九十一話 執念の凶刃
レムシトロークの大通りにて、建国を祝うパレードが始まった。
大陸から集まった人々が大通りに集まっていた。
騎士団の護衛に囲まれながら、国王が馬車の上から人々に向けて手を振る。
大通りは、人々の歓声に包まれていた。
「やっと…着きました。うっ…何も見えません…」
ミディエスは、ようやく大通りに辿り着くことができた。
しかし、集まった人が壁を作り、ミディエスがパレードを見ることはできない。
「うう…一目見るだけでも…」
ミディエスは、人をかき分けながら前に進む。
「ふぅ……わあ! 」
ようやく人の壁を通り抜けることができたミディエス。
目の前を通る騎士達と馬車に乗る国王の姿に、感嘆の声を上げた。
「パノリマはどこかな……あっ! 」
ミディエスは、騎士達の中にいるパノリマの姿を見つけることができた。
パノリマは、赤が強調された服の上に、胸当てを付け、手には槍を持っていた。
パノリマもミディエスを見つけ、一瞬だけミディエスに顔を向けて微笑みかけた。
「……! 」
ミディエスは、パノリマに向け、左手で手を振った。
人々が国王に手を振る中、ミディエスだけが騎士の一人に向けて、手を振っていた。
国王が王城に戻ったことで、パレードは終了し、やがて夜が訪れた。
広場や大通りには、未だに店が開かれており、夜になっても賑わっていた。
王都には港があり、広場や大通りと違って船着場には静寂が訪れていた。
建国祝いの日には、港が停止しているため人気も少なく、遠くに見える広場や大通りと比べると寂しいものであった。
その船着場で、ミディエスとパノリマは共に海を眺めていた。
「パノリマはさ…」
ミディエスが口を開いた。
「ん? 」
「別の大陸に行きたいって思ったことはある? 」
「……少々な。でも、今は考えていない」
パノリマは、水平線を見つめる。
「ミディエスは、この大陸から出たいのか? 」
「実は…ね。この広い世界を見て回りたいんだ……わたしには出来ないけどね」
ミディエスは、左手で右腕を押さえる。
パノリマは、そんな彼女を悲しげに見つめる。
「でもね。ケドキロスのお手伝いで、学問を教えることに決めたんだ。そうしたら、わたしの教え子が別の大陸に旅立って……わたしの代わりに世界を見てくれる。わたしは、それで充分です」
ミディエスは俯きながら、言葉を並べた。
心の中では、それさえも叶わないと思っているのだ。
「……そうか。なら、しばらくしたら騎士をやめて、私は剣術の教師になろうか。子供に剣術を教えるのは、けっこう面白そうだからな」
パノリマは表情を明るくすると、ミディエスに向けてそう言った。
「ええ? せっかく騎士になったのに、勿体無いよ! 」
ミディエスが、パノリマに詰め寄る。
「ははは! そんなことはない。私がやりたかったことは――」
「あの~…すいません」
パノリマとミディエスの前に、声を掛ける者が現れた。
その者は男で、行商人なのか背中に荷物を背負っている。
「道に迷いまして、広場に行くにはどうしたら良いのですか? 」
男がパノリマの目の前まで、やって来た。
腰を曲げ、申し訳なさそうな顔をパノリマに向ける。
「広場なら、その道を真っ直ぐ。明かりのあるほうに進めば、辿り着くことができます」
パノリマは、広場の方に指を差し、丁寧に道を教えた。
「おお! そうですか。ありがとうございます! 」
男は、パノリマの手を握り、ぶんぶんと手を振った。
「あ、ああ、お役に立てて何より…」
手を振り回されるパノリマは、苦笑いを浮かべる。
「はい。もうあなたはいりませんよ」
「え…!? 」
男は、思い切り手を振り下ろし、前のめりになったパノリマの背中に、短剣を突き刺した。
その後、パノリマの手を振り払うが――
「くっ…! 」
パノリマが、腰から剣を抜き、男に向かって剣を横に振った。
「おっと! 」
男は、後方に跳躍することで、パノリマの剣を躱した。
「新鋭と呼ばれるだけはありますね……殺すのが惜しまれるな」
男の顔つきが急変する。
ニコニコとしていた以前の顔から、想像もできないほど無表情になった。
「パノリマ! 」
ミデイエスは、パノリマに駆け寄り、彼女の体を支える。
「くっ…うう…逃げろ…」
パノリマは、ミディエスに逃げるよう促す。
「無駄だ。お前達は、逃げられん。二人共、ここで死ぬ」
男は、荷物を無造作に放り投げた後、服に手をかけ、マントを翻すように服を引き剥がした。
そこに現れたのは、全身を黒の装束に身を包んだ者であった。
その男は、剣を取り出し、ゆっくりとミディエス達に迫る。
「…………! 」
ミディエスは、決心したかのように顔を引き締め、左手を男に向けた。
「魔法か……無駄だ。調べさせてもらったが、貴様程度の魔法では――」
バシャアアアア!
