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八十一話 劣勢を覆すことはできるか

高原へと続くなだらかな坂に三人の少女が地面に伏していた。

その三人の一人であるキキョウは、自分の身体の状況を確認する。

体に力を入れると、僅かに手足が動いた。


(痛っ!? )


体を起こそうとしたが、体に激痛が走る。

その痛みでキキョウは攻撃されたことを認識した。


(よくも! ……え? )


キキョウは、声を出すが違和感を感じ、顔を上げる。

目に映るのは、口を開けてライヤの姿であった。

しかし、笑い声が聞こえなかった。


(…そんな! 耳が聞こえないの!? )


キキョウは自分の耳が、聞こえなくなっていることに絶望した。

狐獣人の子であるキキョウは、五感の中で聴覚が一番優れている。

時には、目よりも頼りにすることがあり、彼女が得意とする気配探知もこの聴覚の高さによる技能であった。

生物には無意識に放たれる気配というものがある。

これは見えないものであり、何となく感じるという曖昧な感覚で捉えるものである。

それを意識的に感じ取る方法がいくらか存在するが、狐獣人の取る方法は、気配を音として感じ取る方法であった。

狐獣人はこれを用いて、視界の悪い森や夜の暗闇であっても正確に獲物を捕らえることができる。

気配を音として感じ取る方法であるため、耳が聞こえることが必須であり、今のキキョウには気配探知を行うことが出来なかった。

彼女にとって耳とは、正確に情報を得る上で重要な部位であるため、それが機能していなのは致命的であった。


(ここは、耳が元に戻るまで耐え忍んだほうが良さそうね)


キキョウは、耳が聞こえないのが一時的なものと判断し、心の中で真似鏡像と唱えた。

地面に蹲るキキョウの姿が一人、二人と増えていき、九人までの自分の幻影を映し出した。


「おおっ!? 色々見せてくれるって言ったけど、これは驚いたねぇ」


ライヤが目を丸くする。

もちろん、ライヤの言葉はキキョウの耳に届かない。

ライヤは、鉤爪状の槍を振り上げて力を貯めると、蹲るキキョウに振り下ろした。


ダンッ!


鉤爪状の槍はキキョウをすり抜け、草の生い茂る地面に叩きつけられる。


「ありゃ…偽物かぁ」


ライヤの顔はまるで、遊戯を楽しむかのように笑っていた。


「本物だけ違う動きとかするのかな? 」


ライヤは、口を大きく開く。


カチッ! カチッ!


口を閉じたり開いたりを繰り返し、歯を打ち鳴らす。


(……! )


その動作をチラリと見たキキョウは身の危険を感じ、両手を頭の上に伸ばして耳を塞いだ。


ドオオオオオオン!!


次の瞬間、雷鳴のような爆音が辺り一帯に響いた。

ライヤは、コトザルの獣人であった。

コトザル獣人は、ロロットと同じ猿人であるが、二本の尻尾を持つ他、声を真似るという異なった特徴を持っていた。

この声を真似る技術は、声だけでなく騒音等の音も真似ることができ、それらを完全に再現することができた。

先程から、ライヤが出している音は雷が落ちた音であり、彼女が知りうる音の中で一番強烈な音である。

この音を使い、敵の聴力の機能を失わせるのがライヤの強みであった。


(くっ…これで耳をやられたのね……)


キキョウは、本物の雷が近くに落ちたような衝撃に身を震わせる。


「…ふぅ、みんな同じ動きをするんだねぇ……フェンディとコスカリクも余裕みたいだし、あたしも遊んじゃおうかなぁ! 」


ライヤは、鉤爪状の槍を振り下ろす。

鉤爪状の槍は、キキョウの作り出した幻影を切る。

ライヤが次々と幻影を切り裂いていく中、キキョウは自分の聴力の回復を待つため地面に伏せていた。




 暗闇の中、ロロットは手に持った大刀を杖によろよろと立ち上がる。

ロロットも賊の一人が使う技能によって、視力を一時的に奪われていた。


「思い切り蹴ったはずなんだけどな…頑丈ね」


何も見えない彼女の耳に、賊の一人であるフェンディの声が入った。


「そこ! 」


ロロットは、声の聞こえた方に大刀を振り回す。

しかし、手応えはなく大刀が空を切るだけであった。


「はははっ! いつまでも同じところにいるわけないって! 」


再び少女の声が聞こえ、ロロットは咄嗟に声のした方に大刀を構えた。


キィン! キィン!


