三百三十一話 ゾンビ成らざるもの
ゾンビとは、動く死体のことを差す。
あらゆる生物が何らかの方法で、ゾンビに成り得るとされている。
ゾンビと聞いて多くの者が想像するのは、元の生物が人間――つまり、動く人間の死体だろう。
人の形を保ちつつ、その肉体は朽ちており、生者を求めて彷徨い続ける異形の存在。
それが多くの者が持つ一般的なゾンビのイメージだ。
「これが、ゾンビ……ですか」
レリアが、そう呟いた。
この直前、彼女は謎の生物の襲撃を跳躍で躱していた。
その跳躍は既に終了し、彼女は今、地面に足を付け、体の向きは襲撃者である謎の生物に向けられている。
右手には、得物であるラム・ソルセリア握られており、この僅かな時間の中で戦闘態勢に入っていた。
レリアは、すぐにでも攻撃を仕掛けるつもりである。
そんな彼女とは異なり、セアレウスはすぐに攻撃を仕掛けるつもりはなかった。
否、今のセアレウスには、攻撃を仕掛けるということが頭になかったのだ。
(これが、ゾンビ? 本や聞いた話の姿とはかなり違います……)
セアレウスは、襲撃してきた謎の生物の姿に違和感を感じていた。
レリアの光魔法に照らされる謎の生物は、人間のような形をしている。
二本の足で立ち、膝や肘などの人間と同じ関節を持ち、二本の手を振り下ろすことで攻撃をしていた。
このように人間と近い部分を見て、レリアはその生物がゾンビであると判断したのだろう。
しかし、この生物には人間の形をしている以外にも、突出した特徴を持っている。
それは体のある部分以外は真っ白で、顔が卵のようにのっぺりとしていることだ。
人型ではあるが、元が人間であったとは、思えない姿である。
(実際のゾンビを見たことがないので推測ですが、これがゾンビではないとすると、魔物ですか? いや、何か違う気がします。一体なんなのですか? )
セアレウスは、その謎の生物が未知の存在であると判断していた。
故に、迂闊に攻撃するという行動をとることができなかった。
(それに……額の部分にある模様。何故だか、異様に気になります)
謎の生物には、人型と真っ白い体以外にも特徴的な部分がある。
それは、額部分にある[V]のような形の青い模様だ。
小さいながらも、全身が真っ白であるため、目立って見えるのだ。
「セアレウスさん! つっ立っていないで防御するか避けるかしてくださいよ! 」
レリアの声により、セアレウスの全身に力が入る。
この時、セアレウスの目の前に謎の生物がおり、片腕を高々と振り上げていた。
セアレウスへ攻撃する寸前であり、ここまで彼女は謎の生物の接近に気が付いていなかったのだ。
なぜ、ここまでセアレウスが気付かなかったといえば、考え事のせいだと言えよう。
謎の生物が何者であるか、それを考えることに集中しすぎていたのだ。
「くっ! 気になりますが、考えるのは後にします! 」
セアレウスは、後方へ跳躍して、謎の生物の攻撃を回避する。
そして、考え事を後回しにすることを証明するかのように、左手のアックスエッジを持つのであった。
セアレウス達と謎の生物が対峙した同時刻――
ネリーミア達は、トナードの町のとある人物の家にいた。
その人物とは、メルヴァルドの依頼主であるこの町の長である。
ネリーミア達は、ゾンビ退治についての詳しいことを聞くために、ここに来ていた。
「これはこれは、法師殿。遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます」
家の使用人に案内された部屋で待っていると、細身の中年男性がやってくる。
その人物ことがトナードの町の長であろう。
町の長は、貫禄を感じさせる皺の入った顔をニコニコさせていた。
「む……」
しかし、ネリーミアの存在に気づいた瞬間、その顔つきは怪訝なものとなる。
それは、一般的なダークエルフをよく思っていない人間の反応であった。
「こちらは私の護衛をしてくださる者です。怪我をしておりますが、それでも腕が立ち、ここまで何度か彼女に救われました。信頼のおけるとても良い子ですよ」
町の長の顔を見るやいなや、メルヴァルドがそう口にした。
ネリーミアが噂通りのダークエルフではないことを説明したのである。
「法師殿がそう仰るのなら……」
町の長は渋々ながら、納得したようであった。
「ありがとう、メルヴァルドさん」
小声でメルヴァルドに感謝の言葉を伝えるネリーミア。
そんな彼女は平静とした表情をしていたが――
「いやいや、本当のことを言っただけだよ」
「あ、そんな、はは……」
思わぬメルヴァルドの返しに、その表情が崩れた。
ネリーミアは照れ笑いをする表情を見られるのが恥ずかしく思ったのか、顔を僅かに俯かせる。
「それで、依頼について詳しい話をしていただけますか? 」
「ええ、それはもちろんよろしいのですが……」
表情を曇らせる町の長。
依頼に関して、何らかの事が起きたことを連想させる不穏な様子であった。
「なにかあったのですか? 」
