三百三十三話 討伐拠点
一日の中で、一番明るいとされる時間帯である掘るである関わらず、この日のウィンドリンは薄暗い。
ウィンドリンの島全体が曇り空に覆われており、そのせいかトナードの町は薄暗く憂鬱な雰囲気が漂っていた。
そんなトナードの町に、ネリーミアとメルヴァルドが辿り着いたのは一日前の夕方。
その日からトナードに滞在しており、二人の姿は今、町の中にある宿屋にある。
トナードの西にある町に向かうことになっているが、まだ出発していないのだ。
その理由としては、セアレウスとレリアに合流していないことが一番有力だると考えられるだろう。
しかし、ネリーミアとメルヴァルドのいる宿屋には、その二人の姿が既にあった。
昨晩の夜に、二人は謎の生物の討伐を切り上げて、トナードに辿り着いていたのだ。
「――という感じです。そのゾンビじゃなかったヤツらにも、ちゃんと弱点となる魔法を当てれば、簡単に倒すことができます」
宿屋では、セアレウスとレリアによる謎の生物との戦いで得た情報の説明が行われていた。
「なるほどねぇ。そうなると、冒険者達は弱点を突くことができなくて、魔法が効かないって町長に言ってたわけね」
「弱点がバラバラか。厄介な……魔物? だね」
説明を受けたネリーミアとメルヴァルドの二人は感心していた。
謎の生物が個体ごとに弱点が異なる。
やはりというべきか、この情報が二人を感心させた大きなポイントであった。
「弱点を判別する方法があるとは言え、その弱点を突けなければ簡単に倒すことはできません。ネリィの言う通り、厄介な敵です」
「うん。それにしても、よく気がついたね。一体一体の弱点が異なる魔物なんて聞いたことがない。セラもそうだったよね? 」
「ええ……しかし、自分でもよく気がついたと思います。本当に運が良かったと言えますね」
「え? 運が良かった? 」
「あの……謎の生物と呼びましょうか。わたしは、アレを初めて見た時から、ただの魔物とは思えなかったのです」
セアレウスの口から、この言葉が発せられた時、レリアの表情は渋いものとなった。
そういうものだと決めつけ、謎の生物をただの魔物と思い込む。
この時レリアは、そんな自分とセアレウスを比較していた。
彼女の表情から、どちらが劣っていると判断したかは言うまでもないだろう。
やがて、レリアの表情は渋いものから変化する。
この時の彼女の心情は――
(セアレウスさん。この人は、侮れない……)
であり、セアレウスを見る彼女の表情は真剣なものであった。
その表情から、妬みや悔しさなどは感じることはできない。
セアレウスに対して、レリアなりに尊敬という気持ちを抱いていた。
これまで傲慢であった彼女にしてみれば、意外なことだと言えよう。
「しかし、本当に凄いのはレリアさんですよ。六属性! 本当は六属性の魔法を使えちゃうんですよ! ねぇ、レリアさん」
「え……まぁ、そうですけど、まだまだ……です」
顔を向けてきたセアレウスと目が合い、レリアは思わず目を逸らしてしまう。
少なからず尊敬しているとは言え、それを素直に伝えることも、気づかられることも、今の彼女は遠慮したい気持ちであった。
これを簡単な言葉で言い表せば、照れであろう。
「へぇ、六属性……って、六!? それって、凄いどころじゃ……」
ネリーミアは驚いて目を見開いた後、顔を引きつらせたまま固まってしまう。
大きく開いていた差がさらに広がった。
この時のネリーミアの心情である。
ちなみに、セアレウスの話を聞いてから驚愕するまでに、少し間があった。
その間、ネリーミアは、セアレウスとレリアの交互に視線を送っていた。
「そろそろ、昨日の討伐の話はこれくらいにして、これからどうするですか? 」
レリアのこの発言により、話は切り上げられ、三人の視線はメルヴァルドに向く。
「ん~とりあえず、西の町へ出発しましょうか。それからのことは、町についてから決めるということで」
メルヴァルドの意見に三人は頷く。
こうして、セアレウス達はトナードの西にある島最西端の町へ向かうこととなった――
「あ、その前にやりたいことがあったんだった。悪いけど、ちょっと門で待てってね」
のだが、何やらメルヴァルドには用事があるとのこと。
セアレウス達三人は不思議に思いつつも、彼の指示に従うのだった。
トナードの町の外、その周辺。
