三百四十七話 未知の領域
洞窟の中をセアレウス達は進んでゆく。
レリアの光魔法である光の玉により、彼女達の足元は照らされている。
洞窟の中は、地面、壁、天井が岩盤であり、綺麗に削り取ったのか凹凸が無い。
これほど道が整っていて天然の洞窟だとは考えられない。
この時点で、この洞窟が人の手で作られたのは明確であった。
奥を目指して進む中、セアレウスはあることを期待する。
それは、奥にこの洞窟の制作者がいることだ。
なんのために、この洞窟を作ったのか。
何が目的でヴィジブロポイドを島中に送り出しているのか。
彼女はそれを聞きだしたかった。
やがて、入口から続いていた細長い道が終わりを告げる。
「これは……なんです? 」
レリアは、そのような言葉しか思いつかなかった。
細長い通路を出て彼女達は広い空間に出た。
そこで見える景色はレリアも含めて初めて見るものであった。
百人入っても広いスペースが出来るほど広いこの空間には、たくさんの地面から突き出した水晶のような物があった。
それは円柱に伸び、先端は丸く奇妙な形である。
見上げるほどの高さがあり、小さな塔とも呼べるだろう。
色は緑色で淡い光を放っていた。
それがたくさんあるのだから、この空間の見通しは良好と言えた。
「変わった形の……水晶? だね」
「水晶……いえ、これは水晶じゃないです」
セアレウスは、水晶のような物の前に立つと、それに手を伸ばした。
すると、表面はツルツルとしていて凹凸を感じられなかった。
その時、セアレウスは握りしめた拳で、二回ほどそれを叩いてみると、コンコンと高い音が鳴った。
「これは、ガラスのようです」
触って調べた結果、水晶ではなくガラスのようであった。
ガラスとは、透明で薄く割れやすいのが特徴の物質。
よく窓に使われるのだが、この空間にあるような形状は一般的ではない。
「ガラス? 透明じゃなくて、色がついてるですけど? あと光ってるです」
レリアが怪訝な表情で、そう言った。
彼女は、それがガラスであると、いまいち理解できなかった。
「色が付いたガラスも一応あるよ。教会によくある。ガラス自体は光らない……から、もしかして、中が光ってるんじゃ……」
「わたしもネリィと同じことを考えです。中に入っているものに色がついているのではないですか? 」
「そうだとして、こんなガラスの中に何を入れるっていうですか」
「う、うぎゃああああ!! 」
三人が話していると、遠くの方から悲鳴が聞こえてきた。
声の主はメルヴァルドである。
敵に襲われたと思い、三人が急いで彼の元へ向かうも、敵らしき姿は見当たらなかった。
そびえ立つ円柱状のガラスの前で、尻もちをついているだけであった。
「どうしましたか!? 」
「あ、あああ、あれ……」
メルヴァルドが尻もちをついたまま、前方のガラスに指を差す。
その指先が示す方に目を向けることで、三人は彼が悲鳴を上げた理由が分かった。
ガラスの中の緑色に黒い影があった。
目を凝らしてよく見ると、それは両膝を抱いて丸くなる人間のシルエットをしている。
「これは……もしかして、ヴィジブロポイド!? 」
セアレウスが叫ぶように言った。
同じものを見るネリーミアとレリアは、彼女の発言を否定しない。
どう見てもヴィジブロポイドであった。
ガラスの中に入っているのは、ヴィジブロポイドで間違いないようであった。
「こんなガラスの中に……何故? 」
率直な疑問を口にするネリーミア。
「これは……推測の域ですが、このガラスの物体はヴィジブロポイドの卵のようなものでは……」
少しの間を置いて、彼女の疑問にセアレウスが答えた。
「なんだって? 」
「卵……そうは見えないです」
しかし、ネリーミアとレリアに二人は、彼女の推測をすんなりと理解することができなかった。
「よく見てください。このヴィジブロポイドは体が小さいです」
「う、うーん……? そうなのかなぁ」
「模様の色も分からないし、全然違いが分からないです」
セアレウスには、ガラスの中のヴィジブロポイドは、かつて戦ったものと比べて小さく見えていた。
その違いは微々たるもので、ネリーミアと他二人には分からないことであった。
三人からしてみれば、セアレウスの言うことは、独自の感覚から来るものだと感じていた。
つまり、セアレウスの話を理解できないままでいた。
「端的に言って、何でこれが卵のようなものになるの? 」
結局のところ何を伝えたかったのか。
ネリーミアはセアレウスに、それを訊ねた。
「えーと……このガラスの中で成長しているのだと思います。ある程度の大きさになれば、この中から出てくるのでしょう」
「なるほど、それで卵っていうわけか」
「あ、あーそういうことねぇ」
ネリーミアとメルヴァルドは納得したようであった。
しかし――
「ん? いや、おかしくない? どう見ても人が作った感じなんだけど……」
メルヴァルドは自分の考えを改めた。
