててください。今、フォーン王国にいる仲間に連絡して、そちらに向かわせます)
(分かった)
モノリユスの声がしなくなって、しばらく経つ。
(お待たせしました! 申し訳ございません! あいつ…アルネーデと通信ができません! )
モノリユスの申し訳なさそうな声が、イアンの頭の中に響く。
(どういうことだ? それに、通信ができない状況とは? )
イアンが、モノリユスに訊ねる。
(は、はい。通信ができない状況とは、通信を遮断する特殊な環境か、本人が通信を受け付けない状況です。後者はあり…ありえません)
モノリユスの最後の方の言葉が詰まった。
アルネーデという人物ならやりかねないという印象をイアンは持った。
(特殊な環境を具体的に言ってもらえると助かる)
(はい。例えば、強力な魔物の瘴気に溢れる場所、魔族の結界内、危険地帯と呼ばれる場所…などです)
(ふむ、通信とやらも万能では無いのだな……ん? 危険地帯? )
その言葉に、イアンは思い当たる節があった。
(ファトム山……しかし、リュリュと通信することができたが…)
(以前にも言いましたが、妖精と聖獣とでは通信の方法が違います。もしかしたら、妖精にしか通信ができない環境かもしれません)
(そうか。少し待っててくれ)
イアンは、モノリユスにそう伝えると、リュリュとの通信を試みた。
(リュリュ! )
……デュン♪ デンデンデデンデン♪
再び、イアンの頭の中で、軽快なリズムの音楽が響いた。
(なーに? イアン)
リュリュのが返事をする。
今回イアンは、通信をした時に流れる音楽は聞かないことにした。
(リュリュよ。そっちに……白くて変な奴がいないか? )
(いるよ。頂上でくるくる回ってて、意味が分かんない。早く帰って欲しい)
(そうか。少し待っててくれ……モノリユス、白くて変な奴がファトム山の頂上でくるくるしているらしい)
イアンは、通信をモノリユスに切り替えた。
(あっ! そいつです! そいつで間違いありません! あいつ…)
モノリユスの呆れた声が頭に響いた。
(そうか。山から下りるよう、頼んでみる……待たせたなリュリュ)
再び、イアンはリュリュに通信を切り替えた。
妖精と聖獣を中継するイアン。
心の奥で、すごく面倒であると思った。
(何とかそいつに、山に下りるように言ってくれないか? )
(無理! 話しかけても聞かないし、リュリュの力で脅かそうとしても動じないし、リュリュはもうお手上げだよ! )
リュリュの声は、若干疲労が含まれていた。
本当にダメらしい。
(そうか……ありがとうリュリュ)
(うん、バイバーイ……)
リュリュの声は沈んでいた。
リュリュとの通信はここで終わる。
(モノリユス…オレは、これからファトム山に行く。直接行かないとダメみたいだ)
(なっ!? ほ、本当に申し訳ございません。見つけたら、一発殴っといてください)
モノリユスの通信はそこで終わった。
「よし…ミーク、カジアルに戻るぞ」
イアンは、一旦カジアルに戻って、準備をしてからファトム山を上ろうと思った。
「カジアル…あの町にこいつを連れて行くんですかい? 」
ミークに訊ねられ、イアンは、暴れ疲れてぐったりしている魔物に目を向けた。
この魔物の姿で町に連れて行けば、騒ぎになるのは確実だった。
「仕方がない…このままファトム山に向かうぞ。よっ…と」
イアンは、魔物に背負う。
ぐったりとしていたため、すんなり背負うことができた。
「少し我慢しろ。これも元に戻るためだ」
イアンが、魔物に言い聞かせるも、魔物は返事もせず、少女の声もしなくなった。
「…? 逃げようとする挙動といい、オレの言葉が分からないのか…」
「まぁ、イアンさまが何を考えて山に登るかわかりませんが、このミークがイアンさまを守りましょうぞ! 」
ミークが自分の胸をドンと叩く。
自分の手が塞がり、他に頼る相手のいないイアンにとって、今のミークはとても頼もしく見えた。
「ああ、頼んだぞ。では、行くとするか」
イアンは魔物を背負いながら歩き始めた。
その少女と見まごうほどの少年が、魔物を背負う姿は、とても異様に見えた。




