三百十九話 追い詰めたのは
雲一つない晴れた空の下、旧殿堂の裏にある修練場に、黒に染まった空間があった。
その空間には、ずっしりと重く漂う黒い霧が充満している。
黒い霧の正体は、闇の魔力だ。
物質の破壊、体力や精神力の消耗、生命に直接害を与えるといった闇の力の源である。
闇の属性の耐性が低い者がその空間に足を踏み入れれば、ただでは済まないだろう。
そんな空間の中心に、ネリーミアはいる。
闇の魔力は彼女の体から発生したものだ。
彼女は、闇の属性の耐性がかなり高いため、闇の魔力に触れていても平気であった。
黒い霧に紛れ、ほんのりと姿を見せるネリーミアは、薄ら笑いを浮かべていた。
(強気なことを言っちゃったけど……どうしようかな)
そんな彼女は心の中で、そう思っていた。
彼女の左右の手には、それぞれマルフラムとマルトネールを携えている。
いつでも、それらの魔法は放つことができる状態にあった。
しかし、ネリーミアはすぐに放つことはせず、四つん這いのセアレウスを見つめるだけであった。
何故かといえば――
(あの兄さんが自分の妹だと認めた子……何をするか分からない)
最大限にセアレウスを警戒しているからであった。
薄ら笑いを浮かべているのは、それを隠すため彼女なりの演技であった。
「……よい……しょ」
ネリーミアが見つめる中、セアレウスは立ち上がる。
警戒するあまり、セアレウスに立ち上がる時間を与えてしまっていた。
「はあっ! 」
さらには、セアレウスにウォーターブラストを撃たせてしまう。
撃ち出された楕円の水の塊は、ネリーミアの元へ真っ直ぐに向かっていく。
そのままではネリーミアに直撃するのだが、当の本人は動かないどころか、避ける素振りも見せない。
「む! 」
セアレウスは顔をしかめると、左腕を何度か振り払う動作をする。
すると、左腕の動きに合わせて、水の塊の軌道が代わる。
結果、水の塊は、ネリーミアを飛び越えるように上がった後、弧を描くように下へ曲がり、彼女の背中で弾けた。
セアレウスは、微動だにしないネリーミアの姿に、何かあると警戒し、ウォーターブラストの軌道を変えたのだ。
「……え、効かない!? 」
水の塊が弾けた瞬間、セアレウスが驚愕の声を上げる。
(なるほど。君は水魔法……いや、水を自在に操れると見た)
その時、ネリーミアは振り向いて、背後の水しぶきを眺めていた。
そんな彼女にかけられている補助魔法は無傷のまま。
ウォーターブラストによるダメージを受けていないのだ。
(わたしのウォーターブラストが効かない……いえ、防御できると見越していたのですね)
この時、セアレウスは、ネリーミアが魔法を防御する何かしらの力を持っているのだと推測した。
「やっぱり、君は油断のできない人だ。警戒しておいて正解だったよ」
ネリーミアは顔の向きを正面に戻すと、セアレウス目掛けてマルトネールを放つ。
セアレウスは大きく横へ移動し、躱すことができたが――
「マルフラム、行け! 」
すぐに、ネリーミアが左手のマルフラムを放つ。
その時、彼女の右手の短剣には、新たなマルトネールが発現されていた。
それをマルフラムを躱したセアレウスに向けて放ち、左手に新たなマルフラムを発現させる。
セアレウスは修練場の中を走り回り、交互に繰り出される闇魔法を交わしてゆく。
「そこ! 」
時折隙を見つけては、ネリーミアへウォーターブラストを放つが、またも当たる直前で弾けてしまう。
(わたしの魔法が効かない。なんかしないと……)
そんな中、セアレウスは危機感を抱いていた。
次々と闇魔法を繰り出すネリーミアに対し、セアレウスは魔法を放つ時が限られ、さらにその魔法はネリーミアに届かない。
セアレウスは圧倒的に不利な状況である。
それを打開するためには、魔法を防がれる原因を見つけて解決しなければならないだろう。
闇魔法を躱しつつ、セアレウスは考える。
(……怪しいのは、ネリーミアさんの周りにある黒い霧。恐らく、正体は闇の魔力でしょう。放出された闇の魔力に魔法が防がれたということですか)
魔法を防いだ原因は、ネリーミアが放出した闇の魔力。
それが密集して膜となり、ウォーターブラストを防いだのだと、セアレウスは考えた。
ここで、一般的な魔法の考えた方について説明する。
魔法とは、術者の魔力に何かしらの属性を添加させ、自然現象等の姿を模して発現されたもの。
