三十六話 消えた集落と司祭の爪
赤や黄の葉を茂らせた木々の中を、イアン達は歩いていた。
イアン達は、早朝から山を登り始め、数時間経った今、山の中腹を越えていた。
この辺りから、道に生える草の高さが低くなり、山の下腹部より歩きやすくなっていた。
「ふふ、兄様、あれがモミジで、そっちがキイロモミジ、こっちがアカキイロモミジモドキよ」
「ああ、さっきからよく見ている……最後のは、モミジではないのか…」
キキョウは、イアンの斜め後ろを歩きながら微笑み、木に指を差す。
イアンは、それにうんうんと頷きながら歩いていた。
「はぁ? 木は木でしょ、どれも一緒じゃない……きれいだとは思うけど…」
イアンとキキョウの後方で、面白くなさそうにロロットは呟いた。
キキョウは、イアンと共に、里を出た後からずっとこの調子であった。
里から出たことがないキキョウは、初めて里の外を出て、はしゃいでいるのだ。
そのキキョウの二本の尻尾は、ピンと垂直に立って、ゆらゆらと揺れていた。
一方のロロットは、垂らした尻尾をブラブラと揺らしていた。
「はぁ…キキョウちゃんがあんな楽しそうに……おれが話しかけたら、そう、ふぅん、黙りなさい、しか喋らないのに」
ロロットの後方でニッカは、楽しげに話しているキキョウを見て、溜息をついた。
――昼前。
山を進んでいたイアン達は、ようやく山頂らしき所へ来た。
イアン達の目の前は、崖になっており、遥か向こうに、ここよりも高い山が並んでいた。
崖の下は、深い霧に覆われて、その先がどうなっているかを伺うことはできない。
「…なんだ? ここは……集落など何処にあるのだ…」
イアンは、周りを見渡すが、遠くの山と深い霧が見えるだけで、集落の影さえも視界に入ることはなかった。
すると、キキョウが何かに気づいた。
「兄様、あれを! 」
イアンは、キキョウが指を差した方向へ顔を向ける。
そこには、木材で出来た門のような物が崖端に建っていた。
近づいてそれを見ると、二つの門の柱の上部に縄が括りつけられており、垂れ下がった縄の先には、板状の木材が連なって縄に固定されていた。
「吊り橋? この先に、集落が……」
イアンが、かつて吊り橋が続いていたであろう方向へ目を向けた。
そこに集落らしきものは、見えなかった。
「何も…無い。どういうことだ? 」
「むっ! 兄様、複数の何かの気配がこちらに! 」
ピクッと耳を動かしたキキョウが、イアンに言った。
「何体くらいかわかるか? 」
イアンが、ホルダーから戦斧を取り出す。
ロロットとニッカもそれぞれの武器を取り出す。
「はい……五――なっ!? 」
目を閉じて耳に神経を集中していたキキョウは、驚きの声を発した。
「どうした、キキョウ? 」
「気配が増え続けていく………二十体を越え――」
「…!! 全員、伏せろ! 」
「「…! 」」
イアンは背後から何かが飛んでくるのを感じ、周りに回避を促した。
ロロットとニッカは、屈んで身を低くした。
「…あ」
ザァァァ!
気配を探るのに集中していたキキョウは、反応が遅れてしまった。
その時、木々の中から、赤黒い光の塊がキキョウ目掛けて飛んでくる。
「ちっ! 」
「きゃ!? 」
イアンは、キキョウを突き飛ばし、光の塊に備えて戦斧を盾にする。
突き飛ばされたキキョウは、尻餅をついた。
ザァァ! バスン! シュゥゥゥゥ!
「ぐっ! 」
光の塊が戦斧の当たり、イアンは数歩後ろへ下がる。
光の塊は、戦斧に当たった瞬間、四方に分裂し、光の線となってイアンの右腕に突き刺さる。
「あ、兄様! 」
「大丈夫…だ」
自分を心配するキキョウに、言葉を返したイアン。
ゴトッ!
