五十五話 伏魔殿
イアンとネリーミアが、ホレ村に辿り着いた次の日の朝。
二人は、ホレ村から生贄を強要する妖魔を討伐するため、砂漠を歩いていた。
その妖魔は、伏魔殿と言われる殿堂を築いているらしく、二人はそこへ向かうため、ホレ村から東南方向を進んでいる。
伏魔殿と思わしき殿堂は、遠くからでもよく見え、その建物の高さは低いながらも、広大な面積を有しているのが確認できる。
「あれが、伏魔殿か…ネリィ、近くに妖魔とやらの仲間がいるかもしれん。周りを警戒するぞ」
「うん……ねぇ、イアン、本当にいいの? 」
ネリーミアが、おずおずとイアンに訊ねた。
今のイアンは、武器を一つも装備していなかった。
戦斧を固定しているホルダーは、ネリーミアが付けている。
「仕方なかろう、奴は村長の娘に傷を付けられたのだ。恐らく、武器を隠し持っていないか用心するだろう」
「いや、そっちじゃなくて…その…女の人の格好……」
「ああ、そっちか…」
イアンは、顔を下げて、自分の格好を見下ろす。
村長の娘が着ていた服はイアンが着るには、少々大きいサイズではあったが、問題なく着こなしていた。
イアンは、女装をして、妖魔に近づこうと考えた。
先程、イアンが言ったように、武器を持ち運べそうにないが、彼にはリュリュスパークがある。
それを放って、妖魔を倒す策をイアンは思いついたのだ。
しかし、自分で考えたくせにイアンは、すごい嫌そうな顔をしながら、村長の娘の服に着替えていたのであった。
着替え終わったイアンの顔を見たネリーミアは、彼が女性の格好或いは、女性扱いされるのが嫌なのだと思ったのだ。
「妖魔を倒すには致し方ない……それに、おまえに危険な役はやらせられない」
「うーん…僕は別によかったんだけどな…………それにしても、よく似合ってる」
「ん? 何か言ったか? 」
「え!? ううん、何でもないよ! 」
「…? そうか…」
「ふぅ…」
ネリーミアは、後半の呟きがイアンの耳に入らなかったことに安堵した。
しばらく歩いている間に、伏魔殿を囲む大きな塀の門の手前に辿り着いた。
門の周りに、見張りの者はいなかった。
「よし、ネリィはどこかに隠れていてくれ」
「うん、わかった。騒がしくなったら駆けつけるよ」
「頼んだ」
生贄のふりをしているイアンは、ここでネリーミアとしばしのお別れとなる。
一人になったイアンは、門の扉を数回叩いた。
「おーい、来てやったぞー」
ギィィィィ…
片方の扉が、ゆっくりと外側に開き、中から人相の悪い男が顔を出した。
その男が、イアンをじろじろと眺めながら訊ねてくる。
「……お前が今年の生贄か? 」
「ああ。だから、もう生贄を送るのは今年限りにしてほしい」
「それはお前の努力次第だな。中へ入れ、御大がお待ちだ」
イアンは、人相の悪い男に門を通された。
門をくぐると、広い庭に辿り着く。
殿堂に続く石畳があるだけで、何もなかった。
「殺風景な庭だな」
イアンは、素直な感想を呟いた。
それを聞いた人相の悪い男は、怪しげに微笑んだ。
「フフフ、そう見えるか? 一見すると、何も無いように見えるが、この周りに、お前の村の戦士共の亡骸が埋まっているのだぞ」
「そうか……」
ここで村の戦士は、妖魔と戦ったようだった。
「…ふん! 泣き叫ばないにしても、青ざめたり憤ったりもしないとはな」
人相の悪い男は、イアンの反応が面白くなかったようだ。
すると、何かを思いついたように、自分の両手のひらを合わせた。
「そうだ! 俺の姿を見とけよ。ハアアアア! 」
ボワァン!
