三百八話 三体の怪物
ベアムスレトの王であるヤオを前にして、ゲンセイは立ち尽くしていた。
「はぁ……気にはしないが、こっちが話を聞くって言ったんだ。その武器はしまってもいいんじゃないか? 」
呆れたようにため息をつくと、ヤオはゲンセイを見下ろしながら、そう言った。
このヤオの言動から分かる通り、彼はゲンセイと戦う気はない。
ヤオの意思は、ゲンセイにも伝わっている。
しかし――
「……正直、願ってもないことだが、それ故に納得できない」
この状況において、自分達を排除しようとしないヤオの心理が、ゲンセイには理解できなかった。
そのため、素直に手にした刀を鞘に戻すことはできなかった。
「先ほど、外の者の気配が危険なものだと貴殿は言った。そんなことで、戦わない理由になるのか? 」
「おや? 理由が気になるか。そちらとしては、手早く話を済ませたいものだと思っているが……」
「確かにそうだが、納得の出来ないままではいられない」
「ふん、こんなところで強情になられてもな。仕方のないやつめ」
ヤオは呆れた声でそう言った後、首を左右に振った。
その仕草を見ていると、彼の口からやれやれと言う言葉が出てきそうである。
「良かろう。ちょっとした昔話をしてやろう。恐らく、その話を聞けば、お前も納得できる……かもな」
ヤオは、記憶を思い出しているのか、一瞬だけ目を閉じた後、ゆっくりと語りだした。
話の始まりは、ヤオがベアムスレトの王になる前、彼の生まれ育った村から始まる。
当時のヤオは、王でもベアムスレトの者ではなく、その村の少年であった。
「海を渡ってこの島に来たと聞いているが、元々ベアムスレトの者ではなかったのか? 」
ヤオが語る途中で、ゲンセイが疑問を口にする。
「ベアムスレトは、わしが村を出てしばらくした後に出来た。まだ影も形もない。話を続けるぞ」
ゲンセイに、そう答えると、ヤオは話を再開する。
その村では、毎年二十歳になった若者による成人の儀式が行われていた。
儀式の内容は、村の裏山の最奥に向かい、そこに潜む魔物を退治し、その首を持ってくるというもの。
魔物は強く、戦いに敗北して死亡する危険があり、並みの者では達成できない試練であった。
しかし、村の成人の者達は、皆この儀式を無事にこなしている者ばかりである。
達成できなれば、成人として認めらないのも同然で、実力の有無関係なく、誰もが儀式に挑戦していた。
当然、二十歳になったヤオも成人の儀式に参加することとなったが、その年の参加者は、ヤオ一人だけであった。
何故かといえば、その年の三年ほど前から、儀式の生還者が激減したからだ。
ヤオの年の一年前は、誰一人として帰ってこないほどになり、跳ね上がった儀式の難易度にヤオ以外の者は怖気づいてしまったのだ。
成人として認められることより、自分の命が大切であると。
「山に異変が起きた……そう捉えれるな」
ここまでの話を聞き、ゲンセイはそう感想を述べた。
「異変といえば異変だが、そうでないとも言える。まぁ、ここで可笑しいと思って、やめてりゃな……」
ヤオは自分の行いに後悔しているのか、顔を僅かに俯かせた。
当時、ヤオは同年代でも一番実力のある少年であった。
それは本人も自負していることであるが故に、儀式に参加することになったのである。
そして、数多の先駆者と同じように、裏山の最奥へヤオは向い、目的の魔物を見つけるのに時間はかからなかった。
勇猛果敢にもヤオは戦いを挑んだが、彼の実力はその魔物に及ばず、ヤオは窮地に立たされた。
魔物の攻撃によって負傷し、足を痛めたヤオは逃げることもできない。
その時、ゆっくりと迫る魔物を前に、ヤオは自分の死を覚悟し、目を閉じようとした。
しかし、目を閉じる瞬間、彼は不可解なものを目にして目を見開いた。
それは、少女であった。
それだけでもこの場に相応しくない存在だが、格好も奇妙なもので、ドレスのような黒い服を着ていたという。
少女は、魔物に向かって歩いていた。
それに気づいたヤオは咄嗟に逃げろと口にしたが、聞こえないのか少女は止まることはなかった。
そして、少女が魔物の横に辿り着いた瞬間、ヤオにとって衝撃的な出来事が起きた。
「わしの前にいた魔物は、胴体が跡形もなくなって、バラバラになった」
ヤオが魔物の末路を語った。
言うまでもなく、魔物をバラバラにしたのは、少女であろう。
