三百二十九話 草原に蔓延る魔物の群れ
太陽が地平線に沈み始めた頃。
セアレウス達の乗る船は、無事ウィンドリンに到着した。
彼女達の船が停泊した場所は、ノドウィンという町の港。
ゼプランシと比べれば小さな港町ではあるが、ウィンドリンにある町の中では二番目に大きい。
港から見上げれば、色鮮やかなレンガ造りの家々が立ち並んでいるのを見ることができる。
海から渡ってきた者でも、港に足を踏み入れた時点から、この町の形相を伺うことが容易にできるだろう。
セアレウス達がその形相を見て心を弾ませたのは、ほんの一時。
彼女達は、そさくさと港を出て町の中を進んでいった。
宿屋を探すためである。
夜が近いということで、この日は宿屋に宿泊することが決まったからだ。
「ふぃー、なんとか宿をゲットできたねぇ」
宿屋の中、食堂となる大部屋にて、メルヴァルドが大きく息を吐く。
町の中を奔走した結果、どうにか宿屋に宿泊することができたのだ。
その疲れにより、メルヴァルドはテーブルの上に上半身を乗せ、だらしない姿勢を取っていた。
「まったく。宿屋なんてどこも一緒でしょうに」
「まあまあ、そう言わず。結果的に綺麗な宿屋に泊まれたのですから」
レリア、セアレウス、ネリーミアもメルヴァルドと同じテーブルに座っていた。
「婦女子であっても、私は冒険者です。どこだって文句は言わないですよ」
「おー、流石レリアちゃん。心がけは立派ね。でも、それは最悪の場合にするのよぅ。さて、これからのことを話しましょうか」
そう言うとメルヴァルドは、体を起こした。
彼の口にした言葉と、その姿勢からセアレウス達の表情が硬くなる。
「明日、この町を出て北に向かい、トナードという町を目指しましょう」
「町に? 町に一体何の用があるですか? 」
「そこの町の長が依頼人なの。まず、その人から話を聞くのがいいと思うの」
「どの道実際に自分の目で見ることになるですよ。そんな手間をかけず、早々にゾンビ退治に取り掛かるべきでしょう」
「う、うーん、そりゃそうだけど……」
メルヴァルドが苦笑いを浮かべる。
セアレウスとネリーミアも同様であった。
この三人の中に、レリアと同じ考えを持つ者はいない。
「……ゾンビが出て、町の人達は困っているのでしょう? なら、一秒でも早くゾンビ共を退治するべきですよ」
そう言葉を続けたレリアは、相変わらず無愛想な表情であった。
そんな彼女の表情は、数秒経った後変化することになる。
「……確かに。レリアさんの言う通りかもしれませんね」
レリアの意見に同調した者が現れたのだ。
口にした本人であるレリアは、一瞬だけ目を見開いた後、同調の声を上げた人物に視線を向ける。
「ネ、ネリィちゃん? 」
その人物とは、ネリーミアのことであった。
メルヴァルドとセアレウスは、ネリーミアに顔を向けたまま、驚愕の表情を浮かべていた。
ネリーミアの発言は、彼女以外の者にとって意外なことであったのだ。
「……う、うん、そうだね。レリアちゃんの言っていることも正しい。でも、ゾンビを退治するために詳しい話をきかなくちゃじゃない? 数とか出没する場所とかさ」
「法術には、ゾンビのような不死者を探知するものがありましたよね? 」
「あるねぇ。でも、直でゾンビ退治しに行くのわねぇ。こう……危険っていうか……うーん」
メルヴァルドは唸り声を上げつつ、ブツブツと呟きだした。
彼は、真っ先にゾンビ退治に乗り出すのではなく、依頼人の話をまず聞くべきという考えを持つ。
それを二人に納得させるための説明を考えているのだ。
しかし、必死である彼には気の毒だが、一向に考えがまとまる気配はない。
メルヴァルドが考え込んでいる中、ネリーミは彼を見つめ、レリアは鋭い眼差しをネリーミアに向けていた。
「……」
そして、セアレウスは誰に視線を向けるわけでもなく、ただ黙り込んでいた。
否、彼女は考え事をしている最中であった。
まず、セアレウスが考えていたのは、依頼人に話を聞く必要性だ。
(ゾンビの数や出没場所も確かに必要だと思いますが、その他にも町の被害や負傷者の有無も気になります)
状況を把握するうえで、依頼人の話を聞くことは重要であるとセアレウスは考えていた。
よって、セアレウスはメルヴァルドの方針に従うべきだと思っていた。
ならば、レリアとネリーミアの説得の加勢に入るべきだろう。
しかし、セアレウスはすぐにそれをしなかった。
(それを分からないネリィではないでしょう。何故、レリアさんの方へ? )
本来、自分達と同じ考えに至るはずのネリーミアが、レリアの考えに同調したこと。