まず、中にヴィジブロポイドが入ったガラスは人工物であると断言できる。
ガラスは人の手で作られるものであり、形状が綺麗に整っているからだ。
そんな物の中で、生物であるヴィジブロポイドを一から育てるのは考えられないことであった。
生物は同じ生物から生まれる。
それこそが変えられようのないこの世界の掟である。
人によって考えは異なるだろうが、メルヴァルドはそう思っていた。
故に、無機質なガラスの中で生物であるヴィジブロポイドが生まれることがおかしいと言ったのだ。
「いえ、おかしいことではないと思いますよ。ヴィジブロポイドに限っては」
だが、セアレウスは事実であると認識していた。
「生物であることは否定しません。しかし、人間でも動物でも魔物でも無い。生き物でありながら、どれにも当てはまらない……思います」
セアレウスの話に口を挟む者はいなかった。
おかしいと言ったメルヴァルドも同様であった。
彼女の話すことを理解できるからだ。
何故なら、彼女の言う通りヴィジブロポイドは、自分達の知るどれにも当てはまらないのだ。
つまり、彼女等にとって未知の生物だ。
だからこそ、その正体が何であろうと驚きはしないはずであるのだが――
「ヴィジブロポイドは生まれて来るのではなく、このガラスの中で作られている。きっと、作られた生き物なのでしょう」
「「「……!?」」」
このセアレウスの発言には、皆驚きを隠せなかった。
生物は同じ生物から生まれてくるもの。
その変えようのない前提をひっくり返すことを言われたからだ。
同時に、人を襲う生物が作られている恐ろしい事実を知った衝撃を受けていた。
「生き物を作るなんて、気分が悪くなる話だ。それにしても、セラはすごいなぁ。普通はこんなこと、考えられないことだと思うけど」
「わたしが兄さんと一緒に、魔族と戦った時です。その時、作られた生き物に会っていたんです。もっと早く気付くべきでした」
「気付いただけでも充分だと思うけど。それで、メルヴァルドさんは……大丈夫? 」
「……は……ははは、いやぁ参ったね」
ネリーミアが見下ろす先には、へたり込んだメルヴァルドがいた。
法師に限らず、神を信仰する者達には、人の在り方というものが定められている。
別の言い方をすれば道徳である。
セアレウスが言った生き物を作る行為は、それに反することだ。
メルヴァルドにとっては断じて認めることはできない行為である。
同じ法師であるネリーミアも同じ気持ちであるが、法師としての生きた時間の長いメルヴァルドは、より強い衝撃を受けていたのだ。
「生き物を作る? そんなのは命の冒涜だよ。ましてや、人を襲う生き物だなんて……」
声を震わせながら、メルヴァルドはそう呟いた。
彼はヴィジブロポイドを作った者に対して怒っているのだ。
「ここがヴィジブロポイドが作られた生き物だってことは、よく分かったよ。でも、どんな目的で作ったんだろう? 」
「そんなのどうだっていいじゃないですか」
疑問を口にするネリーミアをよそに、レリアが言った。
彼女の手には、ラム・ソルセリアが握られていた。
「ここが発生源なのですよね? なら、やることは一つです。すべて壊すべき。違うですか? 」
レリアは、すぐにでもこの場所を跡形もなく消し飛ばすつもりであった。
セアレウス達がここへ来たのは、ヴィジブロポイドの発生源を突き止めること。
突き止めた場合、その原因を絶つことである。
レリアの発言を否定する理由は無いに等しい。
「でも、それは後にしましょうか」
しかし、セアレウスはそれを後回しにするつもりであった。
「後って、じゃあいつやるんだい? 」
この中で付き合いの長いネリーミアも、セアレウスの言わんとすることが分からなかった。
セアレウスはそれが答えだと言わんばかりに、ある場所へ顔を向ける。
彼女の視線の先は、この広い空間の奥であり、洞窟のさらに奥へと続でろう真っ暗な道があった。
「さらに奥……先を見てからってこと? 」
「はい。少し嫌な予感がするんですよ。この洞窟に入る前から感じていたことですが」
「……まさか! 」
セアレウスの発言を聞き、レリアは目を見張る。
レリアには彼女の言う嫌な予感に心当たりがあった。
洞窟に入る前に起こった出来事に強い印象を持っているからこそだろう。
「まさか、あの白い化け物が……」
嫌な予感とは、洞窟の入口前にいた白い化け物である。
ヴィジブロポイドが作られているのなら、白い化け物も同様に作られていると考えられる。
しかし、この空間にそれらしき卵となる物体は見当たらない。
どれもあの巨体が収まる大きさではないのだ。
ならば、奥にはその卵となる物体が存在するかそのものがいる可能性がある。
レリアは、そう思ったのだ。
「なるほど。ここにあるのと同じように、あれの卵があるのなら、そっちを優先に壊すべきだね」
「じゃ、じゃあ、すぐに行こう。あんなのが沢山いたら、手に負えないよ! 」
ネリーミアとメルヴァルドは、洞窟の先へと続く道を目指して歩き出した。