その何らかの事を説明するよう促すメルヴァルド。
ここで、ただならぬ空気を感じ、ネリーミアは顔を上げていた。
「法師殿に依頼したのは、ゾンビ退治でしたね? 」
「ええ、そのように伺っています」
「申し訳ないことに、ゾンビではありませんでした」
「えっ!? それはどういうことですか? 」
「実はゾンビだと思っていたものがゾンビではないようなのです」
驚くメルヴァルドに、町の長はそう答えた。
答えてくれたのだが、説明としては不明瞭で、メルヴァルドとネリーミアは首を傾げずにはいられなかった。
「すみません。まだよく分からないです」
「そう……ですよね。私も人づてに聞いた話なので、よく分かっていないのです」
町の長は苦笑いを浮かべつつ、そう言うと――
「ただ、この周辺地域がゾンビではない何かに脅かされているのは確かなことです」
と表情を神妙なものへ変えつつ答えた。
「はぁ、なんとなく分かってきました。ゾンビが現れたと思ったら、それはゾンビではない何かだったと。それで、今もその何かの存在に困らせている……ということですか? 」
「おおむねその通りでございます」
「ははぁ、なるほどねぇ……はぁ」
メルヴァルドは、ガックリと肩を落としつつ、ため息をついた。
その理由は――
(法師じゃなくてもいいじゃん……)
ということである。
町の長が退治してもらいたいのは、ゾンビでは何かである。
つまり、ゾンビではないため、法師としての力は必要ではないのだ。
悪く言えば、ここにメルヴァルドが来たのは、あまり意味の無いことと言えよう。
「うーん……いや、まだやれることはあるねぇ」
メルヴァルドは、ある方法で何か退治に協力することを思いついていた。
「冒険者とかは雇っていますか? その何かを退治するのに」
「ええ、複数の冒険者達を雇っています。ここから西、この島の最西端にある町を拠点に、冒険者達に退治してもらっています」
「そうですか。私の力で何かの退治に協力するのは難しいかもしれませんが、冒険者さんの傷を癒すことで協力することができますね」
メルヴァルドが思いついたのは、冒険者達の治療役である。
相手がゾンビではないため、戦闘ではあまり力は発揮することができない。
法師が扱う攻撃的な法術は、光属性の耐性が低いものには強いが、それ以外には効果が無いのだ。
戦闘には役に立てないということで、メルヴァルドは治癒術による治療で協力することを考えていた。
「お、おお! 依頼の内容が変わったというのに、協力してくださるのですか」
メルヴァルドの申し出に、感激した様子の町の長。
「私達法師は、ゾンビ退治だけが得意ではありませんので」
「ありがとうございます! ぜひ、お願いします」
頭を下げる町の長に対し、ニコニコと微笑むメルヴァルド。
(むしろ、戦うより戦場から離れた場所で、怪我人の治療をしていたほうが、こちらとしてはありがたいのよねぇ)
その心の内は、そんなことを考えていた。
臆病な彼は、戦闘に参加しなくてもよい状況を嬉しく思っていた。
「あの……質問をしてもよろしいですか? 」
ここで、今まで口を閉ざしていたネリーミアの口が開かれた。
「な、なんですかな? 」
少しの戸惑いを見せつつ、町の長が返事をする。
「そのゾンビではない何かの特徴をお聞きしても? 」
「はい。冒険者達の報告を話すことになりますが……まず、何かは人のような形で、全身が白いようです」
「人型で全身が白い……ネリィちゃん、そんな感じの魔物を知ってる? 」
「……いえ、知らないです。それに聞いたこともない」
外見的特徴を聞き、メルヴァルドもネリーミアも思い当たる魔物は存在しなかった。
「恐らく、新種の魔物でしょうな。退治に向かった冒険者達も、皆口を揃えて初めて見たと言っていました」
「そうですか。その他には? 」
メルヴァルドが町の長に訊ねた。
「あとは……武器による直接的な攻撃が効かないらしいです」
「なるほど。そうなると、魔法による攻撃が有効的ということですね」
「いえ、ダメです」
「「えっ!? 」」
町の長の思わなぬ返答に、メルヴァルドとネリーミアは驚愕の声を漏らした。
驚く二人の様子を見て、特に反応することなく、町の長は――
「何かに魔法は効果が無いそうです。倒すのならば、武器による攻撃を続けるしかないようです」
と、言葉を続けた。
「一人で一体を倒すのに五分以上はかかるそうで、多数の何かに囲まれた場合、ほぼ助からない……と聞いています」
「……ネ、ネリィちゃん」
青ざめた顔を隣にいるネリーミアに向けるメルヴァルド。
名前を呼ばれただけだが、ネリーミアは、彼の言わんとすることを理解していた。
「……」
しかし、ネリーミアは、メルヴァルドに言葉を返すことはなかった。
グッと何かを堪えるように、口を固く閉ざしているだけだ。
ネリーミアも、セアレウス達が危険な状況に陥っているのではないかと心配であった。
口を閉ざしているのは、泣き言を漏らしてしまう恐れがあるため。