ミディエスの周りに大量の水が現れ、波となって男に襲いかかった。
「なっ!? ぐうううう! 」
男は、予想していなかったのか、避けることもできず、波に流されていく。
「ミ、ミディエス…おまえ」
ミディエスが、これほどの魔法を扱えたことに、パノリマは目を見開いた。
「はぁ…はぁ…い、今のうち二! 」
「あ、ああ…」
ミディエスは、パノリマを連れてこの場を去った。
パノリマを連れて走っていたミディエスに異変が起こった。
「ううっ…」
ミディエスが足を止め、顔を左手で押さえて苦しみだした。
「ぐ…どうした? ミディエス」
パノリマは、背中に刺さった短剣を引き抜き、ミディエスの体を支える。
「はぁ…はぁ…大丈夫……もう大丈夫だから」
ミディエスはそう言うと、パノリマに顔を向けた。
「なっ…!? 」
パノリマは、言葉を詰まらせた。
ミディエスの顔の右側覆う包帯、そこから僅かに青い肌がはみ出していた。
最近になって、魔法を使うと異形化の進行が早まるのが分かった。
それまでは、強すぎる力を必死に抑えながら、魔法を使っていたのだが、進行が早まると分かり、ケドキロスに魔法を使うのを禁止されているのである。
「あはは…先生に起こられちゃうね…」
「馬鹿! 今はそんなことを……」
船着場に泊まる小舟が、パノリマの目に入った。
「……? パノリマ? 」
目を見開いたまま動かないパノリマを、ミディエスが訝しむ。
「……ミディエス、この大陸から出ろ」
パノリマは、神妙な顔つきになり、ミディエスにそう言った。
「え? 」
ミディエスはパノリマの言葉に、表情を凍りつかせた。
「あんな奴がここにいる以上、おまえはこの大陸にはいられない。ここから遠く離れた所に行くんだ」
パノリマは、ミディエスの両肩に手を乗せ、彼女に言い聞かせるように口を開く。
「で、でも…先生の手伝いをするって…」
「死んでしまえば、それも叶わない。生きるんだ、とりあえず生き延びろ。そうしたらまた会える。先生には、私が言っておくから」
「……パノリマは、一緒にいてくれないんだね」
ミディエスの表情が沈み込む。
パノリマは、ここで黒い装束の男を向かい打つ、つもりであった。
「…なに…さっきも言ったとおり、また会えるさ。その日まで、お互い死なないでいよう。ミディエス、少しいいか? 」
パノリマは、ミディエスの頭に手をかけた。
ミディエスの放った波、それに飲み込まれた男は、すぐに立ち直り二人を追って走っていた。
「先ほどの力…やはり、あの時の赤子か。死に際に、ネレシーズが大陸北部へ逃がしたようだな」
男は、そう呟きながら二人の後を追う。
彼はネレシーズに短剣を放ち、彼女を殺したトルペペスであった。
そのときに殺しそびれた赤子がミディエスであると判断し、こうして彼女を追っていた。
「…むっ! 」
トルペペスが走っている間に、目的の少女の姿が目に入った。
彼女は、どういうわけか逃げ出そうとしない。
トルペペスは足を止め、前方に立つ少女を見つめ――
「……くくっ…はっはははははははは! 」
と大声で笑いだした。
「くくくっ……暗がりで分からないと思ったか? パノリマ」
「ふん! よく見破ったと言っておこう! 」
パノリマはそう言うと、頭と右腕に巻いた包帯を解いた。
「あの少女は、どこかへ逃がしたか隠したようだな。それで、騎士らしく足止めのつもりか? 」
「いや…お前に勝つ…つもりでいる」
パノリマは、トルペペスに剣の切っ先を向ける。
「ほう…これは大きく出たな」
トルペペスは、剣を向けられてもなお、構えることはなかった。
「あの学び舎最強と言われた貴様の実力…試させてもらおうか」
誰も訪れることのない船着場。
パノリマとトルペペスは対峙する。
二人は、にらみ合ったまま動かず、波の音だけがこの場に鳴り響く、唯一の音であった。
「……行くぞ! 」
先に動いたのは、パノリマ。
前傾姿勢で、トルペペスとの距離を一気に縮める。
「ぷっ! 」
その時、トルペペスが何か吹き出した。
「……!? 」
それは、パノリマの右目に命中し――
「…!? がああああ!! 」
パノリマの右目に激痛が走った。
ズバッ!
