表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/355

九十三話 灰色

シロッツを出て数日間、ミディエスは一つの所に留まり続けていた。

彼女は、まだ生きており、死んでしまったわけではない。

かといって、安住の地に辿り着いたわけでもなかった。

シロッツより南に位置する村、その村の西側で、ひたすら土嚢を積み上げる仕事をしていた。

その村の名前はビタ村といい、シレコス川の近くにある村である。

シレコス川はギガリン山脈から、シロッツ目掛けて北へ伸び、シロッツに到達する数キロ前で西へ湾曲するため、バイリア大陸の西にその河口を持つ。

シコレス川は、大雨が降ると氾濫する時もあるため、ビタ村の西側に堤防を造り、溢れでた濁流からビタ村を守っていた。

しかし、数日前の大雨により、氾濫した川の水が堤防を超えることがあった。

幸い、氾濫した川の水位が堤防より少し高いだけであったため、被害が出ることはなかったが、万が一のために、こうして堤防の拡張工事を行っているのであった。

堤防は、積み上げた土嚢の上に、土を被せて固めたもので、拡張工事は堤防の上に土嚢を積み上げた後、同じように土で固めるつもりだ。

土嚢を運ぶ作業は、誰でもできる仕事であるため、放浪者であるミディエスにも受けられる仕事である。

その仕事の報酬は、一人200Qと安いものであるが、仕事さえまともに受けさせてもらえないミディエスにとっては、大金も同然であった。


「よい…しょ…」


堤防の上にいるミディエスは、肩に担いでいた土嚢を前に下ろした。

ロクな食べ物しか口にしていない彼女は、以前よりもやせ細っていたが、生まれ持った足腰の強さは衰えていなかった。


「おーい! 灰色ぉ! 今日はそれで終わりにして、降りて来い! 」


「はい…」


堤防の下にいるビタ村の村長が、ミディエスを呼んだ。

ここでは、ミディエスは灰色と呼ばれていた。

それは、ミディエスの髪の色が灰色であるのと、彼女が自分の名を名乗らなかったからだ。

今の自分をミディエスと呼ぶのは、ケドキロスから貰ったその名を汚してしまうと思ったのである。


「あっちで、炊き出しをやってるから行って来い」


下りてきたミディエスに、村長が言った。

ミディエスは、村長に頭を下げると、彼が指を差す方向に向かう。

そこには、多くの男達の行列ができていた。

どの男も身なりが貧しく、ミディエスと同じ浮浪者のようであった。


「次…はい次…」


行列の先には、汁物の入った器を男達に渡す恰幅のいい女性がいた。

その恰幅のいい女性の表情は険しく、嫌々やっているという印象を受ける。


「……」


ようやくミディエスの番が来た。

ミディエスは、恰幅のいい女性に向けて左手を差し出そうとしたとき――


「ああー腹減ったぜ! おいババア、早く飯を寄越せよ」


「あっ…」


ミディエスの後ろにいた男が、彼女の前に割り込んだ。


「…はいよ」


男の発言に恰幅のいい女性は、眉間に皺を寄せるが、その男に器を渡す。


「へへっ! この仕事はいいぜ! 金も貰えるし、なってったてタダで飯にありつけるんだからよぉ」


男は上機嫌で、この場を去っていく。


「どけっ! 邪魔だ! 」


「あうっ…!? 」


ミディエスは、更に後ろにいた男に突き飛ばされ、列からはみ出してしまった。

行列の感覚は狭く、もう元の場所に戻れないと悟ったミディエスは、行列の後ろに目を向ける。

行列は長く、再び最後尾に並ばなければならないと思ったミディエスは、途方にくれた。

再度並び直したミディエスだが、その日、彼女が汁物を口にすることはなかった。





 ミディエスが堤防拡張工事に参加して数日。

堤防は以前よりも高くなり、工事は土を被せる作業に移った。

そこで土を運ぶミディエスは、乗り気でない様子であった。

自分に対する待遇に不満を持っているのではなく、土嚢積み上げ作業に納得していないからだ。

ミディエスは、もう少し堤防を高くするべきだと思っているのだ。

それを村長に進言したのだが――


「……浮浪者のくせに、わしに異見するのか? 」


と一蹴されてしまった。

ミディエスが納得しないまま、工事は最終段階に入り、やがて完成へと辿り着いた。

多くの男達は、報酬を受け取ると、ビタ村から去っていったが、ミディエスだけは堤防の近くにいた。


(川の様子…おかしくないですか? 堤防を高くしたのに、まったく安心できません…)


