三百二十二話 重なり合う左手と右手
目を覚ますと、セアレウスは見知らぬ場所にいた。
まず目に入ったのは、白い壁。
自分がベッドの上で寝ていることから、その白い壁は天井のようであった。
そのことから、自分がいる場所がどこかの室内であることが分かった。
「セアレウス様、失礼します」
セアレウスがぼんやりと天井を眺めている中、誰かが部屋の中に入ってくる。
声のした方に目を向ければ、そこにはローブを羽織った女性が立っていた。
「あなたは……ここは、殿堂なのですか」
その女性が羽織るローブは、レリィスの部下が着ているもの。
セアレウスは自分のいる場所が新しい殿堂であると判断した。
「セ、セアレウス様!? 意識が戻られたのですか! 」
自分に顔を向けるセアレウスを見て、レリィスの部下の女性は驚き、慌てて彼女の元へ駆け寄る。
「はい、なんとか……痛っ!? 」
体を起こそうとした時、セアレウスは右腕に激痛が走ったのを感じた。
何事かと思い、セアレウスは、体の上に掛けられたシーツを捲り、自分の右腕を確認する。
すると、自分の右腕に大量の包帯が巻かれていることが分かった。
「右腕……そうか、あの時の」
セアレウスは、爆発した魔法に巻き込まれ、右腕を損傷したことを思い出した。
「レリィス様を連れて参りますので、少々お待ちください」
女性はセアレウスにそう答えると、部屋の外へ出ていった。
そこからしばらくすると――
「おおっ! セアレウス様、お目覚めになりましたか! 」
レリィスが部屋の中に入ってくる。
彼は部屋に入った後、セアレウスが座るベッドの側面で膝立ちになり、恭しく彼女の手を取る。
「このレリィス、御身を大変心配に思っておりました。いやはや、お目覚めになられて、本当に嬉しゅうございます」
「ご心配をおかけして、申し訳ありません。それで、どうしてわたしはここに? 」
やんわりとレリィスの手を振り払うと、セアレウスはそう訊ねる。
「それは昨日……ですね。旧殿堂の方から、爆発したような音が聴こえまして、ただならぬことが起きたと、部下に様子を見に行かせました。そうしたら、あなたが旧殿堂の裏手で倒れていたと」
「なるほど。それで、わたし達をここへ連れてきたのですね。ネリーミアさんは無事ですか? 」
「……ええ、無事ですよ。あなたが起きる数時間前に目覚めていましたよ」
「数時間前? 」
セアレウスは、部屋の窓に視線を移す。
そこから差す光は赤く染まっており、今が夕方であることが分かった。
「そうですか、良かったです」
セアレウスは、ネリーミアが無事であることを聞くと、ホッと息をつき胸を撫で下ろした。
「ただ、あなたと同様にあやつの左腕は損傷しています。治療を施し大事にはならなかったのですが、しばらくは動かすことはできないでしょう」
「……やはり、この右腕は動きませんか」
「はい、本当に残念です……」
「それは……仕方ありません。それで、ネリーミアさんに会いたいのですが、どこにいますか? 」
今、彼女がしたいと思うことは、ネルーミアに会うことだからだ。
「あやつなら、地下の牢にいます」
「そうですか……え? 今、なんと? 」
「牢屋ですよ。あやつは、絶対に許すことのできない罪を犯したので」
セアレウスは自分の耳を疑ったが、それは真実のようであった。
ネリーミアは今、牢屋に閉じ込められているのだ。
当然のことだが、先ほどまで寝ていたセアレウスには心当たりが無い。
「どうしてですか? ネリーミアさんが何をしたというのです」
故に、ネリーミアが牢屋に閉じ込めた理由を問いかけた。
「なんと! 被害を受けたご本人であるセアレウス様が知らないとは……よほど卑劣なやり方だったのですな。おいたわしや」
「だ、だから、何をしたというのですか! 」
「あやつは、あなたに攻撃をしたのですよ。その右腕も、ここで丸一日以上寝ていたのも、全てあやつの仕業なのです」
レリィスは、強い口調でセアレウスの問いに答えた。
彼は険しい表情をしており、口調と相まって、かなり怒っていることが伝わってくる。
そんな彼に対してセアレウスは、唖然とした表情を浮かべた。
彼の言うことに心当たりがないからだ。
しかし、すぐにどういうことが起きているかを理解する。
「ち、違います! あれは事故です! ネリーミアさんは悪くありません! 」
