三百二十一話 焦りの代償
ネリーミアはセアレウスの指導の元、ゼロ属性の生成を行う修行をすることとなった。
しかし、すぐにゼロ属性の生成に取り掛かることはない。
ゼロ属性は、均等な力を持つ光の魔法と闇の魔法を混じり合わせることで生成される。
つまり、光と闇の魔法を同時に使用しなければならない。
加えて、長い間魔法を維持する必要がある。
ゼロ属性を生成できるまでに、準備段階として、二つの属性を同時に使用する技術を極めなければならない。
最初から出来るのであればやる必要はないが、ネリーミアにはそのような技量はない。
故に、今の彼女が行うべきは、光と闇の魔法の同時使用の練習である。
修練場に立つネリーミアは、左右の腕を前方に突き出している。
右手には何も持っていないが、左手には錫杖を持っていた。
それぞれの手のひらの上には、魔法で作られた球体がフワフワと浮かんでいる。
右手のひらには、闇魔法マルスフィールによって生み出された闇の球体。
左手にひらの錫杖のさらに上には、光魔法ホーリースフィアによって光の球体が生み出されていた。
どちらも握り拳ほどの大きさで、綺麗な球の形をしている。
今のネリーミアが行っている修行は、この二つの玉を出し続けることである。
やっていることは、ただ魔法を出し続けることで単純なことだ。
しかし、二種類の属性を同時に扱うという条件が足されることで、難易度は一種類の属性の魔法を使うよりも遥かに高いものとなる。
「……うっ! 」
ネリーミアの口から、呻くような声が漏れ出す。
その時、右手の闇の玉は倍に近いほど大きくなり、左手の光の玉は消滅していた。
言うまでもなく、これは失敗である。
長時間続けていたのなら、成功と言ってもよいのだろうが、ここまで維持できたのはニ分ほど。
目標は十分に定めており、比較するまでもなく、目標達成には程遠いものであった。
「どうやら、今のあなたの限界は二分のようですね」
近くで見ていたセアレウスがネリーミアに声を掛ける。
「悔しいけど、そうみたいだね。複数の属性の魔法を扱えるのと、複数の属性の魔法を同時に扱えるのがだいぶ違うことを思い知らされたよ」
「しかし……これで二十回目になりますが、いつも闇魔法の方に力を入れてしまうようですね。光魔法が闇魔法に負けていると言ってもいいでしょう」
セアレウスの言う通り、ネリーミアは毎回同じ失敗を繰り返していた。
ネリーミアは、闇魔法が得意で光魔法が苦手という典型的なダークエルフの性質を持つ。
異なる属性の魔法を同時に扱うという複雑な作業の中、どうしても得意な闇魔法に力が寄ってしまうのだろう。
「そこで提案です。もう少し魔法の出力を下げてみましょう。弱い光魔法の力に闇魔法の力を合わせことを意識するのです」
端的に解決策を上げるのであれば、両方の属性の力を均等にすることである。
それを実現するには様々な方法があるのだが、セアレウスの提案した魔法の出力を下げることが今のネリーミアには、一番適した方法だろう。
苦手な光魔法は力が出しにくい傾向があるため、そちらに闇魔法の力を合わせることで、均等になるようにするのだ。
「……いや、もう少しで出来そうな気がするんだ。もう一回、今までのやり方でやってみるよ」
ネリーミアはそう言うと、再び左右それぞれの手で、光と闇の球体を生成する。
先ほどと同じように、どちらの球体も拳ほどの大きさである。
ネリーミアは、セアレウスの提案に乗ることはなかった。
「……く、ぐっ! 」
しばらくすると、また闇の球体の方が大きくなり、光の球体は消滅した。
しかし――
「よ、よし! セアレウス、ちゃんと測っていたよね? 三分を越えることができたよ」
先ほどより維持できた時間が長くなっていた。
「あ、はい……ちゃんと数えていました。でも……」
「うん、ちゃんと上達している。この調子で、目標の十分に辿り着いて見せるよ」
「……その調子ですが……」
ネリーミアに何事か言おうとしたセアレウス。
ふと、空を見上げると太陽が真上の位置にまで到達していた。
「ネリーミアさん、昼食ついでに休憩しましょう」
「僕は、まだお腹は減ってないから、後でいいよ。あと、良い流れが来ているから、どんどんやるべきだと思うんだ」
またも、ネリーミアはセアレウスの提案を受け入れることはなかった。
ネリーミアは両手を上げると、再び光と闇の球体を生成し始める。
