三百四十九話 天才と呼ばれ続けた初心者
「ネリィ! 」
大きく息を吸った後、セアレウスは叫ぶように言った。
遠く離れた場所に、彼女が呼ぶネリーミアがいる。
セアレウスの声は大きく、そこに届くはずであった。
しかし、ネリーミアからの返事はなかった。
彼女は壁面にできたくぼみの中心で、もたれかかるように佇んでいる。
セアレウスに声を掛けられようと、ネリーミアが動くことはなかったのだ。
「……」
再度、声を掛けようとしたが口を開けたところでやめた。
駆け寄ろうと踏み出した足も、そこで動きを止める。
ネリーミアに向けていた顔もアルフ・ヴィガントへと向けた。
「ネ、ネリィちゃん! 」
「待ってください。そこから動かないでください」
メルヴァルドは、ネリーミアの元へ向かおうとしていた。
彼女の治療を行うためである。
アルフ・ヴィガントの巨大な腕に弾き飛ばされ、壁面に叩きつけられたのだ。
彼の目からしても、自分が聖法術の補助をかけているとはいえ重症であるのは間違いなかった。
自分が行おうとしているのは、当然のことだと思っていた。
しかし、セアレウスはその行動を制止した。
「セラちゃん!? 」
メルヴァルドは、何がなんでもネリーミアを治療するつもりであった。
そんな彼が足を止めたのは、セアレウスの声に得体の知れない迫力があったからだ。
「どうして!? 」
それだけであり、自分を止めたことには納得していない。
メルヴァルドは、その理由を問いかけずにはいられなかった。
「敵の攻撃範囲は広い以上、安全な場所はありません。いつ誰に標的のなってもおかしくはないのです」
セアレウスは背を向けたまま、メルヴァルドに顔を向けることなく答えた。
ネリーミアを治療しつつ戦えることができるのか。
治療の最中、アルフ・ヴィガントの攻撃が来たら、躱すことができるのか。
それは無理なことだろう。
もし、ネリーミアを治療しに行けば、自分も倒されてしまう可能性は上昇する。
つまり、この戦いにおいては、仲間を助ける余裕は無い。
それを暗にメルヴァルドへ伝えた言葉であった。
「うっ……」
メルヴァルドは表情を引きつらせた。
彼は、セアレウスへ言葉を返すことができなかった。
彼女の言葉に納得しつつ、その冷たさに絶句しているのだ。
(セラちゃん……そこまで、あなたは……)
自分の一番の親友であり、身を挺して庇ってくれた人物を見捨てなければならない。
戦いの中という一時的なものだが、非常に辛いことである。
彼女が一番戦いを放棄して、ネリーミアの元へ駆け寄りたいはずなのだ。
セアレウスの心中を考えると、メルヴァルドは心が痛くて仕方がなかった。
そして、彼女の言葉に従い、もう何も言うまいと思った。
セアレウスが必死の思いでしている覚悟を揺らがせないために。
アックスエッジを持つ左手を振りながら、セアレウスは走る。
基本真っ直ぐだが、時折左右のどちらかに進行方向を変化させる。
そんな彼女へアルフ・ヴィガントの巨大な腕や赤い閃光が放たれるが当たらない。
セアレウスが走っているのは、攻撃を躱すためであった。
それは言い換えると、動き続けなければ、アルフ・ヴィガントの攻撃に当たることになる。
大半の者であれば、この状況において体力の限界が敗北に繋がるだろう。
しかし、セアレウスには無尽蔵の体力があり、彼女自身体力の限界は考えていなかった。
「……ほう。凄まじい体力を持っているな」
攻撃を避け続ける様は、今まで感情を動かす素振りを見せなかった謎の男性を驚かせた。
そして、セアレウスは避け続けるだけではない。
アルフ・ヴィガントが行う攻撃と攻撃の間の僅かな時間に、彼女も攻撃を行っていた。
ウォーターブラストを放ったり、アックスエッジを投げているのだ。
しかし、どの攻撃もダメージを与えることはなかった。
やはり、見えない障壁に阻まれてしまい、体にまで届くことはないのだ。
それでも、セアレウスが攻撃をやめることはなかった。
(あの見えない壁は完璧ですね。それは、認めざるを得ません)
ここまで戦った中で、セアレウスには分かったことがある。
それは、見えない障壁には形があり、場合によって変化することだ。
