三百四十四話 青い化け物
レリア・ロラ・リュミエルは、天才である。
彼女の故郷であるエルフェスペンの者達は皆、それを早くから認めていた。
きっかけは、レリアが三歳になったばかりの頃。
彼女が初めて弓を握った時である。
意外にも、今は使用していない弓矢から彼女の天才は始まったのだ。
試しに的を狙って矢を放ったところ、第一射目で命中した。
これだけでも周囲の者は驚いたのだが、ただの一度だけではなく、第二射、第三射と矢を放つ度に、レリアは的に命中させてしまう。
まさに百発百中であった。
この時、エルフェスペン中に未来の弓の名手として、レリアの名が知れ渡った。
さらに、それから近いうちに、彼女の魔法の才能にも、エルフェスペンは驚かされることとなる。
弓矢の腕に続いて二度も、エルフェスペンの者達は彼女に驚かされたのである。
当時の彼女が天才を呼ばれる所以は、弓矢と魔法の二つの才能によるものであった。
幼少の時から、誰もが彼女を天才だと言う。
しかし、当の本人は、自分のことを天才という逸脱した存在であるとは思わなかった。
その代わりに――
(なんでみんなはできないのかな? )
と思っていた。
それをはっきりと認識したきかっけは、彼女が同年のライトエルフの者と共に、弓矢による戦闘の訓練をした時。
訓練の内容は、訓練用の弓矢を用いた一対一の模擬戦いであった。
その時、訓練用の矢の打ちどころが悪く、その同年のライトエルフは怪我をした。
大人達や他の同年の者も、これを訓練中の事故として認識していた。
しかし、レリアはその同年のライトエルフの者に――
「なんで避けなかったの? 」
と訊ねた。
彼女は、その者があえて避けなかったのだと思ったのだ。
当然ながら、その者は出来なかったと答えた。
レリアは、自分が出来ることを特別なことと認識していなかったのだ。
故に、何故出来るであろうことを自分以外の者はしないのか。
この時は、そのように疑問を持つようになっていた。
それからも、彼女は他人との違いを感じる出来事を経験してゆき――
(この程度もできないのか)
と思うようになり、明確に他人を見下すようになっていた。
やがて、自分の先祖であるロラ・リュミエルに憧れ、剣を握るようになる。
この時も皆は、レリアの剣の腕前に天才だと持て囃すのだが、やはり彼女はそうは思わない。
ただ、周囲を見下す度合いが上昇しただけであった。
それから彼女は、冒険者となると決める。
しかし、周囲の者は才能の無駄遣いであると反対した。
その者達にレリアは――
「才能の無駄遣い? あなた達の言う通りに生きる方が人生の無駄遣いですよ」
と一蹴し、反対を押し切って冒険者となったのだ。
冒険者として日々を過ごす中で、彼女の名はエルフェスペンを飛び出し、あらゆる地へと広がっていった。
依頼をこなす度に、その依頼人や同じ依頼を受けた者達に天才だと持て囃される。
環境が変わっても、レリアが天才であることは変わらなかったのだ。
そして、エルフェスペンにいた時と同じく、冒険者になってからも、自分と他人の差を感じる出来事を多く経験することなった。
その中の一つ、同じ依頼を受けた者が魔物の攻撃で倒れた時、やはり彼女は――
(なんで防御するなり、避けるなりをしないですか)
と思い、その者を見下すのであった。
他人の多くは、当たり前に出来ることが出来ない者ばかり。
そう思う中で彼女は、その者達が何か失敗をするごとに――
(弱い……この程度も出来ないあなたが悪いですよ)
と、出来ないその者達が悪いという考えを持つようになった。
それと同時に、出来る自分は失敗をすることはないとも思っていた。
夕日の光に照らされ、赤く染まったストロ山。
その地面にうつ伏せで倒れているのは、ネリーミア。
そんな彼女からは、動く気配を感じることはできない。
さらに、誰も声を発することのなり静寂の中、ボロボロの姿で倒れる彼女は、見る者に悲哀の感情を与えることだろう。
ネリーミアは、死人のように動かないでいた。
そんな彼女を見るレリアも動かなかった。