セアレウスは、レリィス達が誤解をしているのだと推測した。
「いいえ、それはありません。なにせ、あやつ本人が言ったことなのですから」
「なんですって!? 」
レリィスの言葉にセアレウスは驚愕する。
彼の言うことは事実とは違い、すぐに否定しようとしたセアレウスだが口を開くことができなかった。
(……有り得る。わたしに怪我を負わせたことが負い目になっているのですね。それで、自分がやった……自分が悪いのだと……)
ネリーミアなら言いかねないと思ったからだ。
しかし、それと同時に自分の周りの状況をある程度理解する。
そして、今自分がやるべきことは、やはりネリーミアに会いにいくことだと判断した。
セアレウスは、ベッドから飛び降り、ネリーミアの元へ向かおうとする。
「お、お待ちください! どこに行かれるというのですか!? 」
セアレウスの行動は、レリィスからしてみれば突発的なものであり、彼は驚いた。
「ネリーミアさんに会いにいくのですよ」
ふらふらとおぼつかない足取りで、部屋の扉を目指すセアレウス。
意識を取り戻したばかりで、体も充分に回復しておらす、上手く歩けないのだ。
「それはなりません。あやつに合うなど……ましては、その体でこの部屋を出歩くことは承認しかねます」
レリィスが正面に立ちはだかれ、セアレウスは足を止める。
「どいてください」
「いいえ、どきませんよ。その右手が治るまで、ここを出てはなりません」
「右手が動かないからって、歩けないことはないです」
「はぁ……そういうことではないのですがね。やむを得まい。この際、言わせていただきますよ」
「な、なんですか? 」
「あなたをあやつに合わせるつもりはありません。この部屋で右腕が完治した後、この島から出て行ってもらいます」
「な……」
セアレウスは驚愕し、開いた口から言葉を出すことができなかった。
「あやつは危険なのです。聖獣として、これ以上あなたを危険に合わすわけにはいかないのです。もうしばらく、あなたにはここに留まって欲しかったのですが……本当にやむを得ないことです」
「で、では、ネリーミアさんは、どうなるのですか!? 」
「……それは、あなたが知るべきことではありません」
セアレウスの問いかけに、レリィスはとても冷たい表情で答えた。
その表情はセアレウスに対してではなく、ネリーミアに向けたもの。
彼がネリーミアに何をするか定かではないが、碌なことをしないのは確かであった。
「く……」
その考えを持つセアレウスだが、咄嗟に反論することはできなかった。
レリィスを納得させる言葉が思いつかないのだ。
「ふぅ……」
押し黙るセアレウスを見下ろし、レリィスは一段落着いたと言わんばかりに息を吐いた。
「ご理解いただけましたかな? ならば、ベッドへお戻りください。立っていては、治るものも治りませぬ」
レリィスはそう言うと、セアレウスに背を向ける。
もう話すことは無いと、この部屋から出ていこうというのだ。
「はぁ……どうしましょうか。せっかく、課題を用意してやったというのに……」
部屋の扉に手をかけたところで、レリィスはそう呟いた。
「……! 課題? 待ってください、課題を用意していたのですか? 」
その呟きは、セアレウスの耳に届いていた。
「え? 聞こえていまいましたか」
セアレウスに呼び止められ、レリィスは彼女の方へ体を向ける。
「そうですよ。私はあなたを信じて、課題を用意していたのです。しかし、あなたは右腕、あやつは左腕を負傷しています。そんな状態では、到底こなす出来ないでしょう。はぁ……私の面目が……」
レリィスは、そう言うと肩を落として項垂れた。
課題を用意していたと言うことは、これからそれを断らなければならないのである。
言わば、引き受けた仕事を断るようなもの。
その相手と関係者からの評価は下がると考えるのが自然だろう。
「あと五日……その時まで何事も起こらなければ、すべて上手くいったのに……」
今、レリィスは、そのことに一番頭を悩ませていた。
「……なるほど! 分かりました! 」
そのセアレウスの発言は、活力に満ち溢れていた。
さらに、目をキラリと輝かせ、まっすぐにレィリスの目を見つめる。
「うっ!? 何が……分かったのです? 」
セアレウスの予想外の反応に、レリィスは怯み、一歩後ろへ下がってしまう。
