八十二話 白い聖獣
ネリーミアは、しばらく目の前の人物に視線を奪われていた。
「…? もしもし? 」
その人物である女性が膝を折り、自分の視線をネリーミアの視線に合わせると、手をかざして手を振った。
「はっ! …えと……」
ネリーミアは我に返ることができたが、女性の質問を聞いてなかった。
「うーん…水色の髪の女の子を見かけなかった? というか、一緒じゃなかった? 」
女性もそのことを察し、改めて訪ねた。
ネリーミアは、女性の指している人物がイアンであることを理解した。
「……」
しかし、何故イアンを探しているのかが分からないため、容易に答えを出すわけにはいかなかった。
そのため、ネリーミアは何も答えず沈黙した。
出したとしても、荒野のどこかにいるという不確定な情報しか、彼女が答えることが出来ないが。
ネリーミアの沈黙に対し、女性は表情を崩すことなく――
「そっか」
と呟き、ネリーミアに対して踵を返した。
女性が向かう方向にはロロットが倒れており、そこへ真っ直ぐ歩いていく。
「待って! 」
ロロットは脇腹を負傷しており、今も血を出し続けている。
ネリーミアは、女性がロロットに危害を加えるのではないかと思い、女性を止めるべく走り出した。
「え…? 」
ネリーミアは、間の抜けた声を出し、立ち止まった。
女性は、ロロットの元に辿り着くと腰を下ろし、右手をかざした。
ネリーミアには、彼女が何をしているか理解できた。
「治癒魔法…」
女性は、ロロットの傷を癒していた。
血を流し続けていたロロットの脇腹は既に塞がっており、ネリーミアの聖法術による治癒術とは比べものにならないほど、彼女の行使する術は強力だった。
「これでよし! よいしょっと……あなたは、そっちの白い娘をお願い」
女性は術の行使を止めると、ロロットを担ぎ上げた。
「早くしましょう。吹き飛ばした彼女達が起きないうちに」
女性がある方向に顔を向けた。
そこには、女性が吹き飛ばした三人の賊が倒れ伏していた。
彼女等はピクリとも動かないので、ネリーミアには死んでいるかのように見えた。
「ほら、急いで」
「う、うん…」
ネリーミアは女性に急かされ、結局彼女の言うとおりに動いたのであった。
ロロットの傷を治したことにより、一旦彼女を信頼することにしたのだ。
キキョウを背負ったネリーミアは、ロロットを担ぐ女性の後をついて行き、高原に辿り着いた。
タロサ高原を見渡すと、デバ草原のように野原が広がっているのが見えた。
所々に、面積の小さい湖があることが、デバ草原と異なる点であろう。
ある程度高原を進むと、女性が腰を下ろし、ロロットを横に寝かせた。
ネリーミアも彼女に続いて、キキョウをロロットの隣に寝かせる。
「ふぅ、一旦休憩! 」
女性は、地面に座りだした。
このまま、ネリーミア達と共にいるような口ぶりであった。
ネリーミアも彼女に合わせて腰を下ろす。
そして、勇気を振り絞って口を開く。
「あ、あの…さっきは助けてくれてありがとう。そ…それで、あなたは一体何者なのですか? 」
ネリーミアの問いを耳にした女性は、表情を柔らかくし――
「私の名は、モノリユス。精霊に仕える聖獣の一人よ」
自分の胸に手を当てて、丁寧に答えた。
そのモノリユスの対応から、ネリーミアは更に意を決して聞いてみることにした。
「さっき、水色の髪の少女を探していると言ってたけど……それはどうしてですか? 」
「綺麗な女の子って聞いたから、一目見たいと思ってね」
モノリユスは、ネリーミアが警戒しているにも関わらず、表情はにこやかなままである。
しかし、ネリーミアは、一瞬顔をしかめそうになった。
モノリユスの返答に、腑に落ちない点があるからだ。