彼女はネリーミアに庇われ、白い化け物の攻撃を受けることはなかった。
にも関わらず動かないのは、今の彼女が放心状態であるからだ。
ネリーミアは、白い化け物の攻撃で倒れた。
いつものレリアなら、ネリーミアを弱い奴、出来ない奴だと見下していただろう。
しかし、この時の彼女はそう思うことはなかった。
何故、ネリーミアは自分を助けたのか。
少なからず、そう思っているが一番は、何故自分は動けなかったのかである。
動いていれば、ネリーミアが倒れることはなかった。
しかし、動かなかった自分のせいで、ネリーミアは倒されてしまった。
(私のせい……私は弱い? )
ネリーミアに助けられたこと。
それは、彼女にとって自分が弱い奴だと明確に思わせる出来事であった。
ずっと、自分は強い存在だと思っていた彼女が、初めて自分を弱い存在だと思う。
この時、レリアは挫折を経験しているのだ。
その挫折からの立ち直り方が分からないため、放心状態に陥っているのである。
仲間は倒され、敵はまだ健在という最悪のタイミングであった。
挫折し放心状態のレリアの事情は、白い化け物には関係ない。
ネリーミアを投げ飛ばした白い化け物は、レリアの方へ顔を向けていた。
恐らく、直にレリアへ攻撃を行うことだろう。
レリアは、ゆっくりと白い化け物へ顔を向ける。
かろうじて、自分の剣であるラム・ソルセリアを握っているものの、未だに彼女は放心状態だ。
そして、しばらく続いた静寂も終わる時が来る。
「なんでさっきので、死ななかったですかああああ!! 」
突如、レリアが叫んだのだ。
それは、自分を弱いと思いつつも、それを認めない。
その思い爆発し、白い化け物にぶつけるように叫んだのだ。
まるで思い通りにいかなかった時に、駄々をこねる子供の様。
今のレリアに、かつて天才と呼ばれた彼女の影は見られなかった。
そこにいるのは、ただのライトエルフの子供であった。
「ウオオオオ!! 」
レリアが叫んだ後、その叫び一蹴するかの如く、白い化け物は咆哮を上げた。
そして、次の瞬間には、ネリーミアと同様にレリアも倒されることとなるだろう。
「ひっ……!? 」
レリアは顔を引きつらせる。
彼女は何の抵抗もできず、恐怖の表情をしたまま倒されるのみであった。
しかし、実際にはレリアが倒されることはなかった。
白い化け物は、レリアへ攻撃はせず、後方へ下がったのである。
攻撃時と同様に脅威的な速度であった。
レリアの目に映ったのは、遠くに立つ白い化け物の姿。
それと、自分の目の前の地面に突き刺さる斧の刃だ。
「レリアさん、無事ですか!? 」
レリアが声のした方へ顔を向けると、メルヴァルドを背負ったセアレウスが目に入った。
二人は、レリアの右方向の離れた場所にいた。
セアレウスがメルヴァルドを背負っているのは、メルヴァルドの足では遅くなってしまうと判断したのだろう。
彼女達が来たことで、斧の刃はアックスエッジであり、自分が助けられたことを認識した。
しかし、レリアには不可解なことがあった。
それは、メルヴァルドを背負い手の塞がっているセアレウスが、どうしてアックスエッジを投げられたのかである。
メルヴァルドに出来るはずはなく、投げたのはセアレウスしか考えられないため、不可解に感じているのだ。
「あ……」
その不可解の謎はすぐに分かった。
セアレウスの近くのは、空中を漂う球状の水の塊があった。
その中に、もう一つのアックスエッジが入っているのである。
(あの水から斧の刃を発射した? セアレウスさんは、どれだけ水を自在に操ることができるですか……)
レリアは、そう考え、不可解の謎を解決していた。
「レリアさん、状況は? 」
セアレウスがレリアに訊ねる。
戦闘中であるためか、彼女の顔は訊ねたレリアでなく、白い化け物へ向けられていた。
「あ……く、黒エルフさんが…」
「黒エルフ……ネリィがどうしたのですか!? 」
「……あ! ああっ! セラちゃん、ネリィちゃんが! 」
メルヴァルドが慌てた様子で、セアレウスの肩を揺さぶる。
