三百三十二話 天才の真価
セアレウスとレリアの二人は、草原の上で佇んでいた。
彼女の周りには、もう敵となる存在はおらず、先ほどまで行っていた戦闘は終了していた。
それにも関わらず、二人はそれぞれの武器を手にしたまま、ただ立っているだけ。
その様は、まるで戦闘が終わったことに気づいていないかのようであった。
しかし、実際には彼女達は戦闘が終わったことを認識していた。
何よりも、気になることがあるだけである。
それは、二人の視線の先にある白くドロドロとした泥の様な塊のこと。
かつて先ほどの戦闘で戦っていた謎の生物が、そのような姿に変貌したことが原因だった。
「……セアレウスさん」
不気味な雰囲気の静寂を破ったのは、レリア。
彼女は、声を掛けたセアレウスに顔を向けることなく、口を開いていた。
「さっき出した水魔法には、モノを溶かす効果があったですか? 」
「……いえ、そのような効果はありません」
レリアの問いかけに対し、セアレウスは否定する。
彼女の言うとおり、実際にもそのような効果はない。
ここで、二人に新たな共通認識ができた。
それは、溶けた原因が、謎の生物にあることである。
「なら、水魔法に弱かったということですか」
「そう考えるのが普通でしょう。しかし、そうだとしても納得できないところがあります」
「溶けたことですか? 」
レリアの問いかけに、セアレウスは口を閉ざして頷いた。
弱点となる攻撃を受けるということは、大きなダメージを受けるということ。
それによって、死に至ることは有り得ないことはない。
しかし、弱点となる攻撃を受けたことによって、体が溶けるということは、考えられることはない。
セアレウスが言いたいとは、そういうことだ。
「別に……少し驚きましたが、不思議なことはないですよ」
しかし、レリアは違った。
「スライムという魔物を知ってますか? あのプルプルしたやつ。あれは、弱点を突かれたり、死ぬときは溶けていなくなりますよ」
彼女の言う通り、溶ける魔物は存在する。
「だから、この……よく分からない奴も、溶けちゃう魔物なのですよ」
かつて謎の生物であった白い泥に指を差しつつ、レリアが言った。
溶ける魔物が存在するという前提がある上で、彼女は謎の生物がそれと同類であると判断したのだ。
「溶けるのはスライムだから。元々水のような液体の性質を持っていたからでしょう。でも、この生物は、そんな性質を持っていなかったのでは? 」
セアレウスは、レリアに話を聞いても納得はしていなかった。
「さっき、レリアさんが剣で攻撃した時、血が出ていましたよね? 」
「……そういえば、出ていたですかね」
「では、剣で攻撃した時に、骨のようなものがある手応えはありましたか? 」
「皮膚の表面を切ったくらいだから、分からないですよ。あと、結局は何が言いたいですか? 」
「恐らく……あれは、溶けることを前提とした体のつくりをしていなかった。私は、そう思うのです」
謎の生物が何かを溶かす性質を持ったものに触れていたのなら、セアレウスはすんなりと、その生物の身に起きた現象を理解するだろう。
しかし、実際にはそんなことはなく、溶かすような特殊な性質を持たない水に触れただけだ。
セアレウスは、自分の水魔法が謎の生物が溶けた要因になったの理解しているが、それで体が溶ける謎の生物の性質が理解し難いと思っているのだ。
「……それが何だと言うですか。溶けたのがおかしいと思って、何の意味があるですか? 」
対して、レリアはセアレウスのように、謎の生物について疑問に思うことはなかった。
むしろ、どうでもいいことに疑問を持つセアレウスが理解できなかった。
「そいつは、水魔法に弱い。それが分かれば満足でしょう」
レリアはそう言って、白い泥の塊もセアレウスも見えない方向へ体を向けた。
二人の周囲を照らしていた光の玉も、レリアの向いた先へ移動する。
その方向は、トナードの町とは逆の方向であった。
「先へ進むですよ。弱点が分かったのなら、もう遅れはとらないです。一匹でも多く倒しに行きますよ」
レリアは、そう言うと歩き始めた。
遅れはとらないという言葉は、彼女の中では奇襲を受けることを防ぐという意味も含まれている。
故に、右手にはラム・ソルセリアが握られたままであった。
「待ってください。このまま討伐を続行するのは危険です。今日は、もうトナードへ引き返しましょう」