「……分かりました。先に休憩を取ります」
仕方がないと言わんばかりに、セアレウスは修練場を去っていく。
今のネリーミアは張り切っており、意欲的に修行を行っている。
それを邪魔するような気がして、提案を受け入れないことをよく思わなくても強く言えなかった。
結局、ネリーミアはセアレウスに遅れて三時間後に昼食をとるが、その日、彼女が休憩したのは、その昼食の時だけであった。
二つの魔法を同時に使用し、それを維持する修行が始まってから五日後――
「くっ! で、できた! 」
ネリーミアは十分間の間、生成した光と闇の二種類の属性の魔法を維持することに成功した。
ただ続けるだけではなく、ゼロ属性生成に必要な二種類の属性の魔法の力を均等にすることもできていた。
さらに、以前は限界が来たときに、暴発するかのように闇魔法の力が膨れ上がり、光魔法が急激に消滅していたが、今はそれが起こる前に自分の意思で中断できるようになっていた。
つまりに、ネリーミアは二種類の属性の魔法を行使する能力がかなり上達していた。
十分間はまだ短期間であり、この能力を実戦に使うにはまだまだ未熟であるが、五日という短い時間でここまで上達できたのは、大きな成果であると言えよう。
「よし! セアレウス、早速……う…あ? 」
ネリーミアがセアレウスの方へ歩み寄ろうとした時、彼女はグラリとよろめくと前のめりに倒れた。
この五日間、彼女は修行に没頭し、ほぼ就寝時にしか休憩を取っていない。
その就寝も少ない時間であった。
この無茶をしたからこそ、ネリーミアはかなり上達できたのだ。
そして、十分という目標を超えた瞬間に、無茶をしてきた代償が万を辞したと言わんばかりに訪れたのであった。
「ネリーミアさん。言わなくても分かると思いますが次の修行のゼロ魔法の生成は、まだやらせられません」
セアレウスはネリーミアに歩み寄り、助け起こしながらそう言った。
ここまで、彼女の無茶に目を瞑っていたセアレウスだが、流石にこれ以上の無茶をさせられなかった。
「く……ま、まだ…」
ネリーミアは、自力で立とうと体に力を入れるも、それが叶うことはない。
セアレウスに肩を貸してもらうことで、なんとか立てる状態であった。
「今日……しばらくは、ゆっくり休みましょう」
セアレウスはネリーミアの体を支え、旧殿堂の方へ歩き出す。
うまく体が動かせないネリーミアに合わせているため、その歩みはゆっくりである。
「無茶をしすぎです。これからは、自分のためにもほどほどにしてください」
歩く中、セアレウスはそう口にした。
たしなめるような言葉を並べたが口調は優しいものである。
(恐らく、他と比較して自分が出来ていないだと思い込んでいるのでしょう。それで、少しでも早く出来るようにと焦っている)
セアレウスは、ネリーミアのことを心配に思っていた。
そんな中で、先ほどの言葉はようやく口にできたものであり――
(ここで、ネリーミアさんに響く言葉をもう一言だけ言いたいところなのですが……何と言えばいいのか……)
それ以上は言葉が思いつかず、開こうとしている口は閉ざしたままであった。
「……うん」
セアレウスが言葉を口にしてからしばらく経った後、ネリーミアは頷いた。
時間がかかったのは、焦る自分とセアレウスの言葉に納得する自分で葛藤があったのだろう。
セアレウスはネリーミアの返事を聞くと、歩くことに集中する。
ひとまずは、大丈夫であると思ったのだ。
それが思い込みであるとは知らずに。
魔力を使いすぎたことにより、疲労した体が回復するのを待つこと三日。
ネリーミアは、自分の体をいつもの状態に戻すことができた。
セアレウスから見ても万全の状態であったため、ゼロ属性の修行はその次の日から行うこととなった。
そして、初めてゼロ属性生成に挑戦するこの日、谷底にある修練場は何時にもまして仄かに薄暗い。
この日は、陽の光が遮られた曇りの日となっていた。
「今日は曇りですか」
修練場から空を見上げると、セアレウスはそう呟いた。
その時の彼女の表情は、どこか暗いものであった。
「ネリーミアさん、もう一度確認しますが体調はどうですか? 」
しかし、セアレウスが顔を下げ、ネリーミアに視線を向けた時には、明るい表情となっていた。
曇り空を見て、自然と暗い気持ちになっていたのだろう。
暗い表情をしていたのは、空を見上げていた一時の間だけであった。
「うん、バッチリだね。むしろ、いつもより調子がいいよ」
