三百話 その傲慢は仇となる
2017年5月14日――補足
今更ですが、[獣人の男]というように何の動物の獣人か明記されない場合は、犬系の獣人です。
一般的な犬の獣人の姿、犬の耳と尻尾を持つ人を想像してくだされば幸いです。
森林の奥深くから、複数の影が動き回る。
その影は、人間の子供くらいの大きさの魔物で、小型に分類される。
名前は、シャープネイル。
猿型の魔物で、体毛が灰色であることと、前足のフックのように曲がった鋭い爪が特徴だ。
注意すべきは、その前足の爪で、人間の皮膚をバターのように切り裂く鋭さを持っている。
一体でも充分驚異であるが、集団で狩りを行う習性があり、単体の獲物に数体の群れで襲い掛かることが多い。
囲まれてしまえば、まず助からないと言われ、ニグラーシャ森林地帯にて、特に危険な魔物として恐れられている。
そんな魔物相手に、ゲンセイとセアレウスは囲まれていた。
「キキッ! 」
「ウキャー! 」
甲高い鳴き声を上げながら、二体のシャープネイルがゲンセイへ飛び掛かる。
大胆にも、ゲンセイの正面へと向かっていく。
一見、無謀にも思えるが、今は夜で辺りは暗闇に包まれている。
シャープネイルは夜目が発達しており、暗闇の中でも昼間のように見通すことができる。
対して、飛びかかる相手は人間で、夜目は発達しておらず、暗闇の中では視界が悪い。
シャープネイル達は、それを知っており、飛びかかる人間達がいきなり現れた自分達に対応できないと判断したのだ。
それは正しい考えで普通の人間には効果的だが、此度は逆効果と言えよう。
何故なら、ゲンセイは目に頼らず、ものの位置を把握することができる。
「はあっ! 」
ゲンセイは一歩前に踏み出すと、右手に持った刀を二回振った。
「ギッ――!? 」
「ギャア――!? 」
暗闇の中に走った銀色の線は、見事ゲンセイに迫っていた二体のシャープネイルの顔を切り裂いた。
顔から大量の血を吹き出しながら、二体のシャープネイルは地面に落下し、動かなくなる。
相手は自分達が見えないだろうという考えが仇となった結果であった。
「キッ……ギャアアア!! 」
仲間が殺されたことに気づき、他のシャープネイルが怒りの篭った叫び声を上げる。
そして、仲間のかたきを討つべく、ゲンセイに飛び掛かっていくが――
「ガッ――!? 」
「ギッヒ――!! 」
その末路は、先に飛び掛かった仲間達と同じであった。
ゲンセイは向かってくるシャープネイル達の顔を刀で切り裂いていく。
彼女が右腕を振るう度に、地面に転がるシャープネイルの数が増えていった。
「キキッ……ウキャア! ウキャア! 」
残っているシャープネイルの数匹はゲンセイに飛び掛かることを諦め、代わりにセアレウスへと向かっていく。
「正面と右……遅れて左」
「はい! 」
しかし、結果は同じで――
「グッ――!? 」
「ガッ――!? 」
「ギッ――!? 」
セアレウスのアックスエッジにより、シャープネイル達は体を叩きのめされて地面に転がる。
セアレウスはシャープネイル達の位置を把握する能力はないが、そばにゲンセイがいるのだ。
ゲンセイから、向かってくるシャープネイルの位置を聞くことで、正確に迎撃することができていた。
「ウキャア!! 」
「くっ……タイミングが外れた! 」
しかし、それでもセアレウスがシャープネイルの迎撃に失敗することがあった。
振り払ったアックスエッジを逃れたシャープネイルが、セアレウス目掛けて前足を振り下ろす。
「ギャ――!? 」
しかし、そのシャープネイルの前足の爪が、セアレウスの体を引き裂くことはなかった。
前足を振り下ろす途中で、シャープネイルは黒い何かに額を貫かれたのだ。
「ふん、世話がかかる」
黒い何かをシャープネイルの額に投擲したのは、ゲンセイであった。
驚くべきことに、ゲンセイは投擲対象のシャープネイルに顔を向けていなかった。
気配で位置が分かると言っても、真反対の方向にいる投擲対象を狙うのは、容易いことではないだろう。
「今のは、以前わたしにも投げた武器……これは、なんなのですか? 」
シャープネイルに突き刺さる黒い何かは、平たく長細い形状をしている。
以前、セアレウスがブリスの北西にある森で見たものと同じであった。
「手裏剣という投擲に使える武器の一種だ。私が使うのは、細かく言えば棒手裏剣と言って……」
ゲンセイは、右袖から三本の棒手裏剣を左手で取り出すと――
「はっ! 」
