三百十三話 対するは歴戦の戦士
真正面から、キキョウへと向かうイグザラット。
彼が持つ身の丈ほどの大きさの大剣には名前があり、デベラガトブと言った。
デベラガトブの黒い刀身は左右両側に刃があり、全体的に左右対称の形状をしている。
刀身の幅は広く、また従来の剣と比較にならないほど厚みがある。
その重量は人間の大人二人分ほどで、今イグザラットはこれを両手で持っているが、片手でも扱うことができた。
超重量の武器であるデベラガトブは、キキョウにとってかなり驚異である。
いくら身体能力が上がっていると言っても、その元となる彼女の耐久力は、とても良いとは言い難い。
デベラガトブを一撃は確実に致命傷となり、キキョウの敗北に繋がるだろう。
そんな驚異的な武器を持つイグザラットが迫ってくるにも関わらず、キキョウは別の場所を見ていた。
顔を正面に向いたまま動かないが、彼女の目はあらゆる方向へと動いていた。
キキョウが見ているのは、部屋の全域である。
彼女は自分の戦いを有利にするために、部屋の中を見回していたのだ。
しかし――
(利用できるものは、特になし……ね)
キキョウにとって、目星い情報は得られなかった。
この部屋には、ほとんど物が置かれていない。
唯一置かれている物は、イグザラットが座る椅子だけである。
部屋の構造も特徴がなく、大剣で抉られた部分以外は、平坦な石畳の床が広がっている。
王が居座る部屋ということで広く、また天井も高い。
戦い易い場であるのだが、それは両者共に言えることで、キキョウが有利となる情報とは成りえなかった。
周囲の状況を把握したキキョウは、視線をイグザラットへ向ける。
すると、大剣の長さから、あと数歩で攻撃が届く距離まで彼は接近していた。
そのことを理解したキキョウは、左手に持つ扇をイグザラットへ向ける。
イグザラットに自身の魔法である風刃を放つつもりであった。
その時、彼女が扇を前方へ向けた時点で、イグザラットは大剣を肩の上に持ち上げた体勢をしていた。
直後、彼の大剣は振り下ろされるだろう。
ここで、キキョウが風刃を放つこと、イグザラトが大剣を振り下ろすことのどちらが速いかが問題になる。
イグザラットの体が切り裂かれるか、キキョウの体が真っ二つに叩き切られる。
どちらが速く行動できるかで、戦いの決着が着いてしまう可能性があるのだ。
バッ!
キキョウが持つ扇が音を立てて開き出す。
この扇が開ききった時、風刃は放たれることとなるが――
「ふん! 」
イグザラットも大剣を振りおろし始めている。
どちらが速い行動かの決着は引き分けだった。
つまり、両者共に体を切り裂かれる結果となるだろう。
しかし、キキョウはその結果を覆す行動に出た。
「はっ! 」
掛け声と共に、キキョウは前方に扇を向ける姿勢を保ちながら、後方へ飛び退る。
それは、大剣が頭上まで迫る時に行われた行動であった。
ギリギリまで引きつけ、先に行われた相手の攻撃を躱した直後に、自分は風刃を放つ。
つまり、キキョウは行動の後出しを狙い、見事それを成したのであった。
ゴッ!
