三十話 不穏な影
ベティの依頼を終えた次の日。
イアンは、いつものように薬草採取の依頼を受けて、いつもの林に来ていた。
薬草が群生している場所で腰を下ろし、薬草を摘んでる。
「今日は、一人か…」
イアンは、そんなことを呟いた。
薬草採取の依頼は、依頼人が同行せず、イアンの仲間であるロロットもいないため、一人で薬草採取をしているのだった。
「……終わってしまった」
この依頼に、すっかり慣れてしまったイアンは、日に日に薬草採取の腕を上げていた。
「薬草の調合を習えば、立派な薬剤師になれるな……はぁ…」
イアンは溜息をつくと、集めた薬草をきれいに束ね、林を抜けてカジアルに戻ることにした。
イアンが街道を歩き、カジアルに戻る途中、馬車がこちらへ向かってくるのが見えた。
帽子を目深に被った男が手綱を握り、馬が馬車を引いている。
馬車は、幌で覆われている幌馬車と呼ばれるものであった。
男の後ろは幕で覆われ、幌馬車の中を伺うことはできない。
特に変わったところは無く、行商人か何かだとイアンは思った。
イアンは道を開け、馬車の横を通り過ぎるとき、馬車の中で何かの音がした。
「……!? 」
音の正体を掴もうと、振り返ったイアンが目にしたのは、幌馬車の後方、幕の隙間から覗く縄で拘束された子供だった。
「おい! そこの馬車! 止まれ!! 」
すると、カジアルのある方向から冒険者の男が、声を上げながら馬車の方へ向かってくる。
「チッ…」
パァン!
「ヒヒィーン!!」
馬車に乗る男は、ムチで馬の尻を叩き、馬を高速で走らせた。
走る冒険者の男は、どんどん距離を離され、とうとう見失ってしまった。
「はぁ…はぁ…くそっ! だから、馬を支給しろと言ったんだ…」
冒険者の男は、息を切らせながら、膝に手を付く。
すると、後ろからもう一人の髭を蓄えた冒険者がやって来る。
「見失ってしまったか……仕方がない。こちらに向かったことを皆に知らせてくる。お主は、少し休憩した後、追跡を再開するがいい」
「はぁ…はぁ…わかりました。伝達をお願いします」
冒険者の男は、髭の冒険者の背中を見送ると、辺りを見渡した。
「そういえば、青い髪をした女の子が、この辺にいた気がしたんだが……見間違いだったかな? 」
冒険者の男は、首を傾げる。
その周辺に、イアンの姿はなかった。
「……ん? これは…」
冒険者の男の目線がしたを向く。
地面に、何かを引きずった跡があり、馬車が向かった方へ続いていた。
「よし…馬車の速度が落ちたな」
幌馬車の中でイアンは、伸ばしていたロープを引っ張り、地面を削っていた斧を手元に戻す。
あの時、幌の中に子供がいるのを目撃したイアンは、素早く幌馬車の中に入り込んだ。
中には、目撃した子供以外にもたくさんの子供が拘束されていた。
イアンはその光景に、ギョッと驚きながらも馬車の速度が落ちるまで、斧で馬車の通る痕跡を刻み続けていたのだ。
「まだ街道を走っているな……おい、年長者はどいつだ? 」
子供達は、既に拘束を解かれ、中から一番背の高い少年が前に出る。
「みんなを連れて、この跡に沿って進んでくれないか? 」
少年は、こくりと頷いた。
街道は、騎士団の巡回によりほとんどいないため、魔物に襲われる可能性は低い。
そして、跡を追ってきた冒険者が子供達を保護してくれると判断したのだ。
イアンは、子供たちをゆっくり幌馬車の外へ出してやる。
すると、最後の少女がイアンに聞いてきた。
「おねえちゃんは、どうするの? 」
「おね……まぁいいか。オレは、このまま馬車に残る。話を聞きたいやつがいるのだ」
イアンは、そう言って少女を抱え、外にいる少年に渡す。
脱出した子供達は、イアンに手を振った後、イアンがつけた斧の跡を辿りながら歩いて行った。
それを確認したイアンは、幌馬車の幕を閉じた。
イアンが子供達を逃がしてから少し経った後、馬車は街道を外れ、人気のない丘へとたどり着いた。
その丘にある大きな岩に、男は馬車を近づける。
「おーい、俺だ! 開けてくれー! 」
男が大声で叫ぶと、岩壁が横に移動し、そこに洞窟が現れた。
馬車は、洞窟の中に入ると広い場所に着き、複数の盗賊風の男たちが奥からやってきた。
その中の代表らしき大男が、馬車に乗る男へ声を掛ける。
「ご苦労さん! どのくらい集めた? 」
「15人くらいだな! あいつら、食物で釣ったらほいほいついて来るもんだから、楽な仕事だったぜ」
「そうか、そうか。で、冒険者や騎士団の連中に見つからなかったか? 」
「ああ! そうだ。 冒険者の野郎に追いかけられた! ガキの親の誰かがギルドに依頼しやがったっぽいぞ! 」
「そうか…早いな。わかった! 後は、俺たちに任せておけ。おい! おめぇら、ガキどもを引きずり出してとっととずらかるぞ」
大男が声を上げると、複数の男たちは馬車の後ろに回っていった。
