三百五十四話 また会う日まで
――朝。
ゼプランシの町からは昇り始めた太陽と、それに照らされ輝きを放つ海を眺めることができる。
この町の中で、最もその景色を見られる波止場は、多くの人々で賑わっている。
船を出港させる準備に走る者や、船の積み荷の運搬をする者、船に関する仕事をする者達が大半だ。
この日に限っては、客船を待つ者達の数は少ない。
その少数――客船の待合所にいる者の中にセアレウス達の姿があった。
今日、彼女達はゼプランシから客船に乗り、このリーザイトの国から、フェーンランド大陸から旅立つのだ。
「そろそろ、私の乗る船が出港する頃かな」
待合所に並べられた長椅子から、メルヴァルドが立ち上がる。
彼はこれから、カーリマン寺院へ赴き今回のウィンドリンでの一件を報告をするのだ。
そこまでの護衛をメルヴァルドは必要としていない。
セアレウス達とは、ここで別れることになった。
メルヴァルドに続いて、セアレウスとネリーミアも長椅子から立ち上がる。
「お気をつけて。また会いましょう」
「うん。色々とありがとうね。あなた達と一緒に旅をすることができて、本当に良かった」
メルヴァルドは、そう言って二人を頭を撫でる。
「レリアちゃんもありがとうね」
「……え? あ、はい。お世話になったです。お元気で」
レリアは、長椅子に座ったままであった。
今日、彼女はぼうっとすることが多く、そのせいか少し反応が遅れていた。
「ふふっ」
そんな彼女に、メルヴァルドは訝しむこともなく、ほほ笑みを浮かべた。
「いやぁ……名残惜しいねぇ。でも、もう行くよ」
そう言って、メルヴァルドはセアレウス達に背を向けて、自分が乗る客船へと向かう。
彼には、セアレウス達と話したいことがまだ沢山あった。
そのはずであるのだが、長くいればいるほど名残惜しい気持ちが強くなり、いつまで経っても離れることができなくなる。
そう思い、彼は行くことを決意したのだった。
「メルヴァルドさん、ありがとうございました」
「あなたとの旅は、とても楽しかったです」
セアレウスとネリーミアは、去りゆくその背中に向けて、そう言った。
メルヴァルドは一瞬だけ足を止めたが、何事もなかったかのように再び歩き出した。
彼は、振り返ることはなかったが、片腕を上げて手をヒラヒラと動かしていた。
陽気な性格のメルヴァルドにしては、そっけない返事であった。
それでも、セアレウスとネリーミアの二人にとっては、思わず頬を吊り上げてしまうほど嬉しく思っていた。
「……さてと、次は僕の番だね」
メルヴァルドと別れてからしばらく経った後、ネリーミアがそう呟いた。
今度は、ネリーミアが客船に乗る時であった。
ネリーミアは、これから聖獣レリィスの元へ戻ることになる。
課題が終了し、再び彼の元で修行を行うのだ。
ネリーミアと同じくして、セアレウスも長椅子から立ち上がったのだが――
「ここでお別れですね……」
共に行くわけではない。
メルヴァルドの時と同じく、別れの挨拶をしようとしていた。
「お別れって……また僕達は会うことになるじゃないか。一旦が抜けてるよ」
「そうでしたね。次、会う時を楽しみにしています」
そう返した後、セアレウスは右手を差し出した。
この時、セアレウスの右腕とネリーミアの左腕に巻かれていた包帯は既に解かれている。
アルフ・ヴィガントを倒してからの数日の間に療養しており、その期間の中で完治していたのだ。
「うん、頑張るよ。君以上にね」
ネリーミアは、差し出されたセアレウスの手を握る。
グッと力を込めた握手であった。
そして、一瞬という短い中で行われた。
互いに顔を合わせていたが言葉を発することはなかった。
セアレウスとネリーミアには、長い握手も多く言葉も必要なかった。
これから互いに強くなる。
自分がやるべきことが共通していることを知っているからだ。
「じゃあ……レリアも元気で」
ネリーミアは、俯いて長椅子に座るレリアにそう言うと踵を返した。
「……わたしはこれでいいのです。あなたは、どうですか? 」
自分に背を向けるネリーミアを見つめながら、セアレウスが呟いた。
それはネリーミアに対して言ったことではない。