セアレウスは、まずメルヴァルドの顔を見て、彼が見ている方向を確認する。
その後、その方向に顔を向ける。
「……」
メルヴァルドと同様に、倒れ伏すネリーミアの姿を見たセアレウス。
顔面蒼白で慌てるメルヴァルドに対し、セアレウスは特に反応することはなく、すぐに白い化け物へ顔を向けた。
「メルヴァルドさん、ネリィの手当てをお願いします」
「う、うん! すぐやる……絶対に助けるから! 」
セアレウスの背中から降りると、メルヴァルドは急いでネリーミアの元へ向かう。
「ウォーターロープ」
セアレウスは、地面に突き刺さるアックスエッジ目掛けて、水流を放った。
彼女の右手から放たれた細長い水流は、ウォーターブラストのように真っ直ぐではなく、縄のようにしなりながら伸びてゆく。
到達すると、アックスエッジを引っ張り上げると、今度は縮みながらセアレウスの右手へと引き寄せてゆく。
セアレウスは、ウォーターロープによって引き寄せたものと、球体の水に入ったいたアックスエッジを左右それぞれの手に握る。
彼女は、武器を手にしている状態になったのだ。
それにも関わらず、構えることなく、彼女はじっと白い化け物を見つめていた。
「……!? 」
突如、不可解にセアレウスを見つめていたレリアの顔が再び恐怖の色に染まった。
先ほどの白い化け物の攻撃を受ける直前の時よりも、怯えた表情である。
同時にブルブルと体を震わせ、彼女の口は、ガチガチと歯がぶつかり合う音を出し続けている。
まるで、雪山の寒さに震えているかのようであった。
(なんですか、このとてつもない気配は!? さ、寒い!? 体の震えが止まらない! このままでは、凍え死んでしまうです! )
レリアは、凍え死んでしまうと錯覚するほどの寒気と恐怖を感じていた。
自分の肩を抱くものの、体の震えは止まらない。
レリアがこれほど怯えているのは、彼女が感じた気配が原因だ。
故に、気配を感知できる彼女だけが震えていた。
気配の発生源は敵である白い化け物ではなく、味方のはずであるセアレウス。
もし、この時、気配の感知ができないメルヴァルドであれば、今の彼女を見た時、いつになく無表情であることから、何事かあったのかと思うことはあるだろう。
ただそれだけだ。
しかし、レリアの場合は違う。
「……ば……化け物……」
レリアは、今のセアレウスが人ではない別の何かに見え、自然と化け物という言葉が口に出ていた。
白い化け物よりも体の大きな獣の姿、または、物語に登場する創造上の怪物の姿。
あらゆる姿が代わる代わるにセアレウスを覆うように現れ、はっきりとした姿をすることはない。
彼女の想像を超える姿であり、まさに化け物としか例える言葉が見つからなかった。
レリアからしたら、今この場には、二体の化け物が存在しているも同然であった。
「……」
白い化け物は、セアレウスに体を向けていた。
今、最も戦うべき相手は、彼女であると認識したのだろう。
しかし、彼女が敵であると認識したにも関わらず、ネリーミア達が現れた時とは異なり、咆哮を上げることはなかった。
口を閉ざし、じっとセアレウスに顔を向けているのである。
実際どうであるかは、確かめる術はない。
もしかしたら白い化け物も、セアレウスから発せられるとてつもない気配を感じているのかもしれなかった。
――セアレウスと白い化け物が対峙する同じ頃。
陰鬱の森の中にある沼地にて、オゲラトリスは二本の足で立ち、長い首を空へと高く上げていた。
周囲の背の高い木々と同じ位置にある顔は、ストロ山の方へ向けられていた。
長く生きたオゲラトリスは、かつての力は衰えている。
普段の彼は丸くなってじっとしており、気配を感知できる者でも、苔生した岩山にしか思うことはないだろう。
しかし、この時は違った。
立っていることもそうだが、今のオゲラトリスは、かつての全盛期と呼べる時代の彼になっていた。
それだけで殺してしまうような、強烈な気配を周囲に放っており、ヴィジブロポイドがいないにも関わらず、陰鬱の森は静かであった。
現在、陰鬱の森に住まうどんな生物も身を潜め、静かにすることに徹しているのだ。
