第七十話 親愛
バエンが牢城を制圧した後。
捕らえられたカンホは、自分の身の潔白を訴え、逆に、攻め込んできたバエンを逆賊として訴えた。
しかし、カンホの行った悪事の数々はバエンによって、他の町役人達のみならず、国王にも知らされていたため、カンホの言うことを信じるものはいなかった。
これにより、カンホは町役人の任を解かれ、罪人として牢城に収容されることとなった。
イアン達は事が済んだ後、バエンの屋敷にて一夜を過ごした。
そして夜が明けた次の日――
「旦那さま、船長殿からの使いから伝言です。どうやら、船の修理が完了したそうで、乗客の準備ができしだい出港するようでございます」
召し使いが、バエンに告げた。
バエンがいる場所は、人が大勢集まれる部屋で、バエンの他にイアン、ロロット、キキョウ、ハンケン、ネリーミアがそこにいた。
「そうか、聞いたな皆の者」
バエンが召し使いを下がらせ、その場にいる者の顔を見回す。
「ハンケンよ、こちらの準備は出来ている。いつでもいいぞ」
イアンが、ハンケンにの顔を見る。
「ま、そうだな。船に乗るとするか。バエン、俺たちゃもうここを出るぜ」
「そうか…また会おう友よ」
「ああ、いつか…な」
ハンケンはバエンにそう言った後、部屋を出て行く。
ネリーミアもハンケンに続いて部屋を出て行った。
「俺たちも行くとするか。バエン、世話になった」
イアンは席を立ち、バエンに向かい礼をした。
「いや、気にするな。むしろ、君のおかげでようやくカンホを征伐する決意ができたのだ」
「……むう、その言い方では、利用された気がするのだが…」
「はっはっは! 気に障ったか? しかし、本当に助けられたよ、君たちには」
バエンは、イアンに続いてロロットとキキョウを見た。
バエンと目が合うとキキョウは礼をし、ロロットもキキョウの姿を見て慌てて礼をした。
「おっと、話すぎたかな。行くといい、ハンケン達が待っているぞ」
「ああ…行くぞ、ロロット、キキョウ」
「うん! 」
「承知! 」
イアン達も部屋を後にした。
イアン達とハンケン、ネリーミアが最後の乗客だったらしく、彼等が乗ると船は沖を目指して進みだした。
イアンが、ふと港の方へ振り返るとある光景を目にし、ハンケン達へ声を掛ける。
「ハンケン、それに皆、港の方を見るといい」
ハンケン達が何事かと港の方へ顔を向けると、バエンとその兵達がこちらに向かって手を振っていた。
「あっ…シチンもいる」
ロロットは、こちらに向かって単体棍棒を振っているシチンに気がついた。
「キョウもいるわ。あいつ、バエンさまの兵にでもなったのかしら」
キキョウは、兵の中にキョウの姿があるに気がつき、目を見開いた。
「ハンケン」
ネリーミアは、傍らにいるハンケンに声を掛けた。
「おう、わかってるさ。あいつめ、さっき挨拶したってのに…」
ハンケンは、ネリーミアに返事をした後、船の転落防止策の上に上り――
「またなああああ! バエエエエン!! 」
と大声を出しながら、大きく手を振った。
その時、港の方から大きな歓声がこちらに響き渡ってきたのであった。
――船がシコウを出てから五日後。
船は何事もなく進み、ようやくザータイレン大陸の西側に位置する国、ユンプイヤに辿り着いた。
イアン達の乗る船は、その国のカヤフォという町に停泊した。
「ひー、ようやく着いたぜ」
船から降りたハンケンが体を伸ばしながら言った。
「寺院とやらはどこにある? 」
イアンが、ハンケンの背中に向かって問いかける。
「ここからそんなに距離はないぜ。てことで、依頼もここまででいいか…」
「うん。後は僕一人でもなんとかなるよ」
ハンケンの隣に立つネリーミアは、イアンに向かって微笑む。
「そうか……ん? ハンケンよ、報酬はなんだったか? 」
イアンが首を傾げた後、ハンケンに訊ねた。
「そいつは……なんだっけ? 」
「なんだろうな? 」
ハンケンとイアンは、二人して首を傾げた。
その二人の様子を見て、ロロット、キキョウ、ネリーミアは足を躓きかけた。
「もしかして、私達は、報酬の約束もせずに依頼を受けていたのでは? 」
