三百五十三話 戦いの結末
「ばっ、馬鹿な!? こんなことはありえない!? 」
かつてないほど、謎の男性の焦った声が響き渡る。
彼をそうまでにしたのは、アルフ・ヴィガントの姿である。
その周囲には、半透明の白い壁があった。
形状は半円のようで、アルフ・ヴィガントの体と周囲を覆っている。
謎の男性がバリアと呼んでいた物質とあらゆる属性の魔法を通さなかった強固な壁だ。
しかし、ある部分に穴が開いているようで、その周りにはヒビが入っている。
まるで、ガラスのような割れ方であった。
バリアは、今までは透明で見えていなかったが、現在は見える状態にあった。
そして、その割れた部分の先には、アルフ・ヴィガントがある。
白く強靭な体であったのだが、その部分はドロドロと白い泥が溢れ出している。
流れ落ちる白い泥の隙間に、赤く光る何かがあった。
「やはり、ありましたね」
セアレウスがニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
それは、アルフ・ヴィガントの核の一部分であった。
ネリーミアの放ったゼロ属性の魔力は光の線となって、見えない障壁を破り、アルフ・ヴィガントの胸を貫いたのである。
核が露出しているところを見るに、直撃しているようであった。
「バリアを破壊するなど……いや、それよりも核だ。核を破壊されたら……」
アルフ・ヴィガントの核を攻撃されたことにより、謎の男性は焦っていた。
パワードやヴィジプロポイドと同じく、アルフ・ヴィガントにとっても核は心臓のような器官だ。
破壊されれば、姿を保つことができず、白い泥と化す。
死んだも同然の状態となるのだ。
「……いや、無事だ。危ないところだった」
ほどなく、謎の男性は落ち着きを取り戻す。
「何ですって……? まさか!」
セアレウスが彼の発言を訝しむが、すぐにその理由に気付く。
アルフ・ヴィガントは、未だに形を保ち続けている。
つまり、まだ死んではおらず、核を破壊しきれていないのだ。
「まさか、あの小娘が生きていたとは……しかし、残念だったな。何かは知らんがバリアを破壊した……が威力は不足していたな」
「なっ! セアレウスさん、見るです! 見えなかった壁が! 」
「……!? 」
レリアが差した指の先、その方向へ目を向けたセアレウスは驚愕した。
バリアに入っていたヒビが消えており、穴が塞がりつつあったのだ。
それだけではなく、アルフ・ヴィガントの胸も徐々に修復されてゆく。
「アルフ・ヴィガントの核の破壊は免れた。バリア発生器官も健在だ。直に全てが元通りになる」
「え……」
謎の男性の言葉は、レリアを絶望させた。
アルフ・ヴィガントにダメージを与えるまで、多くの困難があった。
この戦いの中では、二度と出来ないようなことばかりである。
それらが全て無駄になると言われたのだから、彼女が絶望するのも無理もないことであった。
「なら、バリアが治る前に核を破壊するまで! 」
セアレウスが希望を失うことない。
彼女は、アックスエッジを持つ左腕を振りかぶる。
アックスエッジを投擲し、核を破壊するつもりだ。
しかし――
「くっ! 」
彼女は投擲を躊躇していしまう。
その時、バリアの穴の大きさは、彼女の頭ほどだ。
そこに物を投げ入れるのは、非常に難しいことだと言えるだろう。
セアレウスもそう思っていた。
しかし、一瞬だけであった。
この一瞬がセアレウス達の命運を分ける要因となってしまう。
「し、しまった! 」
バリアの穴はさらに小さくなり、セアレウスが完全に無理だと言い切れるほどまでになったのだ。
躊躇することなく投げていれば、核に当てれたのかもしれない。
セアレウスは、そう思い、自分の一瞬の気の迷いを悔やまずにはいられなかた。
「惜しい。非常に惜しいところであったな」
そんな彼女の気持ちを煽るかのように、謎の男性は言う。
「しかし、お前達は良い働きをした。完全だと思っていたバリアを破ったのだ。改善する検討はつかんが、お前達のおかげで、わしの製造生物は、さらなる高みへ行くことができる」
