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九十二話 異形の放浪者

 ミディエスがノードラミアス大陸を離れて六日後。

彼女は、港町ノールドへ到着した。


「俺ができるのはここまでだ。あとは、自分でなんとかするんだな」


漁師の男は、ミディエスを町の外へ連れ出した。

彼は、この町の漁師で、王都騎士団の検問を受ける必要がない。

ミディエスが王都騎士団に見つかれば、連行されるか、元の大陸か島へ送り返されることになる。

元の大陸に送り返すべきなのだが、漁師の男は、ミディエスが元いた場所に戻りたくないであろうと思い、こうしてフォーン王国に入れたのだった。


「ありがとう…ございます…」


ここにくるまでに、ミディエスは少し喋れるようになっていた。

ミディエスは、お礼を言った後、見知らぬ平原を躊躇うことなく歩き始める。


「はぁ…ちょっと待っとけ! 」


「……? 」


男に呼び止められ、ミディエスは振り向き、首を傾げながら漁師の背中を見つめる。


「ほら、これを持っていけ」


町の中へ消えていった後、しばらくすると漁師の男が戻ってきた。

手には、何かを包んだ布があり、それをミディエスに差し出してくる。


「飯だ。腹が減ったら、それを食えよ。じゃ、今度こそ、さよならだ」


漁師の男は、食べ物が包まれた布を渡すと、町に引き返していった。


「……あ、あのっ! ありがとうございます! 本当にありがとうございます! 」


ミディエスは、遠くの漁師の男に聞こえるよう、大きな声でお礼を言った。

声が聞こえたか定かではないが、漁師の男は、ミディエスに背中を向けたまま、片手を上げてヒラヒラと振った。

その後、ミディエスはフォーン王国を彷徨い続けた。

漁師にもらった食べ物は、三日で食べ尽くしてしまい、あとは川で魚を捕るか、何も無い時は草と虫を食べて生き延びていた。

町や村を見かければ、例外なく入ってみるのだが、布で体の半分を隠し、身なりもボロボロであるため、浮浪者として扱われ、誰も彼女を受け入れることは無かった。

ミディエスがフォーン王国に来てから時が経ち、彼女は十二歳になった。

その日の夜、ミディエスはフォーン王国のどこかの野原で仰向けになり、夜空を眺めていた。


「昨年のこの日は……パノリマと一緒でしたね…」


ミディエスは一人呟いた。

もう会うことの叶わない友達との日々を思い出すミディエスであったが、彼女の目から涙が零れ落ちることはなかった。

この放浪の日々の中、ミディエスは涙が枯れるほど泣いていた。

そして、疲れてしまったのである。

今の彼女には、友達も帰る場所も生きる目的もなくなっていた。

ミディエスの感情は、ほぼ死んでいた。


「……あっ…」


夜空を眺めていたミディエスは、何かに気づき口を開いた。

彼女が視線を向ける先、そこには青い星が夜空が輝いていた。

この青い星は、周りに小さい星が現れることがあり、時期によって見える数が変わる珍しい星であった。

ミディエスが、見たことのある最大の小さい星の数は六つで、その星を線で結ぶと六角形になる。

その小さい星の中に一つ、点滅しながら輝く星があるのだが、今日は見えず、青い星の下に一つだけ小さい星が輝いていた。


「今日は一つ……ん? 二つ? 」


しかし、ミディエスが眺めていると、青い星の下に新しく星が現れ、周りに輝く小さい星の数は二つになった。


「へぇ…その日の間に増えることもあるのかぁ…」


珍しい現象を目撃し、口を開いたミディエスであったが、彼女の心が動くことは無かった。

その後、青い星の傍を二つの流れ星が通過したが、それでもミディエスの心は動かず、ただじっと青い星を眺めているだけであった。





 ミディエスの彷徨い続ける日はまだ終わらない。

生きる目的も希望も無い彼女だが、決して生きることを諦め無かった。

ある程度、日が経てば何かを口にいれ、魔物と遭遇すれば全力で逃げていた。

逃げ切れないと思えば、やむを得ず魔法を使う時もあった。

こうして、死から逃れ続けているのは、パノリマの死を無駄にしないためであった。

しかし、それは死ねない理由である。

生きる目的か彼女を受け入れてくれる場所がなければ、ミディエスはこうして惰性で彷徨い続けるしかなかった。