キキョウが、イアンに言った。
「…そうかもしれないな。ハンケン、どうする? 」
「うーん…イアンよぅ、何か欲しいものはあるか? 」
ハンケンは、困り顔でイアンに訊ねた。
「欲しいもの……欲しいというか知りたいものがあるのだが…」
「おおっ! そいつを聞かせてくれ! 力になれることかもしれん…たぶん! 」
「力にならなきゃダメだよ、ハンケン…」
ネリーミアは、ため息をついた。
「金の斧…というのに何か心当たりはないか? 」
「金の斧…か……」
ハンケンは腕を組んで考え出した。
その後、手をポンと叩いてイアンに言う。
「ああ! もしかしたら、あれのことかもしれん! イアン、悪いが寺院まで一緒に来てくれ」
「ああ」
イアンは、ハンケンに連れられて寺院に繋がる道を歩き出した。
カーリマン寺院――
義と癒しを司るカーリマンを象った像に対し、様々な儀式を行っている。
教会とは異なり、その寺院に属する者以外は立ち入りを禁じられていた。
この寺院があるのは、カヤフォの町から北に進んだ辺りで、ハンケンが言うようにすぐ辿り着くことができた。
「イアン、ここで待っててくれ」
ハンケンはそう言うと、寺院の中に入っていく。
ネリーミアもその背中を見ていた。
「ネリィは、寺院の中に入れないのか? 」
イアンは、ネリーミアに訊ねた。
「うん。僕は、ハンケンの弟子って言ったけど、まだ法師でもなんでもないからね」
「そうなのか…」
とイアンとネリーミアが話している間にハンケンが戻ってきた。
その両腕に抱えられているのは、金色に輝く斧であった。
「はぁ…はぁ…こいつで…いいか? 」
息を切らせながら、イアンに聞いてくる。
「あ、ああ、オレはいいが…これは持って行ってもいいものなのか? 」
イアンは不安になり、思わず聞き返してしまう。
「いいぜ! 気にすんな! 」
「……そうか」
イアンは、ますます不安になりながらも、金色の斧を受け取る。
「……思ったより軽いな」
金色の斧は、その重厚そうな形状にも関わらず、軽いものだった。
「イアンの探しいた斧と違った時は、売ったらいい」
ハンケンは、イアンの肩をポンと叩く。
「いいのか、本当に…」
イアンは、何度目かの不安の声を口にした。
「よし! 報酬も渡したことだし、これで依頼完了だな! 」
「ああ……さて、カジアルに戻るとするか。ハンケン、ネリィまたな」
「またね! 二人共」
「また会いましょう」
イアン、ロロット、キキョウは、寺院に背中を向け、カヤフォに向かって歩き出した。
その後ろ姿をハンケンとネリーミアが見つめる。
「ネリィ」
ふと、ハンケンがネリーミアを呼んだ。
「なに? 」
「おれは、これから寺院の法師として、祈りや儀式を執り行うことになる」
「うん」
ネリーミアとハンケンは顔を合わせず、前を向いて会話する。
「これからずっと、おれはここに縛られ続けることになる。それもわかっているか? 」
「うん……」
ハンケンの言葉を受け、ネリーミアの表情が曇る。
「そうか…なら、そんな男の傍にいる愚かさもわかっているな」
「…! …でも! 」
ネリーミアは遂に、ハンケンへ顔を向けた。
ネリーミアの見るハンケンの顔を決意に満ちた表情をしており、真っ直ぐネリーミアの目に視線を合わせて顔を向けてきた。
「おまえが聖法術を習おうと思った理由はなんだ? 」
ハンケンがネリーミアに問いかけた。
「……人を助けたいと思ったから」
「そうだろうよ。こんなところで、わけの分からんことをしながら引きこもって、人を助けられると思うか? 」
「……」
ネリーミアは、答えられなかった。
「正直、おれは寺院の命令を断ろうと思ったが、年には勝てねぇ…旅を続けるのが辛いのさ」
ハンケンは顔に手を当て、刻まれた皺を撫でる。
「でも、おまえはまだ若い! そんで、こんな老いぼれに付き合う必要も無い! これからは――」
ハンケンは、ネリーミアの両肩に手を乗せた。
「自分が思う尊きものを守りなさい」
ハンケンは優しい声音でそう言った。
ネリーミアは、キョトンとハンケンの顔を見る。
「へっ! もういるくせに…」