謎の男性は今、これ以上にないほど気分が高ぶっていた。
完全だと思われたものが実は不完全であったこと。
謎の男性にとって、それは進歩の余地があることを示し、喜ぶべきことであった。
故に、セアレウス達に対して感謝の念を抱いており――
「お前達には感謝する」
そう言わずにはいられなかった。
彼がその感謝の言葉を言い切った瞬間――
「……!? 何か割れるような音が……」
「は、はい。今のは……? 」
セアレウスとレリアは、ある音を耳にした。
それは、耳をつんざくように鋭く瞬間的なもの。
まるで、花瓶を割ったような音であった。
「グ、グギギギャアアアアアア!! 」
音が鳴り響いて間もなく、アルフ・ヴィガントが悲鳴を上げた。
その悲鳴の悲痛さは先ほどの比ではない。
断末魔であると言われても、疑う余地が無いほどであった。
それだけではなく、バリアは砕かれたガラスのようにバラバラと崩れ去ってゆく。
さらに、肉が泥のようになり、巨大な体は形が崩れ、白い泥溜まりと化してゆく。
「うわああああああ! 」
突然の出来事に、謎の男性は思わず叫び声を上げた。
「い、一体何が? 何が起こったというのですか!? 」
セアレウスは何が起きたか全く把握いなかった。
「さ、さあ? でも、あの見えなかった壁の穴を何かが通った気がします」
レリアは、アルフ・ヴィガントを倒した原因となるものを僅かに目撃していた。
しかし、なんであるかははっきりと分からなかった。
彼女が視認できなかったほど、それは高速であったのだ。
何が起こったのかを探るために、セアレウスが周りを見回すと、彼女の視線はある所に留まった。
「メ、メルヴァルドさん……? 」
メルヴァルドである。
彼は、弓を構えたまま呆然としており――
「あ……当たっちゃった……」
セアレウスと顔を合わせると、そう呟いた。
この一連の出来事は、彼が引き起こしたものだった。
「え……まさか、矢を当てたのですか? あんな小さなバリアの穴を通って……」
「う、うん。ダメ元でやったらできちゃった。あ、あはは」
乾いた笑い声を上げるメルヴァルド。
やはり、彼は矢を放っていた。
それがバリアの極小さな穴を通り、アルフ・ヴィガントの核を破壊したのである。
以前、彼の放った矢の破壊力を見ているため、核を破壊したことに驚きはない。
「で、でも、あなたは、矢を真っ直ぐ飛ばせなかったじゃないですか。それがどうして……? 」
レリアが驚愕した表情のまま、メルヴァルドに言った。
驚くべきは、彼の矢の腕で成し遂げれたことだ。
彼女の言う通り、メルヴァルドは矢を真っ直ぐ飛ばせず、狙った場所に当てることが不得意であった。
それにも関わらず、針に糸を通すような芸当をしたのだから驚きである。
まぐれの一言では、到底片づけられることではない。
「いやぁ、なんでだろうねぇ」
メルヴァルドは、自分が手にする弓を見て、そう言った。
彼自身にも何故当てれたのか分からなかった。
「それより、ネリィちゃんのところへ行っていいかな? 」
「……あ、はい。お願いします」
メルヴァルドは弓をしまうと、ネリーミアのいる場所に向かって走ってゆく。
しばらくの間、セアレウスとレリアは彼の背を見て呆然と立ち尽くしていた。
「な、なにはともあれ、わたし達の勝ちです。苦しい戦いでしたね」
そう言って、いつもの調子を取り戻すと、セアレウスはある物に目を向ける。
それは、かつえアルフ・ヴィガントと呼ばれた白い泥の塊であった。
この状態になってから、ヴィジブロポイドやパワードが再び形を取り戻すことはなかった。
アルフ・ヴィガントも同様に、もう元に戻ることはないだろう。
セアレウス達は、この戦いに勝利したのだ。
アルフ・ヴィガント。
あらゆる攻撃を無効化するバリアを持ち、自身の攻撃の威力も高い。
移動が出来ないという点を除けば、まさに最強の生物であった。
アルフ・ヴィガントを倒した今、セアレウス達の命を脅かすような脅威はない。
「さあ、どうしますか!? ご自慢の最強の生物は倒されましたよ」
どこかにいる謎の男性に向かって、セアレウスが告げる。