「じゃーん! 」
そこには、遠くに見える石レンガの外壁を背にして立つメルヴァルドと、それを見るセアレウス達三人の姿があった。
メルヴァルドは右腕を空に向けて掲げており、その手には弓が握られていた。
弓の大きさはかなりのもので、彼の身長くらいはあると見れるだろう。
さらに、腰には数本の矢が入った矢筒があった。
「メルヴァルドさんは、弓が使えたのですか」
そう訊ねたのはセアレウス。
彼女は少しだけ目を見開いており、驚いている様子であった。
ネリーミアとレリアも彼女と同じような反応を見せている。
「うん、法師になる前にやっててねぇ。自分で言うのもなんだけど、なかなかのもんよ~」
メルヴァルドはそう言いつつ、左手を頬に当て、クネクネと動いている。
女性がやれば艶かしいと思える動きと言えよう。
しかし、女性のような容姿であるものの、彼は男性である。
それを知っているセアレウス達三人は、若干顔を引きつらせていた。
「でも、何でまた使おうと? 」
「いやぁ、セラちゃんが言う謎の生物とやらは、倒すのに苦労するって言うじゃない? まあ、弱点を突けばイチコロなんだろうけどさ。それでも、これを使って少しでも手助けが出来ればいいなと思ってね」
ネリーミアの問いかけに、メルヴァルドはそう答えた。
セアレウス達三人の依頼主である彼を戦わせてしまうことはともかく、戦力が増えるということで有難いことだ。
しかし、まだ問題はあった。
「……でも、あなたは極度の怖がりのはず。本当に戦えるですか? 」
その問題をレリアが指摘した。
これには、セアレウスとネリーミアも同意見であり、彼女に異を唱えることはなかった。
指摘されたメルヴァルドといえば、親指を左手立てた左手を三人に向けていた。
まるで、問題ないと言わんばかりに頼もしい姿である。
しかし、彼の顔は青白く――
「……カナーリ、ハナレテイレバ、ダイジョウブダヨ……タブン…」
その口から出た声は、かなり頼りのないものだった。
彼の喋り方は、言葉慣れしていないかのようで――
(初期のラノちゃんよりもひどいかも……)
と、セアレウスに言わしめ――
(うーん、これは……)
「はぁ……ダメダメじゃあないですか」
ネリーミアを不安にさせ、レイアを呆れさせたのであった。
「うっ! ま、まあ、腕は良いと思うのよ! セラちゃん、ちょっといい? 」
「はい」
「あの壁のどこかにウォーターブラストで印を付けて。そこに当てて見せるよ」
「えっ!? わ、分かりました」
セアレウスは頷くと、外壁目掛けて走り出す。
そして、ある程度走ったところで足を止め、ウォーターブラストを放った。
彼女達が集まっている場所は、町の外壁から遠いところにある。
故に、セアレウスはウォーターブラストを放つ前に走り、外壁との距離を縮めたのだ。
その距離、約四百メートルほど。
それが留水操なしのセアレウスが放つウォーターブラストの最大射程。
有効射程ではないためか、ウォーターブラストは外壁に当たると、パシャと軽い音を立てて弾けた。
威力はないものの、外壁の一部分を濡らすことで、印を付けられたのだった。
「少し狙いが外れましたか……メルヴァルドさん、見えますか? 」
後ろへ振り向くと、セアレウスが恐る恐ると言った様子で訊ねた。
何故、そのような様子なのかといえば、メルヴァルドが印に当てるとは、到底思えないからだ。
彼の立つ位置と外壁との距離は、約六百メートルほど。
届くことすら怪しく、ネリーミアもレリアもセアレウスと同じ気持ちであった。
「うーん……うん、見えるよぉ。じゃあ、危ないから私の後ろへ」
セアレウスが自分の後方に行くと、メルヴァルドは弓に矢を番える。
この時の彼の表情は真剣そのもの。
鋭くなった彼の目は、外壁に付けられた印をしっかり捉え、弓を力強く引き絞る。
ギチギチと音を立ててしなる弓は、まるで蟹のハサミが閉じるが如く、みるみると縮んでゆく。
「そりゃ! 」
そして、溜めに溜めた力を解放するかのように、矢が放たれた。
「……あ……ああっ!? あれぇー!? 」
矢の行方を見ていたのであろうメルヴァルドが素っ頓狂な悲鳴を上げる。
その様子からして、狙いを外したのは聞くまでもないだろう。
「……あ、外し……たのですか」
彼の様子を見て、セアレウスを筆頭に狙いを外したことを認識する。
