六十一話 ネリーミア
ズイカ村の一角で、村にいた人々が一斉に松明を付け始める。
多数松明の数は、円状になっており、その中にイアンとサラがいた。
明かりが無かったため、武器を持っているのは分かるが、人々の顔がよく見えなかった。
松明の明かりに照らされて、ようやくその顔があらわになる。
「やはりな…」
人々の顔を見て、イアンは心の中でそう呟いた。
人々は皆、目を瞑っており、中には口を開けている者もいる。
その顔はまるで、寝ているように見えた。
「寝ている人を操る…まぁ、だいたい予想通りだったな」
(でも、起きてるときは、こんな感じじゃなかったよね? どういうこと? )
サラの疑問の声が、イアンの頭に響く。
「恐らくだが、起きている間は操れないのではないかと思う……しかし……」
イアンはそう念じると、目の前の人物を見据える。
その人物の顔は、覆面のように黒い帯で包まれて良く見えない。
「魔法が解けた後、村から出られないように精神か何かを弄って、村に縛り付けているな」
(昼間は村で普通に暮らさせて、夜になったら操って武器を作るの繰り返し…ってことね…おっと! )
サラがそうイアンに念じたとき、何かに気づいた。
(イアン、中の人達もこっちに向かってきてるみたい! どうするの!?)
背後に立つ建物には、武器の製作所がある。
その中から、こちらに近づいてくる多数の足音をサラは聞いたのだ。
(……あまり、やりたくないが……サラ、オレに掴まれ)
(……?)
疑問に思いながらも、サラはイアンにしがみついた。
そのままイアンは、しゃがみ込んだ。
「サラファイア! 」
ボン!!
イアンは、両足の足下から炎を出し、一気に上空へ跳躍した。
(おおーっ! 上に逃げるっていう手があったね! )
イアンの頭の中に、サラの弾んだ声が響く。
ズシッ!
そしてイアンは、家屋の上に着地する。
(ぐぅ…加減を調整せねば……飛びすぎた)
体を震わせながら、イアンは心の中で愚痴る。
イアンは、炎の勢いでその民家三戸分の高さまで飛んでしまい、着地の衝撃が凄まじかったのだ。
(ええっ!? 大丈夫? 着地するときにも使ったほうがいいよ)
(それだと、あと二回しか使えないではないか。もう動ける…このまま、宿屋に向かうぞ)
(う、うん! )
イアンとサラは、宿屋を目指して走り出す。
しかし――
(!? イアン、止まって!! )
「…! なにっ!? 」
ボウッ!
サラの念話により、イアンが走る速度を落とすと前方に、黒い炎が降り注ぎ、屋根をえぐりながら燃えている。
(闇魔法…やっぱり使えるんだね…)
「後ろか? 」
イアンが、後ろを振り向くと、視線の先に人影が映る。
右手に剣を持ち、左手をこちらに突き出しているのが、微かに見える。
「サラ…闇魔法とは何だ? 」
(魔族とかネリィーみたいなダークエルフが得意な魔法だよ。破壊に特化した魔法で、物を壊したり、生命に直接危害を加えたりできるよ。それより、早く! みんなが来ちゃうよ!)
サラに促され、視線の奥に目を向ける。
幾つもの松明の明かりが、こちらに向かってくるのをイアンは見た。
「サラ…皆を食い止めに行ってくれないか? 」
(えっ!? みんなは操られているだけだから、殺しちゃダメなんじゃないの? )
サラの目が見開かれる。
「もちろん殺してはいけない。死なない程度に、火で追い払ったりできるだろ? 」
(うーん…やってみる。とりあえず燃やしちゃダメってことね、いってきまーす! )
サラは、ヒラリと地面へ舞い降りる。
(よっと! むむむ…えーい!! )
サラは炎を体に纏わせ、炎の玉と化し、明かりの集団に向かって突っ込んでいった。
「……大丈夫か? 」
イアンは、松明の小さな明かりが飛び散る光景を見て、少し不安になる。
その後、正面に向き直ると、目の前に覆面の者がいた。
「さて…その顔に巻いた帯を外してもらうぞ。まだ、依頼が終わってないからな」
イアンは、ホルダーから戦斧を取り出した。
夜のズイカ村の家屋の屋根。
その上から、鉄と鉄がぶつかり合う音が響く。
一方は戦斧、もう一方はブロードソードである。
「寝ている癖に、しっかり動くのだな…」
覆面の者の動きは、かつて共に戦っていた時の動きと、寸分の狂いもなく同じ動きであった。
改めてその動きを見ると、攻撃からの防御、フェイントを混ぜた攻撃、間合いの取り方のいずれもしっかりとこなされ、誰かの手解きをきちんと受けたのがよく分かった。
「ベルギアもあまり変わっていなかった…操られている分、弱くなってもいいだろうよ…さて…」
イアンは、戦斧を振り上げ、ブロードソードを弾く。
覆面の者が仰け反って動けない隙に、その体にイアンの手を当てる。
「……」
「……」
覆面の者は、振り上げられたブロードソードを逆さまに持ち替え、上からイアンを突き刺そうとする。
それを避けるため、イアンは後ろに跳躍した。
「ちっ…ダメか」
イアンが試みたのは、精神操作の解除である。
イアンの持つ白いアクセサリーは、精神等を支配される類の術から所持者を守るというもの。
それだけではなく、所持者が触れた者にかかった術も解除できるのだ。
しかし、覆面の者は正気に戻らなかった。
「寝ている間は無理か? となると、目を覚まさせないとダメか…」
イアンが思考に耽っている間、覆面の者はブツブツと何事か呟いていた。
それは、魔法の詠唱であり、発動する準備は既にできてしまっていた。
覆面の者は、イアンに向けて左手を突き出す。
ボォォォ!
