三百四十三話 洞窟の守護者
日の光が赤色に染まり始めた頃。
日の光に照らされ、灰色だったストロ山の斜面は、鮮やかな橙色となっていた。
ゴツゴツと岩ばかりで何もなく、殺風景な場所であるが、この時は見る者に違った印象を与えるだろう。
右手に持った剣を構え、前方に目を凝らすネリーミアは、その景色の変化に気付かない。
彼女は今、前方に立つ白い何か――巨体の化け物に釘付けであった。
この巨体は動きがのろいのか、それとも外見に反して素早いのか。
どんな攻撃をしてくるのか、魔法や人間には出来ない無い特殊な攻撃をしてくるのか。
巨体の化け物に目を向けつつ、そればかりが彼女の頭の中で渦巻いていた。
敵の出方を伺っているのである。
相手が得たいの知れない場合、先に攻撃を仕掛け、早々に倒したいという気持ちもある。
しかし、その攻撃が効かず、自分の攻撃によって不利な状況に陥る場合も考えられる。
まず、相手の動きを知り、自分の行動の指針を決める。
ネリーミアは、そのつもりであった。
レリアも同じ考えのようで、動いてはいなかった。
彼女にしては、珍しいことであった。
そして、巨体の化け物も咆哮を上げてから、じっと動くことはなかった。
二人と一体の睨み合う中、ただ時間だけが過ぎていた。
やがて――
「…………ん? 」
レリアが怪訝な表情を浮かべつつ、首を傾げた。
一向に巨体の化け物が動く気配がない。
そう感じ取り、疑問に思ったのだ。
何故、自分達に攻撃を仕掛けてこないのか。
(……なんで攻撃してこない? )
ネリーミアも同じ疑問を持っていた。
さらに彼女は、そのことが分からないまま、自分が動くことは得策ではないと思っていた。
「動かないのなら……」
レリアは違った。
彼女は、右手に持った剣――ラム・ソルセリアを前方へかざしだす。
「こっちから行くですよ! 」
レリアは、魔法を放つつもりである。
その魔法とは、ホワイトアロー。
光属性であり、彼女の最も得意とする魔法であった。
「なっ……いや、この際、光魔法が効くかどうか」
突発的なレリアの行動に驚いたネリーミアだが、その魔法の結果を見届けることにした。
レリアの目の前に現れた三本のホワイトアローが巨体の化け物目掛けて飛んでゆく。
「動かない? 見えていないのか、それとも……」
ネリーミアの呟く通り、巨体の化け物は動かなかった。
魔法が発動されても、それがじきに自分に当たるとしても、ピクリとすら動かないのだ。
僅かに驚いたネリーミアだが、攻撃を避けないのは、ヴィジブロポイドも同様のことであった。
二人が息を飲んで見守る中、ホワイトアローは巨体の化け物のすぐ目の前まで接近する。
そこで、三本のホワイトアローは、白い光の飛沫となって消えてしまった。
「ちっ! 光属性は弱点ではないと」
レリアの表情が悔し気に歪む。
「なら、他の属性ならどうですか! 」
レリアは、炎、水、風、土の属性の魔法を立て続けに放ってゆく。
しかし、どれも先ほどのホワイトアローと同じく、巨体の化け物の直前で弾けて消えていった。
「……え? 」
その様子を見て、ネリーミアは不思議に思った。
(レリアの魔法が……当たってない? )
それは、直前で魔法が消えたことである。
ヴィジブロポイドに魔法を放った場合、体に当たるものの、それがダメージとならなかった。
それが、この巨体の化け物の場合は、体に当たりすらしないのである。
(見えない壁にでも当たっているような……)
ネリーミアはそう感じ、ある考えが芽生え始めていた。
それを確かめるため、自分も魔法を使うことを決意する。
その魔法の属性は闇。
今、彼女は闇属性の魔法がどうなるか試したいと思っていた。
「マルフラム! 」
そして、それは実行される。
かざしたラム・プルリールの黒い宝石が輝き、マルフラムが放たれた。
黒い炎の姿をしたそれは、巨体の化け物へと飛んでいき、レリアの魔法と同様に直前で弾けて消えた。