彼女達三人は、耳を押さえることで必死になり、矢の行方を確認できる状況ではなかった。
それは、メルヴァルドが矢を放った時に発生した凄まじい音のせいである。
何かが爆発するような強大な破裂音に、思わず自分の耳を守らざるを得なかったのだ。
「んー? おかしいなぁ。久しぶりだけど、こんなに外すもんかなぁ? 」
メルヴァルドは、手にした弓のあちこちを見たり、何回か弦を軽く弾いたりし始める。
彼にとっては、狙いを外したことが大きく予想外である様子だ。
「ネリィ、矢がどこに当たったか見えます? 」
「ごめん、全然見えないや」
苦笑いをしつつ、ネリーミアは答えた。
「レリアさんは、どうですか? 」
「一応、弓の心得はあるのですが……全く見えません」
悔しそうに渋い顔をしつつ、レリアは答えた。
「じゃあ、ちょっと見てきます」
そう言って、セアレウスは町の外壁へと走っていった。
しばらくした後、戻ってくる彼女は――
「かなり大きく外れていましたー!」
と遠くから大声で叫び――
「しかし、矢が壁に突き刺さっていました……」
と青ざめた表情で言うのだった。
これを聞いたネリーミアとレリアも顔が青ざめる。
セアレウスはゆっくりと頷き、他の二人も頷いたことを確認すると――
「メルヴァルドさん……弓矢を使うのはいいのですが、その前に私達の許可を取ってください。お願いします」
メルヴァルドへ、そう言った。
「え……ああ、うん。分かったけど、何かあった? 」
「いやぁ……」
メルヴァルドの問いかけに対し、曖昧に答えるセアレウス。
彼女が外壁まで行った時、全体の大きさの半分以上深く突き刺さっている矢を確認した。
印との距離は約三百メートルほど、大きく的を外していると言えた。
そして、強力ながら命中が期待できない彼の弓矢による援護は、彼女達からしても驚異である。
こうして、メルヴァルドの意外な一面は、何とも言えない微妙なものとして、三人の記憶に刻まれたのであった。
町と聞いて、どのような景観を思い浮かぶだろうか。
きっと多くの者は、家々や店が多く立ち並び、多くの人が行き交う場所を想像するのだろう。
日が暮れ始め、次第に空が橙色に染まりつつある頃。
トナードを出発したセアレウス達は、目的の町に辿り着いた。
その時、四人が町の姿を見て思うのは、そこが町や村ではなく、砦か何かではないかということだ。
町は、大きな岩で造られた壁に囲まれ、その周辺には先端が尖った丸太で造られた防護柵。
壁の内側の四隅には、物見櫓が立っていた。
加えて、壁の周辺には剣を携えた者、壁の上部と物見櫓には弓を手にした者が見える。
そして、一番目を引くのは、壁の内側の町の中心にそびえ立つ巨大な塔。
見るものに、町という言葉が不要なものだと思わせる風貌をしていた。
この町の名は、チャオミィ。
かつて、のどかだったこの町に屈強な壁や物見櫓、町の中心にある巨大な塔は存在していなかった。
謎の生物の討伐拠点として選ばれた後、今の砦のような風貌となったのであった。
「なるほど。そうですか」
巨大な塔の内部、その一室で男性は静かに頷いた。
男性の体型は、高身長で筋肉隆々。
僅かに皺の入った渋い顔つきをしている。
彼は、ここで戦う冒険者のまとめ役を担うケブディという者であった。
「そんな貴重な情報を伝えに来てくださったこと、我らの回復を買って出てくださったことに、なんとお礼を申し上げれば」
「いえいえ。法師として、やれることをするだけです。私めにお礼の言葉は不要です……はぁ、マッチョだぁ。えへへ」
ケブディが頭を下げている間に、メルヴァルドは口から漏れたヨダレを拭う。
目の前にいるケブディは、彼の好みの男性であった。
今、メルヴァルドは、ケブディに謎の生物についての情報と、負傷者の回復にあたることを伝えたところである。
「護衛の者達もよく来てくれた。ふっ、まだ年若いのに腕が立つようだな。ともかく法師様と共に歓迎しよう」
再度、頭を下げるケブディに合わせて、セアレウス達三人も頭を下げる。
「さて、私からも情報を伝えねばなるまい。とは言っても、トナードの町長殿が仰ることと、ほとんど変わらないでしょう」
ケブディは、メルヴァルド達に説明を始めた。
その内容は謎の生物の討伐と、それらによる襲撃から拠点の防衛を主に行っていること。
そして――
