三十一話 縄斧は空を切り イアンは斧となる
フォーン平原のとある丘の洞窟内に、魔物の咆哮が響き渡る。
魔物の周りには、夥しい量の血だまりができていた。
イアンは立ち上がり、魔物の様子を観察する。
「……間違いない」
魔物の姿は、猪のような風貌で巨大な体を持っていた。
イアンは確信する、トカク村を滅ぼしたあの魔物だと。
そしてあの日、テッドが言っていた村の来訪者と村人の様子を思い出した。
「……そうか、あいつがやったんだな、テッド…」
村に来た神父、祈る村人、魔物、そして、さっきの出来事がイアンの頭の中で繋がった。
「神父は、人を生贄にして魔物を召喚した。そして、今もそれは行われ続けている…」
イアンは、目の前の魔物を睨みつけた。
まず、こいつをなんとかしなければ、あの惨状を繰り返してしまう。
イアンが戦斧を手に持ち、魔物に振り下ろそうと、構えたとき――
「ブゴォォォォ!! 」
魔物が、洞窟の出口目掛けて走り出した。
「ちっ! 逃がさん」
イアンは、素早く戦斧をホルダーへ戻すと同時に、三番目のスロットから斧を取り出した。
その斧は、他の戦斧と違い、柄の先の両側から刃が伸びており、反対側の柄の先端にはロープが括りつけられていた。
イアンが、ガーゴイルを倒した時に使ったのと同じ、縄斧だ。
それをイアンは、後方に投擲し、ロープを充分に伸ばす。
そして、手に持ったロープを操り、伸ばした縄斧を振り下ろす。
縄斧はその先端で、洞窟の天井を削りながら振り下ろされ、魔物の背中に突き刺さる。
「ブゴォォォォ! 」
「…うぐぅ! 」
魔物は、突き刺さった斧に構わず走り、イアンはそれに引っ張られる形となった。
ロープを手繰り寄せ、魔物に近づこうとするイアン、魔物は洞窟の外へ飛び出した。
魔物は、勢いよく丘を下る。
イアンは、ようやく魔物の背中に辿り着き、周りを見渡す。
ちょうど丘を抜け、両端を森林に囲まれた道が続く場所を走っていた。
魔物の進行方向の先を見ると、大きな街が見える。
「まさか…カジアルに向かうつもりか!? 」
イアンは焦った。
カジアルには、強い冒険者や魔法使い、騎士団がいるのだろうが、強襲を受けては、一般人に被害が及ぶ可能性があるのだ。
「この辺で食い止めねば」
イアンは、戦斧を取り出そうとした時、魔物に異変が訪れた。
「ブッゴォォォ! 」
「なっ…にぃ――!? 」
魔物が急停止し、前足を浮かした後、後ろ足を浮かせたのだ。
それによりイアンは、魔物の前方へ投げ出されたうえに、刺さっていた縄斧も外れてしまった。
ズ、ズザサー!
イアンは、地面を引きずりながら受身を取り、こちらに向かって飛んできた縄斧を受け取る。
魔物は体勢を立て直すと、イアンを睨み、前足を蹴って突進に備える。
「前と似たような光景だな…だが」
イアンは、ロープを両手に持って、縄斧を頭上で回転させる。
「今は、こいつがある」
イアンは、笑みを浮かべた。
そんなイアンに、腹を立てたか定かではないが、魔物がイアン目掛けて突進を開始した。
ある程度、魔物が接近したのを確認すると、イアンは後方を向き縄斧を投擲した。
そして、縄を伸ばしながら左に体を回転させる。
イアンは、ガーゴイルに大打撃を与えた技を縦ではなく、横に振ろうというのだ。
すると、魔物の横っ面に縄斧が当たり、魔物は倒れる、そういう算段だ。
「……ん? あっ…」
しかし、縄斧は魔物に当たらなかった。
振るのが早すぎたのか、縄が短かったのか、縄斧は魔物の前方を通り過ぎていった。
イアンは、縄斧の勢いを止めれず、そのまま回転する。
ガッ!
「うおぉぉ!? 」
すると、縄斧が道の端に広がる森林の一本の木に突き刺さり、イアンは反動によってロープに引っ張られ宙に浮いた。
「……! そうか、これでいい」
イアンは何かを閃き、縄斧が描いた軌道をなぞるように振りわまされる中、右手でホルダーの一番目のスロットから、戦斧を取り出した。
左手でロープを持ち、体勢を維持して右手に持った戦斧を振りかぶり――
ズガァン!!!
「―――ッァ!? 」
迫った魔物の顔面に、戦斧を叩き込んだ。
魔物が突進する勢いに加え、イアンがロープに引っ張れる勢いと、横へ振った戦斧の勢いが合わさり、爆発的な威力となって魔物を叩き潰したのだ。
叩き潰された魔物の顔は凹み、空中で一回転した後、地面に転がった。
生死は確認するまでもなかった。
イアンは、木に刺さった縄斧を抜くと魔物の元へやって来る。
「……こいつは…こいつのような魔物が、またどこかでに現れるのだろうな……神父がいる限り…」
魔物を倒したというのに、イアンの顔は晴れることはなかった。
その後、イアンはカジアルに帰り、冒険者ギルドへ向かうと、魔物と神父のことについて話した。
ギルドは、イアンの話を信じ、各地のギルドへ情報を伝えると約束した。
ついでに、攫われた子供達のことを聞くと、無事冒険者に保護され、全員親の元へ帰ったそうだ。
そして、真夜中になった今、イアンは宿屋に帰ってきた。
「クク…イアンさま、今日は随分とお帰りが遅いのですね…」
「ん…ちょとな…」
冒険者ギルドへ神父等の報告が終わった時は、まだ夕方だった。
しかし、イアンが宿屋に向かう途中、薬草採取の依頼達成の報告を忘れたことに気づき、薬草を入れた袋を探すが無い。
青ざめたイアンは、急いで薬草を取りにカジアルを出て、依頼達成報告をする頃には、日が沈んでいた。
そのことを思い出したイアンは、溜息をついた。
すると、食堂の端の席で、突っ伏しているロロットが目に入った。
キャドウが気を利かせてくれたのか、毛布が掛けられている。
イアンが近づくと、すぅすぅと寝息が聞こえてきた。
「クク…昼過ぎに宿屋に戻り、あなたを待ち続けていました…」
「そうか、お前も二日帰らずに大変だったな…」
イアンは、ロロットの頭を撫でてやる。
「むにゃ…アニキ…」
ロロットは、くすぐったそうに身をよじった。
「でもな……恐らくオレは、その百倍は大変だった…ぞ…」
イアンは、そう言うと前に倒れた。
キャドウは、床に倒れる前に、イアンを優しく支えた。
「クク…世話のかかる人たちですね」
こうして、イアン達の長い三日間は、幕を閉じた。




