三百四十五話 斧刃の魔物
白い化け物との戦いの場であるストロ山の洞窟前。
ほんの少し前までは、戦いによる喧噪があり、騒がしい場所であった。
しかし、今は誰も声を発さず、物音すら立てていない。
吹き抜ける弱々しい風の音がはっきりと聞こえるほど、ここは静寂に包まれていた。
その静寂の中で、白い化け物とセアレウスが対峙している。
これから始まるのは、この両者の戦いであるのだろう。
睨み合うように向かい合う両者の間には、見えない火花が散っているようであった。
現在訪れている静寂は、この嵐の前の静けさとも言えた。
「……」
この両者を固唾を飲んで見つめる者がいる。
それは、レリアである。
メルヴァルドは、ネリーミアの治療で他に目を向ける余裕はなく、彼女だけが対峙する両者に釘付けであった。
そんな彼女の体は、未だに震えており、表情は強張ったもの。
対して、これから戦うであろう二者は、指の先ですら震えを起こしていない。
白い化け物に表情はなく、セアレウスは無表情。
一目見て、この場で一番緊張している者は、レリアであると判断できよう。
(自分よりも強い人同士の戦いも見たことがあるですが……こ、これほどまでに、遠くに感じる戦いは初めてです。まだ、始まってもいないのに……)
レリアにとって、白い化け物もセアレウスも自分よりも強い者だと認識している。
そんな両者の戦いがどのようなものなのか。
彼女は、少しも想像できなかった。
戦いの行方が予想できない不安と、セアレウスから放たれる脅威的な気配。
それらによって、レリアは緊張状態になっていた。
そして、彼女がハラハラとした思い出見つめる中、いよいよ戦いが始まる。
白い化け物とセアレウスの戦いは、強烈な破裂音が鳴ると同時に始まった。
その破裂音の正体は、セアレウスに白い化け物の拳がぶつけられた時の音。
初めに動いたのは、白い化け物であった。
「ぐっ……」
セアレウスは苦悶の表情を浮かべた。
今、彼女は白い化け物から離れた場所の地面で、仰向けに倒れていた。
拳に突き飛ばされた後、そこへ叩きつけられたのである。
レリアが受けた攻撃を受けた時と状況は同じだった。
しかし――
「ウォーターブラスト」
回復に時間を掛けたレリアとは異なり、セアレウスはすぐに動いた。
反撃として、ウォータブラストを放ったのである。
「なっ!? それがウォーターブラストですって!? 」
レリアが悲鳴のような声を上げる。
端的に言うと、そのウォーターブラストは規格外だ。
丸太ほどの白い化け物の腕よりも太く、目で追いかけるのも困難なほどの速さである。
その様から威力は、従来のウォーターブラストと比較にならないほど、強力なものだと想像できる。
強力な攻撃を受けてから間もなく、これを放ったセアレウスに、レリアは驚いたのだ。
しかし、強力であろうそれは、白い化け物には届かなかった。
これまで放ってきた魔法と同様に、直前で弾かれ、消えてしまったのだ。
「やはり、水魔法が効かない。模様の色は……」
セアレウスは、白い化け物の模様を観察する。
離れた場所であるが、灰色だと確認することができたが――
「灰色? 見たことがありませんね。何の属性を表しているのでしょうか? 」
初めて見る色であり、弱点属性が何であるか推測できない。
つまり、弱点属性を判別できなかったのだ。
「あ……! セアレウスさん、恐らくですが、どの属性もダメです! あいつに魔法は効かないです! 」
そんなセアレウスの様子を見て、レリアが思い出したかのように、そう伝えた。
「魔法が効かない? そういえば……」
セアレウスは、そう呟くと再びウォーターブラストを白い化け物へ放つ。
結果は先ほどと同じように、直前で弾かれて消えていった。
「なるほど。体の大きさも性質も普通とは違うようですね」
ウォーターブラストが体に触れるのではなく、見えない壁に防がれて消える様。
それを見たセアレウスは、白い化け物がこれまで戦ってきたヴィジブロポイドとは別物であると納得した。
一番の違いは、魔法が効かないということ。
セアレウスは、それがレリアから聞いた情報であるため、自分の目で確かめる必要性は無いと判断した。
ここでセアレウスは、魔法以外の攻撃方法を考えるがすぐに結論が――
(アックスエッジで攻撃する……でも)