「日に日に、泥人形の数は多くなりつつあるようだ。それに伴い、戦いによる負傷者も多くなってきている。由々しき事態だ」
悪い状況にあることを伝えてきた。
ちなみに、彼らは謎の生物を泥人形と呼ぶ。
その理由としては、絶命時に白い泥のような塊になるからとのこと。
「正直なところ、負傷者を回復してもらえるのは有難いことですが……」
「状況はよくなりませんか……」
「……ええ。しかし、法師様のおかげで、怪我に苦しむ者達を救うことができます。本当に感謝します」
苦しげな表情をしていたケブディだが、その表情を笑顔に変え、深々と頭を下げた。
その真摯な態度に、メルヴァルドは顔を引き締める。
「すぐに負傷者のところへ案内してください。ネリィちゃん、あなたも私と一緒に――」
「待ってください」
部屋を出て行こうとするメルヴァルドとケブディを止めたのは、セアレウス。
「負傷者の人達の回復も大事ですが、謎の生物をなんとかすることも大事です」
「ああ、その通りだ。ひょっとして、君には何か提案があるのか? 」
「はい」
ケブディに向けて、セアレウスは力強く頷く。
「この謎の生物が現れたのには、何か原因があるはず……と、わたしが考えます」
「あの泥人形は最近になって現れた魔物と聞く。君の言うことは、大いに頷けることだ。それで、どうしたい? 」
「原因の調査に行かせてください」
「……! それは……こちらとしても、有難いことだが……」
目を見開いた後、ケブディの顔は険しいものとなる。
「とても任せられない。危険すぎる」
セアレウス達は、謎の生物の性質を見定めた張本人。
しかし、そうだと分かっていても、ケブディとしては任せられるものではない。
多くの謎の生物と戦い、その手強さを知るが故のことであった。
「それは承知の上です。そうですよね? レリアさん」
「はい。もう遅れを取ることはないです。信じろとは言わないですが、心配は無用です」
基本的に生意気な態度を取るレリアも、この時は頼もしく見えた。
「そうは言うが……む? 君はライトエルフ……か。もしや、ロラ・リュミエルの冒険者……あの噂は本当だったのか」
そう言った後、ケブディは納得したかのように頷いた。
「……私よりも強いのだろうな。ならば、君達を引き止めることはない。改めて、君達に原因の調査を任せたい」
「フン! ロラ・リュミエルの名もたまには役に立つですね」
頭を下げるケブディに、レリアは満足げである。
そんな気分のまま、レリアはセアレウスに顔を向けた。
「早速、調査に行きましょう。セアレウスさん」
意気込んでいるレリアに対し――
「いえ、もう暗くなりますし、明日にしてください」
セアレウスは、乾いた反応を見せた。
加えて、どこか他人事のような雰囲気である。
「……まさか…」
二人の温度差とセアレウスの雰囲気に、ネリーミアは嫌な予感を感じた。
「あと、私は調査に行きません。調査に行ってもらうのは、あなたと……」
セアレウスは、レリアにそう言った後――
「ネリィに行ってもらいます。ん? 何ですか、その顔は? 」
顔を青ざめつつ、ニコニコとしているネリーミアに左手を向けた。
彼女の采配に、ネリーミアは笑顔は僅かに引きつらせ、メルヴァルドは目を点にさせる。
レリアと言えば、驚いたものの、すぐに険悪な表情をした。
その表情のまま、レリアはネリーミアを睨みつけるようになった。
ただ一人、事情を知らないケブディは、異様な空気を感じて目を白黒するばかりである。
(ここに来て、ついに出ちゃったかぁ。セラの無茶ぶりが……)
共に修行をする中で、ネリーミアにはセアレウスに対して嫌に思うことがあった。
それがこの無茶振りである。
こうして、何の説明もなく、唐突に困難なことを要求してくるのだ。
(イケる。きっと、調査を通じて、レリアさんと仲良くなれますよ)
セアレウスは、親指を立てた左手をネリーミアに見せる。
これに関しての一番の問題は、本人が善意でやっているつもりであることだ。
(気持ちはなんとなく分かるけど、君とは事情が違うから! かなり難しいことだから! )
度々、セアレウスの無茶振りの被害に遭う彼女だが、今までやめろと言えた試しはない。
言ったら言ったで、さらに面倒なことになりそうだと思うからだ。
故に、ネリーミアは引きつった笑顔のまま、親指を立てた右手を見せ、セアレウスに了承の意を伝えるのであった。




