三百六話 戦いの決着は急がれる
「うああああ!! 」
刀を構えるゲンセイは、掛け声を上げると同時に、一歩前へ足を踏み出す。
その動作をした後、ホルダーから二枚の魔札を取り出し、ファントムへ投げ放った。
「ああ? 」
斬りかかってくると予想していたファントムは、そのゲンセイの行動に拍子抜けする。
ファントムは、魔札がどのような存在であるかを知らない。
彼にとって、魔札はただの紙切れに見え、ゲンセイがくだらない行動をしたのかと思っていた。
しかし、そう彼が思っていたのは、一瞬のこと。
自分が分からないにせよ、彼女にとって価値のある行動、つまり、自分への攻撃手段であると判断し――
(まぁ、避けてやるか)
横へ向かって跳躍して躱すことにした。
すると、宙を舞う魔札は、二枚共に風の刃に変化し、ファントムをいた場所を通過していき――
バキッ! バキッ!
後方に生えていた木々に傷を付けていき、やがて消えた。
「なるほど。今の紙切れは、魔法になるのか。躱して良かったぜ」
ファントムは地面に着地し、風の刃に傷つけられた木々を見ながら、そう呟いた。
「そんで、なかなか冷静じゃないか」
そう言いながら、ファントムはゲンセイに視線を向ける。
ゲンセイは、魔札を投げ放った時の位置と違う場所にいる。
今、彼女がいる場所は、倒れ伏したセアレウスの傍である。
さらに、そこはセアレウスを後方に置く位置で、ファントムの前に立ちはだかり、彼女を守っているようである。
つまり、ゲンセイはセアレウスの身の安全を確保するために行動していたのだ。
「そうさ。まだ、そいつには守る価値がある。だが、それもあと何分かなぁ? 」
ゲンセイの行動に感心したファントムだが、途端に意地の悪い顔をする。
「……」
ゲンセイは、そんなファントムへは何も言葉を返すことなく、ただ彼を睨みつけ、構えた刀の柄を握る手を強くする。
腹を短剣で突かれ、血を流しているものの、セアレウスにはまだ息がある。
すぐに応急手当を施せば助かる可能性がある。
しかし、そう簡単にはいかない。
「……お前は知らないだろうから言っておくが、そこで死んでる黒いのは、俺の弟なんだ」
ファントムは、先ほどのようなヘラヘラとした顔ではなく、神妙な顔つきとなる。
その顔が向いている方には、事切れたディメンテスがいた。
「馬鹿で時々分かんねぇ所があるけどよぉ……」
顔を俯かせながら、そう言った後――
「てめぇら、生きて返さねぇからな! 」
と、ファントムはゲンセイに顔を向け、声を荒らげた。
今の彼の表情は、怒りで表情が歪んでいる。
弟を死に追いやったセアレウスとゲンセイを彼は決して許さない。
そんなファントムは、セアレウスの応急手当を待つどころか、阻止するだろう。
「……簡単なことだ。手っ取り早く、あいつを殺せばいいだけだ! 」
ゲンセイは、ホルダーから一枚の魔札を取り出しつつ、そう言い放った。
それは、ファントムへの返答ではなく、自分自信に対して言ったこと。
セアレウスの死がある危機的な状況において、自分を鼓舞するためにいったのだ。
しかし、そうまでしても焦りは消えなかったのか、魔札を取り出すときに二枚の魔札を落としてきまう。
ゲンセイは、落とした二枚の魔札を一瞥しただけで、それに構うことなく――
「はぁ! 」
手に取った魔札を投げ放つと同時に駆け出した。
魔札は先ほどとは違い、直径三十センチほどの雪の塊変化し、ファントムの足に目掛けて飛んでいく。
キキョウが得意とする雪砲である。
「今度は、氷……じゃなくて雪か。変わってんな」
軽く跳躍したファントムに躱され、雪の塊は地面に当たって雪溜まりに変化する。
「喰らえ! 」
ファントムが雪砲を躱している隙に、ゲンセイは彼の目の前まで接近し、刀を振り下ろした。
キィン!