(しまった……また、とんでもないことをお考えしていらっしゃる)
さらに、彼女が自分にとってよからぬことを言い出すと予想し、顔を引きつらせた。
「ふふふ、その課題、問題なく引き受けることができますよ」
「そ、そう言い張る根拠はあるのですか? 」
「勿論です。だから、そこを通してください」
「な……何がだからなのですか!? 根拠を説明されていないではありませんか! 」
レリィスはそう声を上げると、扉の前で大の字に立つ。
「い、いえ、どんな根拠を説明されてもここを通すわけには……あやつに会わせることはできませぬ! おーい、誰か来てくれーっ! 」
なにがなんでも、セアレウスを部屋の外へ出さないつもりであった。
(説得は、もう無理そうですね。では……あまり言いたくはありませんが、仕方ありませんよね? )
セアレウスは、レィリスを絶対に従わせる方法を思いつき、嫌々ながらそれを実行する。
「そこを通して……いえ、わたしの言うことに従うのなら……に、兄さんに素敵な聖獣がいると言って差し上げましょう」
その方法とは、イアンにレリィスのことを話して評判を上げてやろうと言うことであった。
彼のみならず、聖獣はイアンを特別な存在として扱う傾向がある。
レリィスはそれが人一倍強く現れており、セアレウスはそれを利用することを考えたのだ。
しかし、これは自分の立場を利用した方法で、実行した本人であるセアレウスは、あまりいい気分ではなかった。
「何を言うかと思えば……失礼を承知で申し上げますが、私を舐めて貰っては困ります」
不敵な笑みを浮かべながら、レリィスはそう答えた。
流石は聖獣と言ったところである。
「……というのは、建前でございます。出来れば魔法に長けたことを強調し、困ったことがあれば、真っ先に私を頼るようにと行ってくだされたら幸いです! 」
イアンの妹であるセアレウスに従順であった。
レリィスは素早く道を開けると、恭しく深々と頭を下げた。
イアンの自分に対する評価があると聞き、彼女を止めていた何もかもがどうでも良くなってしまったのだった。
「し、しかし、課題を引き受けるにしても、もう少し療養して頂かなければ、私めは不安でございます……」
「そこは安心してください。少し準備することがあるので」
セアレウスは、扉に手をかけ――
「それと、今後私のやることに口を出さないようにしてもらえると助かります。従って下されば、もっと頑張りますよ……」
と、レリィスに言ってから部屋の外へ出た。
レリィスが彼女の言葉に異を唱えることが無かったのは、言うまでもないことだろう。
部屋を出たセアレウスは、牢屋があるとされつ地下へ向かう。
そこに辿り着き、ネリーミアが入れらた牢屋を探すと、時間をかけることなく見つけることができた。
数ある牢屋の中に明かりが灯されたところがあり――
「ネリーミアさん! 」
そこにネリーミアはいた。
牢屋の中の彼女は、壁に寄りかかって座っていた。
衰弱している様子は見られないがセアレウスの右手のように、彼女の左腕は包帯で巻かれていた。
「え……セアレウス? 何故、ここに? 」
セアレウスの声を聞くと、ネリーミアは顔を上げた。
その時の彼女の表情は、信じられないと言わんばかりに唖然としたものである。
「あなたに話があるからですよ。まず――」
「ぼ、僕のほうこそ! この際だから、言わせて欲しい! 」
セアレウスの声は途中でネリーミアの声に遮られる。
「ごめんなさい! 僕は君を傷つけてしまった! 課題を用意されていたのに、それも台無しにしてしまった! 」
そうまでして、ネリーミアがしたかったことは謝罪であった。
彼女は牢屋の中で膝を折り畳むと、額が床についてしまうほど頭を下げる。
「僕はどうしても強くなりたかった。君達と一刻も早く肩を並べたくって焦っていた。それで、僕は君の言うことを聞かなかった。全部僕のせいだ」
頭を下げたまま、ネリーミアはさらに言葉を続ける。
「僕は。これから、僕はここで罪を償う。君は……この島を出て、自分の修行に励んでくれ。本当に申し訳ない……」
ネリーミアは、魔法の爆発の一件で罪を意識を感じていた。
それ故に、自分がセアレウスに攻撃をしたのだとレリィス達に言い、自ら牢屋に入ったのだ。
それで自分の罪を償うために。
しかし、これはセアレウスの望むことではない。
「わたしが兄さんと出会って間もない時‥…」
