三百五十二話 貫くは紫銀の月光
巨大なアルフ・ヴィガントのさらに上、この空間の天井には、いくつもの光を放つ装置がある。
この空間は、それらによって照らされている。
全体が明るいのだが、さらに明るい場所がある。
そこには、黄金色に輝く光の球体があった。
レリアが放った光魔法である。
球状の光属性の魔力の塊を放つという単純な光魔法だ。
しかし、その魔力の量は膨大で、彼女が行使できる光儘法でも最高威力のものである。
それが壁面に当たる直前で留まっていた。
大きさは、かつては人一人包み込めるくらいであったのだが、今はその二倍ほど大きくなっている。
ピカピカと連続的に強烈な光を放ちつつ、ずっと消えないでいた。
「まだ消えないか。強力な魔法のようだが当たらなければ意味はない。残念だったな」
どこからともなく、謎の男性の声が発せられる。
彼は、レリアの放ったその魔法に驚いていた。
「いや、当たっていたとしても無駄だ。威力が強かろうが意味は無い」
しかし、それはもう過去のこと。
彼はすでに興味がなかった。
いくら強力な魔法といえど、それがアルフ・ヴィガントに通用するはずがない。
その絶対の自信があるからだ。
しかし――
(何をしようが無駄だ。それは変わりない。だが、こいつらの思惑は気になる……)
レリアが闇雲に魔法を放ったとは考えていなかった。
何故なら、魔法が向かう進路にアルフ・ヴィガントがいなかったからだ。
つまり、元から当てるきなどなかったように見えたのだ。
彼は、それが腑に落ちないことであった。
何をしようがアルフ・ヴィガントは倒せない。
その前提があっても――
(……あの魔法の場所には何があった? ただの壁だろう)
疑問を持たずにはいられなかった。
彼は、この疑問を抱えながら、これから実験というなの戦いを眺め続けることになる。
「……この実験も潮時だな」
彼の視界には、レリアを背負うセアレウスの姿がある。
ほぼ無尽蔵に体力のある彼女であるが、魔力は別である。
攻撃を躱しつつ魔法を放ち、さらに途中からレリアを背負って戦っていた。
それらの疲労が蓄積し、彼女は息を荒くしていた。
「……!? 」
突如、驚愕の表情を浮かべてセアレウスが足を止める。
彼女の目線の先には、アルフ・ヴィガントの姿がある。
先ほどまで、口から赤い閃光を吐き、巨大な両腕を振り回し暴れていた。
しかし、今はピタリと動きを止めている。
「なんです? 」
「止まった? なんで? 」
セアレウスに背負われるレリアと、彼女達の遥か後方に立つメルヴァルドも驚いて、アルフ・ヴィガントを見ていた。
「なかなかに楽しめた。やるじゃないか」
三人に対して、謎の男性が言った。
発言とは裏腹に、相変わらず淡々とした声音であった。
「何をやっても、どれだけ戦おうが……見ろ、アルフ・ヴィガントに傷一つついていない。バリアにすらだな」
「だから何だと言うのですか!? 」
セアレウスは声を張り上げて、大きな声で言った。
どこにいるか分からない以上、謎の男性へ声を伝えるには大声を出すしかないと判断したのだ。
「別にどうということはない」
セアレウスの声は、謎の男性に届いていたようであった。
「このまま、お前達は死ぬ。だが、その前に聞きたいことがある。先ほど撃った魔法だが、あれには何の意味があった? 」
謎の男性は、セアレウスへ訊ねた。
彼は疑問を解決しようと自分で考えたのだが、その答えは分からなかった。
故に、セアレウス達に聞くことにしたのだ。
「答えたら、助けてくる……とでも? 」
「それはない。これは交渉ではない。質問だ。質問をされたら、返すのが道理だろう? 早く答えるがいい 」
セアレウスの問いかけは愚問であった。
「……いいでしょう。その代わりに、まずわたしから質問をしても? 」
愚問ついでに、彼女はこちらからも質問をすることを要求した。
この状況において、この望みは叶わないに等しいだろうことは、彼女にも分かっている。
つまり、ダメ元であった。
「……まあ、いいだろう」
しかし、意外にも謎の男性はセアレウスの質問を許可した。
「ヴィジプロポイドやパワード……でしたか? あれらは、そのアルフ・ヴィガントを作る過程で出来たもの。違いますか? 」
「その通りだ」
「では、ヴィジプロポイドを作り続けて、この島の人達を襲わせる目的は? 」
この質問は、セアレウスが一番に聞きたかったことである。
ヴィジプロポイドが作られた生物だと気づいた時から知りたかったことだ。
そして、アルフ・ヴィガントの存在と、一つ前の質問を聞いてから、その内容は少し変わった。
「する必要があったのですか? 」
