三百四十二話 無用の地
ウィンドリンの最北端、ふもとの森林を抜けた先にストロ山は存在する。
その山は、名前こそ付いてるが島の者の誰もが足を踏み入れたことのない未開の地であった。
理由としては、行く必要がないからだ。
ゴツゴツとした岩肌がむき出しで、草木も生えていなければ、貴重は資源があるわけでもない。
それが大昔に確認されてから、島の者の中には無用の地と呼ぶ者もいるという。
そんなストロ山に、セアレウス達は辿り着いた。
そこが何もない場所ではなく、島を脅かす存在であるヴィジブロポイド発生源とされているからだ。
セアレウス達は、調査と以降の発生を絶つことを目的にここへやってきたのだ。
この時、朝にチャオミィを出発し、昼を少し過ぎた頃であった。
彼女達の旅路がどんなものかと言えば、順調の一言に尽きる。
四人という少数で身軽だったこともあるが、一番はヴィジブロポイドに遭遇しなかったからだと言えよう。
チャオミィの襲撃の際に、多くの数が投入された。
まだ絶対とは言い切れないが、セアレウスの思惑通りと言える。
しかし、確実に発生源と呼べる場所はまだ発見していない。
ここへ来たことが正解であったかは、まだ誰にも分からなかった。
セアレウス達がストロ山を登り始めて数十分の時が経つ。
「ひぃ、ひぃ」
四人の中で、唯一の男性であるメルヴァルドが息を切らしていた。
ストロ山の山道は緩やかなものではない。
地面から突き出た岩や人の頭より一回り大きな石が多く地面に転がっているのだ。
山を登る際には、それらの障害物を乗り越える必要があり、体力を消耗させられるのだ。
険しい環境での旅に慣れていないメルヴァルドにとって、ここ山登りは険しいものだろう。
「流石に一筋縄では行きませんね。そろそろ休憩しましょう」
後方でのろのろと進むメルヴァルドを見て、セアレウスが提案した。
「もう休憩するですか? まだ何も見つけてないですよ」
先頭を行くレリアが不満げに呟く。
「まだ何もない時こそ、休憩の時ですよ。いきなり戦闘が始まることも予想されますから」
「私的には、むしろ望むところです……はぁ」
「……ほら、無理は行けませんよ」
若干息を切らすレリアに対し、セアレウスは全く息が切れていなかった。
これに関しては、負けず嫌いのレリアも勝てない部分であると認めていた。
「これが普通です。あなたがおかしいだけです」
しかし、負けず嫌いであるが故に、口から出たのは感心の言葉ではなく文句であった。
「僕的には、ありがたいけどね。セラ、休憩しよう」
セアレウスの隣を歩くネリーミアも僅かに息が荒い。
「さんせーい! ちょっとお姉さんの私には堪えるわ、これ」
「じゃあ、休憩ということで。その大きな岩の上に行きましょう」
「わーい! 休憩だー! うおおおおお!! 」
一目散に斜面を駆け上がり、誰よりも早く岩の上に登るメルヴァルド。
「……今の走り。セラより速かったんじゃない? 」
「かも……しれないですね」
「え? 全然元気じゃないですか……」
その姿に二人は苦笑いを浮かべ、一人は呆れていた。
こうして、セアレウス達は休憩を取ることになった。
セアレウス達の登った岩の上は、四人が寝転がっても場所があまるくらい広い。
「はぁー極楽極楽」
その広さもあって、メルヴァルドは遠慮なく寝転がっていた。
「むむむ……」
この休憩の間、ネリーミアは唸り声を上げていた。
その声は小さく、近づかないと聞こえないほど。
さらに、他の者に背を向けて座っているため、誰も彼女の様子に気付かない。
「何をしているのですか? 休憩中ですよ」
否、セアレウスだけが気づいた。
「ぐえ!? 」
セアレウスに後ろから、頭をのしかかられるネリーミア。
「って、それは光球? こんな時まで、光魔法の練習を? 」
頭の上から覗いて見えたのは、ネリーミアの手のひらで浮く光の玉であった。
大きさは、彼女のこぶし大。
決して大きいと呼べるほどのものではなかった。
もう一方の左手には、光魔法の触媒となる錫杖が握られていた。
「こんな時にこそ練習するんだよ」
そう言って、ネリーミアは、のしかかるセアレウスをやんわりと払い除ける。
「最近はずっと闇魔法ばっかし使ってたからさ。本業をおろそかにしちゃいけないと思ってね」
「あなたの本業は闇魔法じゃないのですか? 」
「違……くはないか」
「おや? 」
セアレウスは、完全に否定しなかったネリーミアを不思議に思った。