すぐ実行しようとは思えなかった。
この時、セアレウスは白い化け物の体のあらゆる場所に目を向けていた。
それは、白い化け物の傷の具合などを見るためである。
しかし、傷らしきものは見当たらなかった。
(武器の攻撃も効かない? それでは、ダメージの与えようがありませんね)
無傷であることが意味するのは、倒す手段が無いこと。
レリアが魔法が効かないと言う以上、武器による攻撃は、もう試したのかもしれない。
その考えがセアレウスに、そう思わせていた。
実際には、武器による攻撃は効くにも関わらず。
「……いや、そうとは限らない……恐らくは」
白い化け物にダメージを与えることはできない。
この考えをセアレウスは、自ら否定した。
そして、それを証明するため行動を始める。
セアレウスは立ち上がった後、左腕を大きく振りかぶった。
この時、左腕の肘が彼女の胸の前にあり、左てに握られたアックスエッジが右肩に位置に来る。
その様は一見して、防御の構えには見えず、攻撃の構えに見える。
何を考えて、この構えを取っているのか。
それは、もうまもなく分かることとなる。
「セアレウスさん、一体何をしているです? あなたの足なら……あ! 」
ふと、レリアがセアレウスから白い化け物へ顔を向けた時。
彼女は、思わず驚愕の声を漏らした。
白い化け物の突き出していた拳が下ろされているからだ。
今の白い化け物は、通常の姿勢に戻ったということ。
それは、次の攻撃が出来る準備が整ったこと意味している。
レリアは、無意識にそう判断し、実際にそれは正しいことであった。
何故なら、彼女が驚愕の声を出したと同時に、白い化け物が動いていたからだ。
一瞬で、レリアの視界から消えた白い化け物は、セアレウスへと一直線に向かってゆく。
そして、彼女の顔に目掛けて拳を突き出した。
「セアレウスさん! 防御……を……」
白い化け物の攻撃が終了した後、レリアはセアレウスへ遅すぎる防御の指示を出す。
その時、セアレウスの姿が目に入った彼女の口は動きを止めた。
口を開けたまま、目を見開いて固まるレリア。
そんな彼女の目には、白い化け物の突き出された拳の前に立つセアレウスの姿があった。
レリアには、考えられないことであった。
セアレウスは、白い化け物の拳を受け止めていたのだ。
「スピードは大したものです。しかし……いえ、やはり、真っ直ぐにしか動けないようですね」
セアレウスは、無表情に淡々と呟いた。
彼女の目の前、左の肘の部分は突き出された白い化け物の拳に触れていた。
つまり、セアレウスは体で拳を受け止めていたのだ。
白い化け物の拳の一撃は、レリアやセアレウスを投げた石ころのように、離れた場所へ突き飛ばす威力を持つ。
鍛え上げられた大人の人間であっても、ダメージは多少軽くなるものの、突き飛ばされてしまうだろう。
それをセアレウスは、突き飛ばされることなく受け止めてしまったのだ。
(馬鹿な! セアレウスさんは、確かにすごい! でも、あれほどのパワーはなかったはずです! )
白い化け物の攻撃を受け止めたこと。
レリアは、それにも驚いたが、セアレウスが本来持ち合わせていない力を発揮していることいこそ、彼女は驚いていた。
「そして、わたしが今いる場所は、魔法が消された場所よりも近い。つまり……」
セアレウスは、左右の肘で拳を受けながら、腕に力を込めるようにアックスエッジを強く握る。
「武器による攻撃は効くようですね」
そう言ってセアレウスは、交差していた左の腕を振るった。
振るわれたアックスエッジは、泥に沈んでいくかのように、白い化け物の拳に食い込んでゆく。
結果、白い化け物の拳を横真っ二つに切り裂いた。
この時、走る勢いや落下の勢いはなく、ほぼ腕力のみで切断したことに、レリアが驚いたのは言うまでもないだろう。
「……? 動かない? いや、効いてない? 」
セアレウスは、首を僅かに傾げた
白い化け物が痛がる様子も見せなければ、即座に反撃をする気配も感じられないからだ。
「……! セアレウスさん、攻撃は正直効いているかは分からないです! すぐに、治るから! 」
「治る? 」
レリアの声を受け、セアレウスは白い化け物の拳の切断面を見る。
やがて、その部分から白い泥が溢れ出し、拳は元通りとなってしまった。