隣で俯き続けるレリアに対しての言葉であった。
「せめて一言ぐらいは、言ってもいいと思いますよ」
ネリーミアに聞こえず、レリアにだけ聞こえる声で呟き続ける。
彼女がここまで言うのは、昨日彼女にある相談を受けたからであった。
そこでレリアは、あることをしたいのだが迷っていると彼女に告げていた。
セアレウスは、それをやるべきだと思い、実際にそう伝えた。
だからこそ、自分の隣で強く目を瞑り、体を震わせている彼女に言い続けるのだった。
言いたいことを言えずに後悔しないように。
やがて、ネリーミアは一歩前に踏み出す。
それを見て、セアレウスは静かに目を閉じた。
結局、やらないのが彼女の選択だと判断したのだ。
「あの……あのっ! 」
しかし、それは時期尚早であった。
「え……? 」
足を止め、驚いた様子でネリーミアが振り返る。
振り返った彼女の目には、長椅子から立ち上がったレリアの姿があった。
声を掛けたと同時に、勢いよく立ち上がっていたのだ。
「……ご……ご」
「ご……? 」
レリアが何を言おうとしているか分からず、ネリーミアは首を傾げる。
どういうことかとセアレウスに顔を向けるが彼女は微笑みばかりで、何がなんだ分からなかった。
「ごめんなさい! 」
そんな中、レリアが突然大きな声を上げて、深く頭を下げた。
向きからして、その対象はネリーミアであった。
「え……」
彼女自身も自分に向けてのものだと理解していた。
しかし、レリアがそのようなことをするとは思えず、困惑していた。
「今まで……ダークエルフが忌むべき存在だと……そう思い込んで、決めつけて、あなたにしたひどい事の全てを謝罪します」
「え……あ……な、なんで……かな? 」
ネリーミアは、レリアが自分に謝罪しいる事は理解できたが、その理由が分からなかった。
故に、彼女の謝罪を受け入れることができなかった。
「あのストロ山での戦い……いや、この旅の中で、あなたの気高さを知ることができました」
ネリーミアは、開いていた口を閉じる
一見、落ち着いた様子を見せるものの、心の中では困惑したままであった。
未だに、レリアの言わんとすることが理解できないからである。
ネリーミアは、ダークエルフだからと蔑んでくる者達と多く出会ってきた。
その逆で、ハンケンやイアン、セアレウスのように偏見を持たない者達は、ごく僅かだが出会ったことがある。
しかし、今のレリアのように考えを改めて、謝罪してくる者は出会ったことがなかった。
ネリーミアは初めての出会いに、どう反応して良いか分からないのだ。
だからこそ、今はレリアの話を黙って聞くことにしたのだ。
「とにかく、私は愚かなことをしていました! そのことに気付いたのです! 」
「そう……か…」
ネリーミアはそう呟いて、セアレウスの方へ顔を向けようとした。
彼女にどうすれば良いか、訊ねようとしたのだ。
正解を言うのが正しいことだと思っていた。
自分がその正解を考えることができないからこそ、ネリーミアは余計にそう思っていた。
しかし、顔を動かす寸前のところでやめた。
正解の言葉を言える自信がついたわけではない。
自分の言葉で、レリアの気持ちに応えたいと思ったのだ。
「……そんな……難しいことを言われても、ちっとも分からないし、嬉しくもないよ」
ゆっくりと開かれた彼女の口から、そのような言葉が告げられた。
突き放すような冷たい言葉であった。
この言葉を聞いても、レリアは頭を下げたまま。
(そう……ですよね)
許さしてもらえるとは期待しておらず、そう言われても当然だと思っているからだ。
自分が誤っていたことを認め、謝罪することができた。
恨まれていようが構わない。
自分は人として正しいことをした。
それだけで、レリアは満足だと思うことにした。
「……え? 」
そんな彼女は、驚愕の声を漏らした。
頭を下げる自分の眼前に、手が差し伸べられているからだ。
手の向きから、それが誰のものであるかは分かる。
それでも、レリアは信じられなかった。
恐る恐るレリアは顔を上げる。
すると、やはり手を差し伸べていたのはネリーミアであった。
「僕は、君がした事について何も思ってない。それが当たり前のことだから……」