イグザラットの大剣が石畳の床に叩きつけられる。
それと同時に、キキョウも床に着地した。
さらにその時、彼女の持つ扇が開ききり、風刃が放たれる。
扇の先から、三日月型の風の刃が発生し、イグザラットの首元に向かって飛んでいく。
(案外あっけないわね)
自分の勝利を確信するキキョウ。
「うおおっ! 」
対して、イグザラットは何を思ったのか、振り下ろした大剣を力一杯振り上げた。
「なにっ!? 」
その彼の行動に、キキョウは思わず驚愕の声を上げてしまう。
振り上げた大剣の間合いにキキョウは入っておらず、攻撃が目的ではないことは分かる。
考えられるとしたら、風刃の防御だが――
(私の魔法は、前よりも強化されている。いくら、でかい武器でなぎ払おうが、その風刃をかき消すことはできないわ)
キキョウの考えでは、それは有り得ないことであった。
しかし、大剣の切っ先が天井へ向けられた時、風の刃は消えていた。
「馬鹿な!? 」
その信じがたい事実を受け入れられず、キキョウは悲鳴に近い声を上げた。
対して、イグザラットは平静。
風刃をかき消したことに喜ぶことなく、振り上げた大剣を下ろし、キキョウを目指して走り出す。
走る中、彼は大剣を振りかぶり、キキョウが大剣の間合いに入った瞬間――
「うおらあああ!! 」
横薙ぎに大剣を振り回した。
それをキキョウは回避できなかった。
しかし、かろうじて刀で大剣を受けることができ――
「くっ……」
真横へと吹き飛んでいく。
一見、振り回された大剣に弾き飛ばされたように見えるが、それはキキョウの選択だと言える。
暴走後の副作用により、今のキキョウの身体能力は向上に腕力も高くなっている。
しかし、それでもイグザラットの腕力には及ばない。
もし、あのまま大剣を受け、踏ん張り続けていれば、キキョウは体にダメージを負っていただろう。
それを恐れ、キキョウは自ら跳躍し、大剣に吹き飛ばされることにしたのだ。
結果、体にダメージを負うことなく、さらにイグザラットから離れることまで出来ていた。
(今、攻撃……あいつになら、耐えれたかしら? )
吹き飛ばれる中、ふいにキキョウの脳裏に、とある人物の顔が思い浮かんだ。
(いや、無理ね。無理、無理! それより、さっきのは何だったのかしら? )
首を横に振り、思い浮かんだ顔を乱暴に消し去る。
それから、キキョウは勢いが弱まることなく、壁に向かって飛んでいく。
このままでは、彼女は壁に激突してしまうだろう。
しかし、そうはならなかった。
激突する直前で、キキョウがくるりと身を翻し、地面に降り立つかのように壁に張り付いたからだ。
(分からないのなら、調べるしかないか……)
その直後、カエルのような体勢で張り付いていたキキョウは、壁を蹴って跳躍する。
向かう先は、イグザラット。
否、跳躍の勢いは凄まじく、本当の彼女が向かう先はイグザラットを越え、反対側の壁であった。
「頭上……さらに、連続の風刃なら、どう? 」
イグザラットの真上に到達した時、キキョウは扇を持つ左腕を何度も振り回した。
腕の動きは、自身の体を回転させるほど激しく、全体的に踊っているような動きになっていた。
もし、本当に踊っているとすれば、見るものにとって死の舞であると言える。
何故なら、扇が振る度に風刃を放っていからだ。
キキョウがイグザラットの真上を通り過ぎた後、十を超える風刃ができあがっていた。
それらの強靭な風の刃が真下のイグザラットへと降り注ぐ。
回避も防御もしなければ、イグザラットの体は多数の風刃に細切れにされるだろう。
「へっ! うおああっ!」
しかし、風刃は、彼の体に届かなかった。
イグザラットがまたしても、大剣で風刃を防御したのだ。
その方法とは、頭上で大剣を高速回転させること。
丸い傘をなった大剣が風刃をかき消していったのだ。
(ふぅん、なるほどね)
その一部始終を見ながら、キキョウは反対側の壁に張り付く。
今度は跳躍することなく、真下の床に降り立った。
そして――
「雪砲」
イグザラットに扇を向け、雪砲を放った。
雪砲は風刃と並ぶ、キキョウの得意な氷魔法の一種である。
風刃と比べて威力は低いが、打撃に近いダメージを与えられる。
最大の大きさは、頭の一回りほどのもので、今放った雪砲の大きさはそれであった。
「あん? いきなり、しょぼいのが飛んできたな」
イグザラットは、大剣を盾のように構え、雪砲を受けた。
すると、大剣に当たった雪の塊が蒸発するかのように、一瞬で消え去る。
その光景を見て、キキョウは確信した。
「その剣。魔法を消す力を持っているのね」
「へっ、そうさ。このデベラガトブは魔法を断つ剣。退魔法剣って呼ばれてたぜ」
キキョウへそう答えたイグザラットの顔は明るい。