ミディエスは、胸騒ぎがしたため、ここに残ったのであった。

そして、その胸騒ぎは的中する。

堤防が完成してから、三日も経たないうちに、大雨が振った。


「……これは、まずいかもしれません」


ミディエスは、堤防の下から川を眺めていた。

川の水位は、堤防の半分の高さになりつつあった。

ミディエスは、堤防から下り、早足でビタ村に向かった。


「村長! 村長! 」


村に入り、村長の家に辿り着いたミディエスは、ドアを叩きながら必死に叫ぶ。


「なんだ、こんな大雨の日に……って灰色か。はっ! 雨宿りにでも来たのか? 」


村長は、ずぶ濡れのミディエスを嘲笑する。


「違います! 今すぐ、村のみんなを連れて逃げてください! 川の水が……」


「はぁ? 堤防を拡張しただろうが。騒ぎを起こして、自分に構って欲しいいのか? 」


「違います! そんなんじゃ――」


「じゃあな]


村長は、ドアをバタリと閉めてしまう。


「村長! 村長! 」


ミディエスは、必死にドアを叩き続けるが、村長が反応することはなかった。


「くっ……このままでは…」


ミディエスは、顔を青くしてシレコス川の方を見る。


「堤防を高くして安心しきっている……絶対に大丈夫だと思い込んで、避難しないんだ」


ミディエスは、そう言った後、自分の左手に目を向ける。


「わたし一人に、川の氾濫を防ぐことができるだろうか……」



 ミディエスが、堤防に来た時には、その堤防の上から泥水が滴り、堤防の下に大きな水たまりを作っていた。

それは、川の水位が堤防の高さまで到達したことを意味している。


「もうこんな高さに…! こ、これ以上高くなっては――」


とミディエスが口を開いた時、堤防の上部、一つの箇所が決壊し、大量の泥水が吹き出した。


「くっ…」


ミディエスは、左手を突き出し、泥水の制御を試みた。

自分の作り出した水流と違って、自然が作り出したそれを制御するのは至難の技である。

ミディエスは、泥水の一部を止めることができた。

そして、制御しきれなかった泥水がミディエスに襲いかかる。


「うわっ…」


大量の泥水を被ったミディエス。

足を踏ん張り、なんとか倒れることはなかった。

大雨により、ミディエスについた泥はすぐに下へ落ちていく。

ミディエスは、制御に成功した泥水で、水の壁を造る。

これにより、一時しのぎの堤防の拡張を行い、川の氾濫を防ぐことができた。


「お、大雨が止むまで…耐えなきゃ…」


ミディエスは、全神経を水の壁の維持に捧げる。

体中に走る痛みも無視して。




 次の日の朝。

ビタ村は、川の水に沈むことはなかった。


コン! コン! コン!