ハンケンは、ネリーミアの顔を見て、呆れたように呟き、懐から紙を取り出した。
「こいつをおれ以外の…自分が信用できる奴に渡しに行け。それ以降は、そいつについて行け! 」
ネリーミアは、ハンケンの差し出した紙を受け取った。
ネリーミアはようやくハンケンの言わんとすることに気づき、顔を上げる。
「ハンケン! …………」
ネリーミアは、何かを言おうとしたが言葉が見つからなかった。
どうしていいかわからず、表情を曇らせるネリーミアを見て、ハンケンは仕方なさそうに笑い――
「……あっ! 」
ネリーミアを抱きしめた。
「今までありがとう、ネリィ……おれはもう大丈夫だ」
そして、ハンケンは、ネリーミアは抱きしめたままそう言った。
「…うっ……」
ネリーミアもハンケンに腕を回し――
「ありがとう、ハンケン…僕を拾って…色々教えてくれて……」
と涙ながらにハンケンに言った。
しばし抱きしめあった二人は、やがて体を離す。
そして、ハンケンは思い出したかのように、懐から紙を丸めた物をネリーミアに渡した。
「こいつは、餞別だ」
ネリーミアは、それを受け取ると驚愕で目が見開かれる。
「こ、これは、聖法術が記された教典…ハンケン、これを僕が持っていてもいいのかい? 」
「ああ、いいさ。おれにはもう必要ねぇし、おまえに教えきれなかった術はそこに全て記してある」
「……ありがとう、ハンケン」
ネリーミアは、ハンケンに向かって頭を下げた。
「へっ! さあ、行け! イアンに置いて行かれちまうぞ! 」
「う、うん! 」
ネリーミアは、教典をしまうとカヤフォに向かって走り出した。
「ネリィを頼んだぜ…」
ハンケンは、娘同然の存在である少女の背中を見送りながら、誰に言うこともなくそう呟いた。
イアン、ロロット、キキョウの三人は、カヤフォに停泊する船の上にいた。
はるばるユンプイヤに来たイアン達であったが、バイリア大陸に着くまでの時間が膨大であるため、すぐに帰ることにしたのだ。
ジャーン! ジャーン!
船の出港する合図だろうか、銅鑼を叩きつける音が響き渡る。
「やぁーっ! とぉーっ! 」
ロロットは、弧炎裂斬刀を振り回して鍛錬を行っていた。
「……」
イアンは、カヤフォの町をぼんやりと眺めていた。
「兄様…」
そこへ、キキョウがやってきた。
「キキョウか…どうした? 」
「それはこっちのセリフよ……さっきからどうしたの? 」
キキョウは、イアンを心配そうな顔で見ていた。
「いや、なに…ここに来るまで色々あったな…とな」
イアンは、キキョウに顔を向けることなく、カヤフォを見続けながら答えた。
「…そうね……兄様はあの娘…ネリーミアとずっと一緒だったわね。あの娘がどんな人だったか聞かせてくれないかしら? 」
キキョウは、イアンに訊ねた。
イアンはフッと笑い、キキョウに答える。
「おまえが感じたように、優しい奴だったよ。顔を晒すことに耐え切れなくて、少々いざこざがあったが、なんとか乗り越えた」
「ふふ…まだ、君と一緒じゃないと辛い時があるけどね」
「……ん? なに? 」
イアンは、この場にいないはずの声を聞き、疑問を口にした。
顔を振り向かせると、そこにはキキョウがいるだけで、その声音を持つネリーミアの姿は見えなかった。
「……? 」
イアンは、首を傾げる。
「やったね、キキョウ。イアンは気づいてないよ」
イアンの目の前にいたキキョウが、横を向いてキキョウの名を呼んだ。
イアンもその方向へ顔を向けると、キキョウがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「……ああ、やってくれたな、お前たち」
イアンは、何が起きているかを理解し、二人のキキョウに向かってそう言った。
「ふふふ、ごめんなさい兄様。この方法なら兄様を欺けるかと思ったので」
こちらに向かってくるキキョウが、扇を振るう。
すると、イアンの目の前にいたキキョウの姿が歪み――
「ついやっちゃったんだ」
ネリーミアの姿に変化した。
「はぁーああああ!? 」
鍛錬していたロロットは、いきなりネリーミアが現れて、驚きの声を出す。