セアレウスの意見に納得し、すぐに行動に移すべきだと考えたのだ。
「……」
この二人よりも先に気付いたレリアは、立ち止まったままであった。
やや顔を俯かせて、ラム・ソルセリアを握った右手は僅かに震えている。
「レリアさん、どうしましたか? 」
「……!? 」
セアレウスに声をかけられただけで、レリアは驚いてしまう。
「わ、わたしは平気です。先へ行くですよ」
声をかけられたにも関わらず、レリアはセアレウスの発言を待たずに行ってしまう。
自分が怖気ついているのだと言われることが嫌であったからだ。
そんな彼女の背中を数秒眺めた後、セアレウスも歩き出した。
「もしかしたら、ここがわたしの人生の中で、一番の難所になるかもしれません」
セアレウスはそう呟いて立ち止まり、目を閉じた。
視界が真っ暗になった中で思い浮かべるのは、自身の兄であるイアン。
洞窟に入る前に覚悟を決めた。
そのつもりであったが、彼女の心の中には不安が残っていたのだ。
少しでも勇気が欲しいと思う彼女は、彼の声が聞きたいと思った。
話の内容はどんなことでもよく、ただ声を聞けば勇気が湧いてくると思っていた。
セアレウスが目を閉じるのは、遠く離れたイアンと連絡を取ることのできる通信を行う姿勢である。
「……行こう」
やがて、セアレウスは目を開けると、再び歩き始めた。
(兄さんのことだ。きっと……いや、わたし以上に大変なのかもしれません)
セアレウスは結局、イアンに迷惑をかけると思い、通信をすることはなかった。
奥を目指して、暗く細い道を進むセアレウス達。
これまで以上に警戒していたのだが、やはり道を行く中でヴィジブロポイドに襲われることはなかった。
それでも時間をかけて進み、ようやく細い道は通り抜けることができた。
彼女達は、またも広い空間に出た。
そこは先ほどとは違い、一切の明かりがなく、唯一の明かりである光の玉が照らす範囲しか確認することができない。
広い空間と言えど、どの程度広いかは分からなかった。
「皆さん、お互いに離れることなく、ゆっくり進みましょう。離れず、ゆっくりです」
三人に指示を出したセアレウスの口調は、重々しいものであった。
暗く自分達の足元くらいしか見えない中、彼女は感じていた。
この場所には、何かが存在していると。
その感覚は、人や魔物の気配を感知できるレリアには無いものである。
彼女が多くの本を読んで身に着いた人並み外れた発想力によるものでもない。
その正体は、魔物である自分とは、異なった存在を感じ取る嗅覚に似た感覚だ。
彼女の存在の半分を表す魔物の性質がもたらすものであった。
しかし、セアレウスは、その感覚があることに、まだ気づいていない。
(この場所に来て、すごく嫌な予感がするようになりました)
故に、嫌な予感として扱っていた。
「どうにも人数が多いと思えば、お前達は部外者か」
張りつめた緊張の中、どこからともなく声が聞こえた。
低い声からして、声の主は男性であろう。
「敵! 」
セアレウス達は瞬時に武器を構え、戦闘に備える。
周囲を見回し、声の主の姿は見えない。
そんな中、自分達の周囲が急に明るくなった。
「レリアさん、危険かと思いますがここは明かりを消して姿を隠しましょう」
「い、いえ、急に明るくなったのは、わたしのせいじゃないですよ」
「なんですって!? 」
「セラ、上だ! 僕達は上の光に照らされているんだ! 」
セアレウスは見上げて、天井に目を向けた。
すると、そこには一点の光が輝きを放っていた。
「洞窟の中に星が……いや、何らかの方法で光を出しているのですか! 」
セアレウスは直観的に、その光が魔法によるものではないと思った。
「そうか。あの小僧もパワードも、お前達が倒したか……」
淡々とした口調で、男性の声は言った。
小僧とは黒いローブの者、パワードは白い化け物を指すのだと考えられた。
「まあ、だからと言ってわしの予定が狂うことはない」
またも淡々とした男性の声が聞こえた。
倒された黒いローブの者やパワードと呼ばれた白い化け物にも、興味が無い様子である。
それどころかセアレウス達にも興味を持った様子は無かった。
故に、ここまでの彼の発言は、ほぼ独り言に等しい。
「侵入者諸君、ようこそ。ここは、わしのラボだ。存分に見学するといいのだが……」
彼の声が途切れた瞬間、セアレウス達が立つ後方から何かが動く音が聞こえた。
その音の方へ目を向けると、そこにあったはずの道が無い。
まるで、最初から道が無かったかのように、一面が壁となっていた。
何らかの方法で、道が塞がれたのだ。
つまり、セアレウス達は逃げ道を失ったことになる。
「見学料は払っていただく。わしの実験に付き合ってもらおうか」
彼女達を生かして帰すつもりは無い、何が起ころうともそのつもりである。
抑揚のない無感情の声から少なくとも、そのような意志があることを感じ取ることができた。