「なら、ゼロ属性の生成に挑んでも問題はありません。早速、始めたいのですがその前に」
セアレウスは留水操により、大量の水流を自分の周囲に漂わせる。
「……? それは? 」
「万が一のための備えです」
「では、早速始めましょう」
セアレウスがそう言うと、ネリーミアは右手で闇魔法の球体、左手で光魔法の球体を生成した。
その二つの球体は、共に握り拳よりも一回り大きい大きさをしている。
闇と光の属性の力の大きさが均等であることが見て取れた。
「良いですね。では、その二つの魔法を重ね合わせてください。一気にするのではなく、ゆっくりお願いします」
「うん、分かったよ」
セアレウスの指示に従い、左右の手をゆっくりと自分の胸の前へ動かし始める。
白と黒の二つの球体が近づいていき、やがてその二つが接触する。
その瞬間、二つの球体の間でバチりと火花を散らすように、接触した部分が勢いよく弾けた。
「……!? 」
ネリーミアは苦悶の表情を浮かべると、近づいていた左右の手を離れさせる。
弾けた衝撃により、強制的に手が離れてしまったのだ
「弾けた……というより反発? 互いの属性が反発してしまったのでしょうか」
「どうすれば良いと思う? 」
「……なんとも。ただ、反発するのは不味いと思います。こう……うまく言えませんが、中和させるようにしないと……」
「中和か……」
ネリーミアは再び、二つの球体を近づけさせる。
何度かそれを繰り返していくが――
「くっ……うまくいってくれない」
必ず反発は起こり、セアレウスの言うような中和がされるようなことはなかった。
「どうしましょうか……」
何度も失敗を繰り返すネリーミアを見つつ、セアレウスは考えに耽る。
セアレウスの今までの考えでは、ゼロ属性は生成は、二つの同じ力の大きさの属性の魔法を重ね合わせることで自然と出来上がるもの。
しかし、実際にやってみれば二つの属性は互に反発しあい、彼女の考えていた結果に辿り着くには、程遠く感じられた。
(ゼロ属性の生成には危険が伴う……まさか、それは反発することだったのでしょうか。なら、このまま続けるのは……)
ひとまず考えをまとめあげると――
「ネリーミアさん、一旦中断しましょう。今の方法では恐らく上手くいかないので、別の方法を考えましょう」
ネリーミアにそう言った。
今の方法では上手くいかないと判断し、別の方法を考えることにしたのだ。
「……いや、このまま続けるよ」
しかし、ネリーミアはセアレウスとは違う考え方をしていた。
「君のゼロ属性は知識は、本を読んで得たもので、実際にやってもいないし、出来るところも見ていないだろ? もしかしたら、これが正解かもしれないじゃあないか」
「それは……いえ、もっと慎重にいかないと……」
「まだ失敗だとは限らないよ! この反発だって! 」
ネリーミアはそう言うと、反発し合う衝撃に耐えながら、二つの魔法の球体を近づけてゆく。
無理やりやっているせいか反発で生じる衝撃は、二つの魔法の球体が近づいていく度に強くなっていく。
「こうやって……やれば、上手くいく……じゃないか……」
今のネリーミアは、どう見ても無理をしている様子でゼロ属性の生成に取り組んでいた。
「それは無茶です! 今すぐにやめてください! 」
故に、セアレウスは彼女にゼロ属性の生成を中止するように呼びかける。
「危険だってことは分かっているよ! でも、僕は皆のように強くならなくちゃいけないんだ! 僕みたいな奴が強くなるには、無理の一つや二つ……それ以上をしないといけないってことぐらい自分で理解しているよ! 」
「それは……わたしは、そういうつもりでここに来たのでは……」
二人が言い合いをする中、反発し合っていた二つの魔法の球体が灰色の光を放ち始める。
バチバチと反発し合うのは変わらないが進歩と言える変化はしていた。
「……! この力は知らない……セアレウス、出来たよ! これがゼロ属性! 僕はやり遂げたんだ! 」
自分の左右の手の中で激しく輝く灰色の光に、ネリーミアは歓喜の声を上げる。
セアレウスは、ゼロ属性の生成をあくまでも光の属性の生成を上達する過程であると言っていた。
しかし、ネリーミアは少し違う思いがあり、彼女はゼロ属性を自分の新たな力になると思っていた。
(すごい……話に聞いていた通りの強力な力だ。これをもっと上手く扱えるようになれば、あの二人にだって……セアレウスにだって負けない。兄さんも守ることができる)