「真似鏡像をネリーミアに被せたのか。気づかんというより、予想できんぞ」
イアン体をネリーミアの方に向ける。
「あはは…イアン、忘れ物だよ」
ネリーミアは、イアン
「ん? この紙は……ああ、依頼達成証明書か。忘れてた」
イアンは、依頼達成証明書を受け取り、それをしまう。
すると、ネリーミアがイアンに向かって頭を下げた。
「お願い! 僕もイアンの仲間に入れて! 君の力になりたいんだ」
「なに? 」
突然、ネリーミアにそう言われたイアンは驚いた。
「ええ!? 」
「ん? なんですって? 」
ロロットとキキョウもネリーミアのその言葉を聞い、驚いた。
「あなたは、その依頼達成証明書を渡しに来ただけではなかったの? 」
キキョウが、ネリーミアに訊ねた。
「ううん、僕は、イアンと共に旅に出るためにこの船に乗ったんだ」
「ふぅん。まぁ、あなたにも色々と思うところがあったのね。兄様、どうするの? 」
キキョウが、イアンに答えを伺った。
「うん? もちろん、構わないが…むしろ、大歓迎だ。ネリィがいれば、回復薬代がうく」
「……それ、ここで言うこと? 」
そう答えたイアンにロロットが口を出した。
「…! やった…これで僕も…」
それでも、ネリーミアには十分な答えだったらしく、顔を輝かせてイアンを見る。
「ああ、これからオレ達が傷ついたら治してくれ。よろしくな、ネリィ」
イアンは、ネリーミアに手を差し伸べる。
ネリーミアは、差し伸べられた手を両手で包み込み――
「うん、任せて! イ……兄さん! 」
と言った。
「「「兄さん? 」」」
イアン、ロロット、キキョウの三人が思わす聞き返してしまった。
「…え? イアンの仲間になったら、そう呼ぶルールじゃないの? 」
ネリーミアが、キョトンとした顔で言ってきた。
「そんなものは無い。こいつらが勝手に、俺を兄と呼んでるだけだ」
イアンは、自分がそう言わせていると勘違いされ、少しムッとした。
「うん」
「私達は、好きで兄様とお呼びしていたのよ」
ロロットとキキョウも自分達が言ったことだと強調する。
それらを聞いたネリーミアは――
「……そう、なら僕も兄さんって呼ぶよ。よろしくね、兄さん! 」
やはり、イアンを兄と呼ぶのだった。
「……好きにしろ」
イアンは、肯定も否定もせず、ただそう言った。
「うん! それで、君達のことは、姉さんと呼べばいいのかな? 」
「「えっ!? 」」
まさか、自分達の呼び方も変えにくるとは思わず、ロロットとキキョウの二人は、驚愕した。
「いや、いいよ、ロロットで! 」
「私もキキョウでいいわ! あなたに姉と呼ばれると…」
二人は、全力で否定した。
年上であるネリーミアに姉と呼ばせるのに気が引けたからだろう。
「…? そう? じゃあ、ロロット、キキョウって呼ぶね。僕のことはネリィって呼んでくれると嬉しいかな」
「「よろしく、ネリィ」」
「見事に被ったね、君達……あっ! ということは、二人にどっちが姉とか無いんだ」
「あたしが姉よ! 」
「私が姉よ! 」
再び、ロロットとキキョウの声が重なり、二人は互いににらみ合う。
「……あれ? 」
ネリーミアの顔が凍りつく。
「「ふん! 」」
ロロットとキキョウが取っ組み合いを始めたからだ。
「…しばらく、この話を置いてたけど…決着を着ける時が来たみたい」
「ふん! ネリィはともかく、おまえが私の姉とか……」
二人はグイグイ押し合いながらそんなことを言っている。
「ちょ…二人共! やめて」
ネリーミアが二人の止めに入る。
「ふむ……ネリィという止める役が増え、再び衝突するようになったか……」
イアンは、冷静に今の状況を分析した。
「に、兄さん! そんなこと言ってないで手伝って! 」
「いや、オレを兄と呼ぶことはおまえ達の勝手であると言った。この問題は、おまえ達で解決するのだな」
イアンは、そう言うと踵を返して、奥に行ってしまった。
「そ、そんな~」
港を離れる船に、ロロットとキキョウの喧嘩を止める役を押し付けられたネリーミアの絶叫が木霊した。
三章終了。