まだ何かしらの方法で、自分達を始末するつもりであるのか。
それを問いただしていた。
ちなみに、背負っていたレリアは今、彼女の横で腰を下ろしている。
「……ふ……ふははははは!! 」
しばらく沈黙が続いた後、謎の男性の笑い声が聞こえてきた。
この期に及んで、そのような振る舞いをするのは不気味である。
笑い声を耳にしながら、セアレウスは身構えていた。
「面白い、面白いぞ! お前達は! 」
「面白い……ですって? 」
謎の男性に称賛されるが、セアレウスはちっとも嬉しくはなかった。
「特にバリアを破壊した奴! どのような方法で、あれを出したのか非常に興味がある! 」
「……!? まだ何かしてくるつもりですか! とにかく、いい加減姿を現してください! 」
謎の男性の言葉を聞き、セアレウスは周囲を警戒する。
「ふははっ! わしの次なる製造生物の糧にしてやろう! いずれな」
「……!? 」
セアレウスがビクリと肩を震わせて、勢いよく後方へ振り返る。
後方から何かを重い物が引きずられたような物音がしたのだ。
すると、彼女の視界には広い壁がある。
「あれは……」
セアレウスの記憶では、何もない壁であった。
しかし、今、その壁には通路が出来ていた。
それは、かつてセアレウスが通っていた通路であり、今までは塞がれていた。
先ほどの物音は、この通路を開く音のようであった。
「我が最強……だった製造生物を倒したご褒美だ」
通路が出現してすぐ、謎の男性の声がこの空間に響き渡る。
発言からして、彼が意図的に塞いでいた通路を開いたようであった。
「あと、ここはお前達の好きにするといい。ここは、わしにとって不要の場所となった。では、さらばだ」
「……! 逃げるつもりですか! 」
セアレウスが声を張り上げるものの、以降謎の男性の声は聞こえなくなった。
アルフ・ヴィガントを倒したものの、それを制作した者と対面することもできなかった。
謎の男性は、このウィンドリン島にて、多くの人々を傷つけたヴィジブロポイドを生み出した調本人である。
本人は人を襲わせる意図はないと言ったが関係者だ。
「あの人の野望のために、この島の人達は……」
セアレウスは俯いて、ひたすら拳を握りしめた。
謎の男性に対して、何もできずに逃してしまったことが悔しかった。
ヴィジブロポイドの被害を受けた人のことを考えれば考えるほど、その気持ちは強くなっていく。
「くっそおおおお!! 」
セアレウスは叫んだ。
普段の彼女からしてみれば、らしくのない叫びであった。
故にか、隣にいるレリアは、ただ驚いた顔でセアレウスを見ることしかできなかった。
意識を失うネリーミアを背負うメルヴァルドも、悲痛な面持ちで彼女を見ることしかできなかった。
この後、セアレウス達はヴィジブロポイドを生成する装置を全て破壊し、チャオミィを目指してストロ山を下りるのだった。
これで、ウィンドリン島での謎の生物による脅威は無くなった。
多くの人々は、その吉報を聞き大いに喜ぶことになるだろう。
しかし、この一件を解決した当事者であるセアレウス達の気持ちは、晴れ晴れとしたものではなかった。
この世界には、強大で未知の脅威が存在する。
その一端を垣間見たのだから。
数日後、セアレウス達の姿はトナードの町の長の家にあった。
このウィンドリンの島からヴィジブロポイドの脅威を排除した功績が認められ、表彰を受けているのだ。
チャオミィで戦い続けていたケブディを代表する冒険者一同も同様である。
彼ら及びセアレウス達は、この島を救った者として記録されることとなったのだ。
表彰された者達は依頼の報酬とは別に、記念品として多額の金額を受け取った。
多くの者が記念品を受け取る中――
「称賛していただき、大変嬉しく思います。しかし、私は法師として正しいことをしたまで。そのお金は、被害にあった人や町にお使いくだし」
そのような言葉を町の長に告げ、メルヴァルドは受け取りを拒否した。
カーリマン寺院に依頼されたのは、ゾンビ退治である。
本来、この一件はメルヴァルドが関わるべき問題ではなかった。
それでも、組織として彼の行いは善行という扱いにされ、避難されるものではない。