普段、見えない障壁はアルフ・ヴィガントを中心にして球状の形をしている。
セアレウスが激突したのは、この形の時だ。
今はちゃんと範囲を見極めており、激突することはない。
その一つだけだと思い、かつての彼女はある疑問を思いつくことになった。
それは、アルフ・ヴィガントが攻撃する時は、どうなっているかということ。
振り回す腕は、見えない障壁の範囲から出る時があり、赤い閃光は阻まれることがないのだ。
セアレウスはこの時、見えない障壁が消えるのだと思った。
しかし、アフル・ヴィガントの攻撃の瞬間を狙って、自分が攻撃を仕掛けたのだが阻まれてしまった。
腕を狙っても、赤い閃光の傍に沿って水を伸ばしても結果は同じだった。
そして、セアレウスは気づいた。
見えない障壁は、アルフ・ヴィガントの腕や赤い閃光の周囲を膜となって包んでいる。
つまり、見えない障壁はアルフ・ヴィガントの攻撃に合わせて形状を変化していた。
相手の攻撃を通す隙間を作らせない構造であるのだ。
まさに完璧と言わざるを得ないだろう。
弱点を探すつもりが逆にさらなる敵の強さを知る結果となっていた。
セアレウスにとって――アルフ・ヴィガントを倒そうとする者にとって、さらなる絶望を与える結果であると言えよう。
(しかし、壁の中の体はどうでしょうか? )
しかし、セアレウスは、逆に希望を見出していた。
何故あらゆる攻撃を防ぐ壁があるのかを考えれば、その答えに辿り着けるだろう。
アルフ・ヴィガントの体は、見えない障壁と同じ性質では可能性が高い。
見えない障壁さえなんとかすれば、倒すことができる希望があると考えられるのだ。
(あの見えない壁さえ突破できれば勝機はある。絶対に見つけてみせます)
希望を見出したとはいえ、見えない障壁の穴を見つけることは容易なことではない。
もしかしたら、無い可能性もある。
それでも、諦めるには早すぎると、セアレウスは思っていることだろう。
「うわぁ、危ない! 」
メルヴァルドが大口を開けて、悲鳴を上げる。
アルフ・ヴィガントの攻撃はセアレウスだけではなく、彼へも――
「くっ! 」
レリアにも行われていた。
唯一、矛先が向けられていないのは、ネリーミアだけである。
「残りは三人……だが、よく避ける」
謎の男性は、ネリーミアを攻撃対象から除外しているようであった。
彼がそう認識しているせいか、アルフ・ヴィガントが彼女を攻撃することはなかった。
壁面に叩きつけてから、一度もないのである。
(セアレウスの言う通りです。自分のことだけで精一杯です)
アルフ・ヴィガントの放つ赤い閃光は、この空間のあらゆる場所へ届く。
さらに、地面や壁面に当たるまでの時間が漏れなく、ほぼ一瞬である。
躱すのは容易ではなかった。
「ひ、ひええええ! 」
本来戦闘に参加しないはずのメルヴァルドは、よく避けていられるものだと言える。
そして――
「うっ……!? い、今のを避けれるですか!? 」
レリアも驚嘆する見事な避けっぷりだった。
(しかし、このままでは……今はまだ大丈夫ですが、いずれは……)
セアレウスと違って、レリアとメルヴァルドには体力の限界が近い。
レリアは、懸念を抱きつつ、アルフ・ヴィガントの動きに注視していた。
自分に向かって飛んでくる赤い閃光を躱す中、時折セアレウスへも目を向ける。
(赤い光だけでも、躱すのが大変なのに、あの人は腕の攻撃も避けている。さらに、攻撃もしているなんて……)
レリアは、何度もセアレウスに驚かされている。
今頃、彼女に関して驚くことはなかった。
それでも、逸脱した存在であると思い続けている。
弱い自分がセアレウスのようにはなれないと、無意識に思っているのだ。
実際には、彼女のように立ち振る舞える実力は、しっかりと持ち合わせている。
弱いのは、レリアの心だけなのだ。
アルフ。ヴィガントへ立ち向かうセアレウスとネリーミアの姿を見て、彼女は立ち直った。
ただし――
(私はあなたのようにはなれない)
立ち直った度合いは僅かであるのだ。
(勝てない相手に戦いを挑むなんて……)
レリアは、無意識にその僅かが何であるかを認識していた。
故に――