そんなある日、ミディエスの前を一人の年老いた男が歩いていた。


「ひぃ…ひぃ…」


年老いた男が、荷物を背負いながら歩いていた。

しかし、その荷物が重いのか息が荒い。

以前のミディエスならば、見かけた途端に年老いた男を手伝いに行くのだが、今の彼女は、年老いた男の背負う荷物を見つめるだけであった。

最後にものを口にしたのが一週間前で、ミディエスは腹を空かしていた。

年老いた男の背負う荷物、その中に食べ物が入っていなるのではないかとミディエスは思っていた。

ミディエスは何を思ったのか、胸にしまってあった短剣を左手で取り出す。

短剣を逆手に持って、ゆっくりと年老いた男に近づく。

口の中に溜まった唾をゴクリと飲み込み、年老いた男を目掛けて、短剣を振り上げる。


「ひぃ…ひぃ…ん? 」


すると、年老いた男はミディエスが迫っていることに気づいたのか、その顔を振り向かせた。


「……!? 」


ミディエスは、心臓が飛び上がるほど驚いた。

そのおかげか、彼女は自分の左手が何かを掴んでいることに気づいた。


「うわっ!? ご、ごめんなさい! 」


それが短剣であることが分かり、ミディエスは慌ててそれを放り捨てた。

ミディエスは、年老いた男に襲いかかろうとしている時、彼女に理性はなかった。

年老いた老人に気づかれて、ミディエスはようやく気づいたのである。

ミディエスは、罪悪感と年老いた男に責められる恐怖で動けず、目を瞑ってじっとしていた。

しばらくそうしていると、目の間に人の気配を感じた。

年老いた男が、ミディエスの前に立っているのだ。

いつまで経っても、年老いた男は何もする様子がない。

そのことを不思議に思ったミディエスは、思い切って目を開けた。


「あっ…」


皺の多い手のひらに短剣が乗っているのが、ミディエスの視界に入った。


「これ…あんたの落としたやつじゃろ? 」


年老いた男は、短剣をミディエスに差し出しながら、そう言った。




 差し出された短剣を受け取った後、ミディエスは年老いた男の荷物を背負っていた。

彼女の目の前には、年老いた男が歩いていた。


「いや~助かるわい。この荷物は重くてのぅ。で、本当に良かったのか? 」


「あ…はい…行くあて…いえ、ちょうど暇だったので、持てる所まで持っていきます」


ミディエスが答える。

彼女が途中で言葉を変えたのは、この年老いた男に余計な心配をかけないためであった。

ミディエスは襲いかかろうとした手前、もうこの年老いた男に迷惑をかけたくなかった。

せめて、償いはしようと、こうして荷物を持っているのである。


「そうかの? ならいいんじゃがな……そうか…暇かぁ…」


年老いた男はそう言いながら、空を見上げる。

しばらく歩いていると、村が見えてきた。


「おおっ! わしの村じゃ! ありがとうな、もうここでいいぞ」


「はい…」


ミディエスが、荷物を下ろすと年老いた男がそれを背負った。


「…このフォーン王国の東のぅ」


年老いた男が急に喋りだした。


「グリン森林という場所があるのじゃが、そこには綺麗な泉があってのぅ。本当に綺麗じゃったわい」


年老いた男はそう言うと、ミディエスに背を向けて村の方へ歩いていく。


「……泉…」


ミディエスは、無表情のまま呟いた。

泉について、ミディエスに思うことはなかった。

強いていえば、泉という場所は、彼女が一番好きな本、斧士物語の主人公が冒険するきっかけを作った場所であることくらいだった。





 何事にも心が動かなくなってしまったミディエス。

そんな彼女にも、少しだけ心が動く出来事があった。

それはシロッツという町に寄った時のことである。

この町には、多くの村々から人が集まり、今のミディエスのようなボロ布を纏った姿でも、町に入ることができた。


「……」


店屋が立ち並ぶ町の通り、そこを通り抜けようとしたミディエスは、とある店の前にある看板に目を奪われていた。

その看板には、水色の髪を持つ少女の姿が描かれていた。

少女の顔は正面を向いておらず、横顔を向けた状態であった。

その少女の容姿もそうだが、ミディエスが惹かれたのはその腰にある斧が見えたからだ。

少女の戦士を描くのであれば、持たせる武器は剣が普通なのだが、珍しく斧が描かれているのだ。


「あーっ! また同じやつかーっ! 」