その理由が分からないからだ。
(ひょっとして、何か考えが? )
加えて、何かしらの考えがあっての行動ではないのかと疑っているからだ。
メルヴァルドのフォローに回れば、ネリーミアの考えを台無しにしてしまうかもしれない。
セアレウスは、そう思っており、迂闊に口を開けないでいた。
しかし、彼女はいつまでも黙っているつもりはない。
セアレウスは答えを求めるかのように、ネリーミアへ視線を向けた。
すると、ネリーミアは視線に気づき、セアレウスに顔を向ける。
それから間もなく――
「……! そうゆうことですか」
セアレウスは、そう呟いた。
意識的なものではなく、自然と口から出た言葉であった。
「え? セラちゃん、今なんて? 」
「いえ……ちょっと、わたしから提案がありまして」
「提案……って、今話してることの? 」
「はい。恐らく、わたしの提案が皆さんにとって一番納得のできるものになるかと思いますよ」
唐突に話に入ってきては、自信満々に提案を行おうとするセアレウス。
そんな彼女を見るメルヴァルドとレリアの反応は、良いものではなかった。
メルヴァルドは困惑を滲ませた表情を浮かべ、レリアは訝しむような顔をしていた。
ネリーミアはといえば、二人とは違った反応を見せていた。
彼女だけは、セアレウスに微笑みを浮かべていた。
セアレウスが視線を向けた時から変わらない微笑みであった。
ノドウィンとトナードの間は草原地帯である。
地面はなだらかで、急な坂などは一切見られない。
道を進む者にとって、寛容な大地であると言えよう。
この草原地帯には、茶色の地面がむき出しとなった一本の道が町から別の町へと続いている。
街道となる道が敷かれているのだ。
もちろん、ノドウィンとトナードの町の間にも存在している。
険しい環境ではなく、街道が敷かれているのだから、ノドウィンとトナードの行き来は楽なものだろう。
セアレウス達は今、この草原地帯を街道に沿って進んでいた。
宿屋で一夜を過ごし、朝になってからノドウィンの町を出発したのである。
そんな彼女達は、なだらかな地面に敷かれた街道を順調に進んでいる――
「うわああああああああ!! 」
ことはなかった。
草原地帯全域にまで届きそうなほど、大きな絶叫が発せられた。
声の主はメルヴァルド。
彼が絶叫をした原因は、周囲で牙を魔物の大群だ。
「ああもう! いちいちうるさいですね! 」
苛立ちの声を上げつつ、レリアが魔物の大群に向かっていく。
「だああってええええ、怖いんだもおおおん!! 」
「そんな感じはしてましたが……ここまで怖がりだとは……」
「まぁ……メルヴァルドさんは、魔物に対して戦う力はあまりないみたいだし……」
武器を構えるセアレウスとネリーミア。
二人は、メルヴァルドの傍に立ち――
「それっ! ネリィ、そっちにも来ていますよ」
「うん! そらっ! 」
彼を守りながら戦っていた。
「うわあああんみんながんばってええええ!! 」
メルヴァルドは絶叫を上げながら、三人を応援していた。
「しかし、門番の人が言っていた通り……いえ、それ以上ですね」
ノドウィンの町の門をくぐる際、セアレウス達は門番に言われたことがある。
それは、草原地帯に魔物が多く出没するようになったことだ
今、セアレウス達はそれを身を持って思い知らされている最中であった。
「うん。しかも、これほどの規模の魔物達に襲われるのは今日で五回目。運が悪いってレベルじゃあないね」
「魔物の大量発生……メルヴァルドさん、これってゾンビの発生と関係はありますか? 」
「うわああああ!! ないよ! むしろ、ゾンビが出たら魔物は減ると思うわああああ!! 」
「減る? それは、何故でしょうか? 」
「ゾンビは不死者。魔物とは違うひいいい!! こっちにも血が飛んできたあああ!! 魔物とは違うものだから共存はしないの」
「互いに争いが起きると」
「うん。それで、不死者は倒しにくいからっ! だいたい魔物が負けちゃうんだよね。あっぶね! うんち投げてくんのかよ……」
「なるほど。そういう理由で、魔物が減るのですか」
「ごちゃごちゃと喋っていないで、魔物を倒すことに集中してください」
レリアは、目の前にいる三体の魔物に向かって、手にした剣を横薙ぎに振るう。
彼女の手にした剣、ラム・ソルセリアの刀身は赤い炎に包まれている。
その剣で斬られた魔物達は、傷口から燃え上がる炎の熱に苦しみもがき、ほどなく絶命した。
「ちまちまやっていれば、日が暮れる。魔法を使います。三秒魔物共を食い止めてください」