「再生能力ですか。しかし、限界はあるはずですよね」
その一部始終を見て、セアレウスはそう呟いた。
またも、彼女は驚いた様子は見せず、顔は無表情で声は淡々としたものであった。
(あれ……気配だけじゃなく、雰囲気もいつもと違う……)
ここで、レリアは気配以外のいつもとは違うセアレウスの部分に気付いた。
それは、雰囲気というもので、セアレウスが何事にも無反応であることから感じたことであった。
(確か……来たばっかりの時は、こんなんじゃ……まさか! )
レリアは、ハッと顔をある方向へ向けた。
その方向には、メルヴァルドの治癒術を受けるネリーミアの姿がある。
(黒エルフさんが倒されたことに怒っている……のですか)
レリアは、セアレウスが怒っているのだと推測した。
この推測は、実際に正しいもので、今のセアレウスは激昂している状態にある。
ボロボロの状態で倒れるネリーミアの姿に、彼女の怒りは、一気に頂点にまで達していたのだ。
しかし、当の本人は自分が怒っていることに気付いていない。
それは、今の人間離れした力が原因である。
(……今、出ている力は魔物の力なのでしょう。危険な力で、これに頼るわけには……いえ、そんなことよりも、目の前の敵を倒さないと。せっかく、今のわたしは調子がいいのだから)
今のセアレウスから溢れ出る人間離れした力は、彼女の中に眠る魔物の力によるもの。
普段の彼女であっても、少しは魔物の力の出ているのだが、今はより濃いものが出ているのだ。
現状の自分の状態を冷静に分析しつつ、彼女は敵を倒すことを最優先に考えている。
さらに、それが危険な力であることは理解しつつ、積極的に使うことも考えていた。
セアレウスは、怒りによって解放された強い魔物の力により、思考が変わってしまっていた。
「セ、セアレウスさん……」
そんな彼女をレリアは怯えた目で見つめる。
何の感情も抱くことはなく、ただ敵を倒すことだけを考えて実行する。
レリアが気配で感じた通り、それは冷たく感じるものであった。
今のセアレウスが血の通った人間とは思えなかった。
強くなれるのであれば、どんなことでも自分は出来る。
かつて思っていたその考えが恐ろしく、その時の自分が非常に幼稚であると、レリアはこの時思い知らされていた。
レリアは、今のセアレウスには、まったく憧れることはなかった。
白い化け物は、素早く動くがその後少しの間、動きを止める。
これは体の機能的なもので、素早く動いた後は、必ず動きを止めるようであった。
常に素早く動いたり、即座に反撃をしないのは、それが理由である。
自身の攻撃がセアレウスに防がれ、白い化け物は今、動きを止めた状態にあった。
拳を突き出したまま、身じろぎ一つすらしていない。
そんな状態では、攻撃され放題であろう。
しかし、攻撃する者には忘れてはいけないことがある。
それは、白い化け物がいつかは、再び動くことだ。
この時、セアレウスは、白い化け物が今、動けない状態であることを察していた。
だが、その時間がいつまで続くは、分からなかった。
故に、再び動き始める時間が来るのを恐れて、積極的に攻撃をし続けることはしないだろう。
しかし、それは普段のセアレウスの場合であり、今の彼女は恐れ知らずであった。
左右の腕を交互に振り、白い化け物をアックスエッジで切り刻んでゆく。
元々、彼女に備わっている人並み外れた体力、魔物の力によって強化された腕力により、その一振りが全力の一撃であた。
彼女がアックスエッジを振るう度に、白い化け物は攻撃を受けるスライムの如く、体がボロボロと崩れてゆく。
大抵の者ならひとたまりもないのだが、白い化け物には再生能力がある。
アックスエッジによって切り裂かれた部分は、やがて元通りに戻るのだ。
何度もセアレウスが攻撃を続けているが、白い化け物を倒せる気配は一向にしなかった。
「……ん? 」
攻撃をすることしばらく。
ふとしたところで、セアレウスは動きを止めた。
否、動きを止められていた。
「ああっ! 」
レリアが悲鳴を上げる。
今、セアレウスは白い化け物の手に包まれる形で握られていた。
この姿は、ネリーミアが倒された時と全く同じである。
このままでは、セアレウスもネリーミアと同じく投げられ、地面に叩きつけられてしまうだろう。
かつての光景と重なり、思わずレリアは悲鳴を上げてしまったのだ。
