九十話 友達がいない日々
ノードラミアス北部の村が盗賊に襲われる事件から、数日後、ミディエスの一つ上の子供達は、それぞれの未来に向かって、学び舎を卒業した。
パノリマも学び舎を出て、レムシトローク騎士団へ入団した。
レムシトロークへ旅立つ前の日、パノリマとミディエスの二人で、卒業祝いの食事会を開いた。
いつもの料理に、奮発して買った肉を足しただけの慎ましい食事会であったが、二人にとっては豪華な食事会であった。
この食事会が、二人の思い出に残ることは言うまでもないだろう。
その翌日、パノリマはレムシトロークへ旅立った。
この日から徐々に、ミディエスの人生に異変が生じていく。
まず、唯一の友達であるパノリマがいなくなったことで、ミディエスの虐めは苛烈を極めていくことになる。
「おらぁ! 」
「うっ! 」
クヘラスの拳が、ミディエスの腹に叩き込まれる。
「げほっ! 」
ミディエスは、腹を左手で押さえながら蹲った。
「はっはー! ミディエスを殴るのは気持ちいいぜ! なあ? おまえら! 」
上機嫌のクヘラスは、周りで見ている子供達へ声を上げた。
「う、うん…」
「ミ、ミディエスは放っておいて、別の遊びをしない? 」
他の子供達は皆、乗り気では様子で、かつてミディエスに石を当てて喜んでいた少年でさえ、別の遊びをしようと促すほどである。
「はあ? 何? やめるっていうの? じゃあ、あんたが代わりになる? 」
ミディエスが殴られるのに、嗜虐的な笑みを浮かべていたキルーケが、少年に凄みのある声で訊ねた。
「い、いや……うん! やる、おれにも殴らせてくれ」
「ふふっ…」
「そうこなくちゃな! 」
キルーケは怪しく笑い、クヘラスが少年の肩を叩く。
ミディエスは、しばらくクヘラス達に殴られ続けることになった。
虐めの主犯格はクヘラスとキルーケの二人で、ケドキロスにバレないよう、時間と場所、殴る位置に気をつけて、秀逸にミディエスを虐め続ける。
ミディエスは、このような虐めを受けているにも関わらず、学び舎を通い続けた。
学び舎に友達がいなくなった彼女だが、レムシトロークにパノリマがおり、会おうと思えば会いに行けるため、それがミディエスの支えになっていた。
そして、近いうち、ミディエスはパノリマに会いにいくことになっていた。
その日は、レムシトロークで建国祝いのパレードが行われる日であった。
王都騎士団は、そのパレードで国王とその親族を護衛する任務があり、パノリマもその護衛の一人に選ばれていた。
護衛の仕事が終わった後、ミディエスはパノリマと会う約束をした。
その日が、一ヶ月後に迫ったある日。
ミディエスは、魔法の授業を受けなくなった。
魔法の授業がある日。
その授業を受ける子供達が広場に集まり、やがてケドキロスがやってきた。
「よし、魔法の授業を始めるぞ」
「先生! 」
授業を始めようと、声を上げたけケドキロスに、キルーケが声を掛けた。
「なんだ? キルーケ。トイレかのぅ? 」
「違います。近頃、ミディエス…さんが魔法の授業を受けていないのですが」
「んん…言ってなかったかのぅ。ミディエスは、町役人になるために学問に集中するのだ。町役人に魔法はいらんからのぅ」
ケドキロスは、視線を上に彷徨わせた後、キルーケに説明した。
「はぁ…では、剣術の授業も受けなくなるのですか? 」
「……そのうちにな」
ケドキロスは、持っていた杖を眺めながら言った。
「分かりました」
キルーケは、そう言って微笑んだ。
「うむ、では今日の授業について……」
ケドキロスは、キルーケが納得したと思い、授業の説明を始めた。
しかし、キルーケは納得などしていなかった。
学問の授業がある日。
キルーケは、授業終わりにミディエスを学び舎の裏へ呼び出していた。
そこは、いつもミディエスを虐めている場所であり、人目につかない場所であった。
「なんですか? キルーケ」
「ずっと気になってたんだけど…あんた、何で包帯なんか巻いてるの? 」
キルーケは、ミディエスの右半分の顔と右腕に目を向ける。
「え? それは、生まれつき右目が見えないのと、右腕の形がおかしいからです。先生からそう聞いていませんか? ついでに、この右腕と一緒に魔法の触媒が包帯で――」
「そんなことを聞きに来たわけじゃないわ」
「痛っ! 」
キルーケは、ミディエスの言葉を遮り、包帯で巻かれたミディエスの右腕を掴みあげた。
「この右腕と顔の半分…包帯で隠す必要ある? ねぇ、外してみてよ。殴られるよりマシでしょ? 」
キルーケが、右の拳をミディエスの顔に向ける。
「ほ、包帯を外すのは、先生からダメだって言われています。残念ですが、外すことは――」
「今、先生はいないでしょ! さっさと、外せって言ってるのよ! 」
キルーケは激昂し、ミディエスの右腕を掴む左手に力を入れる。
「い、痛いです! 離してください! 」
ミディエスは、キルーケの左手を振りほどいた。
その後、右腕を左手で押さえながら、キルーケとの距離を離す。
「……ふーん、見られたらまずいんだ…なおさら、見せてもらわないと…」
激昂していたキルーケは、急に冷めた雰囲気になった。
「ひっ…」
豹変したキルーケの雰囲気に、ミディエスはゾクリと体を震わせた。
キルーケは、ゆっくりと右腕を上げ、その手のひらをミディエスに向けた。
バシュ!
