三百三十九話 答えは思い出の中に
勝利の鍵は、ネリーミアの闇魔法を行使すること。
二人は今、これを実現するために戦っていた。
ネリーミアは、セアレウスから受け取ったヒントを元に、闇魔法の仕組みの解明を行う。
それは、黒いローブの者が行使したブルタリティホラーショウと同等の闇魔法を行使するためのこと。
セアレウスは、ネリーミアが闇魔法を行使するまでの時間稼ぎを行う。
そのために――
「……さい。お……します」
「もうへばったかぁ? まだ声は出るはずだ! 」
「助けてください! お願いします! 」
敵である黒いローブの者に対して、命乞いをしていた。
二人は今、武器を振るったり、敵に対して魔法を行使したりなどをしていない。
それでも、勝つための行動をしている。
つまり、戦っているのだ。
しかし、この戦いは無駄になってしまう可能性がある。
時間稼ぎをする必要があるのだから、制限時間があるのだ。
その制限時間は、黒いローブの者の気分。
命乞いをするセアレウスに飽きてしまうことと言える。
さらに、それだけではなく、単純に時間が無いとも言えよう。
今は、夕暮れの辺りが暗くなりつつある時間帯である。
夕暮れとなれば、だいたい者はその日の仕事を終えるもの。
それは、黒いローブの者も例外ではないかもしれない。
すなわち、いつ殺しにかかられてもおかしくはない状況にあるのだ。
(記憶と思い出で魔法。記憶と思い出から魔法? )
このような状況で、魔法の解明を行うネリーミア。
彼女のしていることは、ヒントを与えられたものの、暗闇の中を松明なしに進むようなもの。
答えに近づいているのか、逆に遠ざかっているのかすら分からない。
(分からない。早くしないといけないのに……)
険しい表情の彼女が見るめる先は、黒いローブの者。
思考を巡らせる中で、彼がいつ殺しにくるか。
ネリーミアは、時間制限を気にしていた。
そのせいで、彼女は焦っていた。
困難な状況の中で、冷静ではないのである。
敵と同じ魔法を行使する希望があるものの、それを実現するには絶望的な状況であった。
やがて、時間が過ぎ――
「飽きた」
唐突に黒いローブの者が呟いた。
彼の一言は、時間切れの合図であった。
「その顔にも飽きたし、何より暗くなっちまったら、見えんからなぁ」
黒いローブの者は、空を見上げながら呟いた。
この時、日は半分が沈んでおり、ちらほらと星が見え始めていた。
完全に夜になる前に決着をつける。
黒いローブの者の考えは、実際にはシンプルなものであった。
(やはり……これ以上の時間稼ぎはできませんね)
セアレウスは、この時間切れとなる時間帯を予想していた。
故に、反応を顔に出すことはなかった。
(ネリィ、後は頼みましたよ)
命乞いをしていた悲痛な表情のまま、セアレウスはネリーミアに希望を託していた。
託されたネリーミアといえば――
「……!? 」
顔を引きらせた悲痛な表情で驚愕していた。
セアレウスに対して、この表情は演技ではない。
(そんな……まだ分かっていないのに……)
ネリーミアは、まだ魔法の仕組みを解明していなかった。
彼女は今、希望を目の前にして、絶望の底に突き落とされたような気分を味わっていた。
「さて、どっちを先に始末するかなぁ」
黒いローブの者はそう言うと、腕を組みだした。
本当にどちらにするか考えているのか定かではないが、わざとらしい仕草であった。
「……そうだな。まず、簡単に仕留められそうなやつから、サクッと殺るとするか」
黒いローブの者の口から出た声音は、より一層明るいものであった。
「……!? 」
その瞬間、ネリーミアの表情がより一層歪んだものになる。
「ハハッハハハハ! 」
高らかに笑う黒いローブの者は、唯一この状況を楽しんでいる存在であった。
そんな彼が選んだのは、セアレウスだった。
しかし、彼女はあくまで殺害する対象であって、彼の本当の狙うべき相手ではない。