(ってっきり、違うよこのバカ野郎!って言って殴りかかってくると思ってましたが? )
そう考えるセアレウスは、拳を構えていた。
殴り返す気満々であった。
「君、今変なこと考えてなかった? もしかして、まだレリアと模擬線やったのを根に持ってる? 」
振り返って今のセアレウスの姿を見なくても、ネリーミアには彼女の頭の中をなんとなく察することができた。
故にか、振り返りたくはないとすら思っていた。
「全く……セラのそういうところはどうかと思うよ」
「ごめん、ごめん。それで、どういうことなのですか? 」
「……? どういうことって? 」
「闇魔法が本業じゃないこともないって」
「ああ。本業……っていうかさ。闇魔法も僕の力なんだって思うようになった」
「なった……ですか」
セアレウスは、どこか感慨深い気持ちになった。
いつもはっきりとした言葉を口にする機会が少ないネリーミアが、「なった」と言い切ったこと。
セアレウスは、闇魔法を完全否定しなかったところから薄々思っていたが、そこで確信した。
ネリーミアの何かが変わったということを。
セアレウスは、ネリーミアの神妙な口調で話す言葉を聞きつつ、そう感じていた。
「今までは、闇魔法は人を傷つけるひどいものだと思っていた。これって、前に言ったっけ? 」
「さあ? 私には覚えがないですね。しかし、私にも似たようなことを思う時はありました」
「そっか。じゃあ、今は? 」
「今は思いません」
「僕も同じかな。今は、闇魔法でも人を守ることはできるって言える」
「ネリィが欲しいのは、守る力ということですね」
「うん。僕は守りたいんだ」
ネリーミアは、自分の手のひらで輝く光の玉を見つめた。
「特に兄さん。あの人と一緒にいると困ったことに、よく会うんだよね」
「よく分かりますよ」
「あはは、セラも分かるよね! 」
「それで、兄さんも守りつつ、行く先々で会う困った人も守りたい。闇魔法は、その力になると思うんだ。もちろん法術……光魔法もね」
「そうですか」
「うん。でも。まだまだだね。自分の作った兄さんに守られちゃったんだから」
「それはそうですが、違いますよ」
照れが出たのかはにかむネリーミアに対し、セアレウスの口調も顔も真剣であった。
セアレウスは、両の拳を握りしめながら、口を開いた。
「あの影兄さんもあなたの力です。あなたは、あの時から闇魔法……元々自分が持っていた力をやっと受け入れた。これからなんですよ」
ネリーミアは、自分の力を否定しかけていた。
セアレウスは、ネリーミアが充分強いと認めている。
故に、セアレウスはそれを正そうとし、今の言葉が口に出たのだ。
自分であっても、彼女の強さを否定することは許せないのだ。
「だからこそ、わたしはあなたに負けたくはありません」
そして、真剣な表情であったセアレウスは、ようやくほほ笑みを浮かべた。
「……ふふっ。セラ、君は強いな」
それにつられてか、ネリーミアも微笑み――
「僕も君には負けなくないかな」
そう呟いた。
自分が強いと認める存在。
そのセアレウスに負けたくないと言われるのは、ネリーミアにとって最も嬉しいことであった。
この時、僅かであるが彼女の手のひらの光の玉は、先ほどよりも大きくなっていた。
それは自分でも気づかないことであった。
休憩が終わり、セアレウス達は再び山を登ることにした。
充分休憩したこともあってか、その足取りは軽く、順調に険しい山道を進んでいく。
さらに頂上に行くにつれ、険しかった道も緩やかになっていた。
この辺になると、障害物である石の数が少なくなっているのである。
「頂上が見えた。でも……」
頂上に近いというのに、セアレウスの顔には曇りがあった。
ここまで来るのに、ヴィジブロポイドの発生源らしき場所はおろか、ヴィジブロポイド自体に出くわさないのである。
「これは、もしかすると……いや、その可能性が高いかもしれません」
セアレウスの頭には、ある考えがあった。
それは、頂上付近には発生源となる場所はない可能性が高いということだ。
しかし、そうは言っても、ないとは言い切れない。
「あの、すみません。ちょっと足を止めてください」
セアレウスは悩んだ末に、ある決断をした。
「……すみません。ここからは、二手に分かれましょう」
それは、彼女の言葉通り二手に分かれて、発生源を探すことである。
「二手? どういうことなの? 」
