三百二十八話 ネリーミアの思い
世界で魔王と名乗る者が存在していたのは、もう数百年も前のこと。
現在では、当時の世界を記憶する者は、まず存在しないと言えよう。
しかし、今の人々は魔王が世界を支配する時代があったこと、またその時代の終わりとなったきっかけも知っていた。
何故なら、当時のことは人から人へと広まり、親から子へと世代を超えて語り継がれ、やがては本となり、今の世界において昔話や時代の一つとして知れ渡っているからだ。
現在の人々がその時代について知ることができるのは、魔王の悪行と勇者の武勇伝。
そして、魔族やダークエルフといった魔王の勢力下にあった種族のことだ。
どの世代においても、どの情報媒体においても伝える内容は変わることはない。
つまり、今も存在している魔族やダークエルフといった存在は、魔王が倒れ数百年経った今でも邪悪な存在として、多くの人々に認識されているのだ。
そんな種族の末裔となってしまった者、その大半が不幸であることは、想像するまでもないだろう。
「そ、そんな……」
絞り出したように掠れた声が、セアレウスの口から漏れ出した。
そんな彼女の視界には、ダークエルフとライトエルフの少女。
闇と光、対をなすそれぞれの属性の象徴となり得る二人がそこに立っていた。
それぞれの存在は珍しく、さらにその二人が揃って同じ場所にいることは、有り得ないと言っても良いほど希なこと。
故に、向かい合う二人を物珍しそうに見る冒険者は多くいた。
「どうしてそんなことをいうのですか? 」
そんな中、セアレウスはライトエルフの少女――レリアに問いかけた。
「どうして? さっき、言いましたよ。不浄が移ると」
レリアは全く悪びれる様子もなく、そう答えた。
「そんなことはありません」
そう言ってセアレウスは、ネリーミアの隣に立ち、彼女の手を握る。
握られたネリーミアの手は、セアレウスによって肩の位置まで持ち上げられた。
レリアに手が触れているところを見せるためである。
「ほら、触っても問題ありません」
「それはそうでしょうね」
「え……? 」
当然だと言わんばかりのレリアの物言いに、セアレウスは思わず間の抜けた声を出した。
すると、レリアは――
「私は、ライトエルフ。情けないことに、闇の力に弱い。つまり、闇の権化とも言うべきダークエルフに触れれば汚れ、弱体化してしまうです」
と言った。
その時の彼女の顔は、そんなことも知らないのかと馬鹿にするように、薄ら笑いを浮かべ――
「そんなことも知らないですか? 」
実際に口にしたのであった。
その彼女の発言を聞き、セアレウスは後方のメルヴァルドにチラリと視線を送る。
メルヴァルドはセアレウスの視線に気づくと、深い溜息をつきながら、首を横に振った。
彼の仕草から読み取れることは、レリアの言っていることは、確証の無い迷信であること。
そして、そうであるとレリアに納得させることが現状では出来ないことであろう。
「ええ、初めて聞きました。では、あなたは誰からその話を聞いたですか? 」
「父上と母上ですが、それが何か? 」
「いえ、ただ気になっただけです。ありがとうございます」
「はぁ……礼を言われるほどのことではないですけど。それで、その黒エルフさんは、本気で雇うつもりですか? 」
「黒エルフ? 」
レリアの発言に、セアレウスは僅かに首を傾ける。
黒エルフという言葉を耳にしたことがなかったのだ。
「ダークエルフのことです。ライトエルフは、そう呼びます」
「ああ、そうなのですか」
「で? 二度は言いたくありませんよ」
「もちろん、一緒に行くに決まっています。嫌ですか? 」
「嫌と言えば嫌ですが、足で纏いにならなければ……あと私に近づかなければ問題ありません」
レリアは、そう言うと――
「では、さっさと手続きをお願いします。せっかく、明日まで時間があることですし、多少の準備はしときたいので」
と、セアレウス達の返答を待つことなく、受付カウンターへ向かうでのあった。
「……問題あったねぇ。大丈夫? 今なら、間に合うかもしれないよ。あの子に、やっぱり雇うのをやめますって言うの」
呆然とレリアの背中を見るセアレウスに、メルヴァルドが声を掛けた。