(見せてもらおうか。本来は冷酷で残忍で……いつかは、超えるべき存在。そんなダークエルフの絶望に歪んだ顔ってやつを)
彼の本当の狙いは、ネリーミアであった。
(こいつは、俺の知るダークエルフじゃない。理由は知らんがいい子ぶって、周りに愛想を振りまくイカれた存在だ)
目深に被ったフードから覗く目は、ネリーミアを見つめていた。
その目は憎悪と嫉妬、そして僅かな喜悦の感情によって、映る彼女の姿を歪めていた。
彼にとって、ダークエルフに畏怖の念を抱き、嫉妬している。
そして、そんな存在を苦しめて殺すことで、自分が優れた存在になると思っていた。
(弱い! 孤独じゃないダークエルフ……それも他種族となんかと群れる奴は弱っちいんだよ! だから、ここで俺なんかに殺られる! )
故に、セアレウスを助けようとするネリーミアに対し、怒りの感情を抱いていた。
目の前のダークエルフが自分が倒したいものと遠い存在であること。
それが彼には、悔しいことであった。
ダークエルフを倒せるのは嬉しいはずであるのに、そのせいで台無しになってしまう。
「やれ! そのボロ雑巾みてぇな奴をバラバラにしちまえ! 」
黒いローブの者は、そんな気がしてならない。
そのせいか、彼のこの声には怒気が含まれていた。
「グルル……」
セアレウスとネリーミアの周囲を彷徨いていた黒い獣達が一斉に動きを止める。
その時、どの黒い獣もセアレウスを睨みつけていた。
彼女に狙いをつけたのである。
狙いを定められ、次の瞬間には襲いかかられる。
「……」
セアレウスには、そのこともその先にある未来も想像することができた。
彼女は、ゆっくりと目を閉じた。
その時、彼女が思うことは――
(良かった……まだです。まだ時間はあります)
であった。
セアレウスは、もう自分にはやれることはないと思っていたはずであった。
しかし、この時になって、時間を稼ぐ方法を思いついたのだ。
黒い獣達の攻撃を少しでも長く耐えることであった。
故に、彼女は先に自分が狙われたことを良いと思ったのだった。
「ガアッ! 」
黒い獣達が吠え、身を低くする。
次の瞬間には、セアレウスへ飛びかかっていることだろう。
しかし――
「待って! 」
「……!? 待て! 動きを止めろ! 」
そうはならなかった。
ネリーミアが声を上げ、それに反応した黒いローブの者が黒い獣達の動きを止めたからだ。
「ネリィ、何故っ……うっ! 」
ここまで顔を上げていたセアレウスだが、とうとう力尽き、顔を地面に落としてしまう。
力を入れようにも、ネリーミアの方へ振り返ることができなかった。
「……いいぜ、聞いてやるよ」
「……先に殺すのは、僕にしてほしい」
「はぁ……聞くんじゃなかった。や――」
「君の闇魔法は大したことはない」
黒いローブの者は、ネリーミアの提案を受ける気はなかった。
しかし、再び号令を出そうとする彼の口は止まった。
「今、なんて言った? 」
「大したことはない。へっぽこだって言ったのさ。ほ……ほら! 」
ネリーミアは、背筋を伸ばして立つ。
右腕には黒い獣が食らいつき、地面に引っ張られるほど重く、噛み締められる痛みが今も走っているはずである。
それにも関わらず、何事もないように平然と立ち、その顔は自信に満ち溢れたものであった。
「……はっ! くだらん。強がりを言うんじゃない」
「い、いや、全然…さ。それに、そうゆうことだろ? 」
「あ? 」
「僕を殺せないから、セアレウスを先に殺すんだ」
「……」
「セアレウスを殺した後、君は僕を殺さずに逃げ――」
「うるせえええ! 」
突如、黒いローブの者から怒号が飛ぶ。
その瞬間――
「うっ、ああああ! 」
ネリーミアは食らいついた黒い獣に強く引っ張られた。
その黒い獣は走り出し、ネリーミアを引きずっていく。
「ぐ……ううっ」
黒い獣は、あるところで足を止めた。
ネリーミアはぐったりとし、仰向けの状態となっていた。
そこは、黒いローブの者の前方。
先ほどの位置よりも彼に近づいていた。