メルヴァルドがセアレウスに訊ねる。
この時、ネリーミアとレリアも彼と同様に説明が欲しかった。
「発生源なのですが、このまま頂上に登ってもないかもしれません。むしろ、ふもとの方にある可能性が高い……と思ったのです」
「……その考えだと、登ってきた反対側の方のふもとが一番怪しい。頂上を見てくるついでに、そっちも見てみたいと」
「そういうことです」
ネリーミアの発言に、セアレウスは頷いた。
「危険だけど、否定はできないね。それで、どう二手に分けるの? 」
「発生源を見つけた時に合図のできる……わたしとレリアさんは分けたいと考えているのですが……」
メルヴァルドからレリアに視線を移すセアレウス。
セアレウスには、ウォーターブラスト等の射程の長い魔法があり、レリアには強力で目立つ光魔法がある。
そのため、合図をする役回りは自分かレリアであると考えていた。
しかし、この二人を分けるには、問題があるとも思っていた。
それは、レリアがダークエルフを嫌っていることである。
(前は無理やりな感じでしかたらねぇ。恐らく、上手くいかなかったんだろうなぁ。今回はどうですかねぇ)
セアレウスは以前、ネリーミアとレリアを調査に向かわせた際、二人の仲が進展しなかったことを察していた。
故に、前回は渋々ながら納得してくれたものの、今回はどうか分からない。
セアレウスは、それが心配でレリアに視線を向けたのだ。
「そうですか。分かったです」
しかし、それは杞憂だった。
「お……おおっ? 」
「何ですか、その阿保みたいな声は」
「い、いえ、分かったのならいいのです……ね? 」
「はは……」
(そこで、僕に顔を向けてくれるのやめてくれない? )
セアレウスに同意を求められ、変な笑いが出るネリーミアであった。
「では……そうですね。体力に余裕のあるわたしとメルヴァルドさんは、このまま登ります。二人は、側面の東か西へ行ってください」
「行ったとして、何もなかったら? 」
「その時は、この場所に戻ってきて合図を出してください。一旦合流しましょう」
「分かったです。じゃあ、私達は西から行くですよ」
「はい。お願いします」
「ねぇ、セラちゃん。私そんなに体力ないんですけど……あれー? 無視ー? 問答無用ってことー? 」
若干一名妙なところに納得していない者がいるものの、セアレウス達は二手に分かれて、それぞれストロ山のふもとへ向かうこととなった。
――日の光に赤みが混じりだした夕方に近い頃。
ストロ山の西へ向かっていたネリーミアとレリアは、ふもと近くまで辿り着いていた。
ここまでに、ヴィジブロポイドに遭遇することはなかった。
しかし、ここへきてようやく二人は、ヴィジブロポイドに似た存在を発見する。
「ん? あれは……」
最初に発見したのは、先頭を行くレリアであった。
彼女の視線の先、山の斜面の下方には、ひと際大きな岩がある。
その岩は不自然に綺麗な四角形をしており、その先には白い大きな何かがあった。
じっと動かないその白い何かは、岩よりも少し小さいくらいの大きさだ。
岩よりも小さいのだが、真っ白と呼べるほどの白さであるため、岩よりも目立っていた。
「……恐らく、あれは、ヴィジブロポイドの一種になるのかな」
小さな声で、ネリーミアはそう呟いた。
「あれが? 」
「まだ、たぶんといか言いようがないけど。それより、あそこでじっとしているのは、気になる」
「何かがあるってことですよ、きっと」
「……そうだろうね。あの四角い岩が何なのか分からないけど」
「じゃあ、調べてみるですよ」
そう言って、レリアは鞘からラム・ソルセリアを抜き、白い何かへと近づこうとする。
「待って」
それをネリーミアが静止した。
「合図を出そう」
ネリーミアは、白い何かがヴィジブロポイドの一種だと考えている。
そうだとしたら、今まで見てきたヴィジブロポイドよりも体の大きく、得体の知れない存在だ。
もし白い何かと戦うことになれば、苦戦を強いられる可能性が高い。
「合図を出して、セラ達が来てからにしよう。その方が安全だよ」
ネリーミアは、四人で事に当たることが最善であると考えていた。
「……合図を出せば良いってことですね。分かったですよ」
レリアは、ネリーミアの言うことに従い、空に向かって光の玉を放った。
その光の玉は、上空で弾けて強烈な閃光を放つ。
合図としては、充分目立っていた。