そのことを不気味に思いつつ、ゲンセイは黙ってヤオの話に耳を傾けていた。
「そいつは、バラバラになった魔物を跨いで、どこかに消えた。わしもどうにか、その場から立ち去り、この通り生きて帰ることができた」
ヤオの声に、生還した歓喜や安堵の気持ちは感じられない。
ただ怖かったと言わんばかりに、沈んだ声音であった。
ヤオは語り終えたのか、深く息を吐いた。
「その少女とセアレウスが同じ気配であると? 」
しばらくぶりに口を開いたゲンセイは、ヤオにそう訊ねた。
話を聞くに、ヤオの言うヤバイ気配というのは、その少女であると考えられる。
「ああ。いや、近い……と言った方が正しいかもな。奴の気配は強烈で、何時まで経っても忘れられん。奴ほどではないが、外のお前の仲間は近い気配をしている」
ヤオは、テントの外のセアレウスがいる場所に顔を向ける。
その彼の顔は、心底嫌そうであった。
「しかし、分からん。今の話を聞けば、少女は貴殿の恩人になるのではないか? 」
ゲンセイは、ヤオが少女を怖がる理由がいまいち分からなかった。
ヤオは、ゲンセイの言葉を聞き、ゆっくりと首を動かして、ゲンセイに顔を向ける。
「恩人? 違うな。たまたま通り道に、魔物がいただけだ。少し場所がずれていたら、バラバラになっていたのは、わしだった」
「そんなことは――」
「ある。奴は恩人ではない」
少女の意思がどうであれ、ヤオ側からしたら、魔物から救った恩人である。
それをゲンセイが言う前に、ヤオは彼女の意見を全否定するかのように、強い口調で言い放った。
今の彼に、ゲンセイの言葉が響くことはない。
ゲンセイは、自然と空いていた口を閉ざし、顔を俯かせる。
「……わしの成人の儀式の行われた一年前」
しばらくの沈黙の後、ゆっくりとヤオが語りだす。
「儀式が終わり、一向に帰ってこない者達の捜索に、わしも加わった。そして、多くの死体をこの目に見た」
「……まさか! 」
ゲンセイは、ハッと顔を上げてヤオの顔を見る。
彼の話から、彼女はヤオを言わんとすることを察したのだ。
ヤオは、自分の顔をゲンセイに向け、ゆっくりと頷いた後――
「そう。わしの村の者達は、体の一部が跡形もなく消えていた。つまり、少女が倒した魔物と同じ殺され方をしていたのだ」
と言った。
この時、ゲンセイは、ヤオが頑なに少女を恩人として扱わない理由を知った。
少女は魔物であれ、人であれ関係なく殺すのだ。
その理由は、自分の通る道の障害物であるから。
名誉のため、自分の身を守るため、殺すことが快楽だから等、何かを殺める時には、どんなことであろうとも理由があるはずだ。
しかし、少女には、その理由がない。
否、自分の行く先の邪魔をしたという理由があるのだろうが、何かを殺める理由としてはちっぽけにもほどがある。
殺めたところで、道の障害物がいなくなるだけで、他に得るものはない。
そんな彼女に、一言物申すのであれば――
「殺す……までもないだろ…」
という、ゲンセイが口にした言葉に尽きるだろう。
「さらに、ここ最近になって、奴が裏山に現れたのではない。その殺され方をした者は、少数だが昔からいたらしく、私の年を含めた三年間は、少女と会ってしまった者達が多かっただけなのだ」
そして、このヤオの言葉により、少女の感性が生来のものであると知らされる。
「奴の底知れぬ力は驚異だ。しかし、それ以上に生物をまともに扱わない残酷さが恐ろしい。わしがお前達と戦わないのは、それが全てだ」
ヤオは、そう言うと、開いていた口を固く閉ざした。
もうこの話は終わりだと言わんばかりに、彼の表情は固く動きそうにない。
そんな顔を漠然と見つめていたゲンセイは、手にしていた刀を鞘に戻す。
その後、顔を俯かせ――
(話から推測すれば、この男の前に現れたのは、恐らく妖精。ならば、セアレウスの魔物と妖精の二つの要素を持っているということ)
と、セアレウスについて憶測を立てていた。
(詳しくは知らないけれど、魔物と妖精……どちらも危険な存在。なら、今あの娘に対して言えるのは、暴走したら私以上にヤバイこと……かしら)
ゲンセイは、現時点でのセアレウスの存在について、ある結論を出し、セアレウスのいる方向へ顔を向けた。
その時、ゲンセイは自分の胸を強く握り締めており、不敵な笑みを浮かべつつも、その額は滲んだ冷や汗で濡れていた。