手のひらから放たれた水が、ミディエスの足元に当たる。
「うわっ! ……えっ!? 動かない! 」
いきなり魔法を放たれ、驚いたミディエスは飛び跳ねるつもりであったが、足が動かなかった。
「…! 足が凍って…そんな! 」
ミディエスが目線を下に向けると、足元が凍っており、地面に縫い付けられるように自分の足も凍っていた。
「最近、編み出した魔法よ。あたしの水は触れたら最後、一瞬で氷漬けにしてしまうわ」
バシュ!
「せんせ……!? ……! 」
ミディエスは、ケドキロスに助けを求めようと、声を上げようとしたが、キルーケの放った魔法により、口を凍らされてしまった。
「これで、あんたは助けを呼べない。あとは…」
「……! 」
キルーケは、ミディエスを蹴り、彼女を仰向けにさせる。
バシュ! バシュ! バシュ!
仰向けの状態のミディエスの首、右肘のあたり、左手首を氷漬けにして拘束する。
「あんたが外さないから、あたしが外してあげる。まず、顔から……」
キルーケが、ミディエスの顔に手を伸ばした時――
「やめろ! 」
ケドキロスが駆けつけ、キルーケの手を掴みあげた。
「痛っ!? 先生? どうしてここに? 」
「それはこっちのセリフだ! ……氷魔法…か」
ケドキロスは、ほぼ氷漬けにされて動けないミディエスを見て、状況を判断する。
「……キルーケ、わしの部屋に行っておれ。後で話がある」
ケドキロスは、掴んだ手を離し、キルーケに言い聞かせるように口を開いた。
「……はい」
キルーケは、素直に従い、この場を去っていった。
「……大丈夫か、ミディエス! 今、氷を溶かしてやるからな! 」
ケドキロスは腰を下ろすと、手のひらから小さい炎を出し、ゆっくりと氷を溶かしていく。
ケドキロスの炎によって、ミディエスを拘束する氷が溶けていき――
「よし! これで動けるぞ! 」
全ての氷を溶かしきった。
「ありがとうございます。先生…」
ミディエスは、体を起こすとケドキロスに礼を言った。
その後、放心したかのように動かなくなり――
「……う、うううあああああああ!! 」
大声で泣きだした。
両腕は地面に投げ出したままで、涙を拭うことはない。
その姿は、まさしく幼い子供のようであった。
「ミディエス! 」
ケドキロスは、ミディエスを抱きしめた。
彼は、この場に来たことで察した。
ミディエスが今まで虐められ続けていたことを。
「あああああああ!! うあああああああ!! 」
ミディエスは、ケドキロスに顔を埋めたまま泣き続ける。
「…すまん…わしは皆の教師だ。おまえにしてやれることは少ない。もうすぐ、パノリマと会えるんだろう? それまでの辛抱だ。パノリマならば、おまえの力になってくれる」
ケドキロスは、そう言いながらミディエスを抱えて立ち上がる。
「しかし、今だけはこうしておまえを抱きしめよう。明日になったら、自分の足で立つんだ」
ケドキロスは、大声で泣き続けるミディエスを抱え、寮を目指して歩き始めた。
次の日から、キルーケは学び舎に来ることはなかった。
彼女は、特待生としてバイリア大陸のフォーン王国にある魔法学校に通うことになり、出発するまで自室に居ることを言いつけられていた。
やがて、キルーケは学び舎を卒業することなく、バイリア大陸へ旅立った。
ミディエスは、一夜明けると元の調子を取り戻し、学問に励んだ。
そして、待ちに待ったパレードの日。
ミディエスは、王都レムシトロークに来ていた。
「わあ! 人がたくさんいます! 」
レムシトロークは、多くの人々で賑わっていた。
広場には、様々な店が立ち並び、どの店にも多くの客で行列ができている。
「ううっ…これは通るのに一苦労…いえ、だいぶ大変です」
ミディエスは、人の波に押され、どんどんあらぬ方向へ流さていく。