「いいだろう、証明してやる! お前を殺すことで、俺の闇魔法の強さをなぁ! 」
黒いローブの者が杖を持った腕を横に振るう。
それが合図となり、黒い獣達が一斉にネリーミア目掛けて走り出した。
「ぐっ……」
身じろぎをするネリーミアだが動くことができない。
右腕に食らいつく黒い獣によって押さえつけられているからだ。
「ネ……ネリィー! 」
セアレウスは、先に自分が攻撃されることを良しとしていた。
故に、今の状況は予想外のことである。
しかし、そのような考えは今の彼女にはなかった。
ただ、目の前で悲惨な目に遭う親友の名を叫ばずにはいられなかった。
地面に仰向けとなるネリーミア。
この時の彼女は、これで良いと思っていた。
そう思うのは、セアレウスよりも自分の方が攻撃を耐えることができるから。
闇属性の耐性を持つ自分の方が適任だと思ったからだ。
さらに、もう一つ思うことがあった。
(何より、僕が責任を負わなくちゃ)
ネリーミアは、今の状況になったことに対して責任を感じていた。
自分が魔法の解明ができないばかりにこうなってしまったと。
(痛い思いは、僕がしなきゃ。これ以上、セラに負担はかけられない)
むしろ、自分の方が耐性があるというのはおまけで、償いこそがセアレウスの身代わりとなった本当の理由であった。
(どうにか……意識を失うまでに、魔法を理解しなくちゃ)
そして、攻撃を受け続ける中で、魔法の解明をしようとしていた。
この時の彼女には、その覚悟があった。
しかし、それはあまりにも困難なことである。
ただでさえ、この土壇場で敵の魔法を理解し、自分の魔法として行使するのは難しいことだ。
さらに、攻撃を受け続けるという悪条件が加わるのだからなおさらである。
そのことをセアレウスが危惧していたのだ。
ネリーミアの行動は、その場凌ぎの悪あがきとも言え、決して状況を良くしたとは言えない。
むしろ、魔法の解明を困難にしてしまい、状況を悪くしたと言えた。
「うぐっ」
噛みしめられる右腕の痛みに、ネリーミアは苦痛の表情を浮かべる。
その痛みは、これから嫌というほど味わうダメージのほんの一握りである。
(痛い。これから僕は、この痛みを何度も受け続けないといけないのか)
ネリーミアは途方もないと思い、思わず弱気にならずにはいられなかった。
(いや、早く考えないと。こんな痛みなんか、大したことじゃない。あの頃に比べれば……)
しかし、彼女はこの痛みの中で、希望をつかみ取る覚悟をしたのだ。
ネリーミアは、すぐに弱気を振り払うことにした。
(……あれ? )
その時、彼女は不思議に思うことがあった。
(あの頃……あの頃っていつのことだっけ? )
それは、自分が何気なく呟いた言葉に対してのことであった。
ネリーミアは仰向けのまま、周りを見回す。
どこを見ても、自分目掛けて走ってくる黒い獣達が見えた。
自分が多くの者に取り囲まれている光景であった。
(サナザーンの……伏魔殿だっけ? あの時は、魔物や獣じゃなくてゾンビだったっけ)
ネリーミアが不思議に感じたのは、既視感を覚えたからだ。
今の状況は、過去に経験した状況と似ていたのだ。
(いや、違う。ミッヒル島の草原……でもない)
しかし、すぐにその状況を思い出すことができなかった。
何故なら、それは――
(……もっと昔のこと? )
最近のことではないからだ。
彼女が守るべき尊い存在に出会うより、法師となることを決めるよりも前のことだ。
(あ……れ? )
ネリーミアの視界はぼやけてゆく。
聞こえていた獣や親友の声も遠ざかってゆく。
やがて、視界が明瞭になると、黒い獣達がいた場所には、見知らぬ少年少女達がいた。
ボロ衣を着たみすぼらしい者、小奇麗な服を着た裕福そうな者、服装は、バラバラであった。
彼らの表情もバラバラで、ニヤニヤと笑っている者もいれば、眉間にしわをよせたしかめっ面の者もいた。
「悪の種族め! 」
「よくもまぁ、あれだけのことをしておいて、のうのうと生きていれるわね」