そう言うネリーミアは、神妙な顔つきをしていた。
口にして行動したものの、自信を持てないでいるのだ。
しかし、もうやめることはできなかった。
「それより、僕は君と握手する方が何倍も嬉しい……」
ネリーミアが求めたのは握手であった。
「こんな……こんな愚かな私と握手してくれるですか……」
彼女の顔と差し出された手を見て、レリアが言った。
その時、彼女の目には涙が滲んでおり、声は震えていた。
ネリーミアに対する考えを改めてから、レリアは初めて会った時に握手をしなかったことを後悔していた。
レリアにとった今の状況は、その後悔を払拭する絶好の機会。
つまり、非常に嬉しいことであった。
「え……えーと、それは僕の台詞かな。僕と握手をしてくれる? 」
「は、はい! もちろんです! 」
レリアは感極まり、目から大量の涙を流しながらネリーミアの手を取り、望まれた通り握手を交わした。
触れたら穢れると言われていたにも関わらず、迷いがなかった。
「ありがとうございます! ありがとうございます! 」
レリアは、感謝の言葉を何度も言いながら、ネリーミアの手を握り続ける。
最初は片手であったが、今は両手で彼女の手を包み込むように握っていた。
「お、おお……ははは! 嬉しい……かな? 僕はすごく嬉しいよ」
握手をしながら、ネリーミアは笑う。
「やはり、仲良くなれましたね。良かった、良かった」
待っていましたと言わんばかりに、セアレウスが口を開いた。
「セラ、レリアがこうなっていたのを今の今まで黙っていたね? 意地の悪いやつ」
「悪く思わないでくださいよ。こういうのは、第三者が言っちゃいけないんです」
そう言い合う二人は、どちらも微笑んでいた。
「ところで、あなたはレリアの言っていることが分からないと言っていましたが単純なことですよ」
「単純……だって? そういうものじゃないでしょ」
「いいえ、単純ですよ。レリアさんは、ネリィの姿を見て痺れたのです」
「な……なんだって? 」
ネリーミアは思わず、間の抜けた声を出してしまう。
セアレウスの発言が意味不明であったからだ。
「あの何もやっても壊れなかったアルフ・ヴィガントの……バリアと言ってましたね? それを一撃で破壊したのです。しかも、満身創痍の状態で」
「んな馬鹿な~あれだけのことでねぇ、僕を殺そうと――」
「ころ? 」
「い、いや、何でもない! あそこまで僕を嫌っていたレリアが握手するまでにはならないでしょ」
ネリーミアは、セアレウスの言っていることが信じられなった。
故に、彼女の冗談か戯言だと、割と本気で思っていた。
「いえ、セアレウスさんの言ったことに間違いはないです」
「ほら! って、あれ? 」
「ネリーミアさん、あなたはすごい人です。セアレウスさんから聞きましたが――」
そこから、レリアがいかにネリーミアがすごいかを熱弁する。
苦手なはずの光属性の魔力を使いゼロ属性という未知の属性を生み出したこと。
彼女の話をまとめると、そのようなことを評価していた。
「とにかく、ネリーミアさんは偉業を成し遂げたのですよ! 尊敬すべき人なんです! 」
未だにネリーミアの手を握りながつつ、レリアは熱の入ったことを言う。
(そ、そいうことかー! 確かに単純だー! )
ネリーミアは、ようやくセアレウスの言ったことに納得した。
誰も成し遂げていない事を成し遂げたものこそ尊敬に値すべき者である。
レリアにとって、種族や生まれは関係なく、実力が全てであった。
かつては、そこに彼女の祖先であるロラ・リュミエルしかいなかったのだが、今回の一件でネリーミアが加わったのだ。
自分が敬うべき相手に向かって、粗末な扱いをしていたとなれば、彼女が居ても立っても居られない気持ちになるのは、想像に容易い事だった。
「それで、お願いがあります! 」
突如、レリアが引き締まった表情になる。
「お、お願い!? というか、もう時間が……」
「しばらくの間、ネリーミアさんとご一緒させていただきます。よろしくお願いします! 」
「それ、お願いっていうか報告だよね!? 」
怒涛の勢いであった。
ネリーミアは、まともに答えることができず、ただ驚くのみであった。