「……私は……勝てる相手に……自分が出来ることだけをやっていた……? 」
ようやく気付くことができた。
レリアは、自分が出来ないことには挑戦していなかったのだ。
弓も剣も魔法も彼女は天才的に出来ていた。
それは天才という一言で片づけられるもので、偶然にも優れた答えを見つけていただけにすぎないとも言える。
偶然出来たことに満足し、それが当たり前だと思っていたのだ。
だからこそ、今まで気づくことができなかった。
そして、彼女が挫折した経験がないのは、挑戦したことがないからである。
それに気づいた今、彼女は――
(苦しい……! 体だけじゃなく、心が震えてる!? )
人生で初めて、挑戦する前の不安を味わっていた。
自分に出来るのか、上手くいくのかが分からない。
その不安は、手や足の震えをなって現れ、レリアを余計に戸惑わせていた。
(こ、こんな状態で動けるはずがないです! )
この時もレリアは、自分に向かってくる赤い閃光は躱している。
彼女が動けないと言うのは、セアレウスの元へ向かうための一歩を踏み出せないということだ。
(でも、セアレウスさんのように戦わなくちゃ! )
レリアは、自分も戦うべきだと思っていた。
(あの人だけじゃダメです! )
一人戦う姿を見て、今のセアレウスは充分強いと思っている。
しかし、足りないとも思っていた。
(セアレウスさんの力はそんなものじゃないはずです。私に出来るか……私なんかで良いのか分かりませんが! )
そして――
「う……うわああああ!! 」
レリアは、ようやく一歩を踏み出した。
自分へと向かってくる幾つもの赤い閃光をかいくぐり、彼女は駆け抜けてゆく。
「レリアちゃん!? 危険だよ! 」
メルヴァルドが思わずそう叫んでしまうほど、危なっかしく見えた。
「ん? 急に走り出した。自暴自棄にでもなったか」
走るレリアの姿は、他者から見れば自棄を起こして、がむしゃらに突進しているようである。
メルヴァルドと謎の男性の目に狂いはない。
何故なら、ここに来て、初めての事に挑戦する初心の者がいるとは、普通は思わないからだ。
今のレリアの状況は、場違いであると言えよう。
しかし、当の本人はそんなことなど気にすることなく、目的の場所を目指して、ひたすらに走る。
そして、辿り着いた。
「レリアさん!? 」
セアレウスが自分の背後に向けて、驚きの声を出す。
そこに、レリアがいた。
彼女は息を荒くして、背中合わせに立っていたのだ。
「……私では……いえ、何でもないです」
思わず吐きそうになった弱音を飲み込み、大きく首を振る。
レリアが伝えたいのは――
「私があの人の代わりになるです! 一緒に戦いましょう! 」
という言葉であった。
それを聞き、セアレウスは思わず唖然とする。
しかし、ほんの一瞬だけであり――
「はい! お願いします! 」
すぐに笑顔になった。
二人が立つ場所へ、巨大な拳が振り下ろされる。
散り散りに飛ぶことで、二人は叩き潰さずに済んだ。
「ウォーターブラスト! 」
「くっ! 私も! 」
セアレウスに続いて、レリアも魔法を放つ。
彼女が剣を振るうことで生まれた白い剣筋から、複数の白く発光する矢が発生する。
ホワイトアローであった。
それがセアレウスのウォーターブラストと同様に、アルフ・ヴィガントへ向かうが見えない障壁に阻まれてしまう。
「アサルトファイアー! ストーンスプラッシュ! ウィンドエッジ! 」
複数の魔法を立て続けに放っていく。
どれも阻まれてしまうが構うことはなかった。
ただ、魔法を受けた時の障壁の反応は見逃さなかった。
(どこを攻撃しても防がれるですか! )
結果、どの部分を攻撃しても、障壁に穴が開くようなことはなく、すべて阻まれてしまった。
「レリアさん、連携しましょう! 」
何か方法はと考えていると、セアレウスから提案が飛んでくる。
「その連携とは!? 」
「二人の魔法を掛け合わせるのです! 水魔法しか使えなくて申し訳ありませんが! 」
「くっ! 攻撃がそっちにも来るですよ! 」
二人は、アルフ・ヴィガントの攻撃を躱しながら話し合う。
「わたしは、ウォーターブラストを使います! それに合わせて何か魔法を! 」