「若い連中が帰ってくる頃が近い。奴らは、お前達を排除しようと動くだろう。それは、わしもお前達も避けたいこと。そろそろ、本題に入るとしようか」
「承知した」
ゲンセイは頷くと、ヤオの前で跪き――
「少々、遅れたが、私めの話を聞く姿勢になられたことに、感謝申し上げます」
と、感謝の言葉を述べた。
理由は何であれ、ヤオが敵国の侵入者であるゲンセイの話を聞くことは異例中の異例。
当たり前と思ってはいけないことであり、それを無視することは、あまりにも失礼。
ゲンセイは感謝の言葉を言わずにはいられなかった。
「手短に貴国に頼みたいことは、降伏でございます」
「ほう、降伏か……」
ゲンセイの言葉を聞いた、ヤオはピクリと眉を寄せた。
この瞬間、僅かに険悪な空気がテントの中に充満する。
ラザートラムの目的は、トライファス島から獣人を排除すること。
それはヤオも知っていることであり、ゲンセイの発言はベアムスレトの獣人達に死ねと言っているのも同然であった。
「しかし! 」
ここで、ゲンセイが声を張り上げた。
ヤオの思っているような結果にはならない。
そう匂わせるどころか断言する勢いである。
「それは、私に約束してくだされば結構。ラザートラムにはしなくて……いや、しないでいただきたい」
「なに!? 」
ヤオの口から、驚きの声が漏れた。
ゲンセイの提案は意味不明なもので、驚くのも無理はない。
「……まず、貴殿に降伏するというのは、どういった意味がある? 」
ヤオは、ゲンセイにそう訊ねた。
ここでも、彼はゲンセイを突っぱねることはなかった。
意味不明だが、それ故にゲンセイの提案に興味を持っているのだ。
「私に従う……ということです」
「ほう……なるほどな」
ゲンセイの返答に、ヤオは小さく笑みを零した。
「分かった。ラザートラムに降伏しないというのは、これからも戦い続けるということで間違いないか? 」
その後、もう一つの疑問について、ヤオは訊ねた。
「はい。しかし、交戦は避けていただきたい」
「ふむ。なれば、貴殿に従うところに全ての答えがあるか。それを聞こう。聞いてから、判断させてもらう」
「はい。私が貴国へ指示したいのは、撤退です。徐々に戦線を東に……果ては、国を東へと収縮してほしいと考えております」
「……!? ほう、わし等の国を利用して、何かをする気だな」
一瞬、息を詰まらせたものの、ヤオは冷静にゲンセイの発言をそう解釈した。
「……はい」
ゲンセイは、ゆっくりと頷いた。
ここで、ヤオが気になるのは、ベアムスレトが利用された先にある何かである。
それがベアムスレトにとって益になるか、そうならないかでヤオの決断は大きく変わる。
「私の指示に従うと貴殿が決断する時、その時を以て、ベアムスレトから戦争の犠牲者はなくなります」
それは、ゲンセイも分かっていた。
「そして……戦争が終わった時、ベアムスレトは、この島に残り続けることができましょう」
故に、ヤオが懸念していることが解決するとまくし立てた。
しかし――
「お前の言うことは、わしの理想に近しいものだ。だが、実現できるか疑わしい」
ヤオへの殺し文句にはなり得なかった。
「戦争が終わった時とお前は言ったが、どうやって戦争を終わらせるつもりだ? それは、確実にできることか? そして、戦争が終わった後、この島はどうなっている? お前の言うことは、不明確なことばかりだ」
ヤオの発せられた言葉の嵐が、ゲンセイに降り注ぐ。
彼が納得していないことは山ほどあり、全てを納得させるには、この一日だけでは無理だろう。
それでも、ゲンセイには、ここでヤオに首を縦に降ってもらわなければならなかった。
故に、そのための行動をしようとするが――
(……いや、それでは弱い。もっと、上手い言い方があるはず……)
失敗できないという条件もあって、慎重になりすぎていた。
もはや、ゲンセイから、有効的な発言を言える状況ではなかった。
しかし、ここで思わぬ助け舟が出る。
「だが……不明確なことばかりだが、ベアムスレトに打つ手が無いのは確か。さて、ここで一つお前に訊ねたい」
ヤオがゲンセイに、質問を投げかけようとしていた。
口ぶりからすれば、返答次第でヤオがゲンセイの提案を受け入れる可能性は高い。
ヤオは、ゲンセイの提案は現実味がなく、信じるに値しないものだと理解していても、僅かな希望として賭けたい気持ちがあるのだ。