今のオゲラトリスに目を付けられて、殺されないように。
この周囲を威圧する気配を放つ様は、今のセアレウスと同じようであった。
「ほう、あの山には、俺と同じ……いや、ここまで気をぶつけてきやがるんだ。俺以上の存在があそこにいるのか」
ふと、オゲラトリスは、そう呟いた。
彼の口調もかつてのものになっていた。
「まったく、困ったもんだぜ。こうビシビシと、こんな危ねぇ気をぶつけられちゃあ、戦いたくて堪らねぇ。年老いたことも忘れて、うっかり飛び出しちまいそうだ」
オゲラトリスがかつての力を取り戻しているのは、一時的なもの。
ストロ山から発せられるセアレウスの気配に触発されたものであった。
驚くべきことに、セアレウスの気配は、ストロ山を越え、遠く離れた陰鬱の森にまで届いていたのだ。
「だが、不思議だな。この気からすると、水……海の者か。そんな奴がなんで、あんな山の上にいるんだ? 」
オゲラトリスは、目を細めて疑うようにストロ山を見つめる。
はっきりと見えるわけではなく、確認できないがそうせずにはいられないほど、彼は気になっていた。
海を住みかとする生物が山の上にいることは、考えられないことであるからだ。
オゲラトリスはストロ山へ向かい、確かめたい気持ちであったのだが――
「……ひょっとしたら、あそこにネリーミアがいるかもしれねぇな」
そう呟き、首を下ろて、二本の足も折り畳み出した。
そして彼は丸くなり、普段のように苔生した岩山と化したのである。
「……よし。やはり、山へ行くのは無しだ。もし、あの子がまたここに来たら、あの山にいたのかを聞こう」
ネリーミアがストロ山にいる可能性があること。
彼女から何があったのかを聞ける可能性があると思い、彼は胸の高鳴りを抑えることにしたのだ。
「待てよ? そこにいたら、殺られちまってる可能性もあるか……」
しかし、ネリーミアが死ぬ可能性もあると考えたが――
「いや、年寄りがでしゃばるものじゃあないよな。それに、なんとなくだがあの子なら大丈夫な気がするしな」
上げかけた頭を地面に下ろした。
ネリーミアなら大丈夫であると、根拠な無いがそう判断したからだ。
「もし、生きていてすぐに来なくても、わしはもうしばらく生きるだろうし、ダークエルフの寿命も長い……」
オゲラトリスはそう言った時、放っていた気配は弱くなり始める。
彼の口調も今の年老いたものに戻っていた。
「長い……はずなんだがなぁ。あいつの場合は短かった。寿命の短い人間の一生よりも……」
その時、オゲラトリスはかつての友のことを思い出していた。
彼の眼尻と口元は僅かに垂れ下がり、悲し気な様子であった。
「だが、あの子はあいつとは、かなり違う。きっと長生きするだろうな」
オゲラトリスはそう言って微笑む。
「また会う時まで、気長に待たせてもらうとしよう。わしの新しい友、ネリーミアよ」
オゲラトリスの瞼は、ゆっくりと閉じていった。
彼とネリーミアの二人が会話をしたのは、とても短い間のことであり、ネリーミアは彼を友人であるとは思ってはいないだろう。
しかし、四百年ほど眠り、久しぶりに目覚めた後、彼女と話した時間は長短に関係なく彼にとっては、特別な時間であったと思えた。
故に、オゲラトリスにとって、ネリーミアは新しい友人と呼べるのだ。
『な、なぁ……オゲラ。しょうがない……よなぁ。ダークエルフだから……さ。こうゆう生き方しか……できな……かった。し、しょうが……なかった……よ…なぁ……』
目を閉じた真っ暗闇の中で、ふと彼は古い友人の最期の言葉を思い出していた。
「友よ。これからは、良い時代になるぞ。良いもんだよなぁ、楽しみでしょうがない……おまえもそう思うだろ?」
オゲラトリスは、かつての友人に向けて、嬉しそうに返した。、
やがて、彼の胸の高鳴りは無くなり、眠りについた。
ネリーミアが再びこの地に訪れる。
その時を楽しみにしながら。
2018年11月4日 誤字修正
メルヴァルドさん、ネリーミアの手当てをお願いします → メルヴァルドさん、ネリィの手当てをお願いします




