五十話 枝を払って根を枯らせ! 再び振り下ろされる銀の一撃
スラセーヌ教会の地下最深部。
そこで化物とベルギアが戦っていた。
ベルギアが一方的に攻撃を与え続けているが、どんなに傷を与えても立ち所に傷を治してしまうため、彼女が優勢とは限らない。
化物の振り回した右腕二本を躱し、ベルギアは部屋の隅で横たわっているイアンを見る。
彼女が、一撃でも化物の攻撃を受ければ、イアンのようにあっという間に倒されてしまうため、むしろ劣勢であった。
「驚異的な治癒能力…恐らく、イアン殿が倒された原因でござろう。しかし、この化物にもどこかに弱点があるはず…」
ベルギアは、自分の拳に気炎を纏わせる。
化物の右前腕の拳が振り下ろされ、それを最小限横に移動して躱す。
「はっ! 」
振り下ろされた右前腕に、気炎を纏った右拳を叩きつけながら前進する。
左後ろ、左前、右後ろと順番に後の三本の腕が振り回されるが、右前腕の時と同じように、躱しながら攻撃を与えながら進む。
「もらった! 」
そして、化物の目の前に辿りついたベルギアは、化物の顔へ跳躍しながら右拳を振り上げた。
そのまま、右拳を振り抜き、化物の背後に着地し――
「豹爪裂気炎掌波!! 」
右手のひらを化物の背中に突き出し、その手のひらから目に見えない気炎が放たれる。
見えない気炎は、化物の背中を駆け回った。
「ダメ押しにもう一つ! 」
ベルギアは、気炎を纏った左の手刀を化物の左膝の裏に叩き込む。
化物に技が入ったことを確認し、ベルギアは一旦距離を取る。
その瞬間、ベルギアの攻撃が入った全ての箇所がズタズタに切り裂かれた。
「グ、グギャアアアア!? 」
顔、四本の腕、背中、左膝の裏が傷だらけになり、一度にほぼ全身へ傷を与えられ、たまらず化物は膝をついた。
しかし、その間にも傷の治癒は始まっている。
化物の皮膚が再生していくのを、ベルギアはじっと観察していた。
草原に伸びる一本の道をイアンは歩いていた。
視界の奥に地平線が見え、左右には草原が広がっている。
景色がまるで変わらないため、進んでいるのかすら分からない。
かれこれ数時間歩いているはずだが――
「リュリュよ、もう何時間歩いているだろうか? 」
「え? まだ数分しか歩いてないよ? 」
「……」
どうやらイアンとリュリュで時間の感覚が違うらしい。
イアンは、後ろを振り返ってみる。
草原に伸びる道が地平線へ続いており、ここに来た時にあった泉はもう見えなかった。
どう見ても、数分では来れない距離である。
イアンは、考えても分からないと割り切り、前を向いて歩き出した。
すると――
「え…!? 」
目の前に銀色の壁が現れた。
見上げてみると、遥か天に向かって伸びていた。
「まったく、なんなんだここは。いきなり道ができたり、壁が現れたり」
「大きい壁だね。頂上がどうなっているか見て来る! 」
リュリュは羽根を羽ばたかせ、空に舞い上がった。
「気をつけろ。何が起こるか分からん」
「うん! 」
リュリュは、どんどん上へ羽ばたいていき、とうとう見えなくなってしまった。
「…………遅いな」
イアンの感覚で、二時間くらい経ってもリュリュは帰ってこなかった。
何かあって帰ってこれなくなったのではと、イアンは不安になる。
しかし、空に小さな点ができ、それがどんどん大きくなっていく。
「おーい! イアンー! 」
「おお、心配したぞ」
リュリュが空から戻ってきた。
イアンの肩に乗り、大はしゃぎでイアンに話しかける。
「イアン! すごいよ、すごかったよ! 」
「何がすごいんだ? 」
「うんとね…これ壁じゃなくて斧だったの! これがイアンの探してた銀の斧だと思うんだ」
「はあ…これが……いや、でかすぎるだろ」
つまり、イアンが見上げている部分は斧の刃の部分でその上に柄が伸びており、巨大な銀の斧が地面に刺さっているのだ。
イアンは、巨大な銀の斧を見上げ、どうすればいいか分からず途方に暮れる。
「こいつを呼び出して、一体どう使えばいいのだ」
「…呼び出すにしても、名前が分からなきゃ召喚のしようがないよ? 」
「名前? こいつの名前は……」
イアンは、以前使った時に精霊がこの斧をなんと呼んだか思い出そうとした。
「…斧としか呼んでなかったな」
「うーん…名前がまだ無いんじゃない? リュリュにつけたように、この斧にも名前をつけたら? 」
イアンは、腕を組んで考え込む。
そして、とりあえず考えた名前を口にする。
「シルブロンス…? 」
フッ!