そう言うと、レリアは後方へ跳躍し、セアレウス達の目の前にやってくる。
「足止め……この数では、わたし達も魔法を使う必要がありますね」
セアレウスは、水の塊を纏った左手を頭上でくるくると回転させる。
「セラは左側を。僕は右側の魔物を足止めする」
ネリーミアは、右手に持った剣、ラム・プルリールを前方へ向けた。
「水状鞭! 」
「マルヴァーグ! 」
そして、二人は同時に魔法を放った。
セアレウスは頭上で振り回されていた左手の水の塊は、長く伸びた鞭となり、魔物の大群の左側に襲いかかる。
ネリーミアの手にした剣から黒い霧状の闇の魔力が溢れ出し、大きな波となって魔物の大群の右側に向かっていた。
二人の放った魔法によって、魔物達はひるみ、四人を押しつぶさんとしていたその足を止める。
「ま、上出来ですね」
空に向けて剣を掲げるレリアがそう呟く。
彼女が持つ剣の刀身は赤い炎に包まれたままであるが、その炎は先ほどよりも大きくなっていた。
剣はおろか、レリアの身長の三倍以上の大きさとなっていた。
まるで、長大な赤い刀身の剣を持っているようである。
セアレウスとネリーミアに足止めを要求したのは、これを成すためであった。
「すごい……! あれほどの規模の炎を刀身にするなんて……」
「関心してないで、頭を伏せてください。頭斬れますよ? 」
レリアの言葉を聞き、セアレウス達三人は慌ててその場に伏せる。
「ハイパーファイヤーソード! 」
それから間もなく、レリアによって炎の大剣が振るわれ、彼女を中心に炎の大剣は一周した。
真っ赤に燃える炎の刃は、その周囲を赤く染め上げてゆく。
触れる者を例外なく焼き尽くし、炎の刃が通った後には、魔物の足など炎の刃に触れていない部分だけが残る。
炎の刃が一周回りきった頃には、もう周囲に動く魔物は存在しなかった。
「ふぅ……初めからこうするべきでしたね」
剣を包む炎を消すと、レリアはそう呟き、鞘に剣を収めた。
「次、魔物に囲まれたら、速攻で今の魔法を使うので、先ほどと同じように動いてください」
「……あ、はい。しかし、今の魔法は相当魔力を消費していそうなのですが、大丈夫ですか? 」
「あと十回はできるので、恐らくは問題ないでしょう」
「うへぇ、あんな凄いのまだ十回も使えるんだ……」
げんなりとした様子で、メルヴァルドが呟いた。
彼にとって、レリアの強さは途方もないもの。
凄いと喜ぶことを通り越して、呆れてしまうほどであった。
「これで魔物は片付いたし、トナードまでの道のりも険しくはないね」
「さ、早く行くですよ」
レリアは、そう言うと街道の先を目指してスタスタと言ってしまう。
「あ、ちょっと! あなたが護衛をする私を置いていかないで! 」
メルヴァルドは、慌てて彼女の後を追ってゆく。
「セラ、僕たちも……って、何をしているの? 」
セアレウスは、死体となった魔物達を眺めていた。
「……ん? ああ、はい。今、行きます」
どうやら考え事をしていたようで、ネリーミアへの返事は遅かった。
「何か気になることでもあったの? 」
ネリーミアは、自分の横に並んだセアレウスに、そう訊ねた。
「……逆に気にならないのですか? 」
「え!? どういうこと? 」
「バラバラだったことです」
「バラバラ? 魔物の種類のこと? 」
先ほどの大群に所属していた魔物達は種類がバラバラであった。
オオカミのような魔物もいれば、サイやゴリラ、巨大トカゲなど様々だ。
「……別に有り得ないことはないんじゃないかな」
しかし、種類が様々だからといって、珍しいことはない。
魔物同士で争うことはほぼなく、別の種類の魔物同士であってもそうだ。
このことは広く知られおり、一般的に気にするような事柄ではないことであると言える。
「いえ、そうではなくて、強さが極端にバラバラではありませんでした? 」
故に、セアレウスが気にしたいたのは、別のことであった。
「強さ……ごめん。よく分からないや」
「そうですか……」
「それで、その強さがバラバラって言うの? 何で気にしてるの? 」
「……なんと言えばいいか。その地域によって、そこに生息する魔物は一定な感じがあるじゃあないですか。先ほどの魔物達は、それが無いっていうか幅が広いというか……」
「余計に分からなくなっちゃったよ」
「ごめんなさい。上手く説明できません。なので、忘れてください」
そう言ったセアレウスだが、彼女が抱いた疑問は頭の中でグルグルと渦巻き続けていた。
その後、セアレウス達は、三回の魔物の大群との戦闘を行い、夕暮れとなる前にトナードに辿り着いたのであった。