左腕を思い切り振り、まとめて投擲する。
「「「ギキッ――!? 」」」
すると、投擲された三本の棒手裏剣は、三体のシャープネイルの額にそれぞれ突き刺さった。
「威力はまあまあで、小型の魔物なら一撃で仕留められる」
「おおっ……」
肩ごしに、三体のシャープネイルを倒す様を見ていたセアレウスは、目を輝かせて関心した。
何故なら――
「忍者……ゲンセイさんは、忍者だったのですか!? 」
彼女が読んだ本に出てくる忍者という戦士と同じ武器であったからだ。
投擲して魔物を倒すのも、彼女の持つ忍者のイメージにピッタリである。
「何でもいいだろ! 戦いに集中しろ、この馬鹿女! 」
「え、ええぇ、得意げに説明したくせに……分かりましたよ! 」
ムッと眉間に皺を寄せつつ、セアレウスは正面に向き直きなおり、シャープネイルの迎撃を再開する。
飛び掛れば、無残に切り裂かれて死体になる。
自分達が有利な状況であるにも関わらず、シャープネイル達に勝ち目はなかった。
「ウ、ウキ……キャア! キャア! 」
二十体もいたシャープネイルは、五体までに減っていた。
それに気づいた五体のシャープネイルは、ゲンセイとセアレウスを狩ることを諦め、森林の奥へと逃げ去っていった。
「……戦意喪失。これで、邪魔はなくなったな」
魔物の気配が消え、ゲンセイが刀を鞘に戻す。
セアレウスもアックスエッジを腰に戻す。
「ふむ……」
「……? どうしたのですか? 」
ゲンセイの何かを考える様子に気づき、セアレウスが訊ねる。
「……いや、何でもない。先を急ぐぞ」
「はぁ、分かりました」
ゲンセイは、裏切り者の手先の追跡を再開。
森林の奥へと歩き始める。
セアレウスも彼女に続いて歩き始めた。
ゲンセイは、セアレウスの問いかけに答えることはなかった。
「そういえば」
黙々と森林の中を歩く中、セアレウスがおもむろに口を開いた。
「キキョウさんの提案は、通ったのですか? 本隊を進軍させるという」
その口から出たのは、作戦会議の結果の問いかけであった。
ふと、セアレウスはキキョウの提案が通ったのか気になったのだ。
「もちろん通ったに決まっている。でなければ、今、こうして森林の中になど入っていない」
ゲンセイは、セアレウスに顔を向かせることなく答えた。
淡々とした声音であった。
「それもそうです……ね」
「なんだ? 何か言いたいことでもあるのか? 」
一瞬、言葉を詰まらせたセアレウス。
ゲンセイは、その言葉を詰まらせた理由を、セアレウスが何事か気になることがあったのだと思った。
「ゲンセイさんは、気配を感じることが出来るから、こんなに暗い森林の中でも進むことが出来る。でも、この先にいる手先の方はどうしているのでしょうか? それが気になりました」
「確かに」
ゲンセイは、セアレウスの疑問に同意した。
「このニグラーシャ森林に入ったと聞いた時、安全に進むことが出来る道筋を行っているのだと思ったが、そうでもないみたいだしな」
「それは、どういうことでしょうか?」
「先ほど戦闘した魔物共がやって来たのは、我らが向かう先、つまり手先のいる方だ。なのに、奴の気配には大きな変化は感じられない」
「もしかして、魔物と遭遇していないのでしょうか? 」
「そう捉えてもいいだろう。暗闇を進むことは別として、奴には魔物避けの術か何かを使っている可能性が……っと、魔物がこちらに向かってくる」
魔物の接近を関知し、ゲンセイが足を止めた。
「どうします? また、迎え撃ちますか? 」
「……いや、やめておこう。近づいてる魔物の図体がでかい。倒すのに時間が掛かる。ここは身を潜めてやり過ごすぞ。こっちだ」
ゲンセイは、セアレウスを連れて、近くの茂みに向かい、そこに身を潜めた。
しばらくすると、地鳴りと共に、先ほど二人が歩いていた場所を何かが通過する。
「分かるか? 」
「どういう魔物か分かりませんが、前から来たのは分かりました」
セアレウスは、魔物の正体が分からなかったが、やって来た方向は分かった。
今、通り過ぎた魔物は、ワイルドボア・イクス。
猪型の魔物で、動物の猪より二周り大きい体を持つ。
牙がX状に交差しているのが特徴的で、名前の由来となっている。
地域によって、牙の形が異なるらしく、ワイルドボア・オメガやワイルド・デルタといった亜種が確認されている。
「今の魔物が手先の方と遭遇した感じはありましたか? 」
「ない。というか、魔物が奴を躱したような動きをしていた。確実に魔物避けの術を使っていると見ていいだろう」