セアレウスは、謎の男性の話を聞く限り、ヴィジプロポイドを生産し続ける理由は無いように思えた。
「無い」
彼女の思惑通りの返答であった。
「あなたには無い。そういうことですか?」
「そうだ。あれは、頼まれてやったことだ」
つまり、ヴィジプロポイドを生産し人を襲わせることについては、謎の男性ではない者が望んだことであった。
その者とは――
「黒い蛇だ。奴らは、大多数の人を絶望させたい……などと言って頼んできたのだ。わしの研究の協力をする代わりにな」
黒い蛇という者であった。
否、謎の男性の発言から、その言葉は単一の者を指すものではない。
複数人、つまり組織の名であった。
「黒い蛇……」
そう呟いて、セアレウスは振り返る。
すると、彼女と目が合ったメルヴァルドが首を横に振った。
「レリアさんは? 」
「知らないです」
レリアも知らないようで、セアレウスは怪訝な表情をする。
黒い蛇という組織が人に知られないほど小さい規模なのか。
それとも、人に知られないで大きな規模であるのか。
その判断が出来ず、まともに脅威度を予測することができなかった。
「その黒い蛇……とはどんな組織か教えていただけますか? 」
故に、そのことも聞いてみることにした。
この時、セアレウスはある方向へ、瞬間的に視線を送っていた。
「……ダメだ。言ったところで不利益をこうむるわけではないが、他人のことをベラベラと喋るものではない」
謎の男性は、セアレウスの問いに答えることはなかった。
それは同時に質問の終了を意味していた。
彼の発言が終わったと同時に、アルフ・ヴィガントの口が開かれる。
その口に赤い光が発生し、次第に大きさを増してゆく。
間もなく、赤い閃光が放たれる。
それが向かう先には、セアレウスが立っていた。
「セ、セアレウスさん! 」
レリアが悲鳴に似た声でセアレウスの名を呼ぶ。
このままでは、自分達は赤い閃光に焼き尽くされてしまう。
そのはずなのだが、セアレウスに躱す素振りが見られないのだ。
しかし、彼女はすぐに動かない理由を知ることになる。
「……!? 」
突如、怯えきっていたレリアの表情が驚愕の色に染まる。
「えっ!? 」
メルヴァルドも驚愕の声を上げる。
そして――
「なっ、なに!? 」
謎の男性も驚いた様子であった。
唯一、セアレウスだけが驚かずに事の一部始終を眺めていた。
勝ち誇ったかのように笑み浮かべ――
「やりましたね、ネリィ」
と呟くのだった。
「グギャアアア!! 」
皆が驚愕した瞬間、アルフ・ヴィガントが甲高い声を発しながら苦しみだす。
口に発生した赤い光は霧散し、赤い閃光が放たれることはなかった。
何が起こったかと言うと、一直線に伸びる細い光の線がアルフ・ヴィガントの胸を貫いたのだ。
それは一瞬のことであり、光の線はかろうじて見えるほどの細さであった。
赤い閃光に比べれば頼りのないものだ。
だが、その光の線がアルフ・ヴィガントにダメージを与えたのだ。
アルフ・ヴィガントにダメージを与えた光の線が現れる少し前。
壁面のくぼみに埋まったままのネリーミアは、苦悶の表情を浮かべていた。
彼女の目の前には、自分の視界を覆い尽くすほどに大きい光属性の魔力の塊である。
それは、レリアが放った最高威力の光魔法であった。
ネリーミアは、右手を前方に突き出し、それを受け止めていた。
彼女の体のどこにも、光属性の魔力に触れておらず、寸でのところで止まっている状態であった。
突き出す右手のひらに黒く渦巻く闇の魔力があり、それによって受け止めているからだ。
これは容易なことではない。
気を抜けば、全身を光属性の魔力に包まれ、ネリーミアは命を落としてしまうだろう。
そうならないため、彼女は全力を出し続けていた。
しかし、受け止めることが彼女の目的ではない。
「くっ……うああああ! 」
ネリーミアの口から、掛け声が放たれる。
すると、彼女の右手のひらの闇の魔力が徐々に広がりだし、光属性の魔力を包み込もうとする。
(あの時、闇の魔力は光も吸い込んだ。なら、光属性の魔力も出来るはず! )
この時、ネリーミアが黒いローブの者との戦いを思い出していた。
戦いの終盤で彼が行使した闇魔法がある。
それは、周囲の全てを吸い込み跡形もなく消し去るという強力な魔法であった。
今、その闇魔法を彼女は真似たものを行使しようとしていた。
しかし、全てを真似るつもりはなく、吸い込む点を重点的に真似ている。
黒いローブの闇魔法は、太陽から放たれる光をも吸い込もうとしていた。
その光景を見たからこそ、今の状況がある。
ネリーミアは、自分には無い大量の光属性の魔力をレリアからもらうことを考えた。