「……」
アックスエッジを振るっていた左右の腕も白い化け物の手の中。
セアレウスは、かつてのネリーミアと同様に身動き一つ取れないでいた。
それでも、彼女は無表情のままであった。
ここで、白い化け物の全ての傷が修復する。
それと同時に、白い化け物は、セアレウスを握る手をもう片方の手で包みだした。
白い化け物の腕が震えだし、ギチギチと音が鳴り始める。
白い化け物は両手で、セアレウスを握り潰そうとしていた。
「……」
今度は、身動きを取れないどころか締め付けられる激痛を感じているはずである。
しかし、セアレウスは無表情で呻き声すら上げてなかった。
(左腕が動かない。右腕も。さて、どうやって攻撃しましょうか)
この期に及んで、彼女は今できる攻撃方法を考えていた。
そして、その恐ろしい思考は、彼女に人間離れをした行動を取らせてしまう。
「すぅぅ……」
何を思ったのか、セアレウスは大きく息を吸いだした。
まるで、深呼吸をしているようである。
だとしたら、次に行われるのは息を吐くことであろう。
その予想は、少しだけ外れることとなる。
息を止めた後、セアレウスは口から大量の水を吐きだしたのだ。
ただ吐きだしたのではなく、ウォーターブラストのように線の形をしていた。
それが目的とするのは、攻撃又は破壊であること。
その目的は、白い化け物の頭部と胸の一部を破壊して達成された。
また、白い化け物の体を貫通し、その背後の山の斜面に命中した。
結果、水は地面を砕き、ストロ山にいびつな形をした穴を開けたのであった。
「……」
レリアは、悲鳴を上げることはなかった。
セアレウスのしたことに驚愕を通り越して唖然していた。
口を開けたまま、声を出すことができなかった。
もし出していたら、彼女の口から絶叫が飛び出ていただろう。
「おや? やれると思ってやってみましたが、今のは弾かれませんでしたね。もしや、魔法ではない? 」
口から出た水流の砲弾。
自分でやったことにも関わらず、セアレウスも理解していないものであった。
「でも、これで力が弱まった……ようですね」
セアレウスは、自分を握った白い化け物の両手をこじ開けて脱出する。
その後、そさくさと半壊した白い化け物の前に行く。
そこで、白い化け物の穴が開けられた胸から、体内へと自分の左腕を侵入させる。
左腕が体内から出されると、その左手には赤く光る宝石が握られていた。
「あれは、核!? まさか、あれがあいつの命の源……再生能力の原因です!? 」
レリアが叫ぶように言った。
核とは、スライムを代表する形を持たない魔物にあるもの。
その生物にとって、心臓と言うべきものであり、それを破壊されることは死を意味する。
「これで終わりです」
それは白い化け物も例外ではなかった。
セアレウスの左手に核である赤い宝石が握りつぶされると、白い化け物は全身を白い泥に変えた。
それから、元の姿に戻ることはなかった。
レリアの言った通り、それが白い化け物の心臓であったのだ。
「核を攻撃しないと倒せない……厄介な敵でしたね」
足についた白い泥を払いながら歩くセアレウス。
この時も彼女は無表情であった。
しかし――
「ネリィ……ネリィ! 」
ネリーミアを見た途端、走ってそこへ向かい――
「ネリィ、まだ死なないですよね!? まだ道半ばですよ! ここで死ぬのは早すぎます! 」
「うわっ、うるさっ! あの、回復してる途中だから。ちょっと、落ち着いて向こう行ってて。大丈夫だから! 」
治癒術を施すメルヴァルドに鬱陶しいと思わせるほど騒いだ。
無駄にでかい声を出すセアレウス。
ネリーミアを心配したり、ここで死ぬことに憤慨したり、メルヴァルドに鬱陶しいと思われて落ち込む。
その度に表情がコロコロと変化し、いつもの彼女に戻っていた。
この時、レリアだけが感じる驚異的な気配も放たれていなかった。
「……あなたは、なんなのですか。一体……」
レリアはヘナヘナと地面に倒れ込んでしまう。
突然、驚異的な気配を出すかと思えば、白い化け物の攻撃を受け止めたり、簡単に切り裂いたり、口から大量の水を出す。
セアレウスに何度も驚かされ、レリアは精神的に疲れ切っていた。
ようやく心休まる時が来て、一気に体から力が抜けてしまったのであった。