男の周りに煙のようなものが発生し、それが男の体を覆った。
「…ほう!? 」
煙が晴れ、そこにいた者の姿を見て、イアンは驚いた。
そこには、先ほどの人相の悪い男、つまり人間ではなく、盗賊トカゲのような二足歩行をする、トカゲがそこにいた。
驚いたイアンの反応に満足したのか、ぬるりとしたトカゲの顔がニヤリと笑う。
「やっと驚いたな。どうだ恐ろしい姿であろう? しかしな、我の御大はこんなもんじゃないぞ。せいぜい怒らせぬよう態度に気をつけるのだな! 」
ボワァン!
トカゲは、再び人間の男に姿に化け、イアンを殿堂の中へ案内した。
殿堂の中は、イアンが思ったより質素なもので、ただ建てただけような印象を持った。
広い通路の突き当たりに両開きの大きな扉があり、そこの手前に辿り着くと、人相の悪い男は振り返り――
「この奥に、御大がお待ちだ」
扉の手前で、イアンに中へ入るよう促した。
この男は中へ入らないようだ。
ギィィィィ…
イアンが、扉を引いて中へ入る。
扉の向こうは、広い部屋で、奥にある大きい椅子に、よく肥えた男が座っていた。
「ほう…お前が今年の生贄か。前の生贄と同じ服を着て、少々不快じゃな。近う寄れ、顔をよく見たい」
イアンは、肥えた男に従い、前へ進み出た。
「おお! なんと美しい娘じゃ! あの村にこれほどの美貌を持つ娘がいたとは…」
イアンの姿を見るなり、椅子から身を乗り出してイアンを舐めまわすように眺めている。
その下品極まりない男の視線に、イアンは、これまでにない精神的苦痛を味わった。
「こりゃ、すぐ喰ってしまうのは勿体無いのう。そうだ! しばらく、わしの妻にしてやろう。わしの傍に来い」
肥えた男は、上機嫌でイアンを手招きした。
イアンは、嫌々ながらも妖魔を倒すいい機会だと思い、肥えた男に近づく。
「いや、待て」
しかし、肥えた男は途中で、イアンが近づいてくるのを制した。
しばらく、顎に手を当て、考え込んだ後――
「その長いスカートをたくし上げて、中を見せてくれぬか? 」
イアンは、言われたとおりにスカートをたくし上げた。
念のため、下着が見えないよう、ギリギリ隠すようにする。
一応、女性用の下着を身につけてはいるが、有る物を無い物にはできないので、男性だと見破られてしまう危険があるのだ。
「村長の娘がそこに刃物を隠し持っていたのでな。良い、下ろせ……下着が見えそうで見えなかったか……だが、それも良きかな」
イアンの誤魔化しは、良い方向へ向いたようだった。
そして、イアンは肥えた男の傍まで近き、椅子の隣に立った。
「グフフ…これほど美しい娘を傍に置くと、わしも映えて見えるのだろうか。これでわしを馬鹿にする他の御大も、悔しがって、わしを見るのだろうなぁ! ガハハハハ! 」
肥えた男は、美人を傍に置けてご満悦であった。
そして、自分の妻だから何をしてもいいと思ったのだろう、イアンのお尻に手を伸ばし始めた。
イアンは、チャンスだと思い、肥えた男の伸ばされた手を掴み、床に膝を着いた。
「ぬっ! ちよっとくらい――」
肥えた男が文句を言おうとするが、イアンは両手で男の手を優しく包み込み、頑張って微笑みかける。
キキョウが宿屋とか道具屋で、料金を値切るときによくやるやつである。
イアンは、それを真似したのだ。
「…………」
肥えた男は、口を開けたまま惚けていた。
しかし、その顔は惚けた顔から怪訝な面持ちへと移り、挙句には苦痛の表情へと変わることになる。
「三連…リュリュスパーク」
「……へ? 」
パリッ! パリッ! パリッ!
「い!? ぐわああ!! おのれええええ!! 」
ブォン!