彼女が激痛で苦しんでいる間に、トルペペスは剣でパノリマの体を切りつける。
パノリマの体から、大量の血が噴き出すが――
「くっ…うああああああ!! 」
パノリマは、剣を振り上げた。
「ふん」
「ぐっ…! 」
トリペペスは左手で、振り上げられたパノリマの手を捻ると、彼女の持っていた剣を奪い――
「自分の剣に殺されるがいい」
パノリマの胸に、奪い取った剣を突き刺した。
「ぐっ……ああっ…」
パノリマは、仰向けに倒れこむ。
「がふっ…ひ、卑怯者……こ、こんな戦いをして…恥ずかしく…ないのか! 」
パノリマは、口から血を吐き出しながら、トルペペスを睨みつけた。
「ふふっ…騎士達は、いつもそう言って死んでいくのだ」
トルペペスは、騎士を殺すこともあった。
レムシトロークの精霊教会の長、レオモスの邪魔者となった騎士を、彼は何人も葬っていた。
「さて、邪魔者はいなくなった。奴を……」
周りを見回したトルペペスの視界に、海の向こうへ進む小舟が目に入った。
「船? まさか、貴様! 」
「…ゲホッ! ははは…」
パノリマは、笑みを浮かべて小舟に目を向けていた。
やがて、その瞳から光が消えていく。
「一度ならず、二度までも! おのれ! 」
トルペペスは、小舟に蹲る少女に向けて、短剣を放とうとするが、もう届く距離ではなかった。
「くそっ! 」
トルペペスは、小舟に顔を向けたまま動かないパノリマを睨みつけた。
そして、その体を蹴り始めた。
「おのれ! ガキの分際で! 俺を二度も! 任務を…! 」
パノリマを蹴りながら、トルペペスが声を上げる。
しかし、パノリマは笑みを浮かべながら、小舟の方に顔を向けるだけであった。
「なんだその顔はああああ! 俺に勝ったつもりかああああ! 」
トルペペスは、パノリマの顔を蹴り飛ばした。
「はぁ…はぁ…ミディエスと…言ったか。貴様は、この俺が殺す。地の果てまで追い詰め、惨たらしく殺してやる! その日まで、震えて過ごすがいい! 」
トルペペスは、水平線に浮かぶ小舟目掛けて、言い放った。
そして日が昇り、日差しを避けるようにこの場を去った。
建国祝いのパレードがあった三日後。
ケドキロスは授業に向けて、その準備をしていた。
「ふぅ…ミディエスのやつめ、いつになったら帰ってくるつもりか…」
ケドキロスは、ミディエスの帰りを待っていた。
太陽は真上にあり、遅くても今の時間には帰ってくるはずだった。
その時――
コン! コン! コン!
ケドキロスの部屋をノックするものが現れた。
「おお! 帰ったか! 入って良いぞ! 」
「失礼します]
「ん? 」
ミディエスが帰ってきたとばかりに思っていたケドキロス。
しかし、その声は違う人物のものであった。
「お久しぶりです。先生」
その声の主は、ケドキロスのかつての教え子であった。
彼は卒業後、レムシトロークの役人になっていた。
「お、おお! 久しぶりだのぅ! 今日は休みなのか? 」
「いえ…仕事で来ました」
役人の男は、暗い表情で布に包まれた物をケドキロスに差し出す。
「ん? 研究物資か? しかし、今更――」
「レムシトローク王都騎士団一等騎士パノリマ。何者かと戦闘後、死亡…しました……」
「……は? 」
ケドキロスは、耳を疑った。
そして、手に持った布に包まれた物に目を向ける。
布を取ると、中から鞘に収まった剣が現れた。
その剣の鍔には青い宝石を模した装飾があり――
『見てください、先生! ミディエスが選んでくれた剣です! ミディエスのやつ、ここの青い装飾が本当に宝石だと勘違いして…その時のあいつの顔が真っ赤になって……』
と、この剣を嬉しそうに、自分に見せてきた少女の顔が浮かんだ。
「嘘…嘘だろ…あいつが…パノリマが……おまえが死んだら、ミディエスは……」
剣を両手で持ちながら、ケドキロスは崩れ落ちた。
「そうだ…ミディエス……ミディエスがどうしているか分からんか! 」
ケドキロスは、役人の男い詰め寄った。
「あの…包帯を巻いた子ですか…パレードの日には目撃した者がいるのですが、次の日から情報はありません」
「うっ…まさか、そんな……おおお…おおおおおおおおお!! 」
ケドキロスは、剣を抱きしめながら大声で泣いた。
役人の男は、初めて見るケドキロスの泣く姿にどうすることもできず、ただ俯いてじっとしていた。
海の真ん中に小舟が浮かぶ。
その小舟に少女がおり、ボロボロの布を体に纏って、蹲っていた。
ミディエスは、小舟で船着場を離れた後、振り返ってしまった。
その時に見たのが、切り裂かれる唯一の友達の姿であった。
「おーい! おーい! 」
ミディエスの小舟に近づく、船があった。
この船には、網が大量に積まれているため、漁船であることが分かる。
「こんな海のど真ん中に、小舟で来るなんて…ああ、浮浪者か」
漁船に乗る漁師の男が、ミディエスの身なりを見てため息を着いた。
「どうすっかな……はぁ、まだ子供…みたいだし、拾っていくか。ほら、手を出せ」
漁師の男は、ミディエスに手を伸ばした。
しかし、ミディエスは微動だにしなかった。
「ちっ! 」
いつまでも動こうとしないミディエスに、漁師の男は痺れを切らして、小舟に降りた。
「世話の掛かるガキだ」
漁師は、ミディエスを抱えて漁船に戻った。
そして、彼が出た港へ引き返す。
彼は、バイリア大陸のフォーン王国、その港町であるノールドの漁師であった。
2016年6月8日―文章修正
トリペペスは、左手で振り上げたパノリマの手を捻ると → トリペペスは左手で、振り上げられたパノリマの手を捻ると