戦い続けるつもりのレリアに対し、セアレウスはその反対で、謎の生物の討伐を中断することを考えていた。
「怖気付いたですか? 」
ピタリと足を止めたレリアだが、後方のセアレウスに顔も体さえも向けることはない。
「ガッカリです。さっき言った話は嘘ですか……」
レリアの言う話とは、セアレウスの体験談のこと。
「嘘じゃありません! 」
それが嘘であると言われ、怒るセアレウス。
セアレウスは、嘘でないことをレリアに分からせるため、ここで今までの体験談を熱弁するところであるが――
「あと、今その話は関係ありません」
彼女はしなかった。
この時のセアレウスの顔は真剣そのもの。
当然ながら、声音も聞く者に緊迫感を与えるほど真剣な雰囲気なのだが、レリアは彼女がムキになっていると思っていた。
それ故に、セアレウスの気持ちや考えは伝わりづらい状況にあった。
「弱点が水魔法ということは分かりましたが、まだ不明なところはあります。ここは、その情報を持ち帰ることに専念すべきです」
「そんな悠長なことをやっていられないですよ。それに怖気づいたのかと、何度言われれば――」
「そうです、怖気づいているのですよ」
「……! 」
セアレウスの思いがけない返答に、レリアは踏み出しかけていた足を止めた。
自分の挑発のつもりで言った言葉を認めるとは思っていなかったのだ。
「正体の分からない敵は、怖く思いませんか? わたしは怖いと思います。だからこそ、アレが……なんなのか……」
「……どうしたですか? 」
言葉を詰まらせたセアレウスを不思議に思い、ようやくレリアは振り返った。
そして、振り返った先、光の玉により照らされ見えたセアレウスの顔は青ざめていた。
「レリアさん……」
レリアが何事かと問いかける前に、セアレウスが口を開いた。
「さっき、アレに奇襲を受けましたよね? レリアさんは、何も感じなかったのですか? 」
「……!? 」
セアレウスの言葉に、顔を引きつらせつつ驚愕するレリア。
彼女の言葉を聞いて、すぐに思い出し、気づいたのだ。
自分が謎の生物の存在を感知できていなかったこと。
それは謎の生物が感知できない存在であるとも解釈することができる。
この一瞬でその考えに至ったレリアの次の行動は、光の玉の大きさを拡大すること。
すなわち、自分達の視界を広げることであった。
「「……! 」」
そして、二人は絶句する。
照らされる範囲が広がったことによって見えたのは、夥しい数の謎の生物の姿。
それらが自分達の周りをぐるりと取り囲んでいる最悪の光景であった。
絶句して硬直したセアレウスとレリアをよそに、謎の生物達はゆらりと蠢き出す。
それらが取り囲む中心へ――つまり、二人に向けて歩きだしたのだ。
「くっ、レリアさんは前をお願いします! 」
そう言ったセアレウスは、くるりと素早く後方を向いた後、左手を前方へ突きだした。
「……! 」
セアレウスに続いてレリアも後方へ体を向けた後、右手のラム・ソルセリアを振りかぶる。
二人は少し距離を置いて、背中合わせとなった。
「「ウォーターブラスト!」」
セアレウスは突き出した左手から、レリアは振るったラム・ソルセリアの刀身から水の弾丸が放たれた。
それぞれのウォーターブラストは真っ直ぐ飛んでいき、謎の生物に命中する。
「「……!? 」」
その瞬間、二人が見せたのは驚愕の表情であった。
確かに、ウォーターブラストは命中したのだ。
しかし、それで謎の生物の体が溶けることはなかったのだ。
「ば、バカな! ちゃんと弱点の水魔法を当てたはずなのに! なんで!? 」
レリアはそう言いつつも、同じ個体の謎の生物にウォーターブラストを放ち続ける。
彼女の放った幾つかのウォーターブラストは、謎の生物の体に当たると、飛沫となって飛び散る。
虚しいことにそれだけであった。
セアレウスは何をしているかというと、何もしていなかった。
突き出していた左手を下ろし、何の動きも見せず、その場に立っているだけであった。
(これはどういうことでしょうか……)
否、何もしていないのは表面上のことで、彼女にしてみれば、必死に考えている最中であった。
何故、弱点である水魔法が効かなかったのかと。
その疑問を解決しようと思考を巡らす中で、セアレウスはあることを思いつく。
(そういえば、さっき倒したのは、光と炎の魔法が効かなかった。では、これらも同じなのでしょうか? )
それは、先ほど倒した謎の生物と、今自分達を取り囲む謎の生物が同じ性質を持つかどうかの疑問だ。