数十秒ほどの沈黙の後、セアレウスはおもむろに口を開いた。
ネリーミアは何を言うのかと疑問に思いつつも、彼女の言葉に耳を傾ける。
「わたしが先走ったばかりに、兄さんを危険な目に合わせたことがあります。なんとかなりましたが、その時のわたしもあなたのように、とても申し訳ない気持ちになりましたよ」
「君に限って、そんなこと……」
「残念ながら、本当のことです。その時、兄さんはわたしを許してくれました。わたしもあなたを許します……というより、元からあなたを責めてはいません」
「でも……」
「なので、あなたがすべきことは、ここに閉じこもることではありません」
セアレウスは持っていた鍵で、牢屋の扉を開けると中に入る。
その後、ネリーミアの肩にそっと触れる。
ネリーミアは、セアレウスの手を拒むことができず、彼女の思うままに伏せていた体を起こす。
「さ、ここを出て特訓ですよ」
セアレウスはネリーミアと顔が合うとそう言った。
「特訓? 左腕が動かないんだ。ゼロ属性の生成はできないよ」
「違いますよ。私達が特訓するのは、二人で戦うことです」
「二人で戦う……だって? 」
ネリーミアは、セアレウスの言うことが分からなかった。
「あともうすぐで課題に出発するんですよ。それまでに、二人で強力する戦いを特訓しなければなりません」
セアレウスとネリーミアは、共に片腕が動かせない状態にある。
そのような状態では、満足に戦うことはできないだろう。
セアレウスはそんな状態であっても戦える方法はないかと考え――
「わたしが左腕で、あなたが右腕。二人が一人となれば、片腕が動かないからってへっちゃらですよ」
二人一組となって戦うことを思いついていた。
「特訓の時間は多くはありません。さぁ、早く修練場へ行きましょう」
セアレウスは立ち上がると、ネリーミアに手を差し伸べた。
しかし、ネリーミアは手を握り返すことはなく、顔を俯かせる。
「でも……僕は過ちを犯したんだ。それを償わないと……」
セアレウスが許されてもなお、罪を償おうとしていた。
ネリーミアはまだ、自分を許せないでいたのだ。
故に、セアレウスが許そうとも、どんな言葉を言おうとも、彼女はここから出ようとすることはないだろう。
「……そうですか」
セアレウスにもその意思は伝わり、彼女を説得することを諦める。
しかし、彼女を牢屋から出すことは諦めていなかった。
セアレウスはネリーミアの右手を取り、彼女の体を引っ張り上げる。
「あなたが何を思うと自由です。しかし、特訓には付き合ってもらいますよ」
その後、左手に取った彼女の右手を握り締めると、牢屋を飛び出した。
「え!? ちょ、ちょっと! 」
ネリーミアはセアレウスに牢屋から連れ出される。
抵抗しようにも、走るセアレウスに右手をしっかりと握られ、自分も走らざるを得なかったのだ。
二人は、地下を抜けて殿堂を飛び出し、あっと言う間に森林の中へと入ってゆく。
「や、病み上がりのはずなのに……それより、僕は罪を――」
「まだ言いますか? なら、罪を償ってもらいますよ! 」
「な、なら……」
「これからわたしの特訓に付き合い、課題を引き受けて絶対に成功させる。出来なければ、一生恨みますからね。絶対に許しませんよ」
「え、ええっ!? そんな勝手な……」
「そうです。わたしは勝手です。精々(せいぜい)、罪を償いながら後悔することですね」
セアレウスは顔を振り向かせると、得意げな表情でそう言った。
(……ははっ、参ったよ。僕の気も知らないで……全く、兄妹揃ってちょっと強引なんだから)
その顔にイアンの面影を見たネリーミアは、もうセアレウスを拒むことはできなかった。
「分かったよ。全力で罪を償わせてもらうよ」
ネリーミアはセアレウスにそう言うと、笑みを浮かべて彼女の左手を強く握り返した。
「ただ、正直まだ気持ちは揺れてるんだ。もう少し、このまま僕を引っ張っていて欲しい」
「お安い御用ですよ」
改めてネリーミアの右手をしっかりと握ると、セアレウスは顔を前方へ向ける。
さらに、走る速度は上がったのだが、ネリーミアが苦に思うことはなかった。
(決めたよ。僕は、君の右腕の代わり……いや、右腕そのものになる。君が僕を支えてくれる以上に、僕は君を支えてみせるよ)
それは、彼女に新たなも目標が出来たからであろう。