ネリーミアは、セアレウス達が無事に帰ってくることを信じていたかったのだ。
レリアと謎の生物との戦闘がついに始まる。
先ほど、セアレウスへ向かったことで、謎の生物はレリアに対して、背中を向けている。
大きな隙を見せているこということだ。
レリアはこの隙を見逃すことなく、謎の生物に接近し、右の手に握られた剣 ラム・ソルセリアを振り下ろした。
「ん……? 」
謎の生物の背中を斬りつける途中、レリアは怪訝な表情をする。
ラム・ソルセリアを振り切った後、彼女は後方へと跳躍した。
この時、謎の生物はまだレリアに対して、背を向けたままである。
連続で攻撃できるにも関わらず、レリアは謎の生物との距離をとったのだ。
「剣は効かないですか。そういえば、ゾンビは直接的な攻撃に耐性があるという話もあるですね」
レリアの視線の先、謎の生物の背中には縦に伸びた浅い溝ができていた。
それは、レリアが振り下ろしたラム。ソルセリアの刀身が通った後である。
そこから赤い血がじわりと滲み出していた。
ダメージとしては、かなり小さいものだと言えよう。
レリアが連続で攻撃しなかったのは、剣による攻撃があまり効果がないと判断したからだ。
ならば、彼女が次に行うことは、魔法を行使することである。
「ゾンビには、光魔法ということですか」
レリアがそう呟くと同時に、ラム・ソルセリアの刀身が輝き出す。
それは証明用の光魔法の光を反射したものではない。
刀身から発せられる白い光による輝きであった。
「ホワイトアロー」
レリアは白く輝くラム・ソルセリアを横に振った。
すると、刀身の軌跡である光の帯から、三つの白い光の玉が生まれる。
三つの白い光の玉は横に並んで、ふよふよと浮かんでいたが、玉から矢の形に変化し、謎の生物へと飛んでいった。
三つの光の矢は真っ直ぐ飛んだ後、謎の生物に突き刺さる。
突き刺さった部分から白い煙を上がり、シュシュウと肉を焼くような音を立てている。
その様子を見て、レリアはニヤリと頬を吊り上げた。
彼女の光魔法ホワイトアローは上手くいったようであった。
しかし――
「え……」
突き刺さっていた光の矢が消えた瞬間、レリアは驚愕の表情を浮かべた。
何故なら、謎の生物の体はほぼ無傷であったからだ。
「……私程度の光魔法では効かない……いや、威力が弱かったにしろ傷はつけられるはず。まさか、光魔法が効かない? 」
光魔法の攻撃を受けて無傷であるということは、その魔法の属性に強力な耐性を持つということだ。
「光属性に耐性を持つゾンビがいるということ? なら、炎魔法で! 」
ラム・ソルセリアの刀身は、赤い光を放ち出す。
やがて、刀身は赤い炎に包まれ、激しさを増す度に刀身に沿って長く伸びてゆく。
彼女は、自分が行使する最大威力の炎魔法であるハイパーファイヤーソードを繰り出そうとしていた。
光魔法が効かなかったことがあまりにも予想外であり、レリアは焦っていた。
故に、最大威力の魔法を繰り出す考えに至ったのだろう。
それが準備に時間がかかるというデメリットがあるということを忘れて。
「……! 」
謎の生物はくるりと振り返ると、レリアに体を向けた。
そのすぐさま、レリアに向かって走り出す。
謎の生物は、彼女に攻撃を仕掛けるつもりであった。
「なっ……!? 」
謎の生物の動きは、真っ直ぐに走るだけの単純なものだ。
しかし、レリアは、反応が遅れてしまい、対処することができなかった。
彼女は魔法を準備している最中である。
そちらに集中力を使っていたため、その他のことの反応は鈍くなっていたのだ。
ちなみに、彼女が謎の生物の接近に反応したのは、一歩足を踏み出せば体に当たる距離。
中途半端に力が溜まった炎の剣を振ろうにも、それが叶わない距離にまで接近されていた。
「ぐううっ! 」
謎の生物の振り上げられた両腕を前に、レリアはグッと目を瞑る。
レリアは無防備な状態の今、大ダメージを受けることは避けられないと思っていた。
「ウォーターブラスト! 」
しかし、彼女の考える通りの結果にはならなかった。
「え……セアレウスさん」
レリアが目を開けると、水の塊に押されて吹き飛ぶ謎の生物の姿が目に入った。
そして、振り返れば、自分の後方で左手を前に突き出しているセアレウスがいた。
セアレウスによって、レリアは助けられたのだ。
「レリアさん、大丈夫で……えっ!? 」
唐突に、セアレウスが驚愕の表情を浮かべる。
「……? なっ……!? 」
何事かと振り返ったレリアも、セアレウス同様に驚愕の表情を浮かべた。
二人の視線の先には、地面に倒れた謎の生物がいた。
それを見て何を驚くことがあるのかといえば、その体にある。
謎の生物の体は、ドロドロと溶け始めていた。
驚愕する二人は、何故謎の生物の体が溶けているか理解不能であった。
さらに、ドロドロと体が溶けてゆく様を見て、不気味に思っていた。
2018年 4月30日 三百三十一話のはずが三百三十二話になっていたので修正。