それによって、金属と金属がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。
ファントムが短剣で、ゲンセイの刀を受け止めたのだ。
「まさかとは思うが、殺れると思ったか? 」
「ぐっ……舐めるな! 」
キンッ!
ゲンセイは、短剣を弾いて刀を振り上げると、そこから連続攻撃を仕掛ける。
縦、横、斜めとあらゆる方向に刀を振り回し、苛烈に攻めていく。
「へへっ……」
ゲンセイに猛攻に対し、ファントムは涼しい顔で対処する。
手にした短剣で、ゲンセイの刀を受け続けていた。
その攻防はしばらく続き――
「くっ! 」
ゲンセイが後方へ飛び退いたことで終了する。
そして、着地するや否やゲンセイはよろめきだした。
攻撃をしていたはずの彼女がダメージを負っていた。
服のいたるところが切り裂かれており、そこから血がゆっくりと滲み出す。
「ちっ、気づいたか」
ゲンセイが飛び退いたことに、残念がる表情をするファントム。
そんな彼が持つ短剣には、少量ながら血が付いていた。
その血は、ゲンセイのものである。
実は、先ほど行われていた攻防の中で、ファントムはゲンセイの体を切りつけていたのだ。
刀を受ける合間に振るわれた高速の短剣である。
その動きをゲンセイは捉えることができず、さらに痛みが生じない程度に切りけられていた。
故に、ゲンセイが飛び退いた時点で、切りつけられていた箇所は十を超えていた。
一つ一つの傷は大したものではないが、出血する箇所が大量にあるのだ。
もしゲンセイがあのまま攻撃を続けていたら、出血多量により、本人が気づかぬ間に死んでいた可能性があった。
しかし、その出血多量による命の危機は、未だに改善されていない。
ゲンセイは、ホルダーから魔札を取り出すと――
「やむを得ない。凍風! 」
自分の足元に投げつけた。
すると、彼女の足元から上へ白く輝く風が旋風となって吹き上がった。
「くうっ……! 」
その風は強力な冷気を伴っているようで、ゲンセイの全身に霜が張り付いてゆく。
ゲンセイは魔札を自分に使うことで、無理やり傷を塞いだのだ。
(応急処置だが……待てよ。手荒い方法だが、セアレウスの傷も凍らせてしまえば! )
そう考えたゲンセイは、ホルダーに手を伸ばしたが――
「させるかよ! 」
ゲンセイが自分の傷を塞ぐ一部始終を目にしていたファントムも同じことを考えていたようで、ゲンセイの元まで一気に距離を詰めて短剣を突き放った。
この攻撃の一連の速さは尋常なものではない。
「ちぃ! 」
ギンッ!