「……わたしの考えでは、レリアさんを外すつもりはありません。しかし……」
セアレウスの顔が隣に立つネリーミアに向けられる。
未だにネリーミアは、顔を俯かせたままであった。
「ネリィ、レリアさんを雇うか雇わないか。最終的な決定をあなたに委ねます。どうしますか? 」
レリアの傲慢な態度で一番に被害を受けるのは、ネリーミアだ。
彼女を雇うか雇わないかの決定は、ネリーミアに委ねることが最適と言える。
「……あの子を雇おう。大丈夫。僕のことは気にしないで」
少しの間沈黙が訪れた後、顔を上げたネリーミアは、そう答えた。
彼女の答えが意外だったのか、メルヴァルドは僅かに目を丸くさせる。
セアレウスは頷きつつも、メルヴァルドと同様に少しだけ驚いていた。
レリアを護衛に雇う手続きが終わると、セアレウス達三人は宿屋へと戻った。
新たにメルヴァルドの護衛の一人となったレリアだが、三人と行動を共にはしていない。
護衛は明日からということになり、この日は三人とは別行動を取ることとなったのだ。
こうして、約半日間レリアの傲慢な態度に頭を悩ませることがなくなった三人は、この日宿屋で一日を過ごすことにした。
理由は、明日の出発に備えて体を休ませるためである。
メルヴァルドはともかく、怪我が治りきっていないセアレウスとネリーミアにとって、この半日間の療養は非常に有難いもの。
それでも、彼女達の腕が完全に治りきるには、まだ時間が掛かるだろう。
「ネリィ」
点々と輝く星が浮かぶ夜空の下、セアレウスは宿屋の屋上にいた。
彼女達が泊まる宿屋は、自由に屋上へ行くことができ、ゼプランシの町を見渡せる展望台となっていた。
そこに辿り着いたセアレウスは、先に来ていたネリーミアに声を掛けたのだ。
ネリーミアは屋上の柵に手を付きながら町を眺めており、声を聞くとセアレウスに微笑みを浮かべた表情を向けた。
「レリアさんのことを考えていたのですか? 」
そう言うと同時に、セアレウスがネリーミアの隣に辿り着く。
「まあね」
「本当にレリアさんを雇っても良かったのですか? 」
「良いよ……正直に言えば、あの子と一緒に旅をすることは、僕にとって辛いことだけどね。あの子といると僕にとって一番嫌な時期を思い出すから」
ネリーミアは夜空に顔を向けて、目を細くする。
彼女の言う一番嫌な時期のことを思い出しているようであった。
しかし、不思議と彼女は微笑んだままで、表情はあまり変わらない。
「一番嫌な時期……ひょっとして、ハンケンさんという方と会う前のことですか? 」
それでも、セアレウスは恐る恐るといった様子で訊ねた。
「うん。ハンケンと会う少し前。僕の記憶の中で一番古くて、一番辛かった時期のことさ」
それから、ネリーミアは自分の身に起きた出来事を口にしていった。
その内容は、まさにダーエクエルフとして生まれた者がするであろう体験の数々。
ダークエルフというだけで非難されたり虐げられたこと。
「親になってあげるって話もあったけど、結局は嘘で怪しいところに売り飛ばされそうになったこともあったなぁ……」
果ては、優しい言葉で誘導され、人身売買の商品にされそうになった話もあり、彼女の過去が壮絶であったことを一番に物語ってた。
ネリーミアの話をじっと聞くセアレウスもまた、悲惨な過去を持つ少女である。
「色々あったせいで、あの時の僕は凄くひねくれていたと思う。ハンケンに出会わなかったら、悪党になっていたかもね」
故に、ネリーミアの口にする大半のことが共感できるため――
「……」
彼女の言う悪党になっていた可能性について、そんなことはないというような気休めな言葉は口にしなかった。
セアレウスがただ黙って耳を傾けていると、ネリーミアが夜空から視線を外して、顔を彼女に向ける。
「ハンケンに出会って、兄さんに出会って、君に出会って僕は変わった。昔のことを思い出すと、改めてそのことを実感したんだ」
そのネリーミアの顔は、先ほどと変わらず微笑みを浮かべた優しい表情であった。
「……もうレリアさんを雇うことに関して、あなたに気を遣う必要はないようですね」
ここで、セアレウスはようやく理解した。
ネリーミアに迷いや不安などの思いがないこと。
「本当に大丈夫みたいですね」