まるで、自分の持つ大剣を自慢かのようで――
「けっこう珍しいんだと。いいだろう? 」
実際、そのようであった。
「最悪だわ。魔法が通用しないってことじゃない」
「そういうこった。分かったんなら、魔法は諦めな」
イグザラットはそう言った後、大剣を腰の位置に下げて持ち、深く息を吐いた。
すると、さっきしていた明るい表情は消え、険しい表情となる。
「もうお喋りは終いだ。こっから、お前を倒すまで、俺は何も喋らない……」
イグザラットは、口を固く閉ざした。
そうした理由は定かではないが、恐らくはキキョウへの情を消し去るためであろう。
この時になって、彼はようやくキキョウを本気で殺すことにしたのだ。
自分の部下でもなく、裏切り者でも、憎むべき獣人でもない。
ただの敵という存在として、キキョウを見ることにしたのだ。
(魔法が効かないのは、本当に痛い。さらに、私の体の限界も近いし……)
キキョウ意識を部屋の外へ向ける。
城内の炎は、確実にこの部屋にも近づいている。
二人の決着が着かなければ、二人共焼死という結末もある。
(本当の敵は時間かもしれないわね。時間との勝負とは、よく言ったものだわ)
時間がないことを念頭に置き、キキョウはイグアラットを見据えた。
まだ炎が回ってはいないが、この部屋も燃える城の一部である。
熱気に包まれており、二人共汗をかいていた。
しかし、キキョウのかく汗は、熱気の中にあるにも関わらず、ひんやりとしたものであった。
この世には、特別な力を宿す武器が存在する。
特別な力を宿す物という点では、アクセサリーと似たようなものだ。
しかし、武器と装飾品という異なった用途の道具だということで、一般的には別種と認識されている。
それら特別な力を持つ武器は総じて、覆魔戦器と呼ばれていた。
イグザラットの大剣 デベラガトブも覆魔戦器の一種である。
宿す力は退魔、すなわち魔法等の特殊な力の消滅。
デベラガトブに触れた瞬間、その力を消してしまうのだ。
しかし、消滅させると言っても例外はあり、例えば、上級を超える魔法は消せない。
それでも、上級までの魔法を消滅させることは強力である。
故に、デベラガトブは覆魔戦器の中でも高位の存在であると言える。
そんな武器を持つ者を相手にするキキョウは現在、苦戦を強いられている真っ最中であった。
ほぼ魔法を無効にされてしまうのだから、当然と言えば当然のことである。
「くうっ……」
キキョウは苦を表す表情を浮かべ、口から呻くような声を出す。
今、彼女がいる場所は、先ほどからイグザラットが立っていた付近。
そこでキキョウは、イグザラットと互いの武器をぶつけ合っていた。
彼女自らイグザラットに接近し、剣戟での勝負を挑んだのだった。
理由はデベラガトブにより、魔法がほぼ無効となってしまったからである。
しかし、ほぼ無効とは言ってもデベラガトブで防がれなければ、魔法は有効となる。
その可能性がある以上、キキョウは魔法を使う手段を捨てない。
よって、彼女の左手には閉じられた扇が握られていた。
「ふっ……! 」
キキョウは、左から横薙ぎに振るわれる大剣を刀で受け止める。
受け止めたのは一瞬で、そこから彼女は、大剣の上をクルリと転がる形で飛び越える。
キキョウが体勢を整えた時、イグザラットの大剣は振り切られていた。
そこから瞬時に大剣を頭上に持ち上げると、イグザラットはキキョウ目掛けて、大剣を振り下ろしにかかった。
キキョウに回避する間はない。
従って、キキョウは刀を頭上へ掲げる。
キッ――
という甲高い金属音が部屋の中に響き渡る。
キキョウがイグザラットの大剣を刀で受け止めたのだ。
しかし、それは一瞬の出来事だ。
イグザラットの力に負け、刀はどんどん下へと押されてゆく。
そのままでは、キキョウは大剣に押しつぶされてしまうだろう。
しかし、そうはならない。
キキョウは刀を滑らせるように引きつつ、自身の体を横へ移動させた。
これにより、大剣の真下にあったキキョウの体は、その真横に辿り付く。
危ういところで、大剣による攻撃から免れたのだ。
先ほどから、キキョウはこの方法でイグザラットの大剣を躱している。
否、大剣を受け流しており、彼女が習得した剣術の技の一つであった。
その技の名は、木ノ葉。
ポッコロが得意とする刀剣術、夜林神梟流の受流剣と呼ばれる剣技郡の一つだ。
木ノ葉は、敵の武器を己の剣で受け、その間に回避行動を行うといった受け流し方をする。
受流剣の基礎と言える剣技である。
キキョウは、この剣技のおかげで、イグザラットとの戦いを続けられていた。
しかし、良い状況とは言えない。
攻撃を受け流すことはできるのだが、その先のことである反撃ができない。