彼女の言うとおりの理由で、ここまで来るのだろうか、そうネリーミアは考えずにはいられなかった。
「聖獣と言ってましたけど、獣人とは違うのですか? 」
ネリーミアは、彼女のイアンを探す理由を深く聞くことを控え、別のことを聞いてみた。
「少し違うのかな。 獣人の姿だから、獣人の仲間と思うでしょ? 」
モノリユスに問われ、ネリーミアはコクコクと頷く。
「どっちかといえば、妖精の方に近い存在なの。獣人の姿をしている妖精…というのが聖獣の認識でいいと思うわ」
「はい…」
ネリーミアは、ゆっくりと頷いた。
モノリユスの言葉通り、妖精の類であるならば、進んで危害を加えられるような心配は無い。
自分の中では、モノリユスが敵でないと判断したのだ。
ネリーミアは、チラリと横たわる二人の少女に目を向ける。
(僕はこの人を悪い存在だとは思えない……でも、この二人はどう思うのかな? )
ネリーミアは心の中で呟いた。
荒野と草原の境目、そして高原に続くなだらかな野原の坂道が見える位置。
「ようやく高原の道が見えたな」
イアンは、そこに辿り着いていた。
ヤコイア村付近での戦い後、彼は日が暮れても歩き続けていた。
危険な夜道を歩いてまで、イアンが歩き続けた理由は、先に進んだと思われる少女達が心配だったのだ。
イアンは、草原を進んでいる最中の賊との戦いを思い出す。
三人の少女達は皆、賊達を圧倒するほど強かった。
しかし、それは個々による強さであって、集団としての評価は低い。
彼女達は集団としての戦いをしていなかったのである。
それぞれが目の前の戦いだけに集中し、他の者を見ようとしなかった。
それゆえに、ネリーミアは賊に背後を取られ、窮地に陥った時があった。
その時はイアンが駆けつけたため、ネリーミアが負傷することはなかったが、イアンのいない今、彼女達はどう戦っているのだろうか。
イアンは、その思いを胸に足を進めていた。
「坂が見えてきましたぜ! 高原はもうすぐですよ」
イアンの後ろで、大男が声を上げた。
彼の名はミークと言い、ヤコイア村を襲撃してきた賊と共に現れたのだが、賊達に騙されていたらしく、自分が騙されたと知った後は、イアンと共に賊を蹴散らした。
どうやら、キキョウとネリーミアのことを知っているようで、彼女達が心配だとここまでついてきたのであった。
「ああ。順調に進んでいれば、高原に入っているはずだ。急ぐぞ」
「へい! 」
イアンとミークは足を早め、高原を目指した。
イアンとミークは坂を進んでいた。
坂を越えれば高原といこともあって、二人の足取りは軽い。
ふと、イアンの足が止まる。
「…? どうかしましたか? 」
ミークが足を止めたイアンに訊ねた。
イアンは微動だにせず、じっとしている。
その視線の向かう先には、地面が凹んだ部分があった。
イアンはそこに向かい、腰を下ろす。
「……最近できたもののようだ。この辺りで戦闘があったようだな」
その地面の凹みは、強い衝撃によりできたものだと推測できる。
「最近……すると、お嬢さん達がここで戦っていたってことですかい? 」
「恐らくな。勝ったかどうかは分からん。先を進むとしよう」
そう言うと、イアンは立ち上がる。
その時――
「ちょっと、待ったー! 」
「むっ!? 」
何者かの声が聞こえ、イアンは辺りを警戒する。
すると、岩陰から三人の少女がこちらに向かって来るのが見えた。
「あ、あれは、妖艶なる盗賊団! 」
ミークが叫んだ。
イアンは、盗賊団と聞き、ホルダーから戦斧を取り出す。
「ミーク、知っているのか? 」
「へい、よく別の島や大陸に渡って、窃盗や強盗をする盗賊団です! 相手の動きを封じる戦法を得意としているので、注意してください! 」