左手のひらから、黒い炎が生み出され、イアン目掛けて飛んでいく。
イアンは、それが触れる直前で横に回避した。
「遅い。聖法術の他にも、闇魔法とやらを使えるようだが、それがどうしたというのだ」
イアンは、覆面の者目掛けて走り出す。
「……むっ! 」
何かに気づいたイアンは、途中で足を止め、身を翻しながら後方へ跳躍した。
ボウッ! ボウッ! ボウッ!
イアンの前方に、連続して黒い炎の玉が降り注いだ。
黒い炎により、屋根はえぐられてしまう。
イアンが後方に下がらず、先へ進んでいたら黒い炎の餌食になっていただろう。
「危うい…しかし、どこから飛んできたというのだ? 」
イアンは、周りを見回す。
前方には覆面の者が立っており、新しく魔法を放った動作はしていなかった。
左右後方には、魔法を放てる者はおろか、誰もいなかった。
イアンが正面に顔を戻すと、詠唱が終わったのか、覆面の者から再び黒い炎が放たれる。
三つ同時に放たれ、上、右、左の三方向からイアンを囲むように飛んでくる。
「数を増やせば当たるとでも……なにっ? 」
イアンが黒い炎の群れを潜り抜けた瞬間、それぞれの炎が破裂し、多数の黒いの炎の玉と化した。
その黒い炎の玉たちは、一斉にイアンに襲いかかる。
ボボボボボボ!
黒い炎の玉は、家屋の屋根を粉々にして行く。
イアンは、走り回って、黒い炎の玉を躱していたが――
「むっ! 」
前方から、ブロードソードが迫って来るのに気づき、身を低くして躱す。
イアンが逃げている間に、覆面の者は近づいていたのだ。
これはイアンにとって攻撃を行う絶好のチャンスでもある。
しかし、イアンが攻撃を行うことはなかった。
黒い炎の玉の追撃が続いていたからだ。
やむを得ず、イアンは、黒い覆面の者の横を走り抜ける。
再び、覆面の者は、黒い炎の玉をイアン目掛けて放った。
「くそっ! 完全に奴の術中にハマってしまった」
黒い炎の玉の追撃により、イアンは回避に集中しなければならず、覆面の者が近づいてきても攻撃を行えない。
傍から見たら、イアンは黒い炎の玉の嵐の中におり、袋の鼠状態だった。
「キキョウみたいなことをやりおって……ふむ」
攻撃を躱しながら、愚痴るイアン。
その愚痴がきっかけか定かではないが、その時、イアンは一つの策を思いついた。
しかし、策というより博打のようなものであるが。
「玉が邪魔だな…この際、多少は目を瞑るか」
イアンは足と止め、体を屈ませながら、覆面の者に体を向ける。
「サラファイア! 」
ボンッ!
足下から炎が吹き出し、イアンは覆面の者に向かって、屋根に対してほぼ水平に飛んでいく。
「ぐぅ…」
前方に漂っていた黒い炎の玉が、体を掠め、イアンは苦悶の声を上げる。
その甲斐あってか、イアンは覆面の者に辿り付き、正面から覆面の者の腹に組み付いた。
ゴッ!