そして、自分の心配が杞憂であったことを。
ネリーミアはセアレウスが思った以上に、強い心を持っていたのだ。
「あれ? もしかして心配してたの? 」
「はい。ネリィは、なにかと落ち込みやすい性格なので、今回もそうかと……」
「……否定はできないね。あんなことがあれば、僕が落ち込んでも不思議じゃない」
「おや? 何か他人事のような言い方……というより、なんで自分が落ち込まなかったか分からないのですか? 」
ネリーミアの物言いに違和感を感じ、ネリーミアはそう訊ねた。
すると、ネリーミアは少しの間、視線を夜空に彷徨わせた後――
「……落ち込まなかった……というより、あの子が可哀想だと思った……ね」
と、答えた。
所々で言葉を詰まらせており、自分の中で言葉を求めきれていない様子である。
つまり、明確な答えがないようであった。
「可哀想? 本当にネリィは、そう思ったのですか? 」
ネリーミアの答えは、セアレウスにとって理解のできるものではなかった。
「うん。自分でもなんでか分からないけど、そう思ったんだ」
「そうですか……」
やはり、ネリーミアの答えは曖昧なものであった。
二人は、それからしばらくの間、頭上に広がる夜空を眺め続けた。
この日はよく晴れており、ゼプランシの夜空に多くの星が散りばめられた宝石のように輝いている。
そんな光景を見ているにも関わらず、二人は神妙な顔つきをしていた。
――翌日の朝。
雲一つ無い青空の下、穏やかな海の上を一隻の船が北東を目指して進んでゆく。
その船には、セアレウス達三人と船を動かす船員、そして、冒険者ギルドで合流したレリアが乗っていた。
行き先は、ゼプランシから北東部に浮かぶウィンドリンという島である。
ウィンドリンとは地続きではないが、リーザイトの国内とされ、島には幾つかの町村が存在している。
この島も大半が草原地帯で吹く風が強く、島のいたる所に風車が建てられている。
同じような環境のため、リーザイトの本土の縮図と言われていた。
しかし、ウィンドリンにある湿地帯は本土には無い地域であり、数少ない島の特徴と言えよう。
「ネリィ。買った剣はちゃんと持ってきてますよね? 」
「もちろん。そういえば、まだ見せていなかったね」
船内にある一室に、セアレウスとネリーミアはいた。
そこは船内に設けられた共有スペースとなる場所だ。
室内には幾つかのテーブルが置かれており、食事や談笑など用途は多岐に渡る。
そのような場所で、セアレウスはネリーミアに購入した剣を見せてもらうこととなった。
「これが僕の新しい剣さ」
ネリーミアは腰に下げた鞘から剣を抜くと、それをテーブルの上に乗せる。
テーブルに置かれたのは、長剣と呼ばれる類の剣であった。
長さは所有者であるネリーミアの腕の長さほどで、刀身の両側に刃がある。
形状はよく見かける類の剣ではあるが、この剣には珍しい特徴があった。
「おおっ! 鍔と柄の先に宝石があります! 」
それは剣に宝石が埋め込まれている点だ。
セアレウスの言った通り、鍔と柄の先にキラキラと窓から入る日光を反射する宝石のようなものが取り付けられていた。
「その宝石みたいなのは魔石だよ。本来は魔法の触媒になる杖とかに付けられるものでね」
「ひょっとして、これは剣であり魔法の触媒……つまり、剣で戦いながら魔法が使えるというのですか? 」
「そう。君の言う通り、剣と魔法の両方を使って戦うための剣なんだ」
原則として、魔法を行使する際には、魔法の生成の手助けをする触媒となる存在が必要である。
武器と魔法の両方を駆使して戦うには、剣と魔法の触媒となる物を持てば実現可能となる。
刀と魔法の触媒となる扇を持って戦うことの多いキキョウが良い例となるだろう。
ネリーミアもこの手を使えば良いのだが、今の彼女は左腕を負傷しているため、片手は使えない。
そこで、彼女は武器と魔法の触媒の両方の役割を持つ剣を購入することにしたのだ。
「得意な闇魔法は触媒がなくても使えるけど、剣を使いながらだと手間がかかるらね。これからの戦いに役に立つと思ったんだ」
「なるほど。しかし、魔法が使える剣とは珍しいものがありましたね。名前とかは付いているのでしょうか? 」