「あ、あの…報酬を頂いても……」
男が馬車を降りて、大男に近寄った。
「おお、すまねぇな! こいつが報酬だ。受け取れ」
大男は、懐に手を伸ばす。
「…えっ!? 」
男は一瞬、何をされたか分からなかった。
男は視線を下ろすと、大男がナイフで自分の胸を刺しているが見えた。
そして、そのナイフは無造作に引き抜かれる。
「な…んで…!? 」
男が自分の胸を抑えながら絶命した。
「てめぇにやる金なんざ、ある訳無いだろ。バーカ! 」
大男は、絶命した男の頭に蹴りを入れた。
その時――
「な、なんだおまっ――ぎゃあ! 」
「ぐあ! 」
「ぶっへぇ! 」
大男が何事かと、部下たちが悲鳴を上げる馬車の後方へ顔を向ける。
「何遊んでやがるさっさとしやがれ! 」
「お、親分! そ、それが、中にガキはいませんでした! その代わりに、斧を持った変な奴が…」
「何ぃ!? 」
大男が馬車の後方へ回り込むとそこには――
「ぎゃああ! 」
「……ほお、やっと親玉のお出ましか。お前に聞きたいことがあるのだ」
大男の部下を、戦斧の背で殴るイアンの姿がそこにあった。
男達がうめき声を上げながら転がる洞窟の広間で、二人は対峙していた。
一人はイアン、もう一人は大男である。
大男は、イアンに向かって声を上げた。
「てめぇ! 何者だ! 」
「冒険者だ…それより聞いてくれ。何故、子供たちを攫った? 」
イアンが再度、大男に問いかける。
「へっ! そんなもん決まってるだろ」
大男は腰の鞘から剣を抜き、その切っ先をイアンの顔に向けた。
「金のためだよ。ガキどもを売っぱらって、大金をもらうのさ。てめぇのせいで台無しだがよ」
「そうか……ついでに聞くが、誰に売るつもりだった? 」
「それは、教えられねぇな!! 」
大男は、剣を自分の方へ引き、イアンに突きを放とうと踏み込んだ。
斧を持つイアン、その攻撃速度が遅いと睨んで、突きによる速攻を仕掛けたのだ。
キン!
しかし、イアンは戦斧を盾にして、大男の突きを防いだ。
「チッ! 」
「……ふっ! 」
イアンは剣を弾き、大男目掛けて戦斧の背を叩き込むが、大男が後ろに飛んだため、躱されてしまう。
イアンは体勢を立て直し、追撃を行うため大男に接近した。
カン! キン! キン!
戦斧を横払い、振り上げ、振り下ろし、と繰り返し攻撃を行うが、大男の剣によって捌かれてしまう。
「こいつ……斧を使うくせにすばしっこい…」
同様にイアンも、大男が繰り出す剣の数々を躱し続けていた。
カァン!
互いの武器が激しくぶつかり合い、二人は同時に後ろに飛んで、距離を取った。
どう攻撃を行うか考えながら睨み合う二人。
その二人に声を掛けるものが現れた。
「遅い、遅いと思って来てみれば……あなたは一体何をしているのですか? 」
「し、神父さま!? 何故ここに? 」
大男に神父と呼ばれた男は、長く伸びた髭の根元を撫でながらこちらに歩いてくる。
赤いローブに身を包んだ神父は、右手をイアンに向けて突き出した。
「ファラトの手掌よ! 」
ザァッ!
「……!? 」
神父の右腕から放たれた、赤黒い魔力がイアンを吹き飛ばす。
「かっは…! 」
イアンは、洞窟の壁面に背中を打ち付けた。
薬草の入った袋が弾け飛び、辺りに散乱する。
気を失ったイアンを冷めた目で見つめた後、神父は大男に顔を向けた。
「子供達はどうしたのですか? 」
「あ、ああ…それが、その青いガキのせいで逃がされちまったようでして…」
「はぁ…そうですか。では、仕方がありません」
神父は、溜息をつくと大男の目の前に立ち、袖から取り出した杭を大男の胸に打ち付けた。
「がっ…!? な、何を…? 」
「子供達の代わりにあなた達が祈るのです。我らが神、マヌーワ様に! 」
「なっ…!? ああ、あああああああ!! 」
大男の目、鼻、耳、口から大量の血が溢れ出し、杭から放たれた赤黒い光が大男の体を包む。
「さあ、あなた達も彼と共に祈りなさい。アナーグアラー! 」
神父の掲げた両腕から、赤黒い光に包まれる。
「ああ……マヌーワ様…」
「い、祈りを…」
倒れていた大男の部下たちがのそりと立ち上がり、赤黒い光を放つ大男の元へ集まる。
「……熱っ!? 」
イアンは、胸に熱い物が当たるような感触を感じ飛び起きた。
そして、目の前の光景に目を奪われる。
「やはり…この程度ではダメですか……次の生贄を探しに行くとしましょうか」
神父は身を翻し、この場を去った。
バァン!!!
その時、大男とその部下たちの体が、光となって弾け飛び、そこに大きな魔物が生まれた。
「ブゴォォォォォォ! 」
「…!? こいつは…」
イアンの目の前に現れた魔物、それは――
「トカク村を滅ぼした…魔物!? 」
大きな牙を生やした、猪のような魔物が咆哮をあげていた。