「…くっ! 」
イアンは、一日に使えるリュリュスパークを一気に放ったが、肥えた男を倒すには至らず、手を振り回され、椅子の前方に投げ出された。
床に着地したイアンは、踵を返し、殿堂の外へ出るため駆け出した。
バァン!
扉を蹴り飛ばして、部屋を出る。
外にいた人相の悪い男は、何事かとイアンを問い詰めようとしたが、部屋の奥で蹲る肥えた男が目に入り、肥えた男の元へ駆け寄っていった。
「ネリィ、策は失敗だ! ホルダーをくれ! 」
殿堂から外に出たイアンは、大声で叫んだ。
すると、門が開き、そこからネリーミアが入ってきた。
「イアン! 大丈夫!? 」
ネリーミアは、イアンの元へ来ると、ベルトとホルダーをイアンに渡す。
「ああ、傷は負ってない。それより、妖魔を倒しきれなかった。奴の魔法耐性とやらの高さを考慮してなかった」
イアンは、服の上からベルトを付け、ホルダーから戦斧を一丁取り出し、ホルダーを腰の後ろへ装着する。
ネリーミアもイアンにならって、ブロードソードを鞘から引き抜く。
「お前ら! よくもっ! 」
殿堂から、人相の悪い男から元の姿に戻ったトカゲが、槍を振り回しながらイアン達へ向かってきた。
キィン!
突き出したトカゲの槍を、イアンは戦斧を振り上げて弾いた。
「ネリィ! 」
「うん! 」
ネリーミアは、槍を弾かれて硬直しているトカゲの側面に回ると、その脇腹をブロードソードで切り裂いた。
「ぐっ! ……とうとう俺も…か……また、会おうぞ…」
トカゲは、何事か呟いた後、砂の上に倒れ込んだ。
「このまま、妖魔…トカゲは御大と呼んでいたな…奴が来るのを待って、迎え撃つぞ」
「うん」
イアンは、殿堂の奥に戦斧を向け、ネリーミアがイアンの元へ戻ろうとしたとき――
「…! ネリィ、危ない! 」
「えっ!? うわああ!? 」
イアンは、ネリーミアを左手で抱き寄せながら、後ろへ跳躍した。
ネリーミアのいた場所へ、槍が突き出されていた。
その槍を突き出したのは、絶命したはずのトカゲであった。
「…アァ」
呻き声を上げながら、よろよろと動く。
砂の上に着地し、イアンの左手が離されたネリーミアが、動くトカゲを見て、目を見張る。
「あれはゾンビ!? 」
「ゾンビ? トカゲではないのか? 」
「そうだけど…ゾンビっていうのは、動く死体か――」
「動かされている死体のことだ! 」
ネリーミアの声を何者かが遮った。
その遮った声は、殿堂の中から聞こえ、何者かがこちらへ歩いてくる足音が聞こえてくる。
つまり――
「妖魔を率いし五御大が一妖、亡骸道人のガイコウ。貴様等、死んでも帰さんぞ!! 」
肥えた男―ガイコウがトカゲの死体を操っていたのだ。
まだ、昼だというのに空は暗く、空気が淀んでいるよな雰囲気が辺りを漂う。
イアンは、ゾンビとなったトカゲを挟んで、ガイコウと対峙していた。
リュリュスパークを放たれたガイコウの右腕は、所々黒く変色しているが、なんの支障もきたしてないのか、不便なく動いている。
「一度ならず二度までも…あの村は相当皆殺しにされたいようだな! 」
ガイコウから溢れ出る禍々しい気が、より一層激しさを増す。
イアンは、気を引き締めるために、戦斧を構え直す。
すると、ネリーミアが錫杖を左手に持ち、イアンの前に立った。
「ネリィ? 」
「ゾンビは大抵、普通の武器で切っても、また治ってしまうよ。ゾンビの相手なら僕に任せて」
そうイアンに言うと、ネリーミアが持っている錫杖が光に包まれた。
「聖法 槍光球! 」