ミークも自分の武器を両手に持つ。
彼の使う武器は、身長よりも長い二本の鞭であった。
その二本の鞭をそれぞれ右手と左手に持ち、地面にしならせている。
「説明どうも! 名乗りは必要ないみたいね! 」
真ん中を走る少女が、頬を吊り上げながら声を上げた。
「くっ! 」
イアンは戦斧を構え、ミークと背中合わせに立った。
三人の少女に囲まれたのである。
「三体二……同じ頭数でも負ける気はしないけど、楽ができて嬉しいわ」
両手に剣を持つ少女が言った。
「イアンさま、あの剣を二本持ったのがフェンディといって、目から強烈な光を出して、相手の目を眩ませる戦法をとります」
「目が光る……ほう」
「へい、奴らはみんな、特殊な力を持った獣人でして、イアンさんから見て右斜め後ろにいるのが激臭を使うコスカリク、左斜め後ろが爆音を使うライヤです」
「むぅ…我らのことをよく知る……」
「ありゃりゃ、やりづらいねぇ」
自分達の戦法を見破られ、コスカリクとライヤが焦りを見せる。
「ふん! こっちのほうが人数が多いんだ! 負けるはずがないっ! 」
フェンデイはそう言うと、正面のイアン目掛けて駆け出した。
「来るか! ミーク、しばらく二人を相手にしてくれ」
「わかりやしたぁ! 」
ミークは、両手に持った鞭を振り回す。
「ぬぅ…! 」
「あわわ! 」
二本の鞭が、ミークの周りを縦横無尽にしなり、コスカリクとライヤを近づけさせなかった。
「うおおおお! 」
イアンは右腕を横に振るい、持っていた戦斧を投げつけた。
戦斧は横に回転しながら、フェンデイに向かって飛んでゆく。
それをフェンディは――
「とうっ! 」
跳躍して回避した。
イアンは、それを待っていたと言わんばかりに、宙に体を踊らせたフェンディに向かって跳躍する。
そして、フェンディに向かって右足を突き出した蹴りを放った。
ガッ!
しかし、イアンの蹴りはフェンディの交差した剣によって防がれてしまう。
「考えたみたいだけど残念ね」
フェンデイが勝ち誇ったように呟く。
その声に反応せずイアンは、膝を曲げて体を縮ませた。
左足もフェンデイの剣に乗せる。
「この状態から蹴り飛ばそうっていうの? そうは――」
「その通りだ。気をつけろよ」
イアンは、フェンデイの言葉を遮るように、そう言った後――
「サラファイア! 」
ボンッ!
体を伸ばしたと同時に、両の足下から炎を噴出させた。
「うあっ! ああああ! 」
サラファイアと合わされた蹴りにより、フェンディは勢いよく吹き飛ばされる。
やがて、野原に体を擦りつけながら、ゴロゴロと転がっていった。
「「フェンディ!! 」」
コスカリクとライヤが、フェンディの名を叫ぶ。
「次はお前達だ」
イアンは、フェンディを蹴り飛ばした勢いで、さらに上空へ上がっていた。
そして、両側面のホルダーからショートホークを取り出し、両足を天に向けて――
「サラファイア! 」
と声を上げた。
炎の勢いが推進力となり、イアンは斜め下に向かって勢いよく落ちてゆく。
「ふっ! 」
その最中に、両手に持った二丁のショートホークをコスカリクとライヤに向かって投げつけた。
「サラファイア! 」
今度は、炎の勢いを落下の速度を弱めるために使い、イアンは体を痛めることなく着地した。
カンッ! ギィィン!
イアンが着地したと同時に、飛来したショートホークがコスカリクとライヤの武器を弾き飛ばす。
「……まぁ、戻ってこないよな…」
イアンは、野原に落ちたショートホークを見つめながら、そう呟いた。
「今だぁ! 」
ミークは、武器を失った二人に目掛けて、鞭を振るった。
パシィ! ピシィ!