「そう……ま、待ってください」
ゲンセイの言葉に頷く途中、セアレウスは思い出した。
「確か……この任務の目的は、ベアムスレトへの侵入経路の確保だったはず」
セアレウスが思い出したのは、キキョウがこの任務の内容を話した時のことであった。
何故、このタイミングで思い出したかというと――
「もしかして、今辿っている道は、侵入経路としては使えないのでは? 」
その目的が果たせない可能性があるからだ。
「……そうなるな」
ゲンセイは、静かにセアレウスの言葉に同意した。
セアレウスには、詳しく伝わっていないが、侵入経路にはいくつかの条件があった。
それは、その侵入経路を進行中に敵であるベアムスレトの兵に気づかれないこと。
もう一つは、安全に進むことが可能であることである。
前者の条件はまだ分からないが、後者の条件は、この時点で満たされないことは判明しているのだ。
キキョウは、裏切り者の手先が、ニグラーシャ森林地帯を通っていることは、事前に知っていた。
そして、その手先が魔物に襲われない特別な道を進んでいるのだと睨んでいた。
故に、情報をベアムスレトへ渡そうとする手先を追跡するだけで、侵入経路として使える道筋が確保できると考えた。
しかし、現実は、裏切り者の手先が魔物避けの術を使っていただけで、特別な道などは存在しなかったのだ。
「キキョウさまの読みが外れたというわけか。まぁ、仕方のないことだな」
そう言った後、ゲンセイはゆっくりと息を吐く。
うまく事が運ばないことに、ガッカリしている様子であった。
「こういう場合、どうすればいいかをキキョウさんから聞いていますか? 」
不安げな表情を浮かべつつ、セアレウスが訊ねる。
「どうするもなにも、まだ終わっていない。こうなれば、一気に奴に追いつき、敵に情報を渡される前に仕留めるのみよ」
ゲンセイは、そう言うと茂みから飛び出し、元の道に戻る。
「急ぐぞ、セアレウス。グズグズするな! 」
「いちいち、そんなことを言わなくても! 」
セアエウスも元の道へ戻り、走るゲンセイの後を追っていく。
こうして、侵入経路の確保という目的はなくなり、先にいる裏切り者を始末するために、二人は森林の中を走るのだった。
夜のニグラーシャ森林地帯の中を歩く者がいる。
その者は、フード付きのマントを羽織っている。
フードで頭を覆い、マントの隙間から、彼が黒い長袖のシャツと長ズボンを身につけていることが分かる。
まさしく、それはラザートラムの一般兵が着る服で、彼はラザートラムの兵であった。
彼こそ、ゲンセイとセアレウスが追っている裏切り者の手先であった。
「……森林に入ってから、三時間ほどか。もうすぐだな」
彼はそう言って、森林の中を進み続ける。
時折、魔物の鳴き声が彼の耳に入るが、彼はひるむ素振りを一切見せない。
自分が魔物に襲われないことを充分理解しているからだ。
「……もう慣れてしまったが、この魔物避けのマントは素晴らしい性能だ」
手先の者が自分が羽織うマントを賞賛する。
このマントは、彼の上司――キキョウ達が裏切り者と呼ぶ者から譲り受けた者であった。
「確か、このマントには上位のものがあって、それは自分の存在を完全に隠し、誰にも見つからなくなるそうな」
ぶつぶつと手先の者は、マントについて呟いていく。
彼が、こうして独り言を呟いているのは、何の障害もなく自分の任務が終わるのだと思い、油断しているからだろう。
「それをベアムスレトへ渡せば、戦況はまたあちらが有利となり、戦争はベアムスレトの勝利となるというのに……あの方の考えていることは分からん……む? 」
ぶつぶつと呟く中、手先の者は何かに気づいた。
そして――
「やぁ。私だ」
と、親しげに声を上げつつ、フードを外した。
森林を歩いていた彼の前に、ある人物が現れたからだ。
「フフフッ……」
その人物とは獣人の男性である。
つまり、ベアムスレトの兵であった。
ベアムスレトの兵は、手先の者の前方で木にもたれ掛かって立っていた。
そこは森林の中にしては開けた場所で、手先の者の人間の夜目でも、ベアムスレトの兵の存在にすぐ気づくことができた。
手先の者は、そのベアムスレトの兵の元へ向かっていく。
「毎度毎度、こんなところで待機してるなんて大変だな」
ベアムスレトの兵の元へ辿り着くと、手先の者は、そう声を掛けた。
「そちらこそ。で? 今日はどんな情報を仕入れてきたんだ? 」