勢いのまま、覆面の者を巻き込んでイアンは、サラファイア発動地点から数メートル移動した。
飛んでいた黒い炎の玉は、イアンに追いつけず、虚しく屋根を破壊していくのだった。
イアンは、覆面の者を押し倒し、その体に右手を当てる。
「まだ暗いが、起きる時間だ。弱めのリュリュスパーク! 」
「……あっ!? 」
パリッと、小さな雷撃が覆面の者に放たれた。
振りほどこうとしていた手が止まるのを確認したイアンは、覆面の者に巻かれた帯を解く。
淡い紫色の髪をしたネリーミアの素顔があらわになった。
つまり、覆面の者の正体は、ネリーミアだったのである。
「ぐっ…手間を取らせおって…」
イアンは、黒い炎の玉を受け、体力が著しく消耗しているため、体勢を崩す。
「…あれ? ここは…イアン……? 」
どうやら正気に戻ったようで、ネリーミアがぼんやりと、イアンを見ていた。
「…ん……はっ!? 」
顔に手を当てて、体を起こした瞬間、バッと立ち上がり、イアンに詰め寄ってきた。
「返して! なんで帯を外したの!? 」
「やはり、これはおまえの意思か…言っただろう、顔を晒さなければ依頼は受けんと」
イアンは、帯を高々と掲げ、ネリィの手が届かないようにする。
「僕はこの村に残るっていったじゃないか! もう関係ないんだよ! 」
ネリーミアは、必死に手を伸ばしながら喚く。
「…触れてもこれは治らないか……しかし、今の状態だと、ネリィの本音が一部聞けるようだな」
必死に帯を取ろうとするネリーミアを眺めながら、イアンはそう呟いた。
「何故、顔を隠す? 」
「僕が…ダークエルフがみんなに嫌われているのを本当に知らないのかい!? 僕はね、姿を見られただけで、みんなにいじめられるのさ! だから、早くそれを…」
「ほう…やはり、前に言った理由は建前か……今ここにいるのは、オレとおまえだけで、オレはおまえのことが嫌いではないぞ? 」
そうイアンに言われて、ネリーミアは周りを見回した。
「……そうだけど…イアンが、そう思ってくれてるのも…」
ネリーミアは、両手でイアンの体を掴み、顔を俯かせる。
「…嬉しかった……それと同時に、イアンが僕を嫌いになるのが怖かった。だから、イアンに言われて、顔を出すようにしたんだ」
ネリーミアの声に、涙声が混じって来る。
「嫌われるのが怖くて、頑張ってたけど……耐え切れなくなったんだ…やっぱり、人の視線が怖い…いじめられる……」
「耐え切れなくなった…か…」
イアンは、この町に来た時の事を思い出す、ネリーミアはイアンの袖を摘んでいた。
イアンは気に留め無かったが、その行動が助けを求めている信号だったのだ。
今更それに気づいたイアンは、その時に気付かなかった自分を悔やんだ。
「すまなかった…気づいてやれなくて……だが、このまま顔を隠し続けていたら一生、顔を出せなくなる」
「…でも……」
イアンは、そっとネリーミアの頭に手を添え、イアンの顔に向けさせる。
「次は気づけるようにする……だが、気づかない時もあるだろう。だから、辛くなったら、ちゃんと言ってくれ。オレがなんとかしてやるから」
イアンは、ネリーミアの目をしっかりと見据え、伝えた。
イアンの瞳は揺れず、ネリーミアの瞳を真っ直ぐ見つめていた。
「…………うん…」
ネリーミアは、ゆっくり頷いてくれた。
ネリーミアに肩を貸してもらいながら、イアンは宿屋に辿り付いた。
サラが頑張っているようで、人が集まってくる気配がない。
「ネリィ、もういいぞ、下がっていてくれ。できれば、サラの方へ行って欲しい」
「……大丈夫? 僕が回復したけど、今日はもう…」
「だろうな。だから、一撃で決める」
イアンは、ネリーミアを背に、宿屋の扉を開いた。
宿屋の中は以前と変わらず、カウンターに店主が立っている。
「やれやれ、迷惑な客を泊めてしまうとは…このバクギ、一生の不覚…」
店主が、帳簿をパラパラと捲りながら言った。
「…お前は、こいつに見覚えがあるか? 」
イアンは、右手首にできた三つの痣を店主に見せた。
「ええ、我ら五御大のうち二人を倒したようですね」
「そうかなら、このうちの一つを解除してもらおう……その前に、お前はこの村で何がしたかったのだ? 」
「…いいでしょう。冥土の土産に教えてあげます。この村で私は、自分の意のままに動く軍隊を作ろうと思いました。しかし、私の能力は、眠った者を操る能力。人が起きている昼間はどうしよもありません」
「……」
「そこで、眠っている間に、村に縛り付けるよう、記憶を一部書き換える術を身につけました。それを実践した結果、この町が出来上がり、軍隊も着々と出来上がってきています」
「今日でそれも終わりだがな」
「いいえ…あなたはここで始末させて頂きます。五御大を二体も相手にしたのでしょう? 伏魔殿はご存知で? 」
「伏魔殿…知ってるぞ。だから、どうした? 」
「ふふ…伏魔殿とは、五御大の住処だけではなく、力を増幅させるもの……私の強化された真の姿をご覧あれ」
パンッ!