魔力を材料にして、魔法という自然には生み出されない力を作り出すのだ。
魔力に添加された属性によって魔法の属性が決まり、材料にした魔力の量で魔法の力の強さが変わる。
また、魔法を行使するにあたっては魔力を制御し、姿を形成する能力も必要だ。
形成された姿によっては、魔法の力や用途が大きく異なるため、魔法にとって重要な部分であると言える。
故に、基本的には形成した魔力の姿によって、名や種類が定められている。
ここまでの話をまとめれば魔法とは、魔力に属性を添加する生成、姿を形成する制御の二工程で行われていることとなる。
ネリーミアが放出している闇の魔力は、生成の工程はされているものの、制御の工程をしているようには見られない。
つまり、魔法以外の方法で、闇の魔力を放出していることになる
(どうやってやっているのでしょうか? )
その方法がどういうものなのか、セアレウスは疑問に思った。
(いえ、それはともかくとして、このまま躱し続けていましょう。いずれ、ネリーミアさんの闇の魔力による黒い霧は晴れます)
しかし、その疑問は一旦頭の隅に置く。
魔法が防がれた原因を発見した今、ネリーミアへ魔法を当てる算段がついたのだ。
セアレウスの考えが正しければ、今のネリーミアは常に魔力を放出、つまり消費し続けていることになる。
魔力が少なくなれば、闇の魔力の放出はできなくなり、それによる黒い霧がなくなる。
つまり、ネリーミアへの攻撃の機会が訪れるのだ。
「ほっ! はあっ! とおっ! 」
闇魔法を躱す度に、セアレウスの口から掛け声が発せられる。
今の彼女は気分が良く、思わず発してしまうようであった。
「……」
一方、交互に左右の手から闇魔法を放ち続けるネリーミアは無表情。
否、真剣な表情で、若干辛そうにも見えた。
(大量の魔力の放射と魔法の行使。その両方を同時に続けるのは辛いのでしょう。黒い霧が晴れるのも時間の問題ですね)
そのネリーミアの表情は、セアレウスにも見ることができた。
もう少しで、黒い霧が晴れるのだと確信するが――
(……あれ? もしかすると……)
同時に、ある推測が思い浮かび上がった。
(充分有り得ますね……なら、このままネリーミアさんの魔力が尽きるのを待つのはまずいですね)
その推測が正しければ、自分は負ける。
そう考えるセアレウスの額は冷たい汗で濡れていた。
しかし、程なくすると額は彼女の乾き始める。
その時、セアレウスは不敵な笑みを浮かべ、闇の魔力に包まれたネリーミアを見つめていた。
(全然バテない。セアレウスは、すごいなぁ)
ネリーミアはセアレウスに感心していた。
彼女の闇魔法による猛襲が始まってから約三分。
その間、セアレウスは疲れた素振りを一切見せることなく、闇魔法を躱し続けていた。
それはネリーミアにとって驚くべきことである。
現在も彼女が知っている数少ない二種類の闇魔法、マルフラムとマルトネールのによる波状攻撃が続いている。
そのせいで修練場には、無数の黒い炎の玉が飛び交い、黒い稲妻が凄まじい速度で駆け抜けている。
一時でも場に留まれば、マルフラムかマルトネールのどちらかに当たる状況である。
否、動いていてもいずれは当たってしまうほど、闇の魔法で埋め尽くされていた。
そんな過酷な空間の中にいて、セアレウスは未だに二回目以降の闇魔法を被弾していない。
加えて、常に走り、時折跳躍などの回避行動をしているにも関わらず、疲れる様子は一切見られない。
セアレウスの体力がほぼ底なしということを知らないネリーミアは、この時になって、思い知らされたのだ。
しかし、驚いたものの、ネリーミアにとって驚異ではなかった。
(……そろそろいいかな? まだ、平気そうな君とは違って、僕はもう限界に近い。悪いけど、一気に決めさせてもらうよ)
ネリーミアは、交互に降っていた左右の腕を下げる。
闇魔法を放つのをやめたのだ。
「……!? 」
唐突に終わった闇魔法の猛襲に、思わずセアレウスはピタリと動きを止めた。
顔はネリーミアの方へ向いており、体は固まったように動かない。
予想外の出来事に、咄嗟に反応できなかった様子である。
そんなセアレウスに構わず、ネリーミアは次に行うべき行動に移る。
それは、右手の短剣を前方を突きつけること。
「セアレウス、これで終わりだ」
この時こそ、ネリーミアが待ち望んでいた時であり、闇魔法を放ち続けていた真の目的である。