ネリーミアが、光に包まれた錫杖を振ると、錫杖の光から複数の光の玉が生み出された。
複数の光の玉は、数秒空中を漂った後、槍の穂のような形になってゾンビとなったトカゲに向かっていった。
ジュゥゥ…
「…アァ……」
光の穂が突き刺さった箇所から、トカゲの肉は溶けていき、トカゲがもう動くことはなかった。
「すごいぞ、ネリィ」
イアンは、その光景を目の当たりにして、ネリーミアを褒めたたえた。
「うん。後はガイコウだけだよ」
二人は、ガイコウを見る。
顔を俯かせて、ふるふると体を震わせていた。
恐らく、ゾンビをあっさりと打破され激昂しているか、怯えているかのどちらかであろう。
しかし、ガイコウが体を震わせていたのは、どちらでも無かった。
「ふふふ、はははははは! 滑稽だ! ここで、笑わせにくるか! はははははは! 」
ガイコウは、大笑いした。
それは、ゾンビが倒されたことではなく、ネリーミアを指していた。
「……う…」
「何がおかしい? 」
ガイコウの反応が理解しがたいものだったので、ネリーミアは動揺し、イアンは思わず訊ねてしまう。
ガイコウは、腹を抑えながら呼吸を整えて言った。
「ははは、おかしいだろう。闇に属する者が、録に使えもしない光の技を必死に使っているのだぞ? これを笑わずにいられるか」
ネリィは、嘲笑われた理由を理解し、頭に血が上る。
「う、うるさいっ! 僕がダークエルフだからってそんなこと…だいたい君一人しか、いない状況でそんな――」
「はっ! しまった! 気を付けろ、ネリィ! ゾンビはまだいるぞ! 」
「なっ――!? 」
「気づくのが遅いわァ! さあ、起き上がれ、かつてわしに楯突いた愚かな者共よ! 」
ボコォ!
周りの砂の中から、朽ちた鎧を着たゾンビ達が次々と起き上がっていく。
「この人たちは…! 」
「そうだ、ネリィ! ガイコウにやられたホレ村の戦士達だ。まさか、外で戦うことが仇になるとはな」
三十は超える数の戦士のゾンビが、殿堂の庭に群がった。
「ウウ……アア…」
その中に、今のイアンと同じ服を来ているゾンビもいた。
「ああっ…イアン、あそこに村長の…」
「わかっている。ガイコウを倒して、早く皆を開放するぞ。術者を倒せば、ゾンビも動かなくなるのではないか? 」
「うん…そのはずだよ」
「そうか。一人では、辛いだろうがゾンビ達の相手は任せる。ガイコウの相手は――」
イアンは、戦斧を振り上げながら、ガイコウに向かって跳躍した。
「オレが引き受けた! 」
「来い、小娘! お前は、きれいに剥製にして、わしの寝室に飾ってやろう! 」
ガイコウは、どこからか取り出した鉄製の単体棍棒で迎え撃つ。
キィン!
棍棒と戦斧がぶつかり合う。
亡骸道人のガイコウと冒険者イアンの、戦いの火蓋が切られたのであった。
2016年 3月11日―誤字修正
「うん……ねぇ、イアン、本当にの? 」 → 「うん……ねぇ、イアン、本当にいいの? 」
2019年3月6日 誤字修正
二人は、ホレ村から生贄の強要をする妖魔を討伐つするため、砂漠を歩いていた。 → 二人は、ホレ村から生贄を強要する妖魔を討伐するため、砂漠を歩いていた。
「そうだ! 俺の姿を見てとけよ。ハアアアア! 」 → 「そうだ! 俺の姿を見とけよ。ハアアアア! 」
男の周りに煙のようなものが発生し、それが男の体をお覆った。 → 男の周りに煙のようなものが発生し、それが男の体を覆った。
と扉の手前で、イアンに中へ入るよう促した。 → 扉の手前で、イアンに中へ入るよう促した。
◇ご報告ありがとうございました◇