キキョウが木ノ葉を使用した直後、イグザラットが次の攻撃への準備を整えているからだ。
つまり、刀を振る、魔法を放つといった反撃を行う隙がないのだ。
(なんてこと。このままでは……)
木ノ葉で大剣を受け流す中、キキョウは自分の失敗に気づく。
イグザラット相手に剣戟を仕掛けるべきではなかったのだ。
しかし、とき既に遅し。
キキョウは彼との剣戟から、もう逃れることはできなかった。
(……しまった! )
ほどなく、そのことにもキキョウは気づく。
いつしかキキョウは、イグザラットの前を左右に往復する動きをしていた。
大幅に体力を消耗してしまうその動きは、キキョウの意図したものでない。
では、何故そんな動きをしてしまったのか。
答えは、イグザラットがキキョウに、その動きを強制させるよう大剣を振っているからだ。
彼は自分の攻撃が当たらないと判断すると、体力を消耗させることを考えた。
その結果がキキョウを左右に振らせることであった。
(う、嘘……こんな単純な戦法に気づかなったなんて! )
敵の戦法を見抜けなかったことに、キキョウは激しく動揺する。
しかし、見抜けなかったのは、仕方のないことであったと言える。
何故なら、イグザラットの振り方が巧妙であったからだ。
キキョウに気づかれぬよう、さり気ないように見せかけて、大剣を振るっていたのだ。
それは彼の剣の腕と戦いの経験が合わさった技術によるもの。
イグザラットの半分も生きていないキキョウにとって、別次元の技術と言えるのだ。
むしろ、この時点で気づいたことは賞賛に値すると言っても過言ではない。
(なんとかしないと! このままでは、負ける! )
自分が追い詰められていることに気づいたキキョウ。
彼女の戦いを焦る気持ちは、より強いものに変わっていた。
それは動きにも現れ、木ノ葉で大剣を受け流すも、僅かに体を痛める雑な動きであった。
(隙よ。早く攻撃をする隙を見せなさい! 早く! )
イグザラットに隙が生じることを渇望するキキョウ。
願うだけでは生じるはずはない。
しかし――
(き、来た! )
イグザラットに隙が生じた。
彼は何を思ったのか大剣を大きく振りかぶったのだ。
つまり、攻撃を行うまで、彼は無防備である。
「もらった! 」
歓喜の思いが込められた掛け声と共に、キキョウはイグザラットの真正面に立つ。
そして、渾身の一撃を与えるべく、彼の腹に目掛けて刀を振った。
ゴッ!
その瞬間、弾けるような強烈な音が部屋中に響き渡る。
キキョウの刀がイグザラットの腹を切り裂いた音ではない。
イグザラットがキキョウを蹴り飛ばした音であった。
キキョウが隙だと思った瞬間は、イグザラット自身が作り出したもの。
つまり、キキョウはイグザラットの仕掛けた罠に掛かってしまったのだ。
叫び声を上げるまもなく、キキョウは吹き飛び、部屋の扉に激突する。
その衝撃に耐え切れず、扉は音を立てて倒れてゆく。
激突したキキョウも共に倒れ、やがて彼女は倒れた扉の上で仰向けとなった。
「ふん……」
無様に仰向けに倒れるキキョウを見て、イグザラットは鼻を鳴らした。
その後、彼は大剣を肩に担ぐと、止めを刺すべくキキョウの元へ歩き出す。
「う…ああ……」
キキョウは、まだ生きていた。
しかし、体は全く動かなかった。
それは、強い衝撃を受けたせいではない。
まんまとイグザラットの手に引っかかったことを理解し、戦意をなくしてしまったのだ。
彼女ができることは、目に映るものをぼんやりと眺めるだけである。
今、目に映るものは、廊下を這い回る赤い炎。
部屋のすぐそこまで、炎は回っていたようであった。
しかし、今のキキョウにはどうでもいいことのでようで、何の反応もない。
「……あ…」
やがて、キキョウは何かに気づいたかのように声を漏らす。
ぼんやりと炎を眺めるうちに、別の姿に見えたのだ。
それは、自分の姿であった。
鏡に映したかのように、反対向きに倒れた自分がそこにいたのだ。
自分と同じように仰向けに倒れたそのキキョウは無表情。
否、蔑むかのような目をしており――
「馬鹿ね、あなた」
と口を開いた。
そのキキョウは、彼女自身が作り上げた幻である。
彼女が持つ負の感情が形となって現れたと言ってもいい。
そんな自分の姿をした幻は、より自分の気持ちを暗く沈めようとする。
自分自身にとって害悪である存在だ。
「は……あははは…」
自分の幻の姿を見て、キキョウは情けなく笑う。
「そう……ね」
そして、幻の自分の姿の発言を肯定し、自ら瞼を閉じた。
それと同時に、キキョウの全身から力が抜ける。
彼女と共に戦っていた刀と扇も、今や手のひらの上で転がっているだけの存在になった。
キキョウは、本当に戦うことを諦めてしまったのだった。