大刀の柄から連続した衝撃がロロットの手に伝わった。


「え? これ防がれちゃうんだ…」


ロロットは、近い距離からフェンディの声を聞いた。


「やあ! 」


ロロットは、大刀の柄にあてがわれた二本の剣を弾き飛ばす。

その後、大刀を振り回し、正面付近を蹂躙した。


「おっとと、危ない危ない。いくら目が見えないとはいえ、油断は禁物だね」


遠い位置からフェンディの声を聞いたが、ロロットは追撃をせず、その場に留まっている。

フェンディの攻撃を防ぎ、あわよくば反撃を行うつもりであった。

フェンディは、足音を立てずにロロットの背後に回る。

ロロットの体がピクっと動くのをフェンディは見た。


「音は立ててない……怖いなぁ、野生の勘ってやつ? いや、獣人の勘かぁ…」


フェンディがボソッと呟いた。

強烈な光を放ち、敵の視力を奪った後、一方的に攻撃を仕掛けるのがフェンディの戦い方である。

これにより、大半の戦士は視力を奪われたことによって動揺し、フェンディの繰り出す剣に対応できなかった。

しかし、腕のある戦士や獣人によっては、この状況でも彼女の剣を防ぐ者がいた。

ロロットもその者達の中の一人であった。


「ま、ちょっと反応できたからってあたしは倒せないけどね」


フェンディが笑みを浮かべる。

彼女の表情は、勝利を確信したかのように自信が満ち溢れていた。

腕の立つ戦士や獣人相手でも彼女が負けたことはないのだ。

フェンディはその位置から、ロロットに向かって走り出した。


「……! 」


それを察したのか、ロロットがフェンディの方向に体を向け、大刀で防御の構えをとった。


キン!


ロロットは、大刀の柄から衝撃を感じ、フェンディの剣を受けたのだと判断する。


「はああああ! 」


そのからフェンディの位置を予測し、大刀を振り上げた。


ブシュッ!


衣類ごと皮を切り裂く音が聞こえた。


「…ぐぅぅ!? 」


脇腹を抑え、地面に膝をついたのはロロットであった。


「ふふふ…」


フェンディが、片方の剣に付いた血を振り払う。

初めに大刀の柄に当たった剣は、ロロットを切り裂くのが目的ではなく、次の攻撃の布石であった。

片方の剣だけを大刀に当てながら、ロロットの側面に周り、もう一方の剣で脇腹を切り裂いたのだ。

フェンディは視力を奪う閃光とこの偽の攻撃を交えた剣撃で、立ちはだかる強敵達を打ち倒してきた。

二本のブロードソードは、とある騎士から奪い取った剣であり、彼女の戦いが強者に通用した証である。


「次はどこから攻撃しようかな? いや……目が治る前に仕留めるか」


年相応の少女のような明るい声を出していたフェンディであったが、刺すような冷たい声色へと変化した。

仲間の苦戦する姿が、フェンディの目に映ったのだ。





 カァン!