「これは、もしかすると! 」
ネリーミアは、自分の考えが真実であると確信した。
「どれも効かない。それなら、雷魔法はどうですか! 」
その横で、レリアが雷魔法――クリエイトサンダーを行使する準備を始める。
その一環として、ラム・ソルセリアを地面に突き刺した。
「レリア! あいつに魔法は効かないんだよ! 」
レリアに向かって、吠えるように叫ぶネリーミア。
レリアがラム・ソルセリアを地面に突き刺し、ネリーミアが彼女の方へ顔を向ける。
この瞬間、二人にとって予想だにしなかったことが起きる。
それは、動かないと思い込んでいた巨体の化け物が動くことだ。
まるで、この時を待っていたといわんばかりである。
巨体の化け物は、二本の足を高速に動かし、一直線に前方へと走り出した。
そして、ある場所でピタリと静止する。
そこは、レリアの目の前だ。
「え――」
レリアは、一瞬だけネリーミアに視線を向けていた。
そのすぐ後、視線を前に戻せば、巨体の化け物が目の前にいるのである。
瞬間移動をしたと錯覚し、たった一文字の言葉しか口に出すことができなかった。
「な――」
ネリーミアも同様であった。
二人は、巨体の化け物の動きに反応できなかった。
その結果――
「がっ!? 」
レリアが地面に突き刺さったっていたラム・ソルセリアごと後方に吹き飛ばされる。
「――んだって!? 」
言いかけた言葉を口にしながら、レリアが吹き飛んだ方向に顔を向けるネリーミア。
彼女がレリアの姿を見つけた時は、彼女はすでに地面に転がっていた。
「あ……ううっ」
そこで彼女は、呻き声を漏らして身をよじっていた。
吹き飛ばされたことが幸いし、重症となるダメージは負っていないように見えた。
ネリーミアはそれを確認し、すぐに巨体の化け物に顔を向ける。
すると、巨体の化け物は右腕を前に突き出した体勢で静止していた。
(そうか。レリアを殴り飛ばしたのか)
この時になって、ネリーミアは巨体の化け物がレリアにしたことを理解した。
巨体の化け物は、一瞬のうちにレリアに接近し、殴り飛ばしたのである。
レリアもネリーミアも、その一瞬でそれを理解することができなかったのだ。
(レリアは、まだ大丈夫そうだけど。どうする? 一旦逃げて、セラ達を待つか? )
状況が一変し、ネリーミアは逃げることを考えた。
(いや、常に今のスピードで動くのなら、逃げきれない。それに、まだ確かめてみたいことがある)
しかし、その考えはすぐに彼女の頭から消え去った。
「お前に魔法が効かないことは分かった。だけど、剣……物理的な攻撃ならどうかな? 」
ネリーミアは、そう言ってラム・プルリールの剣先を巨体の化け物へ向けた。
この時、彼女はラム・プルリールの柄を両手で握っていた。
強張った表情で、ラム・プルリールを構えるネリーミア。
この時、彼女は戦いが始まる前よりも緊張していた。
彼女には、先ほどのレリアが攻撃された一連の流れで、分かったことがあった。
その一つは、巨体の化け物が見かけによらず、素早い動きができることだ。
ネリーミアにとって、巨体の化け物の一番の脅威は、スピードであった。
故に、彼女は巨体の化け物から目を離すことができないでいる。
それともう一つは――
(ひょっとして、ちょっとした知恵があるんじゃないかな? )
ということだ。
まず、クリエイトサンダーの準備は大魔法ではなく、準備の間は動けなくなるわけではない。
本来はそういうものだいう。
しかし、あの時のレリアは移動しながら準備をすることを考えていなかった。
何故なら、巨体の化け物が動くとは思っていなかったからだ。
この瞬間に、巨体の化け物は攻撃を仕掛けた。
つまり、レリアが動かないことを何らかの形で感じ取り、隙として判断した。
ネリーミアにはこの考えあり、巨体の化け物に智慧があると推測したのだ。
(ヴィジブロポイドは智慧があるようには、思えなかった。本当にこいつは、その上位種なんだ)