「何を使うかは、こっちの判断でいいですか!? 」
「はい! お願いします! 」
話し合いに決着がつく。
攻撃が出来るタイミングで、セアレウスはウォーターブラストを放った。
それに合わせて、レリアは――
「ストームアロー! 」
風魔法を行使した。
そのストームアローとは、激しく回転する風を矢のように撃ちだす風魔法である。
螺旋を描く風の渦は先へ行くほど細く、先端は矢じりのように鋭い。
それが高速で回転しており、威力は勿論、物を貫通する力は凄まじい。
そして、射られた物の大半は、大穴を開けられた後ボロボロと崩れ去り、跡形もなくってしまう。
風が激しく回転する様からストームアローと呼ばれ、その名に恥じぬ破壊力を持ち合わせていた。
やがて、ストームアローは、セアレウスのウォーターブラストに追いつく。
長く伸びる水の線を破壊することはなく、包み込むように覆いだした。
激しく渦巻く嵐の中心で、ウォータブラストも同じように回転し、先端も鋭利な形状に変化した。
レリアは、セアレウスの放ったウォータブラストにスト―ムアローを合わせることで、威力と貫通力を高めさせたのだ。
「「いけええええ! 」」
二人の叫び声の勢いが乗ったかのように、嵐を纏った水の線は凄まじい速度で飛来する。
そして、見えない障壁に衝突した。
すぐに消え去ることはなく、ガリガリと物を削り取る騒音が周囲に響き渡る。
一見して、障壁を貫通してしまうようであった。
しかし、騒音が鳴り響いたのはものの数秒であり、他の魔法と同様に跡形もなく消え去ってしまう。
衝突した部分の障壁には傷一つなく、期待した結果は得られなかった。
「無駄だ。いくら工夫しようと、バリアを破ることはない」
ダメ押しをするかのように、謎の男性はそう言った。
「最強の貫通力でも、ダメですか……」
「では、他の方法です。出来ることは全部試しますよ! 」
「はい! 最期まで付き合うです! 」
セアレウスとレリアには、謎の男性の声が聞こえなかった。
そう思わせるほど、彼女達に微塵も諦める様子はなかった。
「……よくも、そう何度も無駄なことができるな」
謎の男性は、呆れていた。
結果を知っているにも関わらず、一向に諦めない様は、彼にとって無駄なことだと言い切れるからだ。
しかし、その一方で――
「……ふむ。実験体としては、最高の素材とも言えるな。奴らがもがけばもがくほど、アルフ・ヴィガントが最強の生物でることが証明される」
と、二人を褒めていた。
彼が実験して見たかったのは、アルフ・ヴィガントが敵を一方的に圧倒する姿である。
セアレウスとレリアが頑張るほど、その姿を多く見ることができるのだ。
「やはり、わしが正しいのだ。ただ真似ただけのつまらん複製生物や、短命で不安定な混合生物とは違う」
謎の男性の声は、淡々としており抑揚というものがない。
しかし、この時は言葉を口から出すごとに、だんだんと声に震えが出てくる。
「わしのヴィジブロポイドシリーズこそ……製造生物こそが究極の生物なのだ! 」
この彼の発言には、しっかりと感情が込められているかのようであった。
生物を人の手で作り出すのは、決して褒められることではない。
それでも、謎の男性にとっては誇るべきことであり、彼が持つプライドの全てだと言えた。
だからこそ、この時は彼にとって最高の瞬間であり、滅多に動くことのない感情が動いていたのだ。
「あがき続けるがいい。どうせ最期は、ビームに焼かれるか、叩き潰されるか……あと、そうだ。既に処分した一匹と同じように、どこぞに弾き飛ばされるかの結末を迎えるのだから」
やがて、彼の声は淡々とした抑揚の無いものに戻った。
アルフ・ヴィガントの強さには、充分に満足したのだ。
あとは、分かり切った結果を待つのみで、謎の男性は既に、この戦いに興味がなかった。
複製生物と混合生物については、もう作中に登場しています。
言葉通りの特徴を持った奴がそれです。
2018年12月17日 文章修正
アックスエッジを右手を振りながら、セアレウスは走る。 → アックスエッジを持つ左手を振りながら、セアレウスは走る。