故に、ゲンセイはホルダーに手を伸ばした手を止め、短剣による突きを防ぐことを優先した。
すぐに短剣を弾き、ファントムへ攻撃を仕掛けたいゲンセイだが、短剣を押すファントムの力が強く、それが叶わない。
咄嗟に刀を両手で持った彼女の行動は正解である。
しかし、ファントムの短剣に押されつつある今、刀から片手を離すことができない。
実質、魔札の使用を封じられている状況であった。
「どうした、どうしたぁ! 押されてんぞ、お前えええ!! 」
挑発の言葉を口にしつつ、ファントムはじりじりとゲンセイへ近づいていく。
彼が一歩前に進む度に、ゲンセイも一歩後ろへ下がっていた。
ファントムによって、ゲンセイは後方へと追いやられていた。
彼女の後方には、セアレウスが倒れている。
このままでは、ファントムがセアレウスに接近してしまい、彼女を危険に晒すことになるだろう。
故に、ゲンセイはそこまでに行き着くまでに、ファントムの進行を食い止めたかった。
「ぐうっ……! 」
しかし、先ほどから状況は変わらず、ゲンセイはファントムに押されて後退を続ける。
「そら、そらあ! はっははははは!! 」
焦りの表情を見せるゲンセイに、ファントムは高らかに笑い声を上げる。
ゲンセイが絶体絶命の中であるのに対し、ファントムは笑い声を上げるほど余裕であった。
実は今、彼はゲンセイを何時でも殺害できる状況にある。
その要因としては間合いだ。
今のゲンセイとファントムは、互いの顔の間の距離は拳三つ分ほど。
至近距離である。
その距離間では、刀身の短い短剣は有利である。
キキョウが刀を振るよりも速く攻撃ができるだろう。
そして、ファントムは何時でもゲンセイの刀を弾いて、攻撃をすることができる。
それをしないのは、セアレウスの近くまで接近した自分を見て絶望するゲンセイの顔が見たいがためである。
その顔を見た瞬間に、ファントムはゲンセイを殺したかった。
「あっはっは! 」
そして、ファントムが待ち望んだ時がようやく訪れる。
ゲンセイをセアレウスの傍まで追い詰めたのだ。
あと一歩でも下がれば、ゲンセイはセアレウスを踏んでしまい、もう彼女は後ろへ下がることはできない。
「ぐっ……! 」
そんな状況に、ゲンセイが表情を歪ませた瞬間――
「残念だったなあああ!! 」
ガキィン!!
ファントムは、ゲンセイの刀を弾いた。
刀を弾かれ、ゲンセイが仰け反っている間に刺し殺す。
その数秒先の未来の光景を想像して、最大限に頬を吊り上げるゲンセイだが――
「ふっ……」
この時、何故かゲンセイも頬を吊り上げていた。
その彼女の表情に気づき、怪訝な表情をするファントムだが、特に気にすることなく、短剣をゲンセイの心臓目掛けて突き出した。
しかし、ファントムの短剣の速度よりも――
「魔札はホルダーの中だけではない! 爆風! 」
ゲンセイが地面に落ちていた魔札を踏みつける方が速かった。
否、この位置に到達した時点で、彼女は魔札を踏んでいた。
「……!? 」
魔札の存在に気づいたファントムが驚愕の声を上げる間もなく――
ボンッ!!
爆発したかのように吹き荒れた風により、彼は吹き飛ばされた。
真横に吹き飛んだファントムとは違い、ゲンセイとセアレウスは上空へと舞い上がっていた。
ゲンセイはセアレウスを抱えると同時に、舞い上がったもう一枚の魔札を手に取り――
「さらにもう一枚! 私の魔力を込めた凍風! 」
ファントムへ投げ放った。
放たれた魔札は、吹き飛んでいるファントムの真下に到達すると、冷気を纏う旋風へと変化する。
「ぐおおおおおっ!! 」
先ほどよりも強力で、ファントムの全身を凍らせながら上空へと舞い上がらせる。
「ふうおおおおっ!! お、重い……」
セアレウスを抱えたゲンセイは、着地と同時にその場に蹲る。
人一人抱えて高所から着地した衝撃を受けて、ゲンセイは平気でいられなかった。
「……なんのこれしき」
ゲンセイは痛みを我慢し、抱えたセアレウスを地面に下ろす。
その後、ホルダーから二枚の魔札を取り出し、舞い上がった氷漬けのファントム目掛けて投げ放った。
「風刃の魔札の二枚重ね! 風刃の上位魔法 太刀風を喰らえ! 」
ファントムへと飛んでいく二枚の魔札が重なると、巨大な風の刃に変化し――
ズバッ!!