「うわっ、こっちを見るんじゃない! 」
しかし、皆口にするのは自分への罵倒であった。
(……!? みんな……知っている。みんな聞いたことがある……言葉だ)
ネリーミアは理解した。
(これは僕の過去だ。今見ているのは、僕の記憶なんだ)
今、視界に映る光景が過去のものであることを。
(なんで、こんな今まで忘れていたような昔のことを……走馬灯? いや、そんなことよりも……)
ネリーミアは、目の前の光景に気になる部分があった。
(みんな……僕にちょっかいを出してきた人達だ。でも、なんで、みんな一緒に出てくるんだ? )
少年少女達は、かつてネリーミアを罵るなど、迫害と言える行為をしてきた者達だ。
そのことは共通しているのだが、彼らに会った時間や場所は違うはずなのだ。
ネリーミアは、彼らの姿が揃って見えることを不思議に思っていた。
「消えろ! ダークエルフ! 」
一人の少年がネリーミアに向けて、石を投げだす。
それを皮切りに、他の少年少女たちも石を投げだした。
(うっ!? や、やめて! )
ネリーミアは、右手で顔を覆いつつしゃがみ込んでしまった。
少年少女達の姿も投げられた石もネリーミアの見る幻覚である。
彼女自身、そのことは分かっていた。
しかし、そうと分かっても平然と構えることはできなかった。
(い、痛い! 悪いことなんかしてないのに! )
過去に経験した痛みや苦しみを覚えているからだ。
今、彼女が見る幻覚は、決して走馬灯のようなものではない。
見る者の心をへし折り、死へといざなうもの。
死神が見せる恐怖の劇場と呼ぶに相応しい恐ろしい幻覚であった。
(うああ……あああ)
ネリーミアは右手で頭を抱え、恐る恐る周りを見回す。
彼女の目に、少年処女達の姿は見えなかった。
代わりに、鋭い赤い目の黒い大きな怪物達の姿を見た。
その瞬間、彼女は悲鳴を上げそうになった。
しかし、実際にはそうはならなかった。
何故なら、その怪物達があるものに似ていたからだ。
(……あ……ああ)
この時、ネリーミアは張りつめていた気持ちがすうっと楽になった気がした。
彼女はようやく気が付いたのだ。
(もしかしたら……いや、そうだ。この黒い獣達も過去。あいつの記憶の一部なんだ)
怪物に似ていたものは、黒い獣達。
それらが重なることで、ネリーミアは魔法の解明――
(そうか! やっと分かった。この魔法は、自分の記憶を使っているんだ。あいつは以前、獣達に襲われたことがあるんだ。その時の記憶がこの魔法なんだ)
すなわち、答えに辿り着いたのだ。
(セラは、このことに早く気付いていたのか。本当、君はとんでもないやつだよ)
この時、ネリーミアは、まずセアレウスに感心した。
(どうやって分かったのか気になる。そのためには……)
その後、解明した魔法を行使するために準備に取り掛かる。
(魔法を発動させないと。でも、僕はあんな化け物を呼び出したくはない! )
しかし、ネリーミアはせっかく解明した魔法を行使するつもりはなかった。
(恐怖や絶望が力の源なんて、自分が受けた痛みや苦しみを他の人に与えるなんて間違ってる! )
ネリーミアは、空を見上げた。
今、彼女が行うとしているのは、黒いローブの者の大魔法。
その仕組みを真似たつもりの全く新しい魔法だ。
(僕が欲しいのは希望! ずっと昔から……ずっと欲しかった)
ネリーミアは、口を大きく開けて息を吸った。
新しい魔法の発動条件は、彼女自身はっきりと分かっていない。
それでも、発動しようとする彼女がした行動は、身振りでも詠唱の言葉を口するでもなく――
「助けてええええ!! 」
思いっきり、助けを求める声を叫ぶことであった。
これで魔法が発動する確証はない。
しかし、ネリーミアは発動すると信じていた。
何故なら――
(やっと言えた……忘れてたんだ。もう助けてって言えることを……)
彼女は、自分の助けを求める声を聞いてくれる存在を見つけているのだから。