だが、他人の魔力を自分のものとして扱うのは困難なことだ。
ましてや、ネリーミアが使用適正も耐性もない光属性の魔力を制御出来るはずがない。
不可能と断言できるほどであった。
そこで、先ほどの闇魔法である。
光属性の魔力を吸い込みつつ、闇の魔力の中に包み込むことを考えたのだ。
そうすることで、暴れ回り手の付けられない光属性の魔力を制御しようと言うのだ。
無理やり他人を従わせるようで、あまりに乱暴な方法である。
それは本人も自覚していることだが、今はそうするしかなかった。
(くっ、簡単には……行かないよね)
黄金色の球の姿をした光属性の魔力は、徐々に闇の魔力の黒に包まれてゆく。
さらに気が抜けない状況になり、苦しさも先ほどの比ではない。
「ふふっ……」
そんな苦境の中で、ネリーミアは笑った。
(今なら何でもできる気がする。この自信はどこから来るんだろうね)
今の彼女は、人生の中で一番強気であった。
それが少し前までは考えられないことであるから、可笑しいと思ったのだ。
(これもセラのおかげだね)
自分が変わった要因は、明確にセアレウスであった。
彼女と出会ってから、自分は大きく変わることが出来た。
それは、以前から思っていたことだが、今はより強くそう思っていた。
(君は兄さんのようだ。でも、兄さんとは違う。兄さんには無いものを君は持っている)
そして、セアレウスの評価も変化していた。
(君が皆のところに来た理由もなんとなく分かるよ。上手く説明できないけど、君はそういう人なんだ)
ネリーミアの表情から笑みが消える。
その代わりに、何か決意を固めたような引き締まった表情をした。
(セラ、見ていてくれ。君と出会って、ここまで頑張った成果を。今、この時だけは僕は君を超えてみせる)
この時、光属性の魔力は、完全にネリーミアの闇の魔力に包まれた。
彼女の目に前にあるのは、真っ黒い球状の塊であった。
ここから、ネリーミアは目を閉じる。
(あと一息だ。やっと、僕がやりたかったことに挑戦できる。あせらず、ゆっくり……ゆっくりだ)
レリアに最高威力の光魔法を放たせて、それを己の闇の魔力で包み込む。
これらは準備段階に過ぎなかった。
ネリーミアがこれから為そうとすることこそ、アルフ・ヴィガントを倒しうる方法であった。
彼女が目を閉じる中、光属性の魔力を包んだ黒い球体は、徐々に小さくなってゆく。
この状態になってから、五分ほどの時が経った頃、ネリーミアは閉じていた瞼を開けた。
「……はは」
すると、彼女の口から笑い声が漏れる。
今にも泣きそうな表情で、声は嬉しそうであった。
「こんなに小さくなっちゃうのか……」
彼女の目の前には、闇の魔力も光の魔力も無くなっている。
そこには、灰色の輝きを放つ光の球体があった。
それこそがゼロ属性の魔力である。
なんの属性にも属さず、強力な威力を持つ力がそこにあった。
ネリーミアは、光属性の魔力と闇属性の魔力を時間を掛けて中和させ、このゼロ属性の魔力を作り上げたのである。
かつてのように不安定ではなく、制御できずに暴走することはない。
完全にゼロ属性を作ることが出来たのだ。
しかし、大きさは片手で包み込めるほどで非常に小さいものであった。
光属性の魔力は、人一人包み込めるほどの量があった。
それでゼロ属性を作ってみれば、その程度の大きさまで小さくなってしまったのである。
「今の僕ではこんなもんか。でも、出来たんだ。今は、これでいいんだ」
あまりにも小さいため、悔しさはある。
それでも出来た事に意味があるのだ。
強がりなどではなく、ネリーミアは素直に感動した上で、そう思うのだった。
「いや、喜ぶのは後だ。あとは、これを撃つだけでいい」
ネリーミアは、小さなゼロ属性の塊を右手で掴み取ると、アルフ・ヴィガントを見つめる。
視線の先を顔から胸の部分に向け、彼女は右手をそこに目掛けて突き出す。
「月光一線……僕の光で貫いてみせるよ」
そう言った後、ネリーミアは右手を開いた。
そこから、解放されたかのように、ゼロ属性の魔力が飛び出す。
一直線にアルフ・ヴィガントの胸に目掛けて飛んでゆく。
先ほどまで、ゼロ属性の魔力は灰色であった。
しかし、空間に一本の線を描くように飛ぶ今は銀色の輝きを放っていた。
その銀色には、僅かに紫も交じっており、ゼロ属性にしては不思議な色であった。
この時、ネリーミアは伸ばした右腕をだらりと下げ、顔は俯いていた。
ゼロ属性の魔力を放った瞬間、彼女は意識を失ったのだ。
故に、不思議な銀色に輝く線も、その行き付く結末も彼女は見ることはない。
それでも、俯いた彼女の表情は笑ったままであった。