しかし、カーリマン寺院の考える善行いに見返りは無いものとされている。
故に、依頼の報酬以外の見返りである記念品は受け取れないのだ。
そして、ゾンビは存在していなかったため、依頼の報酬も受け取ることはできない。
結果、ただ働きという形となってしまったが、メルヴァルドはそれで良かった。
良かったと思いたかったようであったが――
(セラちゃんとネリィちゃんは、私の護衛ってことで報酬があるっていうか渡すじゃん? レリアちゃんは、セラちゃん達からだねぇ。あれぇ? なんか私だけ、ただ働きみたいでなんか嫌だなぁ……)
よくよく考えてみると、自分だけが損をしているようで、釈然としない気持ちになっていた。
しかし、その気持ちを口に出すことなく、メルヴァルドはさっさとこの場を去ることにした。
表彰式を途中退場する形となってしまったが誰も彼らを非難する者はいなかった。
他者が困っていれば迷いなく助け、その見返りを求めない。
メルヴァルドの考えは、見返りを法師として素晴らしいものだと誰もが感じていたのだ。
彼の思惑通り、恰好の良いまま立ち去ることが出来ていた。
表彰式を出たその足で、セアレウス達はノドウィンへ向かう。
「そういえば、なんであの時矢が当たったのか分かったよ」
その道中、メルヴァルドは三人の前で、そのようなことを告げた。
アルフ・ヴィガントの核に矢を当てれた理由、それが分かったというのだ。
未だに不可解なことであったため、三人は彼の話に耳を傾ける。
そして、満を持して話されるその理由とは――
「あの……弓がね、逆だったの。下手くそだった時、上下逆に持ってたみたい。だから、当たった時はちゃんと持ってたってこと。まぁ、結局のところ腕は落ちてなかったってことかな? あはは! 」
ということだった。
つまりは、誤った持ち方をしており、上手く狙いが定められなかったということらしい。
「上下……逆…? 」
「え? 弓って上下とかあるの? 」
弓を扱ったことのないセアレウスとレリアには、ピンとこない話であった。
「ちょっとその弓を貸すです……」
レリアがメルヴァルドから弓を受け取ると、あらゆる角度から観察したり、実際に構えて弦を引いてみる。
「……ま、まぁ……若干? あるっていうか…………」
「ん? どうしたの? 」
渋い表情で弓を見つめるレリアに、メルヴァルドが声を掛ける。
「逆に持つと違和感があるです。普通に気づくですよ」
上下で弓を構える感覚が明確に異なる。
レリアは、それに気づかなかったメルヴァルドを不思議に思っているのだ。
「……そういう弓だと思ってたの」
「は……? 」
「実は、持ちにくい弓だなーって、ずっと思ってた。でも、この辺の弓ってこんな感じなのかなって……ね」
メルヴァルドは申し訳なさそうに、そう言った。
違和感を感じながら、そういうものだと思い込んでいたようであった。
つまり、違和感はちゃんと感じていたのだが、その原因が弓が逆だということに気づかなかったのだ。
「なら……! いや……うーん? そう思う……こともあるですか……? 」
レリアにしてみれば、気づかないのは考えられないことだ。
しかし、弓の種類もその扱い方も人それぞれである。
そう考えれば、一方的にメルヴァルドを非難することができず、モヤモヤとした気分になっていた。
「「「「……」」」」
結果、原因が判明したというのに、何とも言えない微妙な空気が漂うという結果となった。
「……ま、まあ! 結果、上手くいったっていうことで……そういうことにしよう! 」
「そ、そうですね! そういうことでした、はい! 」
微妙な空気を打破するべく、ネリーミアとセアレウスが動いた。
今話し合ったことは、そういうことだとして片づけるしかない。
もうそうするしか収拾がつかない。
二人は、そう判断したのだ。
その後、セアレウス達は、この話を一切話題にすることなかった。
そして、ノドウィンに辿り着くと、ゼプランシ行きの船に乗る。
こうして、メルヴァルド及びセアレウス達三人のウィンドリン島での旅は幕を下ろしたのだった。