この疑問を解消したいと思ったが、セアレウスはすぐに自分の中で解決をしてしまう。
何故なら、今さっき異なる性質を持つと証明したからだ。
水が弱点なものとそうでないものが存在する。
このことからセアレウスは、謎の生物が持つ弱点が個体ごとに違うものだと判断した。
故に、さらなる違いについても気づくことができたのだろう。
(……! 額の模様の色が違う!? )
その違いとは、謎の生物の額部分にある模様の色だ。
謎の生物達には漏れなく額の部分に模様があるのだが、個体ごとに色が違うのだ。
今、セアレウスが確認したもので、赤、青、緑、黄の4種類であった。
ここでセアレウスに閃きが生まれる。
(……もしかしたら! そうなると……先ほど倒したものの模様の色は……)
セアレウスは、かつて倒した謎の生物の姿を思い出す。
やがて、セアレウスは再び左手を突き出した。
狙いは自分の前方でわらわらと歩み寄ってくる群れの奥の一点。
「ウォーターブラスト! 」
その一点である一体の謎の生物目掛けてウォーターブラストを放った。
放たれたウォーターブラストは、謎の生物達の間にできた隙間を通り抜け、見事狙いの個体に命中した。
その個体の模様は青色。
ウォーターブラストが命中した瞬間、その個体はドロドロと溶け始めた。
「……! 」
その個体が溶けてゆく姿を見た瞬間、セアレウスは素早く後方へ振り返る。
彼女の視界に映ったのは、必死にウォーターブラストを放つレリアと、それを受ける一体の謎の生物。
その個体の模様の色を確認したセアレウスは――
「レリアさん! そいつに炎魔法を当ててみてください! 」
と、レリアに向けて叫んだ。
「……!? いきなり何を……」
そう言いつつも、ラム・ソルセリアの刀身には赤く燃える炎が宿っている。
咄嗟のことに困惑しつつも、セアレウスの指示をちゃんと聞き、即座に実行したのだ。
「アサルトファイアー! 」
レリアは炎を宿したラム・ソルセリアを天高く振り上げた後、前方目掛けて縦に振り下ろした。
すると、刀身から炎が離れ、赤い模様の謎の生物に襲いかかるかの如く向かっていく。
その謎の生物は全身を炎に包まれながら、ドロドロと溶けていった。
「溶けた!? セアレウスさん、これは一体どういうことですか? 」
「どうやら、この生物は一体一体が違う弱点を持つようです。そして、その弱点は額の模様の色で判断できます」
「模様の色……確かに。模様の色がバラバラですね」
レリアも謎の生物が個体ごとに、模様の色が異なることに気づいた。
「でも、模様で判断できるとは言っても……」
この時、レリアは険しい表情を浮かべていた。
彼女の目から見て、確かに模様の色が異なることは判断できる。
しかし、模様の色が何の色であるかの判断は難しいと感じているのだ。
「……レリアさん、わたしに提案があります」
そう言いつつ、セアレウスはレリアの背後に背中合わせの状態で立つ。
「わたしが弱点を見極めるので、あなたがその弱点をついてください」
レリアの表情を見て、セアレウスは弱点を判断する役と弱点をつく魔法を行使する役と分けることを考えた。
そして、五つの属性の魔法を扱えることから、後者の役をレリアに任せるのは、順当な判断だと言えよう。
「は、はい! 」
レリアは、セアレウスの提案を力強い返事で了承した。
彼女にとって故意ではなく、思わず出た声であった。
そうなったのは彼女にとって初めてだったからであろう。
この時、チラリとレリアが振り向けば、そこにあるのは頼もしい存在の背中であった。
謎の生物の弱点が個体ごとに違うことに気付いてからは、破竹の勢いであった。
セアレウスが弱点を判断し、レリアが弱点となる魔法を放つ。
この連携が上手く機能していることを示すが如く、謎の生物達は群れの内側からみるみると白い泥の塊へと変貌していくのだ。
群れに囲まれた時の絶望の状況が嘘のようである。
しかし、破竹の勢いも限界が見えてきた。
次々と白い泥に変貌していく中で、形を保ったままの個体がチラホラと現れ始めたのだ。
「くっ、光魔法も効かない」
その個体の模様の色は紫。
レリアが扱える五つの属性の中で、その個体の弱点となるものはなかった。
「紫……光魔法の弱点がいなかったことからすると、闇魔法というのは考えにくい」
ここまでで現れた個体の模様の色は紫を除いて、赤、青、緑、黄の四種類。