ファントムの胴を真っ二つに切り裂いて、駆け抜けていった。
太刀風を受けたことで、ファントムにまとわりついていた氷が砕け――
「ぐあああっ! こ、こんなガキにいいいいいい!! 」
絶叫を上げながら落下していき、二つの彼の体が地面に落ちた時には、その絶叫は止んでいた。
「……そう、私は冷静。だから、お前に勝てたのよ」
物言わぬ肉塊と化したファントムに、ゲンセイは震える声で言った。
戦いが終わった後、ゲンセイは仰向けに倒れているセアレウスを見下ろす。
傷口を凍らせて塞いだものの、まだ助かったとは言えない状況であった。
「私が使える魔法は攻撃をするものばかりで、治癒なんて出来ない。でも、これくらいならできる」
ゲンセイはセアレウスの傍に腰を下ろすと、彼女の額に手を置いた。
すると、セアレウスの額に置いたゲンセイの手が白色の光に包まれる。
やがて、その白い光はセアレウスの体を包み込むまでに大きくなった。
「……やっぱり、この娘に残された魔力が少ない。なら、私の魔力を分け与えれば……」
ゲンセイがしていることは、セアレウスに自分の魔力を分け与えること。
魔力を補充することによって、セアレウスの自然治癒能力を高めようとしているのだ。
魔力は魔法を使うだけのものではなく、自然治癒能力等の身体能力を向上させることにも利用できるのだ。
「くっ……まだ全然足りない」
魔力を分け与えるも、一向に自然治癒能力が高まる気配はなかった。
「……この際やむを得ない。はあっ! 」
ゲンセイが掛け声を上げたと同時に、白い光の輝きが強くなる。
彼女は、ある理由があって分け与える魔力を抑えるつもりであった。
しかし、緊急事態により、全力で魔力を分け与えることにした。
すると、ゲンセイの髪は次第に白くなっていき、彼女の姿が歪んでいく。
歪みが無くなった後、ゲンセイのいた場所にいるのは、白い獣人の少女であった。
ゲンセイと同じ黒い装束を身につけているものの、髪は白く、頭部には一対の三角状の耳が生えているのだ。
「……うっ……うう…」
魔力がある程度補給されたことで、治癒能力が高まり、セアレウスに意識が戻る。
彼女はゆっくりと目を開くと、自分を見下ろす白い獣人の少女の顔が目に入り――
「キ……キキョウさん……? 」
と、その少女の名を呼んだ。
セアレウスに意識は戻ったのだが、完全ではなく朦朧としている。
故に、白い獣人の少女がキキョウに見えたのだが、セアレウスはあまり自信がなかった。
その獣人は実際にキキョウであった。
驚くべきことに、ゲンセイの正体はキキョウであった。
妖術により、キキョウがゲンセイという人間に今まで化けていた。
ゲンセイに化ける妖術に使う魔力をも分け与えたことで、妖術が解けてキキョウの姿に戻ったのだ。
「……一つ答えて頂戴。どうして……そこまで頑張れるの? 」
キキョウがセアレウスへ訊ねた。
「あ……ん? 」
セアレウスは朦朧とする意識の中、訊ねられたことはわかったが、その意味が分からないようであった。
「私はあなたのことが嫌いだわ。ゲンセイは、その気持ちに正直だったはず。あなたにとって、嫌な奴だったはずよ。何故、自分の命を張れたの? 」
「……似て…いたから……」
キキョウの問いかけに、セアレウスはゆっくり答え、左手を上げる。
震える左手でキキョウの頬をそっと撫で――
「大好きな……あなたにそっくりだった……から。絶対……守りたかった……」
と微笑みながら言った。
そのすぐ後、セアレウスの左手は下げられ、彼女は目を閉じる。
死んだのではなく、再び意識を失ったようであった。
「……そう。そういえば、私のことを好きって前に言ってたわね……」
キキョウは、セアレウスの額に置いていた手で彼女の頭を撫でると――
「でも、私はあなたのことが嫌いだわ。そういうところが嫌いなの」
そう呟いた。
そんなキキョウの表情は、険しいものではなく、穏やかなものである。
困ったように笑っており、人に嫌いと言った人物には相応しい表情ではなかった。