「うん、確か――」
「ラム・プルリール。私の故郷エルフェスペンで作られた剣ですね」
ネリーミアの代わりに、テーブルに置かれた剣の名を口にする者が現れた。
「あ、レリアさん」
その者とはレリアで、セアレウスとネリーミアの座るテーブルに近寄ってきた。
「この剣を選ぶとは、ダークエルフにしては良い目を持ってますね」
「あはは、それはどうも」
ネリーミアは、自分達のテーブルの横に立つレリアに苦笑いで返した。
「レリアさんから見ても、これは優れた剣なのですか? 」
「厳密に言えば、優れていたと言えるです」
「優れていた? 」
レリアの発言に、セアレウスとネリーミアは首を傾げる。
「もうその剣は古いです。ラム・ソルセリアという最新型がもう作られているですよ」
レリアはそう言うと、自分の腰からひと振りの剣を抜く。
その剣は、ネリーミアのラム・プルリールと比べて、刀身が僅かに短い。
取り付けられた魔石の色も異なっており、それ以外の部分は似ていた。
「これがラム・ソルセリアですよ。そのラム・プルリールは低レベルの魔法しか扱えませんが、このラム・ソルセリアは中級の魔法も扱えます」
「えっ、そうなの!? 」
レリアの発言に、ネリーミアは驚愕の表情を浮かべる。
「……まさか、低いレベルの魔法しか扱えないことを今知ったのですか? 」
セアレウスがネリーミアに、そう訊ねると――
「……うん。魔法を使えるってことしか言われなかった」
ネリーミアは、どんよりとした暗い表情で答えた。
つまり、購入する際に細かい情報を聞かされていなかったのだ。
「は? 知ってて買ったわけじゃあないですか? ダークエルフは、頭も悪ですね」
「うぐっ……」
詳しく聞かなかった自分が悪いと思ったのか、ネリーミアに返す言葉はなかった。
「あと不愉快です。低レベルの魔法しか使えないことを知らない癖に、一丁前に改造なんかして」
「改造? ネリィ、この剣は改造されているのですか? 」
「うん。付いている魔石の色が黒いでしょ? 一応、闇魔法に特化させるように頼んだんだ」
ラム・プルリールに付けられている魔石の色は黒いに近い紫色。
この色の魔石は闇の魔法の生成にのみ効果を発揮し、従来のどの属性の魔法も扱える無色の魔石よりも強力な闇の魔法を生成できる。
つまり、ネリーミア専用のラム・プルリールと言えよう。
「エルフのために作られた剣とはいえ、ダークエルフ用にされるのは気分が悪いです」
「そんなことを言われても……というか、魔法を扱える剣でお店にあったのは、この剣だけだったんだけど……」
「それはそうですよ。まだ二作目と最新型はエルフェスペン国内でしか買うことができませんから」
「そ、そっかぁ。でも、闇属性の魔石が付いてるし、闇の魔法なら低いレベル以上の魔法も使えるよね? 」
「……使えるのでは? そのための改造でしょうに」
「だよね、使えるよね! 良かったぁ~」
レリアの発言を聞き、ネリーミアは安堵したようで、ホッと息を吐く。
そんな彼女をレリアはじっと見ており――
「どうしたのですか? 」
セアレウスが何事かと訊ねた。
「…‥別に。何でもありませんよ」
すると、レリアの口から答えは出てこなかった。
そして、さらに答えを要求する間もなく、彼女は部屋を後にした。
「あ、行っちゃった。少しだけ、レリアさんが分かったような気がします」
「そうだね。自分の興味のある話はしてくれるようだ」
先ほどのレリアとの会話は、馬鹿にされたことが大半である。
しかし、二人にとっては、レリアのことを少し知ることができた益のある会話だったと言えよう。
「まだ言葉にトゲがありますが」
「そのうち無くなる時が来るかもね」
二人は、レリアの仲を深めることに関して、僅かな希望を見出したのであった。
「そういえば、メルヴァルドさんが見当たりませんね」
「あー、あの人はダウン中」
「ダウン中? 何かあったのですか? 」
メルヴァルドの身に何かが起きたと、セアレウスは神妙な顔つきで訊ねる。
「船酔いだってさ。それで、船員の人……男性に看病されて嬉しそうだったよ」
「あ……そうですか」
ほどなく、セアレウスは安堵と呆れが混じった何とも言えない表情をするのであった。