ネリーミアの表情がより強張ったなものとなる。
並外れたパワーとスピードを持ち、隙を見極める智慧を持つ。
その存在であると知り、ネリーミアが感じていた巨体の化け物の脅威度は格段に上がっていた。
しかし、その中で彼女はある策を思いついていた。
(さて……考えれるだけ考えた。やるぞ! )
ネリーミアは意を決し、それを実行する。
彼女が強張った表情をしていたのは、巨体の化け物の脅威を知ったから。
それともう一つあり、今から実行する策が博打同然の無茶なものであり、緊張していたからだ。
意を決した今、ネリーミアの強張っていた表情はそのまま。
ラム・プルリールを強く握り、彼女はゆっくりと後ろへ倒れだした。
「ウォ! 」
それに反応し、巨体の化け物は素早くネリーミアの方へ体を向ける。
次の一瞬で、巨体の化け物はネリーミアに攻撃を仕掛けるだろう。
「ははっ」
体が倒れる中で、ネリーミアは顔を引きつらせながら笑った。
彼女が倒れたのは、緊張から来る立ち眩みなどが原因ではない。
あえて、体を倒したのだ。
それが隙に見えるように。
つまり、ネリーミアは巨体の化け物に攻撃させるため、わざと隙を作ったのだ。
そして、それが成功すると信じ、彼女は次の行動に移す。
それは、マルフラムを行使すること。
放つ先は地面であり、そうすることで素早く自分を移動させることが目的であった。
一瞬の時がすぎ、巨体の化け物がネリーミアのいた場所に辿り着き、右の拳を真っ直ぐ突き出す。
しかし、その拳に当たるものは何もなかった。
「やああああ!! 」
次の一瞬、突き出された巨体の化け物の腕に、ラム・プルリールの刃が振り下ろされた。
ネリーミアは、マルフラムを放った反動により、巨体の化け物の頭上に飛び上がっていた。
そして、狙い通り剣による攻撃が成功したのである。
速度に反応できないのであれば、その動きを予測すればいい。
その考えを元に出来た策が隙と作ると同時に回避行動をすることであったのだ。
(や、やった。あー怖かった。もう二度とこんな賭けはごめんだよ~)
攻撃を避けれたことに、ホッとするネリーミア。
(あと、物理的な攻撃は効くみたいだ)
それと同時に、斬撃による攻撃が有効であると確信する。
「固いのは予想済みさ! かすり傷じゃ満足しないよ! 」
ネリーミアはそう言って、左腕に巻かれた包帯を口で解きだす。
ある程度解いたところで、口で再び巻き直した。
結果、左手の部分が著しく分厚くなっていた。
その部分をラム・プルリールの刃にあてがい、思いっきり体重をかけた。
いびつな巻き方をしたのは、ラム・プルリールの刃によって、左手が傷つくのを防ぐためであった。
すると、徐々に刃が下へと下がっていき――
「う……っく! 」
ネリーミアは、地面に落下した。
その後、ゴロゴロと転がりつつ、地面を離れる。
「どうだ! 」
ネリーミアは体を起こし、巨体の化け物に目を向ける。
すると、巨体の化け物は、攻撃をした体勢で静止していた。
その右腕は、腕の半分が綺麗に切断されており、その先が地面に転がっていた。
「よし! やった、やったぞ! 」
ネリーミアは、歓喜の声を上げた。
この策で巨体の化け物を倒すことができる。
この時、ネリーミアはそう思っていた。
(おっと! 早く体勢を整えないと、攻撃される)
そう思い、立ち上がろうとするネリーミア。
その時――
「何をゆっくりしているですか! トドメを刺すですよ! 」
レリアが走り、巨体の化け物へと向かっていた。
拳で吹き飛ばされたダメージから立ち直っていたのだ。
そして、彼女の右手には、ラム・ソルセリアが握られていた。
ネリーミアの策を見て、物理的な攻撃が効くと知り、自分もダメージを与えようとゆうのだ。
「言われなくても分かってるけど……」
この時、ネリーミアには心配することがあった。
果たして、このまま攻撃をしに向かって、反撃を受けないだろうかと。