鉄を弾く音が周囲に響く。

その音が発せられた所に、対峙する二人の少女の姿があった。

一人は凛とした姿勢でブロードソードを両手で持ち、もう一方は痛めた手をナイフを持った手で押さえていた。


「はぁ…はぁ…馬鹿な! 何故、平気なんだ! 」


手を押さえていた方の少女、コスカリクが叫んだ。


「…ゴホッ、うえぇ…僕の聖法術のおかげだよ」


口の中に、残りがあったらしくそれを吐き出しながら、ネリーミアが答えた。

彼女の体の周りは、うっすらと白い光を放っている。


「くっ…もう一度! 」


コスカリクは、ネリーミアに背中を向け、白い線の入った黒い尻尾をフリフリと振る。

(イタチ)獣人の特別な血統であるコスカリクの尾には、激臭を放つ汗を出す機能がある。

この汗の激臭は、この世で一番臭い香りと称され、これを用いて戦うのが彼女の種族の特徴であった。

臭いを嗅いだものは、あまりの臭さに鼻を押さえ、ひどい場合は嘔吐までする者もいる。

こんな種族は嫌われて当然、と思いきやそうでもなく、彼女の種族は香水屋として世間に受け入れられている。

この臭いは本人達もきにしており、この臭いを消すために試行錯誤した結果、香水と呼ばれる化粧品を世に生み出したのだ。

もちろん、コスカリクは香水を付けていないため、尻尾の|臭い(破壊力)はそのままである。

しかし、直撃をしているにも関わらず、ネリーミアは平然としていた。


(教典を読んどいて良かった…)


ネリーミアは凛としながらも、そう心の中で呟いた。

彼女が嘔吐した後に、唱えた聖法術は守護光球であった。

しかし、以前使った時のように盾のように平たいものではなく、ネリーミアの体を覆う膜状に変化していた。

これは、ハンケンが考え出した守護光球の使い方で、教典の守護光球の記されているページに、メモ書きのように書かれていたものだった。

ザータイレン大陸からバイリア大陸へ向かう航海の最中、聖法術の勉強のために教典を開いたネリーミアがこのページを目にしていた。

この方法は、守護光球を膜状にするので、本来の使い方よりも頑丈ではないが、体を覆うことで状態異常を目的とした魔法の類を遮断することができる。

今回の場合は魔法ではないが、悪臭も遮断できるようであった。


「ぐ…本当に効かないのか。こんなこと初めてだ…」


尻尾を振るのをやめ、コスカリクは片手に持ったナイフを握り締め、ネリーミアに向かって走り出す。


キィン!


突き出されたナイフをネリーミアが難なくブロードソードで受け止める。

伸ばした腕を引き、コスカリクはナイフを何度も突き刺す。

素早い突きの連打が繰り出されるが、ネリーミアの体を傷つけることは出来なかった。


「くっ…」


尻尾の臭いと自分の技が効かないことに焦り、顔を歪ませるコスカリク。

ネリーミアは、その一瞬の隙を見逃さなかった。


「はああ! 」


カァン!


「ああっ! 」


焦ったコスカリクの手先が震えるのを見越し、ネリーミアはブロードソードを思いっきり叩き上げたのだ。

ナイフは、コスカリクの手に留まることなく、放物線を描いて飛んでいく。


「これでおしまいだよ! 」


ブロードソードで、コスカリクを殴りつけて昏倒させようとするネリーミア。


ガァン!


「なっ!? 」


しかし、振り下ろされたネリーミアのブロードソードは二本の剣により防がれた。


「ふーっ、危ない危ない。コスカリク、怪我はない? 」


コスカリクの前に立つのはフェンディで、二本の剣を交差させながら、ブロードソードを受け止めている。


「助かった。すまないな、フェンディ」


「君は、ロロットと戦っていたはず…」


フェンディに、コスカリクが礼を言い、ネリーミアが驚愕の声を出す。


「戦っていたはず? ……まぁ、こんなもんかぁ…」


フェンディはネリーミアに、嘲笑するかのような笑みを向ける。


「ロロットだって! ライヤ、そっちはお願いね! 」


フェンディは、三つにまで減ったキキョウの姿の、どれを攻撃しようか考えているライヤに声を掛けた。


「ん~? もう少しだったのになぁ。仕方ないねぇ、わかったよ」


ライヤは振り上げた鉤爪状の槍を下ろすと、歯をカチカチと鳴らす。


「ロロット! 敵を魔法で束縛できたわ。こちらに向かって思いっきり武器を叩きつけなさい」


すると、ライヤの口からキキョウの声が吐き出された。


「やるじゃん、キキョウ! そっちにあいつがいんだね! 」


ロロットはライヤの声に反応し、その声が聞こえた方向に向かって、大刀を振りかぶりながら跳躍した。


「じゃあね、キキョウ…って聞こえないかぁ」


ライヤは、三つのキキョウの姿にそう呟いた後、ゆったりとした足取りでその場から離れた。

キキョウは、何も聞こえないため、状況が分からず呆然と前を見る。

何故か、ロロットがこちらに大刀を振り下ろそうとしているからだ。


「バカっ! 何でこっ――」


ドォォォォン!