それぞれ、赤は炎、青は水、緑は風、黄は土の弱点を表していた。
「そうなると、考えられるのは……」
「……恐らく、雷魔法ですかね」
セアレウスの言葉の続きをレリアが言った。
雷魔法を行使した際に生まれる雷の色は、その多くが青色だ。
しかし、希に紫の雷を扱う者がいるとされている。
そのことをレリアは知っており、模様が紫の個体の弱点が雷魔法であると判断したのだ。
「弱点はつけませんね。仕方ありません。時間はかかると思いますが直接攻撃で倒しましょう。そして、一点突破で群れから脱出です」
模様が紫の個体は二人の周囲に、少なくとも二十体ほどは存在する。
一点突破で一方向の謎の生物を相手に戦うにしても、その労力は並みのものではないだろう。
「いえ、そんなことをする必要はありません」
ここで、今まで素直であったレリアがセアレウスに意見に反することを言う。
これに対し、セアレウスはレリアの言葉に耳を傾けた。
今までの過信や強がりからくるものではなく、ちゃんとした勝算があっての言葉だと判断したからだ。
「私は嘘をついていたです。実は扱える魔法の属性の数は五種類以上だったです」
そう言いつつ、レリアはラム・ソルセリアを地面に突き刺し、懐から一本の短剣を取り出した。
セアレウスはそれを見た時、短剣ではなく短剣の形をした何かであると思った。
何故なら、刀身は鮮やかな虹色で宝石のようで、切ったり突いたり実用的な使い方ができないと思ったからだ。
「この短剣の名前は、ラクロエルファ。ラム・ソルセリアと同じく、エルフェスペン発祥の短剣。魔法の触媒としては、ラム・ソルセリアよりも優秀で、上級の魔法を扱うことができるです」
レリアはラクロエルファを前方に突き出すと、刀身を横に傾ける。
その短剣の柄を握る右手とは反対の左手は、刀身にそっと触れさせた。
「今からやるのは上級魔法というわけではないですが、ラム・ソルセリアではできないことです」
レリアとセアレウスの周囲が吹き荒れ始める。
「くっ」
顔を手で庇ってしまうほどの強風が生まれた。
それは風魔法によるものである。
当然ながら、紫の模様を持つ謎の生物達は微動だにしていなかった。
「それは複数の属性の魔法を同時に扱うことです。今から私は、風と炎と水の三種類の魔法を同時に扱います」
やがて、レリアの正面に炎が生まれる。
そこに水の弾丸が放たれ、炎に焼かれて水の弾丸は白い水蒸気に変化する。
水蒸気は風に巻き上げられて、レリア達の上方で白い塊となった。
白い塊は大きくなりつつ、強風によって激しく渦巻く。
やがて、白い塊からバチバチと雷が発生し始める。
「そういうことですか! 異なる魔法を組み合わせることで、あなたは雷魔法を! 」
「そう! これが私の六種類目の雷魔法! 名づけてクリエイトサンダーです! 」
レリアがそう叫んだ瞬間、周囲の謎の生物達が強風によって巻き上げられる。
それらが向かう先は例外なく、風と炎と水の魔法によって生み出された雷雲。
謎の生物達が雷雲に放り込まれる度にバチッと激しい音が響き渡る。
やがて、強風が止み、雷雲が消え去ると、二人の周囲に白い泥が降り注いだ。
元の形のまま落ちてくる個体は存在しない。
「すごい……異なる属性の魔法を組み合わせて別の属性の魔法を生み出す発想もそうですが、それを実行できるなんて……」
セアレウスにとって、レリアのしたことは離れ業であった。
故に、セアレウスの目は未だに、レリアが生み出した嵐と雷雲が目に焼き付いたまま。
セアレウスは状況を確認することを忘れて、レリアが行った離れ業の光景に夢中であった。
「これでなんとかなったですね、セアレウスさん……って、どうかしたですか? 」
そう言って、レリアが振り向いても、未だにセアレウスはぼうっとした様子であった。
「……はっ! すみません! あまりにもすごかったので、つい見蕩れていました」
「……ま、まあ、見とれても仕方ないですね! うん」
レリアは僅かに顔を赤くすると、即座に顔を背けた。
この時、彼女が口にした言葉には、もう刺のようなものはふくまれていなかった。
2018年7月20日 誤字修正
発送 → 発想
すごい……異なる属性の魔法を組み合わせて別の属性の魔法を生み出す発送もそうですが、それを実行できるなんて……
↓
すごい……異なる属性の魔法を組み合わせて別の属性の魔法を生み出す発想もそうですが、それを実行できるなんて……