その店の前で、悔しがる男がいた。

その店は、手のひらサイズの白い紙を売っていた。

その白い紙の下に絵があるらしく、買ってから白い紙を剥がすことで、初めて買ったものが何の絵か分かるというものだった。


「へへへ…そう簡単には全部揃いませんぜ」


その店の店主が、悔しがる男に向けて言った。


「くそぉ…もう金がねぇ……今日はおしまいだぁ…」


悔しがっていた男は、重い足取りでこの場を去った。


「ふふふ…もう一枚しか残ってないぜ。この絵とアイディアをくれた金髪の坊やに感謝しねぇとな」


店主は、硬貨の溜まった袋と残り一枚となった紙を見て、怪しげに微笑んだ。


「さて、残り一枚は……ん? 」


すると、店主がミディエスの存在に気づいた。

そして、身なりで彼女が浮浪者であると判断する。

従来なら、ここで彼女を追い払うはずであるが――


「へへ…そこの汚い子供。こっちにきな」


店主は、ミディエスを呼び寄せた。


「この紙はな、めくることができんだ。そんで、めくったら綺麗な絵が出てくるんだ。どうだ? いらねぇか? 」


「……いえ、お金がありませんので……」


ミディエスは、伸ばしかけた手を下げ、首を横に振った。


「ああ? そんなの見れば分かんだよ! いいから、持っていけ! 」


「ええっ! 」


店主は、ミディエスに白い紙を強引に渡した。

ミディエスは、返そうとするが――


「それはもうお前のもんだ。返品は受け付けないぜ。あと、絵には色々な種類があるからな」


店主は、善意でミディエスに、絵を渡したではなかった。

むしろ金を巻き上げるつもり、その足掛かりにタダで渡していた。

ミディエスがハマり、どんなことをしてでも金を集め、この絵を買いに来るを踏んだのだ。


「……」


ミディエスは、返すことを諦め、とりあえず白い紙をめくってみた。


「わぁ…」


白い紙の下にあった絵は、水色の紙をした少女の戦う姿を描いたものだった。

狼の魔物を前に、少女は片手に持った斧を振りかぶり、背景には緑色の雷が描かれていた。

少女の絵は、今にも動き出しそうなほど躍動感があり、どう描いたか分からないが、斧と雷には光沢があった。


「うわぁ…わぁ…」


ミディエスはしばらくの間、絵に夢中になった。

この時だけ、ミディエスの目は輝いていた。




 ミディエスは、少女の絵を大事そうにしまい、シロッツを後にした。

野原を歩くミディエスは、木を見つけ、そこの木陰に入り休憩する。

木を背もたれにして座った彼女は、懐から少女の絵を取り出す。


「世界の何処かに、こんな人がいるのかな? それとも、何かの本の登場人物で存在しないのかな? 」


ミディエスは、この絵の少女に惹かれ、そう言わずにはいられなかった。


「もし、実在するなら…会ってみたい…な……」


その時、ミディエスに眠気に襲われ、その瞼を閉じていった。

眠るミディエスは夢を見た。

絵の少女とパノリマと共に、冒険する夢である。

死んだはずのパノリマがいることで、ミディエスは、これが夢であることに気づいていたが、どうでも良かった。

夢の中は、とても楽しいからだ。

いっそ、今の現実が夢で、少女とパノリマと冒険するこの夢が現実であると思いたいほどである。

しかし、そのうちパノリマは消え、真っ暗な空間になった。

そこには、少女の姿が見えるが、何かを抱えるような体勢で横たわったまま動かない。

すると、真っ暗な空間の奥が光だした。

自分だけが、動けると気づいたミディエスは、横たわる少女を引っ張りながら光を目指した。


「んん…」


光に包まれたところで、ミディエスは起きた。

周りは明るく、眠ってからそんなに時間が立っていないように見えた。


「ううっ…」


立ち上がろうとするが、長い間眠っていたように体がだるく、すぐには立ち上がれそうになかった。

しばらくぼうっとした後、近くの川で顔を洗いに来た時、ミディエスは気づいた。


「……進行がすごい進んでる…また大きい布を用意しないと…」


顔の半分以上を覆う布から、青い肌が大きくはみ出していた。




時間経過が明確ではありませんが、度々出てくる暗示を読み解けば、イアン達がどのへんにいるのかが分かります。

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