彼女が目指しているのは、大通りと呼ばれる王都の正門から王城に続く広く長い道だ。
しかし、ミディエスは人波に揉まれ、ぐるぐると広場を周り続ける。
「ここはひとまず、人波から出て、遠回りをして大通りに向かいましょう」
ミディエスは、人の波をかき分けながら、広場から離れることにした。
人波から出たミディエスは、とりあえず前に進むことにした。
ミディエスは、大きな家々の間の入り組んだ道に入ってしまった。
大通りに出そうな道を選んでいるにも関わらず、一向に大通りに辿り着く気配はなかった。
「……迷い…ましたね」
ミディエスはそう呟き、立ち尽くす。
見える景色は、どこも同じように見え、どこに進めば良いか分からなくなっていた。
ミディエスがあてもなく、前に進んでいると、前にスタスタと歩く男性の姿が見えた。
「あ、あの! 」
ミディエスは、天の助けが来たと思い、その男性の元へ向かう。
「……ん? んん? 」
男性は、声を掛けられるとは思っていなかったのか、きょろきょろと周りを見回した後、ようやく振り返った。
振り返った男性の目は細く、いかにも人の良さそうな顔をしていた。
「こんなところでどうしたのかな? もしかして、迷子? 」
「あっ…はい。大通りに出たいのですが、どう行けば分からなくて…」
「大通り……大通りなら、そこの道を真っ直ぐ進めば出られるよ。お嬢ちゃんは、パレードを見に来たのかな? 」
男性は、進むべき方向に指を差しながら、ミディエスに説明した。
「はい! わたしの友達が騎士団にいて、護衛の任務で国王様と一緒に大通りを通るのです」
ミディエスは、目を輝かせながら言った。
「へぇ、お嬢ちゃんの友達…ということは、もしかしてパノリマっていう子のことかな? 」
「えっ!? パノリマを知っているのですか? 」
ミディエスは思わず、男性に詰め寄ってしまう。
「ははは…知っているとも。あの子は、ここ五年のうちに入団した騎士の中で、一番強いと評判だからね」
「わあ! やっぱり、パノリマはすごいです! 」
ミディエスは、まるで自分が褒められたかのように喜んだ。
「パノリマといえば、あの学び舎を出たと聞いているけど君もそうなのかな? 」
「はい。捨てられたわたしをケドキロス先生が――」
ヒュー…ドォン!
轟音と共に空に白い煙が立ち上る。
「おっと、パレードが始まる合図だ。早くいったほうがいいよ」
男性は、空を見上げながら、ミディエスに言った。
「えっ! あ…急がなきゃ! ありがとうございました! 」
ミディエスは、男性に頭を下げた後、先程男性が指を差した方に体を向けた。
「あっ、そうだ! あなたも一緒に来ませんか? 」
ミディエスは、男性をパレードの見るのに誘った。
「ごめんね…本当は行きたかったんだけど、仕事の準備をしなきゃいけないんだ」
男性は、両手を合わせて、ミディエスの誘いを断った。
「そうですか…」
ミディエスは、残念そうな顔をした。
せっかくのパレードを仕事で見られない男性のことを思ったのだ。
「あはは…お嬢ちゃんは優しいね。仕方ないさ、終わったと思った仕事がまだ残っているんだから。さ、早く行きなさい。友達の勇姿が見られなくなるよ」
「…はい。ありがとうございました。お仕事、頑張ってください」
ミディエスは、そう言うと大通りを目指して走り出した。
「はぁ…こんなこと初めてだ。確認って大事だなぁ…」
男性は、大きく伸びをした後、ミディエスとは別の方向へ歩いて行った。
彼は、同じ間違えをしないよう、仕事終わりに、ちゃんと仕事が終わったことを確認をするよう、心掛けるのだった。
2016年6月8日―誤字修正
はあ? 何? やめるていうの? → はあ? 何? やめるっていうの?
おっと、パレードの始める合図だ → おっと、パレードが始まる合図だ