それをようやく自分の物にしたのだと思い、これ以上にないほど嬉しく感じているのだ。
「まだ反発は続いています! 気を緩まないでください! 」
それと同時にセアレウスの言葉通り、ネリーミアは思わず気を緩めて魔法の手中を怠ってしまったのだろう。
「え……うっ!? そ、そんな! 」
灰色の輝くを放っていた光は、黒と白が混ざり合った光に変化し始めた。
その混ざり方は滅茶苦茶で、さらに光の色を細かく言えば、黒と白も斑模様をしている。
形は崩れあちこちが突き出しているような複雑な形となり、大きさも彼女の左右の手に収まりきらないほど大きくなる。
安定しているとは言い難く、見る者に危機感を与えるほど不安定であった。
「早く力を抑えてください! 」
「ぐっ……! む、無理だ! 僕の意思に関係なく、力がどんどん大きく……う、うあっ! 」
その瞬間、ネリーミアの左右の手の中にあった斑模様の光は急激に膨れ上がる。
彼女の制御から完全に離れ、暴走状態に変化する一歩手間での状況であった。
「に、逃げて、セアレウス! 」
この時、ネリーミアはセアレウスに逃げるよう呼びかけた。
暴走した魔法を抑えきれない以上どうすることもできない。
ネリーミアは、せめてセアレウスを巻き込まむまいと、咄嗟にそう声が出たのだ。
「逃げませんよ! あなたを置いて! 」
しかし、彼女の言葉にセアレウスは従わなかった。
逃げる代わりに、留水操で漂わせていた水流をネリーミアに目掛けて放つ。
「僕のことは――」
セアレウスが動いたのと同時に暴走した魔法が爆発。
放たれた水流に押し流されたことにより、ネリーミアが爆発に巻き込まれたのは、ほぼ一瞬の間だけで済んだ。
しかし、今度はセアレウスに迫りつつあった。
爆発した魔法は球状に広がることなく、ネリーミアの正面にいたセアレウス目掛けて放射状に伸びていったのだ。
放射状のそれは、闇の魔力と光の魔力が反発し合う混沌とした魔力の塊だ。
その中に巻き込まれてしまえば、ただでは済まないだろう。
「失敗したゼロ属性……なら、わたしの水魔法で! 」
セアレウスは留水操で、自分の正面に水流の壁を生成する。
放射状に伸びた魔法の爆発を防ごうというのだが――
「な、なんですって!? 」
水流の壁は柔らかい土のように削られていってしまう。
セアレウスの力では止められないほど、強力な力であったのだ。
防御することを諦め、咄嗟に真横へ跳躍するものの――
「み、右腕が……あああああっ! 」
右腕が魔法の爆発に巻き込まれてしまう。
その右腕に激痛が生じ、受け身を取る余裕もなく、セアレウスは修練場の地面に転がる。
放射状に伸びる魔法の爆発は尚も前進をし続ける。
セアレウスの後方にあった滝の流心を抜け、その背後の岩盤を大きく粉砕する。
その時、強烈な破裂音と周囲に衝撃波を放ち、ようやく消滅した。
「……うっ……痛い……」
水流に流された後、気を失っていたネリーミアは全身に痛みを感じることで意識を取り戻した。
体を起こして周りを見渡すと、真っ先に目に入ったのは地面に倒れ伏すセアレウスの姿であった。
「セアレウス……右腕が……」
セアレウスの右腕は、僅かに黒く変色していた。
魔法の爆発に巻き込まれて、損傷してしまったのだ。
「大変だ……僕が治さないと……」
それを治癒術で治そうと、セアレウスの元へ足を踏み出すも、すぐに前のめりに倒れてしまう。
両手に力を入れて立ち上がろうとするも、ネリーミアの左腕は全く動かなかった。
彼女も一瞬だけではあるが魔法の爆発に巻き込まれたていたのだ。
ネリーミアの左腕も損傷していたのだ。
「う……ううっ……」
顔を伏せると、ネリーミアは泣き出してしまう。
それは、今の自分があまりも惨めで悔しいと思うからだろうか。
否、それは少なからず思っているのだろうが、一番は自分のせいでセアレウスを傷つけてしまったと思いからであろう。
「ごめん……ごめん……」
故に、ネリーミアは、ただセアレウスへ謝罪の言葉を口にし続けるのだった。
今の彼女にはそれしかできることはなかった。
2017年9月16日 誤字修正
「どうましょうか……」 → 「どうしましょうか……」
2017年9月16日 言葉一部変更
「それは……もっと慎重にいかないと……」 → 「それは……いえ、もっと慎重にいかないと……」