「でも、どうせこれであいつには、私達の存在がバレたですよ。ということで――」
レリアは、そう言って一気に斜面を下ってゆく。
「あっ!? 」
それは、ネリーミアの静止が間に合わない間に起こったことであった。
「セアレウスさん達が来る前に、私が倒してやりますよ! 」
「それは無茶だってば! ああもう! 」
ネリーミアもラム・プルリールを手に取り、レリアの後を追ってゆく。
「はっ! 」
大きな岩の上に到達すると、レリアは跳躍した。
「や、やあ! 」
彼女に続いて、ネリーミアも跳躍する。
二人が地面に着地した地点は、白い何かよりも山を下った位置。
もし白い何かが山の下を見下す向きで立っているのなら、その前に二人は着地したことになる。
「あれは、洞窟? 」
まず、ネリーミアの目に入ったのは、白い何かの背後の黒い空間である。
その空間は四角い形をしており、奥行がある。
洞窟のようであった。
不自然に四角い大きな岩に、綺麗に四角に象られた穴が開けられているのだ。
「誰かが開けた穴……あの黒いローブを羽織ったやつの仲間の仕業? 」
その洞窟を見て、ネリーミアはそう判断した。
「……どうやら、あなたの言う通りだったですね 」
着地してすぐ白い何かに視線を向けたレリアは、目を見開いていた。
まず、やはりと言うべきか、白い何かは山を見下ろす向きに立っていた
つまり、二人と白い何かは今、互いに向き合っている状態である。
そして、レリアが驚いたのは、その外見をはっきりと見たからだ。
白い何かは、ヴィジブロポイドと同じく人型をしていた。
似たような模様もあった。
しかし、確実に異なる種であるかその上位種であると、レリアは判断した。
まず、体格である。
ヴィジブロポイドの外見がやせ細った人であるならば、この白い何かは筋肉隆々の人である。
胴回りが筋肉で膨れ上がっており、腕は木の丸太のように太いのだ。
確実に言えるのは、その腕力が並外れているであろうこと。
次に、顔は従来のヴィジブロポイドと同じく、のっぺりとしていた。
否、一か所だけ違う部分があった。
そこは、口である。
従来のヴィジブロポイドにはない口が、その白い何かにはあるのだ。
「ウオオオオ!! 」
大きな口を開き、咆哮を上げる白い何か。
その時、口の中で上下に並ぶ白い歯を見ることができた。
サメのように細かく鋭い歯を持っていた。
そうは言っても、戦いにしようすることはないと予想される。
「くっ……」
「うっ……なんだろう不気味だ」
ただ、見る者に得体の知れない恐怖を与える部位となっていた。
「……? 」
ここで、ネリーミアは隣に立つレリアを見た。
すると、彼女は怪訝な表情で白い何かを見つめていた。
「……この白い化け物の模様。何色に見えるですか? 」
「色……? えーと、黒……じゃない。灰色……かな? 」
「灰色……やはり、そう見えるですよね」
レリアの怪訝な表情は、晴れない。
この時、ネリーミアは嫌な予感がした。
「……ねぇ、灰色の模様のヴィジブロポイドは、何の属性が弱点なの? 」
そのため、恐る恐るレリアに、そう訊ねた。
すると、レリアはゆっくりとネリーミアに顔を向け――
「……分かりません。灰色の模様は初めて見るです」
と、答えた。
彼女の表情は、僅かに青ざめていた。
先ほどまで、強気であったのは、ヴィジブロポイドの弱点を知っていたから。
模様の色に応じた属性の魔法で攻めればいい。
そう考えていたのである。
しかし、この白い何かの弱点は不明であった。
「くっ、もう引くに引けないって! やるしかない! 」
ネリーミアは、そう言ってラム・プルリールの剣先を白い何かに向けた。
その声にビクリと体を震わせた後、レリアも同じように構える。
「ウオオオオ! 」
再び、咆哮を上げる白い何か。
今度は、太い両腕を高々と振り上げていた。
そのせいか、その巨体がさらに大きく見えた。
目の前の化け物を見るネリーミアの頬から、一滴の汗が滴り落ちる。
もう戦うしかない状況で、先にある勝敗が予想できない。
そのことから、彼女の心臓を押しつぶすような強い緊張を持たざるを得なかった。
2018年10月21日 文章修正
それが大昔に確認されてから、島の者達から無用の地と呼ぶ者もいるという。
↓
それが大昔に確認されてから、島の者の中には無用の地と呼ぶ者もいるという。
この山の斜面は緩やかなものではない。
↓
ストロ山の山道は緩やかなものではない。