「私がお前を倒す! 」
その心配をよそに、レリアは跳躍し、巨体の化け物に斬りかかる。
結果は、ネリーミアの杞憂であった。
レリアは、頭から腹の部分にかけて、縦に巨体の化け物の切り裂いていた。
縦に一直線の傷を開き、巨体の化け物は前のめりに倒れた。
「ふん! 大したことはないです」
そう言って、レリアはラム・ソルセリアを鞘に収め、踵を返す。
「爪が甘いですよ。黒エルフさん」
茶化すような言葉を口にするレリア。
彼女としては、トドメを刺してやったと思っていた。
「……はいはい、手間が省けて良かったよ」
そう言葉を返し、ネリーミアは大きく息を吐いた。
レリアのおかげで、巨体の化け物を倒すことができた。
彼女はそう思っていた。
つまり、二人共巨体の化け物を倒したと思っていた。
実際はそうではないことを二人は、この後思い知ることになる。
「ぐあっ!? 」
レリアは苦し気な声を上げ、膝から崩れ落ち出した。
「レリア! さっきのダメージか。無理をするんじゃないよ」
ネリーミアは、そう言って彼女の傍に向かい、助け起こそうとするが――
「触るな! 黒エルフなんかの手は借りない」
レリアが勢いよく振った手により、伸ばしかけていた手を止めた。
「こんな時にまで……なっ!? 危ない! 」
「ぐっ!? 」
突然、ネリーミアに引っ張られ、レリアは彼女の後方へと投げ飛ばされる。
再びゴロゴロと山の斜面を転がった後、レリアは勢いよく体を起こす。
「なっ……なにをするですか!? この黒エルフが! 」
その後、ネリーミアを罵倒する。
投げ飛ばされたことと、触れられたことで彼女はご立腹であった。
しかし――
「え……? 」
怒りで真っ赤になった彼女の顔色は、一気に青くなっていった。
「ぐああああああ!! 」
今、彼女の目には、ネリーミアが巨体の化け物の左手に掴まれる光景が映っていた。
巨体の化け物が生きていたことと、ネリーミアがその攻撃を受けていること。
レリアは、二重のショックを受けていた。
巨体の化け物の大きな手は、ネリーミアの体を包みこみ、彼女の体を締め付ける。
大きな手からはみ出される足はプラリと揺れるだけ。
もう一か所はみ出ている頭は、苦しみによりのけ反り、顔は空に向けれていた。
「な……なんで……生きて……? 」
声を絞り出し、ようやく言葉を口にするレリア。
彼女の目に映る巨体の化け物の姿は、先ほどのまま。
しかし、次の瞬間、その姿は一変する。
縦の伸びた傷と右腕の切断部分から白い泥が湧き出てきたのだ。
その泥は泡立ちながら、傷を覆い、切断部分から膨らんでゆく。
結果、傷は塞がり、右腕は元に戻ってしまった。
つまり、巨体の化け物の体が再生したのである。
「ウオオオオ! 」
まるで、完全に再生したことを宣言するかのように咆哮を上げた。
その後、巨体の化け物は、掴んでいたネリーミアを投げ捨て、地面に叩きつけた。
悲鳴を上げることなく、ネリーミアは地面を大きく跳ねる。
力なく手足が揺れ動く様は、投げ捨てられた人形のようであった。
そして、落下した彼女は壊れた人形の如く、地面に横たわった。
呻き声も上げなければ、指一本すらピクリとも動かない。
ネリーミアは倒されてしまった。
その一部始終を呆然と眺めていたレリアは、そう思っていた。
「……」
レリアは、口を開けたまま、動かないネリーミアを見つめる。
今の彼女は、ネリーミアに駆け寄ることも、巨体の化け物と戦うために立ち上がることもできなかった。
言葉を発することもできないでいた。
ネリーミアが倒されたことで、頭がいっぱいであった。
この時、レリアは自分がどうすればいいか分からなかった。
彼女にとって、それほど衝撃的なことが起こったからだ。
2018年10月28日 文章変更
ネリーミアが白い化け物の腕を切断する際、左手に闇のプロテクターを纏うことから、分厚く巻いた包帯に変更。