キキョウの声がロロットの耳に届くことはなく、大刀は振り下ろされた。

大刀の刃がキキョウに当たることはなかったが、地面を弾き飛ばすその衝撃でキキョウは吹き飛び、ゴロゴロと転がった後、地面に横たわる。


「ぐぅぅ…でも、これで……」


ロロットが脇腹を押さえて蹲る。


「ああ、ようやく一人目を倒せたわけだ 」


コスカリクがロロットの元へ行き、蹲ったロロットの顔面目掛けて蹴り上げた。


「……!? 」


ロロットは防御する間もなく、顔に蹴りを受けて昏倒した。


「これで、二人目」


コスカリクは、蹴られて動かなくなったロロットを見て呟いた。


「み、みんなが…」


次々と倒されていくロロット達を目にし、ネリーミアの顔は絶望の色に染まる。


「あと一人! 」


フェンディは、二本の剣でブロードソードを掴み、ネリーミアから奪い取る。


「それっ! 」


ドゴッ!


その後、無防備になったネリーミアの腹目掛けて蹴りを放った。


「うぐぅ! 」


ネリーミアは腹を押さえながら後ろに下がる。

腹に痛みに耐え、顔を上げると、三人の賊がニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。

三体一、圧倒的にネリーミアが不利である。


「これはポイッと! あとは適当にボコボコにして、身ぐるみを剥いで引き上げっと」


ブロードソードを投げ捨て、フェンディはゆっくりとネリーミアに近づいていく。


「コスカリクが一番早く終わると思ってたんだけどねぇ」


「仕方なかろう。こいつに私の臭いが通用しなくなったのだ」


ライヤとコスカリクもフェンディに続き、ネリーミアに足を向ける。


「……うう」


ネリーミアは、後すざりしながら呻いた。

色々と思考を巡らすが、一向に打開策が思いつくことはない。


「……兄さん」


何も思いつかないネリーミアは、助けを求めるかのように呟いた。

彼ならどうする、彼ならどうしていたかを思い浮かべる。

その時、あるイアンの言葉が頭をよぎった。


『後ろに賊が迫っていたぞ。もう少し周りを見ろ』


この言葉を想い出いたネリーミアは、胸をチクリと刺された気分になった。

そして、フェンディの行動を思い出す。

彼女は、仲間であるコスカリクの窮地に駆けつけた。

それができたのは、周りの状況を把握していないとできないことだ。

フェンディは自分の戦いに専念しながらも、常に仲間に視線を向けていたのである。

ネリーミアは、そんな彼女と自分を比較し、項垂れた。


「…そっか……周りを見るってこういうことだったんだね、兄さん」


ネリーミアの口から、力が抜けたような声が漏れた。


「おお、諦めちゃった!? でも、暴れられると面倒だから、どっちみち寝てもらうけどね! 」


フェンディは、片腕を上げる。

掲げられた剣が太陽の光を反射し、白い輝きを放つ。

その剣が振り上げられる瞬間――


サアァ…


一陣の風が草原の方からやって来た。


「うっ!? 」


「がっ!? 」


「ぅえ!? 」


その風が吹き抜けると同時に、フェンディ達は各々、体のどこかに衝撃を受け、高原のほうに向かって吹き飛ばされた。


「……え」


呆然としていたネリーミアは、目の前に白い戦士の姿があることに気がついた。

頭に耳が生えており、ネリーミアは彼女が獣人であると判断した。

純白の長い髪を後頭部で一つにまとめ、彼女の腰から伸びる白い尻尾のように、ゆらゆらと風に揺れている。

髪と同じ白い衣類の上に、銀色に輝く鎧を纏っていた。

片手に持つ白い槍は、穂先に刃が付いたものではなく、円錐状に長く、伝承に出てくる一角獣の角を彷彿としていた。


「……」


その白い人物は、身の丈ほどある白い槍を背中に背負い、ネリーミアに体を向けてこう言った。


「高原に、水色の髪をした少女が向かったと聞いたのですが、見かけませんでした? 」


振り返った白い女性の顔は、優しく微笑んでおり、その額より少し上の部分から、一本の白い角が生えていた。




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