しかし、イアンの腕は垂れ下がり、持っていた戦斧を落としてしまう。
「ア、アニキ!! 」
「イアンさん! う、腕が! 」
イアンの腕は、出血はなかったが、赤黒い光に包まれていた。
腕を圧迫される感覚に、イアンは陥った。
「それは、ファラトの掴指。捕らわれた貴様は、私から逃げることはできん」
「キキッ! 」
「ウキャア! ウキャア! 」
モミジの木々の中から、猿の魔物の群れを引き連れ、赤いローブを羽織った男が、右手を突き出しながら出てきた。
男の頭は、髪の毛一本も無い禿頭で、プリュディスと同じくらいの背の高さだった。
猿の魔物の毛は赤黒く、人間の大人より一回り小さい大きさだった。
「ふんっ!」
「ぐっ!? 」
男の右手が僅かに閉じ、それと同時にイアンが苦しみ、左手で右腕を抑えながら膝をついた。
「そこの白い獣人の動きを封じるつもりだったが……まぁいい、貴様がその群れの中心のようだな」
「よくもアニキを! 」
「加勢するよ、ロロットちゃん! 」
ロロットとニッカは、禿頭の男に向かって走り出した。
「キキッ」
「ウキャァァァ! 」
しかし、猿の魔物が二人の前に立ちはだかり、禿頭の男への道を塞ぐ。
ロロットとニッカは、後ろへ下がり、イアンとキキョウを守るように立つ。
そんな二人を禿頭の男は、鼻で笑った。
「貴様らの相手は、こいつらだ。そいつを守りきれるか…」
ぞろぞろと猿の魔物は動き、イアン達を囲むよう広がった。
後ろは断崖絶壁、前は魔物と禿頭の男、イアン達の退路はなくなった。
「……お前は神父の仲間か? 集落に何かしたのか? 」
イアンが、苦しみながら禿頭の男へ問いかけた。
「神父……そうか、貴様は他の司祭に会ったことがあるのだな。ふん! 目撃者を殺しそびれたバカがいるようだな」
禿頭の男は、顔をしかめた。
「とすれば、貴様は集落を探していたのだな。我々の邪魔をするために」
「ああ、そうだ。だが、既にお前が消し飛ばしたのか? 」
禿頭の男は、イアンの後方を見渡す。
「……さぁ。どうだろうな。これ以上、貴様らに話すことなどない」
ググッ!
「…!? うぐああああ!! 」
「アニキ! 」
「ロロットちゃん、前を見て! 魔物が来るよ! 」
「くっそおおお! 」
ロロットとニッカは、向かってくる魔物を迎撃する。
ロロットが魔物を槍で突いてはなぎ払い、ニッカが魔物の攻撃を盾で防ぎながら剣を振るう。
そんな中、キキョウは、右腕を抑えながら苦しむイアンを見て呆然としていた。
『がああああああああ!?』
キキョウの脳裏に、イアンの絶叫が木霊する。
今のイアンの姿が、キキョウの雪砲を受け、苦しんでいた昨夜の光景と重なった。
「…あああ……また…私が…」
「なぁっ!? しまった!! 」
「くっ! キキョウちゃん!! 」
ロロットとニッカ、二人がそれぞれ撃ち漏らした魔物がキキョウ目掛けて、爪を突き出しながら飛びかかってくる。
「キキーッ! 」
「ウッキャァァァァァ! 」
「……あ…くぅ!? 」
呆然と尻餅をついていたキキョウには、ただ目を瞑って死を待つことしかできなかった。
ザッ!
「うぐ…あああああ!! 」
ブォン!
「キ―ギャアアア! 」
「ウギャアアア! 」
しかし、キキョウの体に魔物の爪が食い込むことはなかった。
なぜなら、魔物達の爪がキキョウに届く前に、イアンが立ちはだかり、拾った戦斧を左手に持って、二体ごと真横に切り裂いたのだ。
二体の上半身と下半身が離れた魔物の死体が地面に転がり、イアンは戦斧を杖にして立ち上がっていた。
キキョウは、その後ろ姿に何かを感じ、地面についていた手に力を入れる。
「ほう…我がファラトの掴指を受けながら、再び立ち上がるとは…」
禿頭の男が、右手を突き出しながら、左手で自分の顎を触る。
「…はぁ…はぁ…座ったままではいられなかったのでな」
「だが、もう貴様に斧は振れまい。ふぅん! 」
禿頭の男は、さらに右手へ力を込めた。
「うぐぅ! ……はぁ…はぁ…だが、これで目覚めたか」
「なに――」
フゥゥゥ!
禿頭の男が、口を開いた時、一陣の風が魔物達の群れの一帯を駆け抜けた。
スパッ!
ゴト! ゴト! ゴト! ゴト! ゴト!
「なっ!? なんだ!? 」
禿頭の男は、魔物の首が次々と落ちていく光景を見た後、イアンの方へ顔向けた。
そこには、イアンの斜め後ろで、開いた扇を左手で突き出している白い獣人の姿があった。
「兄様…申し訳ございません。先ほどのような無様な姿を……」
「気にするな。それで、もういいか」
「はい、後はこの私が……猿、盾、伏せなさい」
「遅い! あと偉そうに命令すんな! 」
「盾…あっ! おれのことか!? 」
ロロットとニッカは、キキョウに従い身を低く構える。
「風刃! 」
キキョウが扇を横になぎ払い、風刃が魔物目掛けて飛んでいく。
スパッ! スパッ! スパッ! スパッ! スパッ!