「お前の目的は、何だ? 」
ヤオは、神妙な顔つきで、ゲンセイの目を見据えながら、そう訊ねた。
「戦争の終結……その先にある島の安寧でございます」
「それをお前が成す意味は? 」
さらに、ヤオは訊ねる。
まだ、彼はゲンセイの答えに満足していなかった。
「……正直に申し上げると、分かりません」
ゲンセイは、ヤオの質問に答えることができなかった。
その代わりに――
「ただ、戦争を終結し、島を平和にすることが、私の目標です」
と答えた。
それを聞いたヤオは――
「目標……ときたか。良かろう。我々ベアムスレトは、お前の目標とやらに付き合うとしよう」
と、にんまりと笑みを浮かべた。
ヤオは、島の平和という大それたことを目標というちっぽけな言葉にまとめたゲンセイを気に入っていた。
この場において、誰かのためではなく、自分のために成し遂げるのだと、彼女は言ったも同然であるからだ。
そんなゲンセイに、ヤオはベアムスレトの未来を賭けたくなったのだった。
「戦士や民の説得等、ベアムスレトのことは任せておけ。その代わり、必ず成し遂げろよ」
これからの詳細なことが話終わり、ヤオがそう締めくくる。
「私の話を聞いてくださり、ありがとうございます。必ずや、結果を出して見せます」
ゲンセイは、そう言うと深々と頭を下げ――
「では、これで失礼します」
ヤオに背を向け、テントの外へ向かった。
しかし、ゲンセイの足は、外へでる一歩前で止まった。
「最後に一ついいか? 」
ヤオが彼女の背に向かって訊ねてきたからだ。
「はい、何でしょうか? 」
踵を返し、ゲンセイは自分の体をヤオに向けた。
「外のお前の仲間は、気配からして驚異だと言った。あまり触れなかったが、お前もそうだぞ」
「私が? 」
ゲンセイは怪訝な表情を浮かべた。
『外にいる奴も含めて、お前達二人は得体の知れん奴だからだ。被害がどれだけに及ぶか分からん』
(ああ、私のことも含まれていたのね)
ふと、ヤオの発した言葉を思い出し、ゲンセイは納得した。
「まず、お前は人間ではなく、獣人だな。強烈な人間の匂いや妖術で誤魔化しているが、わしには分かるぞ」
「……私の正体をご存知でしたか。そうでしょうな」
「いや、正体は分からん。お前が獣人であること以外はサッパリだ」
ヤオが難しい表情をしながら言った。
彼の言ったことは、嘘偽りのない本当のようであった。
「お前の気配は……そうだ。狐獣人に近い。妖術に隠された姿も狐獣人に似ている。だが、狐獣人ではない。一体、お前は何の獣人なんだ? 」
ベアムスレトの王にして、獣人のみならず数多の存在の気配を知るヤオでも、ゲンセイ――キキョウの正体は分からなかった。
「はあ……」
ヤオの発言の後、キキョウはため息をつき――
「申し訳ありませんが、その質問には答えられません。私本人にも、分からないことでございますゆえ……」
と答え、軽く頭を下げた後、踵を返してテントの外へ出ていった。
「……そうか。お前自身……分からないことであったか」
キキョウの出ていった方を見つめながら、ヤオは一人そう呟いた。
この時、ヤオは強く握り締めていた両の拳をようやく開放した。
ゲンセイがテントの中に入った時から、彼は拳を握り続けていた。
無意識にそうしていたことを本人が気づくことはない。
「ふぅ……とんでもない奴らだ」
緊張の糸が切れたかのように、ヤオは青を向けに倒れた。
「……恐らく、これから、あの二人のどちらかが、ラザートラムで暴れることになる。その可能性があるだけでも、あいつに従う価値は充分あった」
そして、気落ちしたような暗い表情を浮かべるのだった。
敵国であるラザートラムであっても、二体のうち一体の怪物が暴れた後の惨状を想像すれば、同情せずにはいられない。
本当の怪物の驚異を目の当たりにしたヤオにしか分からない気持ちであった。
2017年8月5日 話が繋がらないと判断したため変更
「いえ、正確にはラザートラムと戦争状態を意地していただきたい」 → 「はい。しかし、交戦は避けていただきたい」
2018年12月8日 文字修正
何故かといえば、その年の三年ほど前から、儀式の生還者が激増したからである。 → 何故かといえば、その年の三年ほど前から、儀式の生還者が激減したからだ。