村長の家のドアを叩く者がいた。


「なんじゃ、こんな朝早く…」


村長は、昨日(さくじつ)にミディエスが来たこともすっかり忘れ、ドアの方に向かう。


「はいはい、誰ですか? 」


村長はドアを開いた。

そして、目の前のものに言葉を失い、しばらく呆然とした後――


「ば、化物だあああああああ! 」


と村長は叫んだ。

その叫び声は、村中に響き渡るほど大きく、怯えるかのように震えていた。






 ミディエスは宛もなく彷徨う。

ビタ村を救った彼女は、あの後、村の人々から罵声を浴びせられ、村を追い出されていた。

その時、彼女は村の人々が言った言葉を理解出来なかったが、自分を非難していることは分かった。

ミディエスは歩き続ける。

お金も手に入ったことで、食べ物を買いにシロッツへ向かっていた。

シロッツへ続く街道に出た時、ふと北西の方の森に目が入った。

目に入ったのでミディエスはそこに向かう。

その途中にあった廃村に目もくれず、ミディエスは森の中へ入っていった。






 イアンとミークはトカク村跡、その奥にある木の棒で作られた墓標の前に佇んでいた。

イアンの隣にミークが並び、二人共目を瞑っている。


「……ここに、テッドという子供が眠っている。そのテッドが、オレが冒険者になったきっかけを作ったようなものだ」


目を開けたイアンが、ポツリと呟いた。


「テッド…っていう子と会っていなかったら、イアンさまは、何になっていたと思います? 」


ミークも目を開けて、イアンに問いかけた。


「さあ? この村に神父が来なかったら、今までどおり木こりをやっていただろう。それか、宛もなく彷徨い続けていただろうな」


「ひえっ! この子がイアンさまと会っていなければ、俺がイアンさまと出会うことはなかった……この子に感謝しないと」


ミークは、テッドの墓標を拝みだした。


「……おまえと会ったのは、メロクディースのせいだと思うけどな」


イアンは、呆れた表情でミークを見る。


「何を言いますか! イアンさまが冒険者にならなければ、そのメロちゃんと会うこともなかったじゃないですか! 」


ミークが、イアンに詰め寄る。

ミークは、メロクディースのことをメロちゃんと呼んでいた。


「わかった、わかった。顔が近いぞ……あと、あいつと会っていなかったら、あの時こうなっていなければと考えるとキリがないな」


「ふむぅ…そうですなぁ…」


その後、二人は口を閉ざし、喋ることはなかった。


「……イアンさまの家に行きたいな」


しばらくすると、ミークの口が開かれた。


「ふぅ…オレの家には何もないがな。そろそろ行くか」


「やった! 」


イアンの後をミークが小躍りしながらついていった。


「むっ? 」


「…? どうしかしたんですかい? 」


トカク村跡を出た後、歩いていたイアンが急に足を止めた。

視線は、下の方に向いている。


「……何か大きいものを引き摺った跡がある。それが……」


イアンは顔を上げ、地面に伸びるその跡を目で追っていく。


「どうやらオレの家、グリン森林の方に続いているな」


「えっ! 誰かいるんですかね? 」


ミークは、地面の跡とグリン森林を交互に見る。


「さあな。どのみち、オレの家に行くんだ。言ってみれば分かるだろう」


イアンは、とりあえず自分の家を目指した。



 イアンとミークは、グリン森林の手間に来た。

そこには小さな小屋がある。

その小屋は、かつてのイアンの家であり、彼が出て行ってから何一つ外観は変わっていなかった。


「ふむ…どうやら、森林の中に入っていったな」


引き摺った跡は、森林の中に続いていた。


「真っ直ぐ森林に入ったようだな。ここの中…泉しか無いが、何か用があるのか? 」


「とりあえず、行ってみましょうぜ! 気になって、イアンさまの家でくつろげないぜ! 」


ミークが、森林の中に入っていく。


「さて、何が出てくるか…」


イアンもミークに続いて、森林の中に入っていった。

引き摺った後は、真っ直ぐ泉の方に向かっており、やがてイアンとミークは泉に辿り着いた。


「さぁーて! 気になる正体……は…」


「……予想していなかったとは、言わんが…」


二人は、泉の前に佇むものを前にして、驚愕の表情を浮かべていた。


「まさか、大型の魔物…とはな…」


イアンの頬に、汗が垂れる。

泉の前にいたのは、大型の魔物であった。

魔物の周囲に浮かぶ水流、それが普通の魔物とは違うことを表し、イアン達に、かつてないほどの緊張感を与えるのだった。




2016年6月8日―誤字修正


 デッド…っていう子と会っていなかったら → テッド…っていう子と会っていなかったら


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