風刃が魔物を切り裂いていく。
キキョウは、左手で扇を閉じ、左側の腰に下げた細剣を右手で抜くと、禿頭の男に向かって駆け出した。
「お、おのれ! ファラトの手掌よ! 」
ザァァァ!
禿頭の男は、左手を突き出し、赤黒い光の塊を打ち出した。
それは、真っ直ぐ禿頭の男に向かうキキョウの頭に向かって飛んでいく。
「…むっ! あれは…」
キキョウの戦いを見ていたイアンが何かに気づいた。
その瞬間、キキョウはスゥと消え、そこに雪の柱が現れた。
「なっ! 幻だと!? 」
ボフッ!
赤黒い光の塊が、雪の柱に直撃し、そこに雪溜まりができる。
「や、やつはどこだ!? 本物はどこだ!! 」
周りを見渡してキキョウを探す禿頭の男。
すると、後ろの方で何かがちらついた。
「後ろか! 」
振り返った禿頭の男が見たのは、足元でしゃがむキキョウの姿だった。
「しゃがんで隠れたつもりかああああ! 」
禿頭の男の左腕が赤黒く光り、足元のキキョウに向かって打ち出した。
ザァァァ! バスッ!
禿頭の男が打ち出した光の塊は、キキョウをすり抜け、地面に当たった。
そして、キキョウの姿は、スゥと消えていった。
ズン!
「…ごふっ! 」
禿頭の男は、血を口から吐きながら自分の腹を見た。
腹から細剣の切っ先が突き出ていた。
「妖術 真似鏡像 雪隠れ 」
禿頭の男は、首だけ後ろに向けると、体のあちこちに雪がついたキキョウの姿がそこにあった。
キキョウが、細剣を引き抜くと禿頭の男は、うつ伏せに倒れた。
「やはり、真似鏡像」
「知ってるの、アニキ? 」
ロロットがイアンに近寄る。
「ああ、キキョウの技の一つだ。自分と同じ姿、動きをする幻を作り出す技だ」
「へぇ、よくわかんないけど、すげぇ」
ニッカも近寄ってきた。
「そして、最初の真似鏡像で奴の視線から身を隠し、本体と真似鏡像の間に雪の柱を作る。その後、真似鏡像を通り抜けた奴の攻撃により崩れた雪の柱で、出来た雪溜りの中に潜り込み、奴の背後に真似鏡像を作り出す。そして、背後の真似鏡像に気を取られているうちに、雪溜りから抜け出し、奴を刺した」
「「長っ」」
イアンの解説は長かった。
「まぁ…何はともあれ、やったな、キキョウ」
「さて、集落をどうしたか、吐いてもらおう」
右腕の拘束を解かれたイアンは、禿頭の顔の前に腰を下ろした。
「ふっ…吐くことなど何もない。私は、まだ何も成し遂げていない……のでな」
禿頭の男が自嘲気味に答えた。
「……そうか」
「一ついいことを教えてやろう」
「なんだ? 」
「私は司祭…おまえが会った神父とやらも…同じだ」
「ん? どういうことだ」
「つまり、司祭は神父と呼ばれることもある。司祭と神父の二つの呼び方があるようね」
キキョウがイアンに分かりやすいよう教えた。
「そ…うだ。そして我ら司祭は組織の下位の位。まだ下に助祭がいるが、あいつらは……いてもいなくても同じだ」
「お前らの上は、何と言う? 」
「司教…大司…教………………」
「……逝ったか」
禿頭の男は、目を開けたまま死んだ。
イアンは、手を添えて禿頭の目を閉じてやる。
「イアンさん、君は、なんかとてつもない組織と戦っているみたいだね…」
ニッカが、顔を引きつらせながら言った。
「ああ、かもな」
イアンは、立ち上がり空を見上げた。
晴れ渡った空には雲一つなく、どこまでも広がるその青は、余計に、イアンの気が遠くなる気持ちを増長させていた。
2019 3月5日 誤字修正
ロロットがイアンに近か寄る。 → ロロットがイアンに近寄る。
「ふっ…吐くことなど何もない。私は、まだ間にも成し遂げていない……のでな」
↓
「ふっ…吐くことなど何もない。私は、まだ何も成し遂げていない……のでな」
◇ご報告ありがとうございました◇