「うっ! 」
「ああっ! 」
二人は、腹や足に鞭を受けて転倒した。
「さあ、まだやるか? それともあっちの方に転がっていった仲間の所に行くか? 」
イアンは、ショートホークを拾い上げると、二人に向かって言い放った。
「……くっ! 私達の負けだ」
「もう戦わないよぅ。だから、フェンディを助けに行かせて! 」
「では、さっさとあっちに行け」
コスカリクとライヤの二人は、武器を拾わずにフェンディの元へ向かった。
「……終わったか」
イアンは、最初に投げた戦斧の元に行き、それを拾い上げた。
「…? イアンさま? 」
拾い上げた戦斧をじっと見つめるイアン。
それを不思議に感じたミークが彼に訊ねた。
「うん? ミーク、どうした? 」
「それはこっちのセリフですぜ。その斧がどうかしたんですかい? 」
「ああ。オレもまだまだ…と思ってな」
「はぁ…」
「先に進むぞ」
イアンはそう言うと、坂の上にある高原を目指して歩き始めた。
ミークもイアンの後に続くが、結局イアンの気持ちは分からなかった。
イアンとミークが高原に辿り付く頃には、空が赤くなりかけていた。
高原の野原を歩くイアンは、空を見上げる。
「日が暮れるか…もう少し歩いたら、今日は休むとするか」
イアンは、赤く染まりだした空を見つめながら呟いた。
「ああっ! 」
その時、ミークが素っ頓狂な声を上げた。
「どうした? 」
「あ、あれを…お嬢さんだ。お嬢さんがあそこにいますぜ! 」
「なに? 」
イアンは、ミークが指を差す方向に目を向けた。
そこには、座っているネリーミアと知らない女性、横たわるロロットとキキョウの姿が見えた。
「ロロット、キキョウ……あいつらの元に行くぞ」
「へい! 」
イアンとミークは、ネリーミア達の元へ駆け出した。
ネリーミアは、夜が近づいてきたことを感じた。
あれから、モノリユスと共に魔物が来ないか見張りをやっていたのだが、その間言葉を交わさなかった。
そのため、ネリーミアは一人でいるような気分を味わっていたのである。
ロロットとキキョウは眠ったままで、さらにネリーミアを孤独に感じさせていた。
「んん? 」
ふと、モノリユスが声を出す。
その声に反応し、ネリーミアが顔を上げると、前方に二つの人影が見えた。
その人影は、真っ直ぐこちらに向かってくる。
「…! 」
ネリーミアは、その人影の正体が分かり、立ち上がる。
「兄さん!……とミークさん? 」
そして、二人に声を掛けた。
「ああ、ネリィ。ロロットとキキョウに何かあったのか? 」
ネリーミアの元に辿り着いたイアンは、ロロットとキキョウを見た。
静かに眠ってはいるが、服に土がついており、ロロットの脇腹の部分は破かれていた。
「戦闘でちょっとね……その時に彼女、モノリユスさん……に……」
イアンに紹介しようと、モノリユスに顔を向けたネリーミアは言葉を詰まらせた。
ネリーミアに見せていたにこやかな表情はそこにはなく、驚愕したような表情のまま固まっていたのだ。
「…? 」
イアンは状況が読めず、首を傾げる。
「……そんな…生きていたなんて……」
すると、モノリユスが体を震わせながらイアンに近づく。
そして、イアンの目の前に着くと、片膝を地面について跪いた。
「イアン様、遠くよりお慕い申しあげていました」
モノリユスは跪きながら、そう言った。
「な、なんなのだ? 」
「僕にも何がなんだか…」
イアンとネリーミアは困惑し、互いに視線を合わせる。
すると、モノリユスがゆっくり顔を上げ、イアンを見た。
「イアン様は……お父様から何か聞いていませんか? 」
「お父様? オレの父親のことか。何も聞いていないと思うが? 」
「そう…ですか……では、私が言うべきことではありませんね」
モノリユスは、微笑みながら言った。
イアンの目には、その顔がどこか悲しげに見えた気がした。
イアンは、彼女に何かしらの事情があると思ったが、それは自分が踏み込んでいいものではないと判断し――
「明日から、いよいよあいつのアジトの探索だ。今日は、ここで野宿をしよう」
と明日の話をした。
「では、見張りは俺に任せて、イアンさま達はゆっくり休んでくだせぇ! 」
ミークは、二本の鞭を取り出し、イアン達に背を向けた。
「その言葉に甘えさせてもらおう…オレは疲れた」
イアンはそう言った後、野原の上に横になり、数分も立たずに寝息を立てた。
「一つ、聞いていいかな? 」
眠るイアンを眺めていたネリーミアに、モノリユスの声が投げかけられた。
「あなた達三人は、イアン様と旅をしているようだけど、どういう関係なの? 」
「どうって……僕はイアンの力になりたいと思っているよ。この二人もそうなんじゃないかな」
「…そう……わかったわ。今日はもう寝なさい。私も魔物が来ないかみはっているわ」
ネリーミアは、モノリユスの言うとおり、横になった。
目を閉じて寝ようとするが、一向に眠ることが出来なかった。
質問に答えた後、一瞬だけ見せたモノリユスの険しい顔が、ネリーミアの頭から離れなかったのだ。