突き出された短剣は彼女の声に応えるように、黒と紫色に輝く光を放った。
短剣が持つ何かしらの力が働いたのだろう。
光が放たれた後、修練場のいたる場所に大きな黒い玉が発生した。
その黒い玉はセアレウスを覆い尽くすほど大きく、炎のように揺らめくことも、雷のようにバチバチと弾けることもない。
丸い形で仄かに紫色の光を纏っているだけである。
「これは……この黒い玉は闇の魔力!? 」
それらは、まさしく闇そのもの。
大きな闇の魔力の塊のようであった。
それがセアレウスを取り囲むように、周囲に漂っているのだ。
「そう。この沢山の黒い玉は闇の魔力。この短剣の力によって、僕が増幅させた闇の魔力だ」
「なんですって? 闇の魔力は、あなたのところにあるのは分かりますが、こんな広範囲には無かったはず」
セアレウスは、ネリーミアの言うことが信じられなかった。
黒い玉の大半は、何もなかった場所から発生していた。
闇の魔力が漂っていた記憶は、セアレウスに無いのだ。
「いや、確かにあったよ。僕が放った闇魔法から散った闇の魔力がね」
「……! そういうことですか。目に見えないほど、小さな闇の魔力が……」
「その通り。この修練場に散らばった闇の魔力を集めて増幅させたんだ」
魔法を放った後、大半は消えてなくなるように見えるが少量だけ魔力が残ることになる。
その魔力は時間が経てば消滅し、そこからまた魔法等に活用することはまずない。
しかし、量とそれを操ることができる力があれば話は別である。
ネリーミアの持つ短剣には、その力があった。
加えて、闇の魔力を増幅させる力も持ち合わせており、目に見えないほどの魔力を何十倍もの大きさにすることができたのだ。
「今から、この大量の闇の魔力の塊を一斉に君にぶつけるつもりだ。迎撃はできないし、逃げ場もない。君に勝ち目はない。できれば、ここで降参して欲しい」
ネリーミアが増幅させた闇の魔力の塊の数は、百を超えている。
それらを一斉に受ければ、確実に命を落とすだろう。
(もしぶつけたとしても一発。すぐに全部の魔力を消すつもりはいるけど、君を殺してしまうかもね……)
この時、一滴の汗がネリーミアの頬を伝って、地面へと滴り落ちる。
ネリーミアはセアレウスを殺したくはないと思い、救出する手段も備えているものの、半ば殺す気でいた。
それは、彼女がセアレウスの兄であるイアンの強さを知っているからだ。
そんな彼が認めた存在であろうセアレウスに勝つには、殺す勢いで行くしない。
ネリーミアは、そう決意しているのだ。
決意しているからこそ、緊張で汗を流すものの、彼女が突き出した短剣は震えることなく、セアレウスに向けられているのだ。
「……ウォーターブラスト」
セアレウスの答えは、降参という言葉ではなく、水の砲弾であった。
彼女の突き出した左右の手からそれぞれ三発、合計六発のウォーターブラストが放たれた。
いずれもネリーミアへと向かっていくが、彼女の周囲に漂う闇の魔力に阻まれ、水しぶきとなって地面へ落下していく。
「降参……なんて言いません。最後まで、わたしは諦めませんよ」
ウォーターブラストを放った後、セアレウスはそう言って、ネリーミアに笑みを向けた。
「……ふふっ」
すると、ネリーミアは吹き出し――
「君は僕が思っていた以上に、兄さんの妹だよ」
と呟いた。
その瞬間、セアレウスへ一斉に闇の魔力をぶつけるため、短剣に力を込めようとしたが――
「でも、正直参りましたね。まさか、同じようなことを考えていたなんて」
「な、なんだって!? 」
セアレウスの発現に反応し、思わず攻撃を中断してしまった。
(た……確かに。触媒もないのに、あんなに自在に水魔法を操るセアレウスなら、水の魔力も単独で制御できるかも……い、いや…)
ネリーミアは周囲を見回す。
この修練場があるのは川辺。
しかも、滝がすぐ近くにあるような圧倒的に水の多い場所である。
(川の水とか滝を直接操れるのかも! なんてことだ! ここに来て、一番警戒していたあの子の能力を見落としていた! )
セアレウスの思わぬ発現に、ネリーミアは動揺するが――
(い、いや、僕の闇の魔力の攻撃の方が速い。今更、あの子が何をしようと僕の勝ちなんだ)
すぐ心を落ち着かせた。
短剣に力を込めれば、すぐに辺りに漂う闇の魔力がセアレウスへ襲いかかる状況にある。