「ははは! いいですね。良かったじゃないですか」
「セラ……君は自分じゃないから。そういうことが……」
「レリィスさんに見せつけてやりましょうよ! きっと、喜びますよ」
満面の笑みで、セアレウスが言った。
「本当、意地が悪いよね、君は! 分かってて言ってるでしょ! 」
ライトエルフ、それも天才と名高いレリアに懐かれている様をレリィスが見たらどうなるか。
(喜ばれるかどころか、もっと妬まれるに違いない! )
ネリーミアは、そう思わずにはいられず気が気ではなかった。
「あっ! もう時間がない! ええい、もう好きにして! じゃあね、セラ! 」
ネリーミアはヤケクソ気味にドタバタと走り去ってゆく。
「はい! どこだってついて行くですよ! セアレウスさん、あなたも尊敬しているですよ! では! 」
そんな彼女を嬉しそうにレリアは追ってゆくのだった。
「また会いましょう~……さて、わたしも行きますか! 」
走り去る二人の背中を手を振って見送ると、セアレウスも歩き出した。
彼女が乗る客船も出港の時間であり、そこへ笑みを浮かべたまま向かうのだった。
――数時間後。
コウユウ、キキョウ、ネリーミア。
三人の元へ向かいそれぞれに課せられた課題を手伝う。
その全てを終えたセアレウスの姿は客船にあった。
これから彼女は、セインレーミアへと向かう。
その道中であった。
「また先生と修行するのでしょうか。この数カ月の旅での成長で、先生やモノリユスさんを驚かせれば良いのですが……」
彼女は広い海と青い空を眺めつつ、これからのことに思いを馳せる。
「……兄さんは、今頃何をしているのでしょうか」
そんな中、やはり思うのはイアンのことであった。
彼と別れて数カ月の時が経つ。
今、イアンがどこで何をしているか検討もつかなかった。
しかし、一つだけ分かることがある。
「きっと、危険な目に遭っているのでしょうね…」
それは、少なからずイアンが危機に瀕していることである。
彼の妹ではあるが付き合いは長いとは言えない。
それでも、イアンと過ごした中で、彼の人生がどのような傾向であるかは、なんとなく分かっていた。
正直に言えば、今すぐにでも連絡を取りたいと思うほど、セアレウスは彼のことが心配であった。
しかし、ずっと連絡を取ることはなく、これからもそのつもりであった。
「兄さんを守れるくらい強くなる……」
セアレウスは、そう呟いた。
イアンよりも強くなるために、彼の元から離れたのだ。
その彼に頼っていては、意味が無い。
彼女が何度も思うことであった。
「頑張るしかない……もっと強くなります」
セアレウスはそう呟くと海を眺めるのをやめ、アックスエッジを手に取った。
「ぼうっとはしていられませんね。船の上でも特訓です! 」
自分ができることは、強くなること。
そのために、ひたすら頑張るしかないと、セアレウスは思うことにしたのだ。
この日から一年と数か月後、セアレウスはイアンと無事再会することになる。
そして、その再会をきっかけにして、イアン達の新たな冒険と戦いが始まるのだった。
精霊斧士はここで一旦区切りということで、完結とさせていただきます。
念を押して言いますが一旦区切るだけで、この話は最終話ではなく小説全体として完結するわけではありません。
まだ続きます。
ひとまず、ここまで長く読んでくださり、誠にありがとうございました。
続きの方の投稿がいつになるかはまだ不明ですが、そちらも読んでいただけれ幸いです。
なお、活動報告にて、ここまでのあとがきを掲載する予定です。
興味のある方は、ぜひ読んでいってください。
2018年12月30日 誤字修正
「お、おお……ははは! 嬉しい…・・かな? 僕はすごく嬉しいよ」 → 「お、おお……ははは! 嬉しい……かな? 僕はすごく嬉しいよ」
「あの何もやってもこ壊れなかったアルフ・ヴィガントの……バリアと言ってましたね? → 「あの何もやっても壊れなかったアルフ・ヴィガントの……バリアと言ってましたね?
2019年 3月2日 誤字修正
ネリーミアさんは異形を成し遂げたのですよ → ネリーミアさんは偉業を成し遂げたのですよ
◇ご報告ありがとうございました◇