いきなり巨大だった銀の斧が小さくなり、イアンの目の前の地面に刺さっていた。
「いきなり変わるの止めて欲しいのだが…」
「でも、これで召喚できるようになったと思うよ! たぶん、一日に一回…それも一瞬だけ」
「まぁ、それほど力が強いってことか。何かの力が使えるようになるたび、回数制限があるせいで、あまり強くなっていないような気がする…はぁ…」
イアンがガックリと肩を落とすので、リュリュが落ちそうになる。
「わわっ! 急に傾かないで…って、後ろ! イアン、後ろ! 」
肩にしがみつくリュリュが、仰天したような声を出した。
何事かとイアンが振り向くと、そこには泉が広がっていた。
水面に、化物と戦っているベルギアの様子が映っていた。
「…もう帰れってことか」
「いやー…不思議でいっぱいだったね! 」
「オレからしてみれば、その不思議の中におまえもはいっているのだがな」
目の前で元気に飛び回るリュリュを見て、イアンは呟いた。
「じゃあ、リュリュは帰るよ。なんか、すごい奴と戦っているみたいだけど頑張ってね! 」
リュリュは光の塊に戻り、ゆっくりと消えていった。
「ああ、必ず倒してみせよう」
イアンは、リュリュを見送った後、泉の中へ飛び込んだ。
ベルギアに与えられた傷を治癒しきった化物は、四本の腕を振り上げ、立ち上がる。
そして、振り返り――
「グギャアアアア! 」
まるで、何をしても無駄だといわんばかりに、高々と咆哮をあげる。
のっぺりとした顔の口は異様に釣り上がり、笑っているかのように見えた。
治癒の様子を見ていたベルギアは、おもむろに呟いた。
「なるほど……最初に攻撃した四本の腕の治りが異様に早い。そこが重要な部位か…しかし、核となる場所は別であろうな」
「すまん…今起きた」
自分に声を掛ける人物が現れ、誰か確認しようとベルギアは振り向く。
そこには、戦斧を右手に持ったイアンが立っていた。
「イアン殿! 動けるのでござろうか!? 」
「ああ、少しの間だけだろうがな…」
ふらふらとした足取りで、ベルギアの隣に並び立つ。
ベルギアから見たら、とても戦える状態ではなかった。
「イアン殿…拙者が奥義を使いますゆえ、そのうちにお逃げくだされ…」
ベルギアの体が橙色の気炎に包まれる。
その気炎は燃え盛り、次第にその激しさを増していく。
イアンは、ベルギアの肩に手を置いて、それを使わせるのを制した。
「その言い方だと…おまえ、死ぬつもりか? やめろ」
「しかし、拙者にはイアン殿一人を逃がすのが精一杯でござる! 」
「誰が一人で戦わせると言った? それに勝てるぞ、この戦い」
イアンのその言葉に、ベルギアは目を見張る。
覆っていた気炎も消え去った。
「なんと!? イアン殿には勝算があるので? 」
「そうだ。だが一瞬、奴の動きを止めねばならず――」
ズドォォン!
二人がいた場所に、迫っていた化物の二本の腕が振り下ろされた。
イアンとベルギアは、別々の方向へ跳躍し、化物の腕が当たることはなかった。
「チャンスは一回だ! ベルギア、できるか! 」
「お任せあれ! 」
ベルギアは、化物に向かってジグザグに動きながら接近し、気炎を纏った拳を右足から左足へ順番に叩きつけた。
「足が一番傷の治りが遅かった! これでしばらくまともに動けまい」
足をズタズタに切り裂かれた化物は、前の二本の腕で体を支える。
「ベルギア、腕の付け根…奴の両肩に切り込みを入れられるか! 」
パチッ!
イアンが二丁のショートホークを取り出しながら、化物の正面へ回る。
「肩…腕が一番治りが早いでござる!」
「構わん! 頼む」
「わ、わかりました」
ベルギアは、化物の正面から、肩に向かって跳躍した。
化物の後ろの二本の腕が、ベルギアを捕まえようと伸びてくるが――
「邪魔! 」
ベルギアは、交差した腕を水平に広げ、化物の両手のひらを切り裂き、通り抜けた。
そして、化物の目の前で両腕を振り下ろし、身動きの取れない化物の両肩に、切り込みを入れた。
一通り指示されたことを成し遂げたベルギアは、後方に跳躍し、化物の近辺から離脱する。
「よくやった。いい位置だ」
後退するベルギアとすれ違うように、イアンが化物の正面へ直進した。
跳躍し、化物の両肩にできた切り込み目掛けて、ショートホークを振り下ろした。
「両腕 枝払い」
ショートホークは、切り込みに深々と突き刺さった。
「回転っ――」
イアンは、二丁のショートホークから手を離し、前に体を回転させる。
一周したイアンの両手には、二丁の戦斧が握られており、それを高々と振り上げ――
「大二連! 」
ニ丁の戦斧を振り下ろす。
刺さっているショートホークの横から滑り込む形で、深くなった切り込みを更に戦斧で切り裂いた。
「グギャアアアア!! 」
化物が甲高い悲鳴を上げる。
それもそのはず、化物の両肩にショートホークと戦斧が刺さっており、肩の半分は切り裂かれ、四本の腕はちぎれそうになっているのだ。
イアンは、戦斧からも手を離して身を翻し、後ろへ跳躍した。
「イアン殿、流石です! しかし、まだ奴に息があります! 」
「ああ、もうすぐ終わる」
着地したイアンは、右手を上に向かって突き出した。
ベルギアは、イアンがやらんとすることがわからず、ただ呆然とその姿を見ていることしか出来なかった。
そして、イアンは声を上げて叫んだ。
「来い、シルブロンス! 」
シュィィィィン!