「今日は重大な情報を持ってきた。ベアムスレトの危機と言っても過言ではない」
「ほう、それは大変だ。早く言うがいい」
対して、ベアムスレトの兵はニヤニヤと笑みを浮かべている。
「ふん。そう笑っていられるのも今のうちだ。実は――」
手先の者が重大な情報――ラザートラムの本隊の進軍についての情報を話そうと口を開いた時、彼の口は動きを止めた。
「……!? マヌケが! 」
ベアムスレトの兵は怒鳴り声を上げつつ、動かなくなった手先の体を腕で弾き飛ばす。
人形のように、力なく宙を漂う手先の者の首には、棒手裏剣が突き刺さっていた。
後ろから突き刺さっており、その先端が喉から飛び出している。
その様子を見て、ベアムスレトの兵は、手先の者が何者かによって攻撃されたのだと判断した。
ベアムスレトの兵は、その何者かは、おおよその予想が付いている。
「つけられていやがったな! チクショウ! 」
それは尾行者だ。
手先の者が自らの尾行者に殺害されたのだと瞬時に判断したのだ。
「ギリギリ……間に合ったな……」
ベアムスレトの兵が視界の奥に目を向ければ、黒い装束の少女の姿と――
「すごい……こんな遠くから、よく狙えましたね」
水色の髪の少女の姿を捉えることができた。
その二人は、ゲンセイとセアレウスである。
手先の者がベアムスレトの兵と会ったちょうどその時に追いつき、咄嗟にゲンセイが棒手裏剣を投擲したのだ。
結果、本隊の進軍の情報がベアムスレトの兵に伝わる前に、手先の者の口を封じることが出来ていた。
「ガキ共……ちっ! 」
すぐにでも二人の元へ向かい八つ裂きにしたい衝動に駆られたベアムスレトの兵だが、彼は身近に生えている木に自分の身を隠した。
キキョウの投擲に備えた行動であった。
「どうしますか、ゲンセイ? 」
セアレウスが、次の行動をゲンセイに訊ねる。
曖昧に問いかけたが、この状況においては、逃げるかベアムスレトの兵と戦うかの二者択一の問いかけをしたも同然であった。
「……敵は奴一人だ。ここで、奴も始末しておいたほうがいい」
ゲンセイは、そうセアレウスに答えるとベアムスレトの兵に向かって走り出す。
「むっ! 俺も始末する気か! そう思い通りにさせてたまるかよ! 」
ベアムスレトの兵は、向かってくるゲンセイに気づくと、腰の鞘から剣を抜いて木陰から飛び出す。
「これでも喰らえ」
飛び出してきたベアムスレトの兵に目掛けて、ゲンセイが棒手裏剣を投擲する。
「見える! 当たるかよ! 」
ベアムスレトの兵は、屈んで棒手裏剣を躱す。
その動作と共に、彼は一気にゲンセイへ接近し――
「叩き斬ってやる! 」
真っ二つに切り裂くべく、剣を振り上げた。
その時、ゲンセイは右手に刀を持っていた。
そして、ベアムスレトの兵の喉を貫くために、思いっきり前に突き出す。
「ぐっ……! 」
自分の攻撃の方が遅いと判断したベアムスレトの兵は、そのまま後方へ跳躍した。
彼の判断は正しく、あのままではゲンセイを真っ二つにする前に、喉を突かれていただろう。
しかし、彼は一歩考えが足りなかった。
「かかったな、バカめ! 」
ニヤリと笑みを浮かべたゲンセイは、屈みつつ右太もものホルダーから一枚の魔札を左手で取り出した。
ゲンセイは、取り出した魔札を宙に漂うベアムスレトの兵に向けると――
「貴様が真っ二つになるのだ。風刃! 」
魔札を使用、光を放ったそれは風の刃へと姿を変え――
「なにっ――がはっ!」
ベアムスレトの兵の腹の切り裂いた。
腹から大量に血を噴き出しながら、ベアムスレトの兵は地面に仰向けに倒れた。
上半身と下半身を別々に分断されて。
(棒手裏剣は牽制で、素早い刀の突きで仕留めるのが本命……と見せかけて、真の本命は魔札による風魔法。敵ながら、気の毒に思いますよ……)
ゲンセイの戦いを見て、セアレウスは味方ながら彼女を恐ろしいと思っていた。
「ん? ふふぅ! いい顔をしているなぁ、セアレウス」
そんな気持ちを抱くセアレウスの顔が気に入ったのか、ゲンセイは得意げになった。
それがいけなかったのだろう。
「……! ゲンセイ! まだ――」
先に気づいたのはセアレウス。
「……!? 」
遅れてゲンセイも気づいたが遅かった。
「ウオオ……オオッ…ン……」
ベアムスレトの兵はまだ生きていたのだ。
すぐ絶命したが、彼が最期に残した遠吠えは森林に広く響き渡っていった。
2017年5月9日――誤り習性
棒苦無 → 棒手裏剣