そのことを思い出し、自分が勝つのだと言い聞かせたのであった。
「本当、君は油断ができない! でも、これで――」
「終わりです! 」
それがいけなかったのか定かではないが、一つ言えるのは、視野が狭かったことだろう。
ネリーミアが短剣に力を込める前に、セアレウスが左手を振り下ろして地面を叩いた瞬間、ネリーミアが上空へと吹き飛んだ。
「……!? な、なにが……一体、どこから攻撃が……」
まっすぐ上に打ち上げられたネリーミアは、何が起きたか分からなかった。
「プロテクターが少しだけダメージを受けている……水の魔法が……そうか! 」
しかし、すぐに理解した。
ネリーミアは、セアレウスの水の魔法による攻撃を受け、上空へと打ち上げられたのだ。
「やはり、真下は闇の魔力が薄かったみたいですね。あと、濡れた地面を警戒されなくて助かりました」
セアレウスもネリーミアのような攻撃方法を考えていた。
それは、水しぶきとなった自信の水魔法を操り、ネリーミアの真下へ移動させ、そこに集めた水を一気に炸裂させること。
セアレウスは地面の中では闇の魔力に影響されないと考えたのだ。
結果、うまくネリーミアの真下の地面に大量の水を貯めることができ、噴水のように炸裂させたのだった。
「くっ……だけど、僕のプロテクターは健在だ! まだ、終わって――」
「それは、どうでしょうか」
セアレウスはネリーミアへ、そう言うと彼女に目掛けて左手をかざす。
すると、ネリーミアと共に打ち上がった水しぶきが数個の水の玉となった。
「なっ……!? 」
自分の周囲を取り囲む発生した水の玉に、ネリーミアは驚愕する。
今も彼女は闇の魔力を放出し続けている。
しかし、落下中である今、放出された闇の魔力は舞い上がってゆき、ネリーミアを追従しきれていない。
「ようやく、黒い霧が晴れましたね。では、これで終わりです」
セアレウスがかざした左手をグッと握ると、一斉に水の玉がネリーミアに襲いかかった。
パリーン!
数多くの水の玉を受け、ネリーミアの頭の中に、ガラスが割れるような音が響き渡った。
その音は、補助の魔法の効果が切れたことを知らせるためのもの。
「プロテクターが……僕の負けか…」
ネリーミアはセアレウスに敗北したのだ。
彼女が自分の負けを知った瞬間、周囲を漂っていた闇の魔力が消え去る。
「闇の魔力の塊が消えた……とにかく、ネリーミアさんを! 」
セアレウスは、落下するネリーミアの真下に水の塊を作る。
それをクッションにして、落下の衝撃を緩和させるつもりだ。
ほどなく、ネリーミアはそこに落下し、安全に地面に降り立ったのだが――
「わたしの留水操が!? 」
セアレウスの意思とは関係なく、水の塊が弾けて消え去った。
その理由はすぐに分かるものであった。
うつ伏せに倒れるネリーミアから、闇の魔力が放出されているからだ。
「ネリーミアさん、決着は着いたはずです! 魔力の放出は、もうやめてください! 」
そう声を上げながら、セアレウスはネリーミアの元へ駆け寄ってゆく。
「……うん。それは分かってるけど、僕の意思じゃあないんだよね」
ネリーミアはうつ伏せのまま、そう答えると、震える右手で短剣を放り投げた。
すると、ネリーミアの闇の魔力の放出は止まる。
「その短剣が魔力を放出させる原因ということですか? 」
「うん。魔力を増幅させる力があってね。放出されたのは、僕の体に留めることができる量を超えた魔力だよ」
「とても強力な力ですね」
「うん。それより完敗だよ。その強力な力を使ってまで戦ったのに、僕は君に負けた。セアレウス、君は本当に強いね」
「はい、ありがとうございます。それはそうと……もしかして、立てないのですか? 」
「うん。立てないというより、動かせないね」
会話を続けているがネリーミアはうつ伏せのままである。
顔は地面に伏せ、短剣を放り投げた格好のまま、ピクリとも動く気配はなかった。
「増幅させてるはずなんだけどね。なんかよく分かんないけど、その短剣を持つと魔力が大量になくなるんだよね」
「残念です。もう少しその疲労が軽度なら、バンバン使って欲しいのですが……」
(え? もう少しってなに? )
ネリーミアは、思ったことを口にできなかった。
返答を聞くのが怖いからである。
2017年9月6日 誤字修正
「うん。立てないというより、動かけないね」 → 「うん。立てないというより、動かせないね」