イアンの目の前の足元に、銀色の光が生まれた。
「あっ…下か」
イアンは少し焦りつつ、その銀色の光に右手を突っ込んだ。
すると、銀色の光が形を変え、イアンの右手には銀色の斧が握られていた。
「よし、何とか呼び出せたな」
イアンは、シルブロンスがちゃんと召喚されたことを確認し、化物に向かって駆け出した。
「うおおおおお!! 」
シルブロンスを縦に振り下ろす。
シルブロンスから生まれた銀閃が、紙を剣で切り裂くように、いとも容易く化物の体を通り抜けた。
振り下ろされたシルブロンスは、銀色の光の粒になって消滅し、化物は真っ二つになり、治癒することなく地面に転がった。
「なんと……イアン殿にはとてつもない力が――って、イアン殿!? 」
イアンが、仰向けに倒れてくるのをベルギアが慌てて支える。
息があることを確認できたベルギアは、ひとまず安心し、イアンを抱えながら腰を下ろす。
「くっ…拙者も限界でござる。先程会ったイアン殿のお仲間が来るのを待つ…か」
イアンが目を覚ますと、真っ白い天井がそこにあった。
体を起こして周りを見ると、ルエリアの屋敷のイアンが使っていた部屋のようだった。
イアンがボーっとしていると、部屋の扉が開かれた。
「おじゃしまー…お!? イアンくんが起きてる! フーリカくん、イアンくんが起きたよ! 」
ルエリアがそう言うと、ガゼルが顔を出し、二人揃ってイアンのベッドの前に来た。
「調子はどうですか? イアンさん」
ガゼルがイアンに声を掛けた。
ガゼルの右手には包帯が巻かれていた。
「ああ…少しだるいな。で、あの後どうなった? 」
ボーっとしながらも、その後が気になったイアンは、ガゼルに訊ねた。
「それは私から話すよ! えっとね……」
ガゼルの代わりに、ルエリアが答えた。
ルエリアとガゼルで地下の奥へ進み、倒れているイアンとベルギアを発見し、二人を連れて地下を脱出した。
その後ルエリアは、教会の地下で手に入れたマヌーワ第二信仰教団の悪事の数々の証拠を他の貴族へ提示し、王都騎士団に教会の調査を依頼した。
上の階にいたスラセーヌ教会の神父見習いは、教団との関わりで取り調べを受けるため、騎士団に身柄を確保された。
二日目に意識が戻ったベルギアも、洗脳されていたとはいえ、教団に協力した者とみなされ騎士団に連行されている。
ベルギアが連行されたのは、化物を倒してから一週間経った後の日であり、イアンは一週間以上も寝ていたことになる。
「まぁ、そんなところかな」
「そうか…ベルギアは悪くない。どうにかならないか? 」
「大丈夫。ベルギアさんの無罪は私が証明するから」
「そうか……なら安心か…」
ベルギアのことは、ルエリアがなんとかしてくれるらしい。
彼女なら何とかできると、イアンは安心した。
「ロロットちゃんとキキョウちゃんも、もう回復してるからね。二人にイアンくんが、起きたことを知らせに行ってくる!」
ルエリアは、イアンの部屋を出ていった。
部屋の中は、イアンとガゼルの二人になった。
「ガゼル、地下の奥で化物の亡骸を見たか? 」
イアンは、ガゼルに訊ねた。
「ええ、流石イアンさんです。あのような…化物を真っ二つにするなんて」
「結構際どかったがな。で、死体はどうした? 」
「燃やしました。ルエリアさんが騎士団に調査を依頼する前に、燃やし尽くしたのでその存在を知る人は、イアンさんとルエリアさんにベルギアさん、そして僕しかいません」
イアンが体を倒し、天井を見上げる。
「いいのか? ああいうのは残しておくべきじゃないのか? 」
「そうですが…再び再生されたら厄介ですからね。それに、この件はこれで終わりでしょう」
「ああ、長かったようで短かったな…復讐というつもりはないが、これでトカク村の皆や、奴らの犠牲になった人達は報われるのだろうか…」
イアンは目を閉じて、再び眠りについた。
「お疲れ様です。イアンさん」
ガゼルは、そっとイアンに布団をかけてやる。
こうして、イアンとマヌーワ第二信仰教団の因縁は断ち切られた。
教団が潰れたことにより、各地で起こっていた人攫いも終息する。
これにより、フォーン王国は徐々に、元の平穏を取り戻してゆくのだった。
しかし、イアンの冒険と戦いは、新たな局面へ移行することになる。
それが明るみになるのは、この日から数日経った後のことではあるが。