店主――五御大のバクギが帳簿を閉じた。
ゴゴゴゴゴゴ…
その後、宿屋が急に揺れだした。
「…これは、外に出たほうが良さそうだな…」
イアンは、宿屋から飛び出し、振り返った。
宿屋の形が、徐々に変化していき、巨大な妖魔になった。
体長は、宿屋の高さと同じで、十メートルを越えるほどある。
体は、ブヨブヨとしており、顔には長い鼻を持って、二本の足で立っていた。
「五御大が一妖、夢操座商 バクギ。このまま踏み潰して差し上げます」
バクギの巨大な片足が持ち上げられる。
「踏みつぶせるものならばな、サラファイア」
ボンッ!
イアンは、足下から放たれた炎により、バクギの顔の高さまで到達した。
「操った者の目から見ていたので知っていましたよ」
バクギは、顔を振りかぶる。
長い鼻で、イアンを弾き飛ばそうというのだろう。
「これは知らないだろう? 来い、シルブロンス! 」
イアンの足のあたりに、銀色の光が生まれ、そこから銀色の斧―シルブロンスを取り出した。
「なっ!? なんですか、それは!? まっ、眩い! 」
シルブロンスは、銀色の光を放ち続ける。
「気休めにしかならんが言っておく、今まで戦ってきた五御大の中で一番お前が……」
イアンは、シルブロンスを振り下ろす。
銀閃が、バクギの顔目掛けて飛んでいく。
「手間取ったぞ」
「グギャアアアアア!! 」
ズシーン!
銀閃によりバクギの顔は真っ二つになり、仰向けに倒れ出した。
「…後は……どうするかな……」
イアンは、空中に漂いながら呟いた。
着地する術は、イアンに残されていなかった。
(イアーーーーーーン)
すると、イアンの頭の中で叫びながら、炎の玉が飛んできた。
イアンの元まで来ると、炎が掻き消えサラの姿あらわになる。
(お疲れ! 後は任せて! )
「ああ…頼ん……だ…」
イアンは、サラに抱えられたのに安心し、ゆっくりと瞼を閉じていった。
夜が明け、朝になると人々は、元いた村へ帰っていく。
泣いてばかりいた女性も、笑顔になり夫と共に、自分の村に帰っていった。
やがてズイカ村から人が消え、伏魔殿の周りにできた家屋だけが残った廃村と化してくだろう。
その廃村の様子を眺めながら、イアン、ネリーミア、サラの三人は歩いていた。
(せっかく建てたのに勿体無いね)
(仕方なかろう。皆、早く自分の家に帰りたいのだ。おまえも家に帰りたいのだろう?)
(そうだけど…イアンがまだサナザーンにいる間は一緒にいるからね! )
(わかった、わかった……ん? )
イアンとサラが念話をしていた時、イアンの袖が引っ張られた。
「どうした、ネリィ? 」
「うん…少しこのままでいいかい? 」
ネリーミアが、イアンの袖を掴んだまま、イアンの傍らに並ぶ。
イアンは、周りを見回し、人々の視線がこちらに向いているのに気がついた。
「……オレは、何をしたらいい? 」
なんとかすると言った癖にこのザマである。
しかし、ネリーミアは首を横に振った。
「ううん、こうしているだけでいいの……イアンと一緒にいると勇気が湧いてくるから……」
「うぅむ……そうか? 本当に辛くなったら言うんだぞ」
「うん! 」
(あはは! ネリィー赤ちゃんみた――ぶごぉ!? )
イアンは、空いた手で、サラの頭にげんこつを食らわせた。
「…? サラがなんか言ったの? 」
「ん? ちょっとな……」
サラが不貞腐れ、ネリーミアはイアンに寄り添って共に歩いていく。
時折、イアンが、ネリーミアに顔を合わせると、彼女はニッコリと微笑み返してくるのだった。




